主宰5句 村中のぶを
帰るさの櫻蘂ふる月夜かな
夏立ちし白帷子の宮司かな
断崖に車輪梅に海の明け
桐の花はかなき色を流しつつ
ゆく雲の方へ咲きけり竹煮草
松の実集
五月雨るる 柿川キヨ子
五月雨るる阿蘇のお宮の新松子
復旧の進まぬ社さみだるる
梅雨晴の錦江湾や火山灰曇り
三日月を映す代田や蛙鳴く
よく揃ふ蛙の声や夜の植田
口 笛 釘田きわ子
新緑に眼を洗ふ朝かな
木洩れ日の若葉トンネル九十九折り
口笛を吹きつつ自転車麦の秋
枇杷うるる椀ぐ人もなき刑場址
滝音に憂ひ一気に流さるる
花 冷 中山双美子
黒南風やあらがふ園児誕生会
花冷や学生街に古書積まれ
露天風呂駿二両来たれる五月尽
一汁は手摘みの芹や人膳
弟の生まれたと告ぐ兄の夏
雁回山の初夏 西村泰三
万緑や地震崩え告示谷ごとに
よみがへる万緑の照り陽ざしきて
ひねもすの乱鷺庭に墓を守る
雁を射る絵を天井に堂涼し
不如帰正午のチャイムに応へ鳴き
雑詠選後に のぶを
蟻生まれ蟻の死ぬ時誰も知らず 小鮒 美江
歳時記の「蟻」の例句に (蟻の国の事知らず掃く箒哉 虚子)がありますが、掲句はその境涯を詠んで、つまり作者の内なる、いのちへの思ひと共に、ひいては人の生涯をもきびしく見据ゑた表出だと私は強く思ひます。
水中のめだかや水面のあめんばう 白石とも子
前に芭蕉林の句があって、作者は熊本の方ですので、熊本近代文学館に隣接する芭蕉林嘱目の詠句でせうか。その池水の情景をよく詠み取って、童心を覚ます一句です。因みに芭蕉林は、私の本貫の地より歩いて数分の所です。
壇ノ浦ゆたかに迅し青葉潮 温品はるこ
地名がよく生かされた旅吟です。そして読者には改めてその史実が甦つて来て、中七の措辞がそれを余すところなく伝へてゐます。
大雅展へ京七条の夏 菊池洋子燕
「大雅展」とは、池大雅展の事なのです。「京七条」とあれば作者は大雅展が開催されてゐる京都国立博物館へ向かってゐるのです。「夏燕」は鴨川を渡る七条大橋が想起されてその風光をよく叙してゐます。橋を渡ると左手に博物館、右手に三十三間堂の長い屋根が見えて来ます。またこの東山七条は著名な多くの寺社が点在してゐます。一句は以上の風致を物語ってゐるのです。
人生をふはふは生きて蚊を叩く 金子知世
「蚊」が飛ぶやうに、自分も心許無く今までを過ごして来たが、その我と同じ様な蚊を今は叩いてゐると、自省的な思ひの一端を綴った詠句です。しかし「ふはふは」と叙したオノマトペになにか明るさが感じられて、読者は救はれます。興味ある句です。
万緑となりし集落静もれり 柿川キヨ子
「万緑」といふ季語がみごとに把握され、表現された句です。描写に一点の無駄もなく、読者にとっては懐かしい風景であり、作者もまたご自分の里曲に更めて挨拶をしてゐるやうな、そんな情緒の句です。高浜虚子の言葉を借りますと(句に光)があります。
人影も身の寄りどころ黒揚羽 鎌田正吾
「人影」は作者自身の影でせう。「身の」とは「黒揚羽」そのものを指してゐます。つまり句意は作者自身の人影に黒い揚羽が寄って来たと言ふのです。然しそれも「身の寄りどころ」と詩的に表白してゐます。ここに句の眼目があって、達意の一句と評してよいでせう
励ましは子にも我にも蝸牛 勝 奇山
好きな句に(かたつむり日月遠くねむりたる 夕爾)がありますが、「蝸牛」には何故か星辰的な印象があります。
一句の「励ましは子にも我にも」とは、将来へ向かって努力することの、それは作者自身にも共通する事であるといふ。その対象にかたつむりとは別に不可解なことではなく、むしろ成句として面白い表現だと恩ひます。そして句の背景には作者の人生観が窺へます
ゆく春や医師淡淡と癌を告ぐ 安永 静子
前句に「春愁や癌に片肺無くすやも」がありますが、作者は実に冷静にご自分の病息を吐露して、反面、病に対するその身構へが伝はつて来ます。 唯唯、ご本復を願ふばかりです。
花も名も芝居気取りの菖蒲園 福島公夫
一句の「芝居気取り」とは直ぐ歌舞伎のことを恩ひ出しました。朝顔には団十郎とか名の付いたものが店頭に並び、歌舞伎では朝顔日記といふ場面を思ひ出すのですが、花菖蒲では直ちに思ひ付くものはありませんでした。所が勝手なことですが、「花も名も」 の措辞に、いはゆる歌舞伎のきらびやかな、菖蒲にも名優の名が付き、それにあの見得を切る場面が浮かんで来て、都内に住む作者であれば、堀切菖蒲園辺りの嘱目の風景かと思ひ出しました。見得を切って居並ぶ場面に市相羽左衛門などの弁天小僧がすぐ浮かんで来ました。
先師の (己の感性を養ふために、何でも観ておく事が大切です)と。常々聞いてゐましたが、未だ私の胸に残ってゐます。
臨終の猫に添ひ寝の明易し 赤山則子
生命の尊厳といふ言葉がありますが、人も猫にしても全く同じと思ひます。「猫に添ひ寝」は私も経験があります。
夏帽に笑まふ遺影の母抱き 吉永せつ子
誰もが一度は経験する悲しみですが、「夏帽に笑まふ遺影」の明るさが況して哀感をそそってゐます。「母抱き」は母その人を抱いてゐる様です。
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