東京サンフィッシュ

落語ときものとマンガとマンボウを愛するコピーライター(こやま淳子)のブログ。

PK戦。

2010年06月30日 11時07分39秒 | マンボウ日記
「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持った選手だけだ」ロベルト・バッジョ。

1994年アメリカ大会決勝で、PKを外し、優勝をブラジルに譲ったバッジョは、

そのあと、家に放火されたりして大変だったんだったっけ。


昨日、ワールドカップの日本ーパラグアイ戦で、延長戦に入った瞬間、

「PKになったら、いやだな、いやだな…」

と思っていた私。

見ているだけでもう、あの緊張感は、耐えられないものがある。

ふつうに生きていて、あそこまでの重圧を背負うことがあるだろうか。いやあ、ない。あってたまるか。

もしあったら、きっと私は、信じられない失敗をするだろう。

ボールを蹴る前にコケッとなるとか、蹴ったボールがネットに届かないとか。

そもそもプレッシャーに弱いのだ。人数多い打ち合わせで、後からコピー出すのも嫌いだし。

だから、あんな若い選手たちが、あんな場所でボールを蹴ったというだけで、

もう泣きたくなるくらい(いや実際泣いたけど)胸がいっぱいになる。

何を言われたって、堂々としていればいい。

前の試合で負けていれば、あの試合をPKまで持ちこたえられなければ、

あそこに立つことはできなかったんだから。


試合の後、中田英寿も言っていた。

「いやあ、じつはボクもオリンピックでPK外したことがあるので…」

そんな風に言える経験そのものが、ものすごい勲章なのだと思う。

シンガポールとおなじ気候!

2010年06月28日 23時49分24秒 | マンボウ日記
むしむし。むしむし。

今日は、むしむしする日だった。

きゅうに忙しくなったわたしは、それなりにイライラしたり、

それなりにモヤモヤしたりもする日だった。

じつはちょっとワクワクすることもあったんだけど、

でもそこにぬぐい去れないモヤモヤとイライラが立ちはだかる。

夜、すこしだけ涼しくなった六本木で、シンガポール料理のお店に入って海南鶏飯を注文した。

わたしはこの香菜の香りのする、蒸した鶏と鶏ダシで炊いたご飯が大好きで、

ときどき食べに入る。

六本木のそこは、オープンスペースもあって、

今日みたいな日は、外の風がお店のなかにも入ってくる。

メニューの書かれた黒板を見たら、いちばん上に元気な文字で、

「シンガポールとおなじ気候!!」

と書かれていた。

ふっと可笑しくなってしまい、その瞬間、今日という日が、

すごくいい日に思えてきた。

そうだよね。これもコピーだ。

南国のポジティブ。

これからも、むしむしする日は、あのお店に行きたくなるような気がする。

Twitter社会論

2010年06月26日 16時05分49秒 | 最近読んだ本
Twitter社会論 ~新たなリアルタイム・ウェブの潮流 (新書y)
津田 大介
洋泉社

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メディアジャーナリストの津田大介さん。

ワセジョ(早稲田の女子)支持論を展開されていると聞いて、

にわかに興味を持ち(笑)、本を読んでみた。

(※つまり私はワセジョなんですが…ワセジョが賛美されることなんて通常ありえないことなのです)



いままで断片的にしか知らなかったツイッターの歴史や知識が整理され、

ツイッターならではの特徴がよくわかる。

特に、企業単位とか仕事でツイッターを使おうというときには

読んでおいたほうがいい本だと思う。

ホームページとか他の広告メディアと同じ感覚でツイッターを使おうとすると失敗するのは、

ツイッターが多分に属人的なメディアであるから。

ゆえに「会社内でいちばん『人間力』の高い社員をツイッター担当にしろ」

というのは、とりわけ納得した部分だった。



じつは先日、津田さんとお会いしてお話しする機会があったのだが、

頭がよく、声もよく、難しいことをおもしろくしゃべれるし、

きっと誰に対しても好印象。しかも金髪でイケメン。

もうすでにいろんなメディアに出てはいるけれど、

きっと太田総理(笑)とかに出たらすごく人気が出るんじゃないだろうか。

と思うような方で、すっかりファンになってしまった。

これからも応援していきます。

(ワセジョ本出してくださいw)

女子部とW杯。

2010年06月25日 12時52分45秒 | マンボウ日記
きのうはH堂の女子たち数人に、遅めの壮行会をやってもらった。

お花とか、プレゼントとか、寄せ書きとかをいただき、

ついでに女子バナもさんざんしまくって、

楽しい楽しい夜だった。

帰ってきて、寄せ書きを読んだら、

これがまたキュンとくるようなカワイイ寄せ書きで、

「憧れ」とか「かっこいい」とか「好きです」とか書いてある。

(まっ、その前後に、「ドライな感じが」とか「低体温なトークが」とか、

いろいろついてはいるんだが…w)




その後、2時間ほどウトウトしたら、サッカーがはじまった。

日本ーデンマーク戦。

ぼんやり見ていたが、本田のシュートが決まって目が覚めた。

そこから先は、夢のような展開。

ワールドカップが、こんなに楽しいなんて。

しかも今年はツイッターがあるから、あんな夜中でも、大勢で見ているような感覚w

岡田監督のインタビューを見てたら、12年前のフランス大会を思い出した。

苦しくても、けなされても、勝てなくても、

前を向いてやりつづけてきたことへの結果。そう思ったら泣けてきた。



おめでとう、日本代表。ありがとう、女子部。

元気をたっぷり充電できた1日でした。

Good Is Enemy Of Great.

2010年06月24日 12時47分23秒 | マンボウ日記
カンヌ広告祭の季節。

今年は、ツイッターでたくさん広告業界の方とつながっているせいか、

現地にいなくても、現地の情報がリアルタイムに入ってくる。

受賞作が何とかいうのはもちろん、

何のセミナーが盛況だとか、どこのパーティは何時からだとか、そんなことまで。

Ustreamで現地の映像が見れたりとか。

すごい時代だなあ。

カンヌは、2002年に一度行ったっきりだけど、その年の受賞作はいまでも鮮明に覚えている。

ナイキのTAGがリーバイスと争って、グランプリとった年。

私はその頃ワールドワイドの広告代理店TBWAという会社にいて、

当時の社長である川瀬稔さんに、

TBWAのえらい人しか出席できないパーティに連れていってもらったりした。

で、高級ホテルのテラスで、世界的に有名なクリエイティブディレクター・リークロウのスピーチで乾杯し

(appleやaddidasなどのビッグキャンペーンを手がけた広告の神様みたいな人)、

シャイアットやパリや南アフリカのクリエイターたちとお酒を飲んだ。

いま思うと夢みたいな体験だったなあ。

そのときもらった、TBWAハントラスカリス(南アフリカ)の名刺の裏には、

Good Is Enemy Of Great.

と、書かれていた。

なんてことまで思い出すくらい、今年はカンヌから逃れられない。

そして、いまだに私はGoodばかりつくっているかも。と、反省することしきりである。

「告白」の中学生はリアルか否か?(ネタバレ有)

2010年06月22日 22時18分04秒 | 映画日記
映画「告白」を観て、原作も読んで、ずっとあの物語について考えている。

賛否両論あることもあって、ほかのひとのレビューなども読んでみた。

たぶん、100人分くらいは読んだと思う。

そこでまた、どうして自分があのお話にこんなに惹かれるのかということが、

少しずつ見えてきた気がする。



レビューを読んでいると、人によってぱっきりと捉え方が分かれる箇所が、2つある。

ひとつは、「あの中学生たちの描き方は、リアルか、やりすぎか?」

ということで、もうひとつは、

「「なーんてね」は、何を否定したのか?」

ということである。

もしかしたら、あの映画を傑作だと思うか、後味が悪いと思うかは、

ここの2つにかかっているのかもしれない。



前回の日記に書いたように、私はこの物語には、社会的に大きなテーマや教訓の提示はなく、

単なるエンターテイメントだと思った。

だけど、それは復讐の顛末という、物語の大筋に対してであって、

あそこで描かれている人物たちが、「薄っぺらい」「やりすぎ」「あんな人間いるわけない」とは、

まったく思わなかったのである。

あれは、映画的・物語的にかなり誇張されているとはいえ、非常にリアルな人間像で、

それゆえにあの物語は、強い吸引力を持つのだと思っている。

もちろん、復讐の手段など、奇想天外なところも多分にあったけれど、

愛する娘を殺されたら、あれぐらい犯人への憎悪が抑えられなくなってしまうものじゃないんだろうか。

誰もそこまで行動しないだけで、犯人を殺してやりたい、くらいのことは、

被害者の家族なら一度は思うものではないのだろうか。

あの教師の「行動」はフィクションだけど、「気持ち」はリアルなんじゃないだろうか。



そして、同級生の犯罪や、担任教師の恐ろしい復讐話を告げられ、

その重みに耐えられなくなり、「制裁」という名のいじめを開始する生徒たち。

あんな中学生いないと書いているレビューがいくつもあったけれど、

そういう方々は、よっぽど平和な子供時代を過ごされたんだなあと思う。

別にいまどきの子供だけじゃない。

私が中学生だった頃でさえ、中学校の教室なんてあんなものだった。

教師が言ってることを聞かない。いじめは日常茶飯事。

あたかも、いじめられる方に非があるように正当化している。

かばうと、かばった人までいじめられる。

そして時にそれはエスカレートし、暴力や陵辱行為にまで及ぶ。

彼らにとって、いじめは悪ではなく、ちょっとした遊びや仲間意識だったりもするし、

あるときは「正義」でさえありうる。


実際、いじめられてる子同士が無理矢理キスさせられてた、なんて話も、私はどこかで聞いたことがある。

近所の中学校の話だったか、新聞かなにかで読んだ話だったかは忘れたけれど。

あそこで描かれていたことは、別に原作者や監督の妄想やつくり話ではなく、

いまもどこかの中学校で起こっているかもしれないことだと思う。


そして、それは子供たちだけの話だろうか?

大人だって、犯罪者やその家族に石を投げたり、

いじめに近いことをしたりするものじゃないだろうか?

1995年、ある宗教団体がテロ事件を起こしたとき、私はマスコミの加害者叩きの醜悪さに、

人生観が変わるくらいの衝撃を受けた。

加害者たちは、危険な信仰にマインドコントロールされて、善悪の判断が狂ってしまったかもしれないが、

それを狂喜乱舞して叩き、中傷し、追いつめる「こちら側」の人間も、

おなじくらいおかしくなっていやしないか?と。

そして、なにが正義でなにが悪か、よくわからなくなってしまった。

もしかして自分が「正義」だと思ってしまうことそのものが、

大きな間違いの一歩なんじゃないかと思った。


だから私は、「告白」みたいな、

善悪が入れ替わるたぐいの物語に、惹き付けられるのかもしれない。

自分にとっての正義なんて、誰かにとっては悪かもしれない。

いつもそんな風に疑う余地を、持っていたいのだ。



(「なーんてね」は何を否定したのか?は、また改めて書こうと思います。気が向いたら…(笑))

「告白」原作読了。

2010年06月19日 13時11分04秒 | 最近読んだ本
告白 (双葉文庫) (双葉文庫 み 21-1)
湊 かなえ
双葉社

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映画を見たあとにすぐ買って、一気に読んでしまった。

やはりおもしろかった。

これは自分の娘を殺された女教師が、犯人である少年AとBに、

ある復讐をした、と告白するところからはじまるサイコミステリー。

被害者は加害者に、加害者は被害者にと入り組んでいく、真っ黒な物語なのである。


小説のほうは、ひとりひとりの告白ごとに章が分かれているので、

章が進むごとに違った「真実」が浮かび上がってくるという構造が、

よりくっきりとしている。

もしかしたら有吉佐和子の「悪女について」や、映画「羅生門」のように、

「人の主観の頼りなさ」を裏テーマにしていたのかもしれないが、

でもここには、そこまで事件そのものに対する認識の違いがあるわけではない。

ひとりひとりがどのように追い詰められ、どのようにその「行為」に至ったかを、

それぞれの登場人物なりの手法で「告白」するという流れのなかで、

それぞれの人物のキャラクターや心理状態が、次第にくっきりと見えてくる。

教師の森口と、少年Aである渡辺修哉の告白は、とても論理的で淡々としているのに比べ、

少年Bとその母親の告白は、どんどんくずれていき、支離滅裂になっていく。

まるで狂っていく人間の脳内観察をしているかのようだ。

つまり、そのしつこいほど緻密なモノローグの応酬が、

エンターテイメント(こういう小説にこの言葉を使うのは勇気がいるけど)になっているのだ。

どんな犯罪にも、どんな狂気にも、その人なりの理由がある。

人には人それぞれの真実があって、それはかくも自分勝手で残酷で、

そんな無限の真実がぶつかりあいながら社会は動いている。

いじめをする子供たちには、いじめる側の「真実」が、

殺人者には殺人者なりの「真実」が。

そして、こういう種類の物語には、大抵あるべき「正義」や「救い」が、ここにはない。

教訓めいた結論も、倫理的なテーマの提示もなく、ただ残酷なまでに物語はばっさりと終わる。

(映画にはオリジナルの一言が付け加えられている。これに関しては、また後日書こうと思う)

それによって読者は、ここになんらかの意味付けやテーマ設定を、自分でせざるを得なくなるのだ。

これが、この物語の最大の魅力であり、

そして一部の人にとっては、どうしても受け入れられない理由になっていると思う。

つまりこれは、読む人の気持ちや状況によって、すこしずつ書き換えられる、

読者参加型ストーリーなのである。

映画でもその性質は受け継がれ、むしろ監督の意図によって増幅させられている。


映画の話をしてたとき、私の友人は、

木村佳乃演じるモンスターペアレントのことを

「かわいそうに。一生懸命、子供を愛してるだけなのに」

と言っていた。

私にとっては、あの母親があのなかではいちばん共感しがたく、最低最悪の登場人物だったので、

ものの見方というのは人によってこうも違うものかと愕然とした。

比較的気の合う映画友達でさえ、そうである。

(補足すると、彼は最近、子供が生まれたばかりなのだ。)



さらにひとつ思うことは、あまりこれを深くとらえると迷宮にはまるかもしれない。

作者は、少年犯罪に対して思うことはあるのだろうが、

どこまで強い正義感でこの物語を書いたかどうかは、あやしいものがある。

前述したように、これは、さまざまな人間の脳内を緻密に書き分けたエンターテイメントであり、

答えがどこかにあると思ってはいけない。答えは自分のなかにしかない。

それが、原作を読んでやっとわかった私なりの「告白」のとらえかたである。



そんなわけで、「告白」ハマっています。

映画のことも、そのうちもういちど書こうと思います。

最近の仕事。

2010年06月16日 17時54分54秒 | 最近の仕事
ええと、最近オンエア(掲載)された仕事です。


ママズクラブシアター告知広告(シネアド・ポスター)

テーブルマーク うどん篇・ごはん篇(TVCM)

スズキアルト「かしこく、ステキ。」キャンペーン 紫舟さん篇(TVCM)

森永乳業PINO(TVCM・ラジオ他)

森永乳業MOW(TVCM・ラジオ他)

花王ソフィーナ 薬用ホワイトニング (TVCM)

NPO法人TOEC企業広告(雑誌「広告」4月号 広告発想コンペ優勝作品)


わりと一気に掲出されたので、なにか忘れてる気もする…。

いまは、また種まきの時期に入っております。

告白。

2010年06月15日 15時23分22秒 | 映画日記
なんだか、まだうまく整理できないけど、

中島哲也監督の「告白」、名作だった。

映画って、こんなに人の心をかきみだすことができるメディアだったんだと

思い出させてもらった感じだった。

暗いストーリーで、救いもなくて、登場人物にいい人なんてひとりもいない。

なのに皆に感情移入してしまう。

とりわけ松たか子の演技はすばらしかった。

見終わって数日たった今も、まだどう解釈すればいいのかと、

頭のなかがぐるぐるめぐっている。

フクモリ落語。

2010年06月10日 15時33分58秒 | 落語日記
日曜日のことだが、柳家花緑さんが出るフクモリ落語というのに行ってきた。

東神田のこじんまりしたカフェで行われた、ちょっと変わった落語会。

いつもの落語仲間ではなく、博報堂ケトルのSさんという

大好きなクリエイティブディレクターからお誘いいただいて、

それだけでも私はすごくルンルンしていた。

行ったら、広告業界っぽい人たちがわんさかいて、

Sさんの知り合いの、なんだか個性的な方々と知り合うことができた。

なんでもケトルの某クライアントだった方が、そこを辞めてオーナーになったカフェなんだとか。

会場のすみには坂井真紀さんがいたらしい。

こじんまりしているわりには、なにげにすごい会だった。

もちろん花緑ファンもいて、いつもの落語仲間にも結局会ったりしたけれど。

挨拶 柳家花緑

転失気 柳家緑君

抜け雀 台所鬼〆 

目黒のさんま 柳家花緑

刀屋 柳家花緑

強烈キャラの鬼〆さんをはじめて見ることができたのもよかったが、

この日の花緑師匠はキレていた。

落語初心者と、落語ファンが両方いるらしい会場に合わせたのだろう。

季節はずれの目黒のさんまは、めちゃくちゃすっとぼけた殿キャラで笑わせ、

(殿キャラの発想元は、志村けんらしい。世代的にどうしてもそうなってしまうんですよね、

と、演目後に語っていた)

転じて刀屋では、シリアスな恋に苦しむ徳三郎を熱演した。

キレキレだったと思う。

特に目黒のさんまは、久々に花緑ギャグ満載だった。

賛否両論あるかもしれないけど、私はああいう花緑さんが好き。

落語の後は、森下の蕎麦屋「京金」で、Sさんの知り合いの個性的な方々と飲み会。

個性的な方々っていう言い方も、ちょっと失礼っぽいんだけど、

だって本当に個性的な方々なんだもの。

フクモリ落語、次は秋らしい。

あの規模の会場で談春師匠や花緑師匠が聞けるなんて、相当贅沢な落語会だと思う。