古文書を読もう!「水前寺古文書の会」は熊本新老人の会のサークルとして開設、『東海道中膝栗毛』など版本を読んでいます。

これから古文書に挑戦したい方のための読み合わせ会です。また独学希望の方にはメール会員制度もあります。初心者向け教室です。

俳誌「松」 茂木連葉子追悼号

2017-12-01 22:47:47 | 

 

雑詠選後に   のぶを

点と線縺るるままに水引草    菊池 洋子
  一句はその茎を「線」、茎につく小さい花を「点」と述べ、つまり水引草の形容を幾何模様的に捉へ、そしてその群生して交錯する様を「縺るるままに」と叙してゐます。
初句の点と線が実に印象的で、その花軸が即、脳裏に浮かびます。加へて縺るるままにといふ叙述は風のさやぎさへ見えて来ます。
 総じて言へることに、対象即ち季題と出会った時、私どもは納得のいくまでその場にとどまり、一字をも疎かにせず、推敲を重ね、と教はつて来ましたが、この現今の慌しい時間の中では大変に難しい事で、而し掲句は眼前即座に成った詠句でないことは確かです。

逆縁の涙枯れしか赤のまま    古野 治子
 「逆縁」とは、詠句では年長者が年少者の供養をしてゐる事を指してゐると思ひます。その悲しみをもう泣くだけ泣いて、一句では「涙枯れしか」と詠じてゐます。その象徴に作者は路傍の「赤のまま」を選んでゐますが、小説「歌のわかれ」等で著名な中野重治に/お前は赤ままの花や/と女の子を叙した詩があり、虚子、茅舎などにも子と赤のままを詠んだ、世に膾炙した句があります。いづれも鄙びた、佗びしい花の印象です。詠句もまた逆縁といふ措辞に依って重い作品になってゐます。

ひとり身となりて身にしむことばかり    伊東  琴
 ごく近い日に連れ添ふ方が他界されての詠です。後先のことなく、その思ひを吐露した、淡いうたかたのやうな諷詠です。それもひらがなばかりの表記、そして「ひとり身」「身にしむ」 の表出、この流露した真情が印象的です。

師とわれと煙草くゆらせ詠みし秋    宇田川一花
 「師」とは何方のことでせうか。もしかして今は亡き主宰の事でせうか。それでは所謂楽屋落ちになります。而し作者は経済学の方で内外に知己をもつ人です。その「煙草くゆらせ詠みし秋」とは、今眼前の秋容に目を遣りながら過ぎし日の秋の風光に浸ってゐる大人の茫洋とした雰囲気が伝はつて来ます。まさに秋情の一句です。
 
秋彼岸大きく開く寺の門    金子 知世
 中七の 「大きく開く」が面白いと思ひます。この叙述に依って秋のお彼岸詣りの、人々の賑はひが暗示されてゐます。蛇足ながらお寺さんはさして大きくない様に思へます。

秋空の青を落としてにはたづみ    福島 公夫
 「秋空の青を落として」、私は林の中の一本道の、その細い秋空の青さを思ひ浮かべました。そして道の前方に青く光るのは雨上りの水溜りであることを想像しました。
 詠句は客観的な何の説明もなく一景を呈示してゐますが、如何とも「にはたづみ」の叙景は、街中の景では想像も付かないことです。それに青を落としての描写は絶妙です。

運動会村ならではの丸太切り    那須 久子
 運動会で「丸太切り」、とは開いた事がありません。ただ私は違い日に鉱山救護隊の訓練で、隊服に酸素ボンベを背負ひ丸太切りをさせられた事がありますが、意外に息切れをしたものです。
 掲句の作者は秀峰市房山を朝夕望む地の方で、市房ダムなどで知られ、土地の中学はダム補償で出来たとあり、東は宮崎県の椎葉村に隣接するとも併記してあります。この山に近い村であれば運動会の丸太切りも領けますが、とは申しましても当然の風景を一句に昇華させることは簡単な事ではありません。それは作者が常に創作のアンテナを張ってゐるその腸であらうと思ひます。また「村ならでは」の措辞には里への思ひ入れがあります。
 
奥球磨に隠れ念仏野菊咲く    岩本まゆみ
 原句は球磨谷とありましたが、これは球磨川の谷か、若しくは球磨地方の谷か、地方の事を指すのですから「奥球磨」と訂正しました。また作者は福岡の方ですので、いはゆる地方探訪の旅で球磨の地を踏まれたのだと思ひました。句の「隠れ念仏」とは辞書にもありますが、島津藩内に端を発した哀しい史実です。私も精しい資料を集めてゐましたが先の震災で書籍と一緒に散逸してしまひました。つまり島津の地から一向宗(浄土真宗) の人達が迫害を逃れて球磨の奥深く辿って来たのです。資料にはその人達の生活や地名があったのですが、今なんの記憶もありません。詠句の「野菊咲く」は、実地に立ってその哀しい史話を開きながら作者は道の辺の野菊に目を落としてゐたのです。
 句は簡潔で余情ある諷詠です。
 
水の音虫の声して棚田かな    竹下ミスエ
 棚田のある一面を詠じてゐます。何か夕べの様に恩ひますが、作者の漫ろ歩きの風情が伝はつて来ます。

初雪や指先痛き程の朝    中山双美子
 北国の逸早い冬の到来を詠じてゐます。南に住む私共には(冬近き)恩ひよりも一句には何か新鮮な感じがします。

 


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