時間があいたので、きのうは実家に帰っていた。
実家といってもサイタマだけど。
隣のおうちも改装したんだよとか、
おむかいのお姉ちゃんとこの娘さんはもう看護学生なのよう、とか、
同級生のたっちゃんは、二度目の結婚で、
いきなり子供ができた(しかしおそらくあれは連れ子だろう)とか、
ひとしきりご近所の噂話を聞いたあと、父親がしんみりと語りだした。
8月15日といえばね、思い出があってね。
64年前、満州にいた父親一家のもとに、赤紙というやつがきて、
おやじ(つまり私のおじいちゃん)は戦場に、
他の家族は疎開先に行くというので、
リュックに荷物をつめて、水杯をかわした。それがあの日だった。
なにかの発表があるというので、それを聞いてから出かけるか、
といってみんなで聞いた正午の玉音放送。
なんだかよく聞き取れなくて、なんのことだかわからなかったけど、
大人たちが「負けた」と言っていたので終戦を知った。
いちおうおやじは出かけていって、そしてすぐに帰ってきた。
もし1日ずれていたら、戦死していたかもしれない。
それは、子供の頃から、何度も何度もくりかえし聞いた話だったけれど、
はじめて話すことのように、父親はしんみりと語った。
私と母も黙って聞いた。
オバマさんが核のない世界を、といった影響なのか、
きのうのテレビ番組は、いつもより原爆特集とか、
核問題特集とかが多かったように思う。
そのせいで昔を思い出してしまったのだろう。
父は75歳。そんな思い出話を、これからもひとつでも多く聞いてあげなくちゃ。
そんなふうに思った。
実家といってもサイタマだけど。
隣のおうちも改装したんだよとか、
おむかいのお姉ちゃんとこの娘さんはもう看護学生なのよう、とか、
同級生のたっちゃんは、二度目の結婚で、
いきなり子供ができた(しかしおそらくあれは連れ子だろう)とか、
ひとしきりご近所の噂話を聞いたあと、父親がしんみりと語りだした。
8月15日といえばね、思い出があってね。
64年前、満州にいた父親一家のもとに、赤紙というやつがきて、
おやじ(つまり私のおじいちゃん)は戦場に、
他の家族は疎開先に行くというので、
リュックに荷物をつめて、水杯をかわした。それがあの日だった。
なにかの発表があるというので、それを聞いてから出かけるか、
といってみんなで聞いた正午の玉音放送。
なんだかよく聞き取れなくて、なんのことだかわからなかったけど、
大人たちが「負けた」と言っていたので終戦を知った。
いちおうおやじは出かけていって、そしてすぐに帰ってきた。
もし1日ずれていたら、戦死していたかもしれない。
それは、子供の頃から、何度も何度もくりかえし聞いた話だったけれど、
はじめて話すことのように、父親はしんみりと語った。
私と母も黙って聞いた。
オバマさんが核のない世界を、といった影響なのか、
きのうのテレビ番組は、いつもより原爆特集とか、
核問題特集とかが多かったように思う。
そのせいで昔を思い出してしまったのだろう。
父は75歳。そんな思い出話を、これからもひとつでも多く聞いてあげなくちゃ。
そんなふうに思った。