先に二本木神社鳥居の寄進者稲田栄作氏のことをアップしましたが、稲田氏の墓が見付かり更に詳しいことが分かりました。墓は二本木神社前にある常通寺墓域内にあり、墓碑は転倒していましたが、幸いにも文字の読み取りはできました。墓誌から書き写したものをここに再録しておきます。
茲照院釈峰月信士 大正十年九月一日 九十一才 稲田栄作
照定院釈受峰信女 大正九年八月九日 七十九才 稲田波津
上記から稲田氏の生年は天保元年となり妻ハツと結婚したときの年齢は栄作26才、ハツ15才ということになります。年若い妻を娶り共に苦労を重ねたことでしょうが、11年も若い妻の方が先に逝き、その翌年後を追うように栄作氏は亡くなっています。人生の哀れを感じさせます。また栄作氏が古町小学校に入学して子供たちに交じって文字を憶えた時期は明治23,4年頃と推定されます。
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