負けるな知的中高年◆本ときどき花のちコンピュータ

「知の崩壊」とかいって、いつの間にか世の中すっかり溶けてしまった。
「知」の復権に知的中高年よ、立ち上がれ!

食材の改良はときに本来の味を見捨てることがある

2004年12月17日 | 詞花日暦
私にとってヤマイモほど
なつかしいものはない
――檀一雄(作家)

 寒い季節になると、山芋掘りが始まる。ここでいう山芋は、砂地で大量に栽培されるヤマイモではない。山間に自生したほんものの自然薯である。身近に自然がある人にも、都市圏の消費者にも、いまでは遠い記憶になった。檀一雄は少年の日を振り返り、「なつかしい」と書いている。
 筆者にも経験がある。山芋らしい蔓に残った枯葉に紛らわしいものがあった。ハート型の形状が鋭角になった葉のものは山芋そっくりだが、苦労して掘り出すと堅くて食べられない。山中の石や木の根に邪魔されて曲がった自然薯は、姿のまま掘り出すのにいろんな小道具が必要だった。
 懐かしいのは、やはり栽培ものと比較にならない濃厚な味である。檀は麦飯にトロロ汁でないと「完全なうまさがお腹の底に沈みこまない」という。が、だし汁を加えながら擂鉢で摺ったトロロ汁は、もうそれだけで何ものにも変えがたい。油で揚げる、吸い物に入れるといった食べ方も、粘りの強い自然薯ならでは。山芋掘りの季節になると、本来の味を見捨てた大量消費用食材に馴らされた貧しい食生活をしきりに思いやる。