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震災派遣

2011年06月14日 10時00分58秒 | 日頃考えること
おはようございます。


大変親しい女性ポリスマンのお話を覚えてらっしゃいますか。
T子と申します。

そのT子が昨日から宮城に震災派遣になりました。今回は二週間の予定です。
前回は女性部隊の一員として行ったのですが、今回は所属部隊の一員として
男性の中に紅一点の状態で行きました。(所属は機○隊です)
任務は遺体捜索です。

で、行く前に電話がありました。
問題は、今、避難所が抱えている問題、ひいては日本中もある意味抱えている問題、
ともいえる問題でした。


T子の場合は、トイレの問題でした。


T子いわく、自分がそこらでいたすのは全くかまわないが、なかなかそうはいかないであろう。
同じ状態で派遣予定の別部隊の女性隊員と、簡易トイレなるものを一回練習してみて、
うまくいくか試さないとと、言っておりました。

かなり上の上司は、トイレ車があるから大丈夫だろうと。
けれども、実際の任務中に、男性はおそらくそこらで済ますだろうから、
自分の為だけにトイレ車を動かすと嫌な顔をするだろう。
だから、水はできるだけ制限せなあかん、と言っておりました。

そんなん、上司に言ったらいいやんかと思うのですが、
普通の人にはわからない世界がある、とのことでした。
男性の中で働くということは、まだ、こういうことなのかと
思いました。



今避難所でも、女性に対する配慮がないというのが、問題になっております。
避難所運営が男性である場合が多く、
着替えや、授乳スペースがないという問題は、全く配慮されない。

そりゃあ、、、イヤでしょう。

女子高校生がおじさん達が見ているところで、着替えなんてできやしません。

性別によって起きる差、性差、これが当たり前に認められない。
たとえば、障害をもつ人に対する配慮、年を重ねた人々に対する配慮、
小さな子供に対する配慮、妊婦さんに対する配慮、
こうしたものが、人々の意識には実はない、
特に上に立つ人々の意識にはない社会の表れかもしれません。

そういう社会になっていないからこそ、選挙演説では
「人にやさしい街づくり」
「弱者に対する配慮を」
「お母さんが安心して・・・」
「子供たちに対する・・・・を」等等連呼されているわけです。




残念ながら、人は誰でも自分がその立場になったときに初めて、
それがどういうものであるかが心底わかるものです。
つまり、元気な男性は足を折って初めて、身体が不自由という状態を
心底知ることになるというわけです。

だからこそ、わからないからこそ、
色々な立場の人への思いやりが当たり前の社会になってほしいと
多くの人が願っています。


当事者が少しずつ声をあげていくことしか方法はないのでしょうか。