主宰5句 (抄)
はだれ雪 村中のぶを
冬菜畑ひかりを返す雑木山
臘梅や仰げばいつも雲流れ
初社一の鳥居は荒磯に
深雪晴天渉る日の寧きかな
はだれ雪榛の木の道奥深め
松の実集
球磨の春 竹下和子
球磨下る唄声通る雛祭
雛の客に杣の茶請けの葉山椒
渓音を枕の一宇猫柳
旧正や焼酎さげてうから寄る
目籠かつぐ媼ら往き来木の芽みち
冬庭小景 小鮒美江
霜の庭土新しき土竜塚
鵙の贄ありし庭木に蜜柑刺す
庭石の坐る中庭いぬふぐり
築山に鶲の紋の見え隠れ
所得て猫それぞれの日向ぼこ
安居めく 原田祥子
孤独をも諾ひをりて春を病む
病棟に朝寝とがむる者もなく
術後なる試歩に隠沼鴨一羽
予後の身に寒の戻りといふがあり
心枯るるなと安居めく日々を
梅探る 西村泰三
カタルパの芽吹きまだなし梅開き
浮牡丹てふ名札下げ二分の梅
陽を集めゐるちらほらの梅白し
温もれる石の階段梅に座す
吾が昼餉鳩が横目に梅の園
雑詠選後に のぶを
月蝕や大地は寒の底にあり 岡本ゆう子
月蝕は一月三十一目満月で八時頃より欠けはじめました。冴え冴えとした夜気が、積雪を払ふ風の寒さと共に伝はつて来て、暫くして私は家の中に入ってしまひました。窓から見ますと家々の屋根が深深と光り一層の冷気を感じたのを覚えてゐます。
掲句は、作者も凡らく私と同じ光景にあつただらうと思ひますが、「大地は寒の底にあり」と、その秘けさと共に細細とし夜景を一気に詩情高く詠み取ってゐます。まさに大地は寒の底でした。してまた私は句に接して、なにか新たな時空を得た思ひに浸かってゐました。
枯蓮や修業つひえしかに水漬く 後藤 紀子
一句は冬枯れの蓮田の風景を詠じてゐるのですが、「修行つひえしかに水清く」とはどのやうな様相を指してゐるのか、と読者は其れと無く、春夏秋の蓮の来歴を想起し、厳冬の今、その茎は水面に折れ伏し、凋落の景を呈してゐるのを忠ひ浮かべます。修行、蓮の花もまた彿教用語、それにしても作者独自の感性に因つて特異な表現だと言ってよいでせう。それに結句の水清く、これは日本人なら誰もが知ってゐる万葉語、この措辞でこそ一句の資質を高めてゐるのですが、この様な言葉の用法も心得ておくべきでせう。
施設より出でず絵を描きちゃんちゃんこ 竹下 和子
句を一読してもの淋しさを覚えましたが直ぐ屈託のない明るさが返って来ました。そして私はこの実に平凡な日常風景がどうして俳句として昇華されたのだらうかと思ひ出しました。
それは直ちに言へる事に、「施設より出でず」、「ちゃんちゃんこ」を羽織り、「絵を描き」、つまり一切をあるがままに受容し、生きてゆく姿が詩となって、と私は思ひ付きました。そして作者が施設とどのやうな係りであるのか知る由もないのですが、施設より出でずといふ措辞は何よりも説得力を持ち、総てを物語ってゐると感じ入りました。
立ち詰めの染場の窓に冬茜 伊東 琴
作者は職業に染織業とあります。私も少し興味があって四国徳島の吉野川河口の阿波町、近年は栃木の益子町に浜田庄司の旧窯場を訪ねた祈、それぞれ近くの藍染工房を尋ねたりしましたが、それは大変な作業であることは知ってゐました。「立ち詰めの染場」とは、私の見た限りでは裸電球の下の十畳以上の土間にぢかに藍甕が埋められ、志村ふくみさんの 『一色一生』 には (かめのぞき)といふ言葉もありますが、甕に手を差し入れて染物を揺すったり上げたり漬けたり、その様な光景が目に残ってゐます。「窓に冬茜」とは、様々な作業の末にふと気づいた格子窓の夕焼けです。それはなんとも切実な思ひが伝はつて来ます。 先の施設の詠句、それに染場のこの詠句、それぞれにご自分の場を大事にされてゐることに敬意を表します。
御慶かな医師四元號を生きよとて 古野 治子
斯ういふ事に、東京オリンピックまではと言ふ話は聞かないでもありませんが、「西元號まで生きよ」とは、大正、昭和、平成、次の世、実に気宇壮大な医師の話し方で、それを初句に「御慶かな」と、受ける作者も意気軒昂たる気合が充実してゐます。句柄も自づと健康そのものです。
いつかこのやうな国手にめぐり会ひたいですね。
阿蘇山も熊本城も春の雪 小崎 緑
「阿蘇山も熊本城も」とは肥後一国を一言で見渡したやうですが、決してさうではなく、作者は心象風景として捉へてゐると思ひます。それは心中で描いたのではなく、作者は今は熊本市内に在住し、朝夕、阿蘇もお城も目にしてゐるのですが、周知の通りあの熊本地震に因りどちらも大きな被害を受け、末だ復興の最中なのです。そこへ 「春の雪」、淡雪の景です。つまり作者にとって春雪は癒しの風景に映ったのです。ひいては作者自身の環境も含めて その身近な平安を願はしく思ひます。
寒垢難の肌に張り付く樺かな 伊織 信介
一旬は「寒垢離」 の行者を確と見取った写生旬です。「肌に張り付く禅かな」は、つまりは腎部の、水しぶきを受けて寒冷のために自づと尻ゑくぼが出来る様に、身を固めた行の姿に、経を唱へる一人を潔く詠じてゐます。
つなぎ止む百の海苔舟風荒ぶ 園田のぶこ
作者は島原の方、句は春さきの有明海の、海苔採りの遠景でせう。強風にあおられ、海苔粗朶の林に挙る舟の集団を詠じてゐます。旅人にとっては旅愁をよぶ風光です。
臘梅の一輪咲きし菜の花忌 大場 友子
原句は (小さき花一輪咲きし菜の花忌) でした。「菜の花忌」は現今の歳時記には有りませんし、小さき花では意味も通じませんので表記のやうに訂正いたしました。菜の花忌とはよく木下夕爾忌と間違ふ人がゐますが、二月十二日司馬遼太郎さんの忌日です。私は亡師上村占魚に 『街道をゆく』を薦められてから、司馬さんの全著書を書架に収めるやうになりました。菜の花忌の名の由来は長編小説『菜の花の沖』 に拠ったものでした。