映画と自然主義 労働者は奴隷ではない.生産者でない者は、全て泥棒と思え

自身の、先入観に囚われてはならない
社会の、既成概念に囚われてはならない
周りの言うことに、惑わされてはならない

自由を我等に - A NOUS LA LIBERTE - (ルネ・クレール 1931年 86分 フランス)

2013年01月19日 04時08分33秒 | ルネ・クレール
自由を我等に - A NOUS LA LIBERTE - (1931年 86分 フランス)

監督   ルネ・クレール
製作   フランク・クリフォード
脚本   ルネ・クレール
台詞   ルネ・クレール
撮影   ジョルジュ・ペリナール
音楽   ジョルジュ・オーリック

出演   アンリ・マルシャン
     レイモン・コルディ
     ポール・オリヴィエ・ロラ・フランス
     ジャック・シェリー


自由と束縛







『自由な世界に、人が作った掟.規則に法律、礼儀、仕事に会社に家庭.ついでに監獄も』

『監獄』から脱獄し自由になったルイは、盗んだお金を元手に、街のレコード売りから蓄音機の販売店を経て、やがては蓄音機工場を成功させる.彼は働き者、頑張り屋だったようだ.けれどもその工場は、かつてルイの過ごしていた監獄そのままであり、監獄の囚人と同じように、労働者には監視がつき、『規則』に従って『仕事』を、労働を強制されている、束縛された世界だった.




やがてエミールも刑期を終えたらしい.彼は根っからの怠け者、野原で寝そべり自由を味わう彼を、浮浪者として『法律』に従って警察に捕まり監獄へ逆戻り.一輪の花を愛する彼であったのだけど、自由な幸せに満ちた世界と現実の隔たり、絶望した彼は死によって自由を求めたのだった.けれども神様は、死による自由ではなく本当の自由を、自由な世界をエミールに与えたのでした.
留置場を抜け出し自由を得たエミールは、ルイの経営する工場へ勤めることになる.規則とは無縁の彼は、工場の中で自由に振る舞い、社長のルイと再会する事になった.金が欲しいのだろう、と、ルイは思っていたのだが、エミールは単に昔の仲間との再開を、嬉しく思っているだけだった.

ルイは結婚したらしい.その家庭は『礼儀』に縛られた堅苦しい家庭だった.格式ばった堅苦しい会食の席、エーミールはその堅苦しさを破るように、飲んで食べて自由に振る舞った.ルイもまたエミールとの友情を思い出すとき、自由な世界を思い出したのであろう.こけおどしの肖像画に物をぶつけて、普段の鬱憤を晴らす.ルイの妻は呆れ返り怒って家を出てしまったのだけど、ルイは形式だけの、社会に対する礼儀のためだけの妻、浮気者の妻の家出を喜んだのだった.







エミールは会社の娘に恋をしていることをルイに打ち明けると、ルイは社長の権力、お金の力で娘との縁談を勧めようとした.けれども彼女には恋人がいて、それを知ったエミールは素直に身を引くのだった.人の心をお金で束縛することはできない.
昔の仲間の悪党に脅迫されたルイは、お金で悪党を黙らせようとしたけれどできなかった.やはり、人の心はお金でどうこうすることは出来なかったのである.
工場の利益の半分を分け前として要求され、所詮はそう遠からず警察にばれることを覚悟したルイは、お金を持って逃げることにしたのだけど.それも適わず、ルイは、全てを失う覚悟をして、労働者に工場を譲渡する事に決めたのだった.








労働は辛いことだったのだが、人間に代わって機械が働くようになって、
     人々の労働は楽しいことになった.
本当かどうか、知らないけれど.....
     そうなれば良いのだけれど.....

警察の追求から逃れてルイ自身が自由であろうとするとき、その時は同時に経営者が居なくなって、労働者にとっても、工場が自分のものになり、つまりは労働者も自由になるときであった.
クレールは、分かりやすく、労働者が働かなくても機械が勝手に仕事をしてくれる、新工場の完成として描いた、理想の世界を描いたのだけど.皆、幸せになるために働いているはずなのだけど、経営者も、労働者も、本当にそうなのかどうか?
風に吹かれて舞い散るお金を、皆が皆、夢中になって追いかける姿は、何を物語るのでしょうか?

ルイは、蓄音機の工場を成功させた.蓄音機の工場で多額のお金を儲けたのだけど、同時にそれは労働者を監獄と同じように束縛する行為であった.
娘の叔父は、お金欲しさに姪の縁談を進めようとしたけれど、それば娘の気持ちを考えない、娘を束縛する行為に他ならない.
お金が、風に舞う、そのお金を皆が、追いかけ回す.もちろん誰でもお金が欲しいと思う.けれども、沢山お金が欲しいと思い込んだとき、同時にそれは自分自身を束縛している、あるいは、お金によって自分自身が束縛されていると言ってよいのか.そして、夢中になってお金を追いかけ回す姿は、お金によって、自分自身を見失っていると言わなければならないでしょう.

『労働は義務である、なぜなら自由だから』と、学校で教えていたけれど、この言葉はおかしい.自由を得るために、労働は義務である、きっとこれなら良いのではないのか.
エミールは娘に恋をしたとき、ルイに工場において欲しいと頼んだ.いくら自由であっても、人並みに自由に恋をするには、やはり浮浪者ではいけない.
『自由と愛と青空は、幸せな人のもの』、人並みの自由を得るためには、人並みの幸せを得るためには、人並みに働かなくてはいけない.
監獄に入るようではいけないとは当然のこと、自由を得るために人並みに真面目に働きなさい、最後の二人の後ろ姿は、このように物語っていると思う.


2016/04/03
人は幸せになるために働くのである.
働くことが不幸なことであってはならない.


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