古文書を読もう!「水前寺古文書の会」は熊本新老人の会のサークルとして開設、『東海道中膝栗毛』など版本を読んでいます。

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幕末の儒者 木下 韡村

2020-05-19 18:29:22 | 熊本の偉人

  中央区京町2丁目8-4京町台公園に隣接して「木下 韡村塾跡の碑」が建っています。 「韡村書屋」と称する私塾ですが、この塾から竹添進一郎、井上毅、古荘嘉門、木村弦雄、宮崎八郎など明治維新後に大活躍をする人材を輩出しました。熊本の幕末を語るとき横井小楠(1809~1869)、林桜園(1798~1870)とともに木下 韡村(1805~1867)を外すことはできません。 
 木下 韡村日記(天保11年~慶応3年)があり、嘉永5年まで は「早稲田社会科学総合研究(代表島善高教授)」によって翻刻されていますが、嘉永6年以降が未翻刻です。原本のコピーを取り寄せて翻刻を試みているのですが、これがなかなかの難物で、日記という文書の生質上、他人に見せる意識がないので、崩し方が丁寧でなく殴り書き体のところがあるのに加えて虫食いカ所が多いのです。まあ、気長に構えて挑戦しようと思っています。

木下韡村(いそん)の略歴
1才  文化2年1805   8月5日生まれ
10才  文化11年1814  桑満伯順に入門
19才     文政6年1823 大城霞萍(時習館訓導) に入門。4年間在籍。
22才  文政9年1826郡代直触となり、苗字帯刀を許される。
23才  文政10年1827時習館居寮生。天保5年まで8年間。
31才  天保6年1835中小姓、近習組脇。軽輩から士席へ。10石5人扶持。江戸へ。
32才  天保7年1836高橋弥四郎長女伊津(喜多)23才を娶る。
33才  天保8年1837江戸で佐藤一齊の教えを受けるようになる。
36才  天保11年1840世子慶前(よしちか)御次勤。
37才  天保12年10月16日林家塾頭川田八之助の紹介で林家に入門。
44才  嘉永1年1848慶前 死去で国元へ。吉村多茂と再婚。
45才  嘉永2年1849時習館訓導助勤。
47才  嘉永4年1851訓導本役。
49才     嘉永6年1853両助教家塾の世話を仰せつけられ、隣チョーカー賜る。
55才     安政6年1859擬作100石。知行取格。
59才  文久3年1863公儀召を辞退。
62才  慶応2年1866座席御物頭列。
63才  慶応3年没。龍田山に葬る。

 諱は業廣、字は子勤。通称宇太郎。号は犀溧、いそん。藩主斉護護次勤6年。世子慶前御次勤9年、訓導当分3年、訓導本役16年。

 上記は嘉永6年1月11日~18日の分です。ここは虫食いも少なくよく読めたところです。画像はパソコンに落とすと拡大できるので興味のある人はどうぞ。

十一日 同様 ○北野隆右衛門、御中小姓ニ進席被 仰付候

十二日 渡部子八郎、大塚伊之助、福島亀之允、福間一左衛門一同大城家年酒

十三日 出勤、館中儀式例之通

十四日 在家、丑三郎出府

十五日 丑三郎引取

十六日 夕番 ○屋敷方根取中より手元屋敷内ニ家塾取建置候 何間梁ニ何間と申儀
    見合ニ相成儀有之候間、知セ候様申越ニ付弐間梁ニ四間弐坪半之下屋付各ニ取
    付九尺之九尺ニ弐坪半之下屋付、其外居宅之内弐坪取囲置候段返答
    ニ及候事

十七日 詩文会宅受持

十八日 出勤

十九日 〃  加藤傳吾、筑紫より罷越今晩石光宅江逗留

  

 


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