古文書を読もう!「水前寺古文書の会」は熊本新老人の会のサークルとして開設、『東海道中膝栗毛』など版本を読んでいます。

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熊本の遊びどころ 明治42年頃の芸妓

2017-10-02 22:09:30 | 熊本の遊びどころ

  熊本の遊びところ 明治42年刊

 今月の読み合わせ会に平井さんが珍本を持参されました。例のヤフーオークションで購入されたものです。明治42年という年は清正公300年遠忌にあたり、熊本市ではそれを記念して商工会議所などが中心になって種々の記念行事を行ったようです。この本は県の内外から本妙寺等へ参詣に来る人たち向けのガイドブックとして出版されもののようです。

 ページをぱらぱらと繰っただけでこの本が珍本であることがすぐに見て取れます。芸妓26人の顔写真がグラビアとして冒頭を飾り、きれいに結い上げた日本髪と豪華な衣装姿の芸妓を見れば一流の写真場で撮ったものであることが分かり、熊券と西券という所属が記してあるので、当時二つの券番があったことも分かります。

(西券)友子 茶羅 初子 孝龍

 西券番は二本木遊廓内にあり、熊券番は塩屋町裏一番丁にあった。ここは俗に裏小路と称していたらしい。芸妓の数は合わせて80人ほどとあります。二本木遊廓の娼妓は800人いたそうですから、それに比べると芸妓は少ないのですが彼女たちには芸は売っても身体は売らぬという芸妓としてのプライドが写真にも顕れていますね。玉代は1時間60銭ばかりと書いてあります。 

 この本が貴重だと思うのは芸妓の紹介の仕方がとても詳しいというところです。先ず源氏名(お座敷名)と本名、出身地の記載に留まらず得意芸や、座持ちの特徴にまで紹介が及んでおり、この妓を宴席に侍らせてみたい、と読者に思わせるような紹介の仕方になっていることです。一例を下に記しませば

★西券番 二本木町百七十一番戸 電話百二十七番

 この券番は芸妓の線香所又は集会所といふを当れりとす。即ち芸妓一同の申し合せを以て組織せるものにして、別に営業主なるものなし、此券番に於て寧ろ芸妓が主にして券番は従たるなり。同券は前にも記せる如く、歴史の古きと、名妓と美姫とに富むを以て毎夜箱切れの有様なりといふ。今籍を同券に有し、歌舞の喜見城に、翩々細腰を誇る歌妓の芸名、まつた少々野暮の嫌ひあれども、御慰に其の本名と出身地とをも列挙すれば左の如し

★ 一龍(立石いち長崎)は相撲ならば年寄株といふ所にて、ジッとしたる所に貫目あり。

 以下35妓をこのような調子で紹介しています。

★熊券番 塩屋町裏一番丁十三番地 電話百四十八番

  同券番は前に記せる如く、元熊本券番合資会社と称し、会社組織なりしが一咋四十年解散して現今は八百九、京常、開陽亭、及び神山某四人の名義を以て経営しつつあり。古き歴史と遊郭の後援とを有せる西券番と相拮抗して下らず、大小の歌妓孰れも研を競ひ美を誇り、招聘常に絶えずといふ。所謂花の真味を知らんとするの風流の才子は百聞一見に如かず、一度同券の妓を招いて座興を扶けしめらるべし。今同券に籍を有せる白拍子を、前例に依りて左に載録せん。

★ 三吉(竹本はつの福岡)変生男子と称せらるる老妓、三味も座持ちも達者

 以下23人の紹介

 著者は鉅城紅豆陳人という人ですが、文章の書き方などから見て新聞記者ではないかと思われますが、よくわかりません。明治42年から今年は108年になりますが、今の熊本市に券番などはありません。

 

 


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