負けるな知的中高年◆本ときどき花のちコンピュータ

「知の崩壊」とかいって、いつの間にか世の中すっかり溶けてしまった。
「知」の復権に知的中高年よ、立ち上がれ!

いまもつづくわいせつ裁判は国家権力のむだ使いである

2004年12月27日 | 詞花日暦
嫌いな人は見にいかない。
自由にまかせておけば足りることである
――内田剛弘(弁護士)

『愛のコリーダ』の脚本とスチール写真が、昭和五十二年八月、東京地方検察庁に起訴された。被告は脚本の著者・大島渚、出版者の竹村健一。罪状はわいせつ文書図画販売など。同年十二月に第一回公判が東京地裁で始まり、二年後の十月、無罪が確定した。が、五十五年三月には、検察官側が東京高裁に控訴。同年七月に公判が始まり、五十七年六月、七回目の公判で控訴が却下された。
 主任弁護人の内田剛弘は、プライバシー保護法、サリドマイド訴訟などで知られた気鋭の社会派弁護士。東京高裁での控訴棄却後、「無罪が確定するまでの満七年の間……いかに莫大な時間と努力と費用をかけたことか」と内田は書いた。
 筆者は高裁の裁判をすべて傍聴し、記録を一冊の本『わいせつの終焉』にまとめるお手伝いをした。憲法一七五条を盾に起訴をつづける「警察・検察当局の恣意的取締り」は、表立って目につかないが、いまも進行中と内田はいう。「風俗警察・検察ひいては裁判」は、国家権力によるとてつもないむだを繰り返している。