東京サンフィッシュ

落語ときものとマンガとマンボウを愛するコピーライター(こやま淳子)のブログ。

ファンをつくるということ。

2009年06月30日 14時53分53秒 | 落語日記
日曜日は、都内某所で落語会を開かせていただいた。

二つ目の落語家さんの2人会で、30名近くのお客さんに来ていただき、

懇親会までもりあがった、いい会になった。

しかしこの落語会も3回目。課題も見えてきた。

私を含めた幹事3人の人脈と、落語家さんのファンなどに

毎回来ていただくのだが、いつも直前まで人集めにひやひやする。

今回は数千円持ち出した。

それでも二つ目さんの会にしては、よく集まったほうだという。

だんだんわかってきたことは、落語家さんの力量だけでは、

なかなか売りにはならない。

(彼らは二つ目にしては本当に実力のある方達だが、この東京、

もっといい落語はいくらでもお金を出せば聞けるのである)

必要なのは「ファンをつくる」ということ。

「あいつが出るなら行ってやろう」と、思わせる力量というのは、

また芸の達者さとは別にある。

もちろん芸も磨いていないと客はそんなについてこないと思うけど。

そしてこれは、私自身の仕事にも通じる。

知れば知るほど、落語家さんとコピーライターの道は似ている。

のうぜんかつら。

2009年06月27日 14時18分21秒 | マンボウ日記
きのうは安藤裕子のコンサート@国際フォーラムへ。

何年か前、月桂冠のコマーシャルに使われていた、

印象的な声のアーティストである。

誘われていったんだけど、あんな大ホールを埋められるほど

人気のある歌手だとは知らなかった。

のびやかで厚みのある歌声と裏腹に、MCは少々チャイルディッシュ。

まあ、ファンはあれが好きなんだろうなあ。

しかし歌はよかった。いい曲が多いし、なによりあの声にひきこまれる。

アンコールのラストで例のCMソング「のうぜんかつら」がかかって、

それを聴きながら、思った。

これから先、そんなに売れなくても、有名になれなくても、

出会った人をこんなふうに、圧倒的な感動で包む表現ができたら。

本物というのは、知らない場所にもいるものなのだ。


マイケルまで。

2009年06月26日 10時25分26秒 | マンボウ日記
中学のとき、体育祭で男子が踊った曲が「スリラー」だった。

高校のとき、We are the worldのビデオを覚えるくらい見返した。

大学のとき、好きだった男の子が、マイケルの踊りマネをよくしていた。


…そんなに好きじゃなかった私でさえ、こんなにマイケルの思い出が。


相次ぐ訃報。どうなってるんだ、いったい。

眞木準さん、逝く。

2009年06月25日 16時43分23秒 | マンボウ日記
コピーライターの眞木準さんが亡くなった。

急性心筋梗塞。60歳。

広告業界では、糸井重里さんや仲畑貴志さんに並んで、

80年代に一斉を風靡した大御所である。

「でっかいどお。北海道。」(1978年 全日空)

「女は、ナヤンデルタール。」(1985年AGF)

「ホンダ買うボーイ。」(1996年 本田技研工業)

などのダジャレコピーが有名だが、

「恋を何年、休んでいますか。」(1989年 伊勢丹)

などの色っぽいコピーも多く書かれていた。

とりわけ私が鮮やかに覚えているのは、

バーバリーブルーレーベルが立ち上がったときの

「きょ年の服では、恋もできない。」(1997年 三陽商会)

というコピーだ。

人の心を動かし、モノを売るというのは、こういうことかと思った。

コピーライター養成講座で講義を受けたとき、

生徒のひとりが質問で、

「眞木さんのようなダジャレコピーは…」

と話しかけたのを、眞木さんは遮って訂正した。

「あのね、僕のはね、ダジャレじゃなくて、オシャレなんだよ」

古きよきコピーライターのオーラを漂わせた、ダンディで素敵なおじさまだった。

私が新人賞を取ったとき、

審査員を代表してコメントを書いてくださったのも眞木さんだった。

「眞木準さんて、いまだにダジャレだけで100案くらい持ってくるらしいよ」

みたいな噂話もよく聞いた。

ほんとうかどうかは、ついに確かめることができなかったけど。

去年とあるパーティのとき、エレベーターのなかでご挨拶したのが、

最後になってしまった。

さようなら、眞木準さん。ご冥福をお祈りします。

仕事ジャンキー

2009年06月12日 01時59分51秒 | マンボウ日記
ちょっと仕事が落ち着いている間に、情緒不安定になった。

しばらく会っていない仕事仲間が、みんな私を見放したんじゃないかとか、

私以外のすべての人が楽しく仕事していて、私ひとりが孤独なんじゃないかとか、

きしきしとした妄想にとりつかれた。

いや、昼間明るいうちはとても前向きに、本を読んだり、ビデオを見たり、

落語のCDを聴いたりしてるんだけど。

夜になると急にさみしくなる。

さみしくてさみしくて、

だけどそんな弱気な自分をあまり出せない私なのである。

で、昨日。

会社に行ったら、ひとつ仕事が入った。

それから先輩にお茶に誘われて、1時間おしゃべりにつきあわされた。

そのあと別の同僚が席まで来て、四方山話をしていった。

そしてまた仕事したいなあと言われた。

今日行ったら、またひとつ仕事が入った。

それから長い打ち合わせがあって、CDにナレーションコピーを出したら、

「君、ほんとコピーうまくなったねえ」

と言われた。

なんだ。

すべては思い過ごしだったのだ。

あの飲み込まれそうに大きな黒い孤独は、ただの幻想だったのだ。

もしかして私は、

仕事をしていないとすぐにそんな鬱状態になってしまうくらい、

仕事ジャンキーなのかもしれない。

仕事をしているときにアドレナリンを放出しすぎて、

していない状態に耐えられなくなっているのかもしれない。

どんなに友達と遊んでいても、彼氏が愛してくれていても、

仕事がないと悪い妄想に取り付かれ、

人を恨み、孤独に震え、死にたいくらいにみじめな気分になってしまう。

ふう。どうなの、それ。

談春・喬太郎二人会

2009年06月09日 01時03分14秒 | 落語日記
日曜日は立川談春・柳家喬太郎二人会@よみうりホールへ。

本日の喬太郎さんは、いつにも増してはじけていて、

たっぷり枕をやったあと、自作の「すみれ荘201号室」をかけて、

「東京ホテトル音頭」「イメクラ音頭」「大江戸ホテトル小唄」の3曲を歌い上げ、

「このあと下がって談春兄さんになんて言ったらいいのか…」

「なに?なに言ってるの、ひろゆきさん」

みたいなアドリブを入れまくり、会場をどっかんどっかん笑わせていた。

(喬太郎さんを知らない方には、「それが落語?」と思われそうな内容だけどw)

対して談春さんは、さらっと枕を終わらせて「厩火事」に入ったなーと思ったら、

対抗心に燃えたのか、やっぱりアドリブを入れまくり、

さらに厩火事の終わりに「すみれ荘201号室の下」

(つまり喬太郎さんの噺の続き)を即興で創作して入れたので、

もう会場は拍手の渦。

幕が下りてもなりやまず、すでに普段着に着替えてしまった喬太郎さんとともに、

カーテンコールまでやったのだった。

「いやあ、20年あの噺やってますが、ああいうふうになるんだ、と…」

と喬太郎さんが言って、また大爆笑。

共に、なかなかチケットの取れない大人気落語家の二人会だったが、

期待を裏切らないテンションの高さであった。

終わったあと、銀座の街に繰り出しながら、

なんだか体が軽くなったような気がした。

笑いって、すごいと思う。

ちなみに横浜の談春・喬太郎も行く予定(笑)。

はじめての志の輔(三鷹独演会)

2009年06月06日 13時06分50秒 | 落語日記
さいきん狂ったように落語を聞きにいっている。

今月は、先週の喬太郎勉強会に続き、昨日は立川志の輔独演会へ。

その後も、こんなに予定が入っている。

明日 談春・喬太郎2人会(東京)
13日 さん喬・喬太郎親子会
17日 談春・喬太郎2人会(横浜)
25日 桂吉坊落語パーティ
27日 司・馬吉2人会(らくごカフェ)

いったい私は何になりたいんだ。

で、昨日は初・志の輔だったのだが、なるふぉど。

人気の理由が、よくわかった。

演目は、2人の前座を含めてこんな感じ。



狸の札   立川志の彦
たらちね  立川メンソーレ
異議なし! 立川志の輔
(仲入り)
五貫さばき 立川志の輔

ちなみに、この立川メンソーレという前座も、なかなかのものだった。

前座とは思えない落ち着きぶりで、

枕でもしっかり自分の名前ネタで笑わせていたし、

声も口調もリズム感も、とても上手だった。今後注目していきたい。

で、志の輔。

「煙草をやめてもらいたい人ランキング」で、

キムタクを抑え一位になったことなどをネタに、たっぷりと枕をやったあと、

自作の落語「異議無し!」へ。

中板橋ヒルズ(笑)というマンションの組合が、

エレベーターに防犯カメラを設置する会議を開いていて、

そのすったもんだを描いた噺。

めちゃくちゃな会議なのに、どこかにありそうな感じで、

すごく笑えて、風刺が効いている。

「くだらない会議って多いよね」みたいなテーマだったんだと思う。

喬太郎さんのように、はちゃめちゃに演じるわけでもないのだが、

どんな世代でも楽しめるし、共感の度合いが深い。

この人のCDは、欲しいと思った。

二席目の五貫裁きも、はじめて聞く噺だったが、古典らしい。

古典とは思えないほど、志の輔流にアレンジされていた(と思う)。

いままで喬太郎師匠以上に楽しい落語はないと思っていたけど、

日本は広かった。

ますます落語通いに拍車がかかってしまいそうである。

柳家喬太郎勉強会

2009年06月01日 14時32分00秒 | 落語日記
土曜日のことだが、三鷹まで落語を聞きにいった。

いま一番好きな、柳家喬太郎師匠の勉強会。

勉強会というのは、わりと二つ目さんがやってるのはけっこうあるけど、

真打の人がやるのってめずらしいねえ、と、

一緒に行った友人と話していたところ、

高座に上がった喬太郎師匠も、こんなことを言っていた。

「真打が勉強会なんてするもんじゃない、と言っていた先輩もおります。

勉強会と言ってる時点で、逃げを打っているようなものだからと。

…今日は逃げる気満々で来ております」

会場爆笑。

こんなつかみで、勉強会ははじまった。

喬太郎師匠の落語は楽しい。かならず笑わせてくれる。

このまえテレビで、芝浜はやったことがない、と師匠は言っていたが、

師匠に芝浜は似合わない。

ま、私が芝浜好きじゃないからそう思うのかもしれないけど。

その日の高座は、「へっつい幽霊」と、中入り後に「青菜」。

どちらもネタ卸しに近い状態だったのかもしれないが、

存分に笑わせてもらった。

喬太郎さんのすごいところは、

おちゃらけた登場人物は徹底的におちゃらけているのだが、

たとえば幽霊が出てくるくだりなんかは急に寒気がしてしまうくらい、

鬼気迫っているところだ。演技力が尋常じゃない。

新作の破天荒ぶりが有名ではあるが、

古典をやると、むしろそのすごさがよくわかる。

そして、けっして客に努力を強いない。

たとえこちらが体調悪くて、ちょっとでもぼーっとしたり眠くなったりすると、

不思議と、そのタイミングで笑いをさしはさんでくるのだ。

絶妙。

才能という言葉は、この人のためにあるのだろう。

6月は、親子会と、談春・喬太郎2人会など、

まだまだ喬太郎さんの高座の予定が入ってる私。

もうほとんど追っかけである。