古文書を読もう!「水前寺古文書の会」は熊本新老人の会のサークルとして開設、『東海道中膝栗毛』など版本を読んでいます。

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候文と言文一致体 蒲団より

2018-09-08 23:15:05 | 日記

 小説『蒲団』が世に出たのは明治40年のことですが、小説のなかに言文一致体という言葉が頻繁に出て来てこの時代の作家たちが、言文一致体確立のために格闘していたことがわかります。とくに手紙を言文一致体で書くのが難しかったようです。田山花袋はその模範文を小説のなかに示しています。『蒲団』が人気を博したのは案外そういうところにあったのかもしれません。

 ここにその手紙文のところを抽出してみます。
「先生、
   私は堕落女学生です。私は先生の御厚意を利用して、先生を欺きました。その罪はいくらお詫びしても許されませぬほど大きいと思ひます。先生、どうか弱いものと思ってお憐れみ下さい。先生に教へて頂いた新しい明治の女子としての務め、それを私は行ってをりませんでした。矢張私は旧派の女、新しい思想を行ふ勇気を持ってをりませんでした。私は田中に相談しまして、どんなことがあってもこの事ばかりは人に打明けまい。過ぎたことは為方が無いが、これからは清浄な恋を続けやうと約束したのです。けれど、先生、先生の御煩悶が皆私の至らない為であると思ひますと、ぢっとしてはゐられません。今日は終日そのことで胸を痛めました。どうか先生、この憐れなる女をお憐み下さいまし。先生にお縋すがり申すより他、私には道が無いので御座います。
芳子
先生 おもと」

 どうでしょうか現代文と比べてもさほど違いはないように思います。この文章は「青空文庫」からの引用ですが、同文庫は旧カナを新カナに書き換えてあるので、そこは旧カナへ戻しました。旧カナで書かれた文章はそのまま鑑賞すべきと私は思っています。

つぎに同じ女性が候文で書いた手紙を下に。

 五日目に、芳子から手紙が来た。いつもの人懐しい言文一致でなく、礼儀正しい候文で、

「昨夜恙なく帰宅致し候儘御安心被下度く、此度はまことに御忙しき折柄種々御心配ばかり相懸け候うて申訳も無之、幾重にも御詫申上候、御前に御高恩をも謝し奉り、御詫も致し度候ひしが、兎角は胸迫りて最後の会合すら辞候心、お察し被下度候、新橋にての別離、硝子戸の前に立ち候毎に、茶色の帽子うつり候やうの心地致し、今猶まざまざと御姿見る思ひに候、山北辺より雪降り候うて、湛井よりの山道十五里、悲しきことのみ思ひ出で、かの一茶が『これがまアつひの住家か雪五尺』の名句痛切に身にしみ申候、父よりいづれ御礼の文奉り度存居り候へども今日は町の市日にて手引き難く、乍失礼私より宜敷く御礼申上候、まだまだ御目汚し度きこと沢山に有之候へども激しく胸騒ぎ致し候まま今日はこれにて筆擱申候」

と書いてあった。

 さすがに候文は読みづらいですね。現代人の複雑繊細の感情を表現するのにこの文体は不向きというか、言い尽くせぬところがあるようです。
 小説の主人公の女性は新橋駅から汽車に乗りますが、あの「汽笛一声新橋の」の新橋駅ですよね。そしてそこには硝子戸が嵌めてあり、師である男の茶色の帽子が映っているのを「今猶まざまざと見る思い」と表現しています。この女学生は「えび茶の袴に皮の靴」という流行のマドンナスタイルだつたのです。明治は懐かしい時代ですね。

 

 


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