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すがアトリエ : スガショウタロウ + A t e l i e r 生きる空間へ

RCの家 1

2015-12-25 | Air

RCの家について

木の家の話しを書いている途中ですが、今回RCの家についても書いておきたい

それはRC造の10周年目の賃貸住宅の検査に、先日立ち会ってきたことで、

気の付いたことを書いておこうと思います

京都一乗寺のAirという若者向けの賃貸住宅です

大学が周りに多くあるので、学生さんばかりかだろうと思っていたのですが

その他の人や、店舗利用も多くて、今回行ってびっくりしたことには

3階に美容院のアネックスが入居していたことです

この場合はクライアントの希望も含めて、写真のように内外RC打放しでつくっています

研ぎ澄ました所い美や面白みを見つけること、また徹底した合理化を望まれたことの結果でもあります

もちろんある程度厳しい環境とはなりますが、その分を路地的な落ち着きをもつ共用の階段部や

住戸にも、路地部に面して開放性をもつことができるようなパブリック性をもたせ、

その奥にしっかりとプライベート部をもつことで、時によって外の人とも楽しめる街づくり的な工夫をしています

同じものが並んでいる均質性というより、多様さをもつ全体性がテーマになっています

今も人気の住宅で、ウェィテイングもでており、また想像以上に長期入居者がおおいそうです

下の写真は道路側外観で再頂部の壁が少し水垢で汚れてきています(洗浄で落とすことになりました)

階段部ですが、これといって10年前と変わっていない感じがします

植樹はマロニエの木です、以前はかなり旺盛な感じがしたものですが、

少し落ち着いた感じになってきたようです

人が歩くRCの床面については、年月を感じます

ミニキッチン部写真です、床のビニルタイルも含めとてもきれいです

水廻りもまだ特に手をいれていないのですが、全くきれいにしていただいていました

このように10年たったRCの住宅の状態は、

クライアントと入居者による、日頃の手入れのたまものでもありますが、

RCという燃えない頑丈な材料を使ったことも関係しています、

パブリックな骨格外皮という役割には、正にうってつけの材料だということ、

隣地や道路に対してキチッとした遮蔽性を、

大きなメンテを必要とせず保てっていることは大きいと思います

インフラを作る土木材料として、RCが良くつかわれていることは、この理由からです

Airの共用部の階段とツウロです

手摺は溶融亜鉛メッキをした鉄製角棒でつくっています

住戸は小さいスケールのものですが、基本をメゾネットとしています

下階はリビング(パブリック)ゾーン、上階をプライベート(寝室)ゾーン

として分けて使えるように配慮しています

下は、それらをつなぐ階段部で、インナーの物干し部になっています

内部の鉄製階段も、全く年月を感じさせていませんでした


木の家 3

2015-12-02 | 木家

続けて木の家について

RC住宅は、普通にしっかりと作られたコンクリートなら100年は、多分問題なくもつと思います

しかし私の住む近くの住宅地でも、平気で築20~30年までのRC造の建築が壊されています

土地が売買されたり、何らかの変更からスクラップにされています

場合によっては、その後に、そんなにサイズも変わらないサ同じような建築が建設されたりすることもあります

何とも、もったいないことをしています

建築は、経済も政策も含めてですが、これから大きく変わっていかなければならないと思っています

今、そうした大きすぎる問題はおくとして、

一般の住宅は最低50年を超えても、しっかりもたせるべきでしょう

もちろんメンテや修繕は必要ですが、百年程度を目標とすべきだと思います

なぜ建築の寿命をはるかに下回る時間で、スクラップ化されることが起こるのか、

建築面での問題を考えておくことは必要だと思います

少しわかりにくくはなりますが、それは空間構成の質という問題です

通常の建築は増改築できますし、減築もできます

また日本の伝統建築を思い出していただきたいです

写真は一乗寺にある詩仙堂です

石川丈山が1641年に、59歳でいわば終の棲家として建てた家です

小さな望楼があるのは特異ですが、いわば普通の家の作りでした

タタミの床と襖の仕切があるだけで、決まった用途の部屋というものがありませんでした

またタタミの間は融通無碍で、TPOで個室にも大広間にも対応できました

それでいながら、外部と軒の下の縁の空間といったような環境との関係性、

また床の間といった機能を超えたゆとりのスペースといった形で、

しっかりとゆたかな空間が骨太に作られていました

実際の柱のサイズは小さいものでしたが、よい構成がしっかりと作られていたと思います

だから、環境や住まい手側の色々な変化に即応して住み続けることができたと思います

大工を呼べば、すぐに増改築できましたし

そうした小さな増改築を繰り返してでも、長く生き延びるように作られていました

手を入れる毎に、少しづつ調子を変えたりして、その姿がまた風情を生んだりもしてきました

今のハウスメーカーの家と対局のあり方の家が、伝統建築の姿でした

必要な間取りに従って家を建てる家は、とても合理的ですが、

間取りというのはその時の機能に応じた部屋配置にすぎません

こうした建築は、やはり短命になることが多いと思います

間取りのニーズがずれると、途端に住みづらくなり、

構造もそれに合うように作られていて、変更も困難になっているからです

動かない場所という周辺環境を勘案しながら、自然に沿い、時間的な変化に対応できる

遠い大きな目で見た空間の質といった吟味が、

本当は必要なのではないでしょうか

現代の住生活を前提にしながらも、将来の変化に対応できるあり方を求めるべきです

そのためにも空間の構成の質を高めて、住み続けられる家にする必要があると思います

もう少し具体的に言いますと

実際の周辺環境に合わせながらも、自然環境(光や風)をどう取り入れるのか、

パブリックである所の道路との必要な距離感のとり方とか、

私的となる落ち着いた空間を、自然と触れながらどのようにとるのか

といったことを考えたよい空間構成を見つけることです

そのうえで、それに見合った構造や部屋の配置等を考えることで、

質の高い建築になるのだと思います

こうした考えでつくることで、住み方の変化があっても、

人が住む以上、大きな構成そのものは生かせる部分が多くあるかと思います

また間取りだけで構造を決めていませんので、ゆとりもあるものです

木造は、大工が少し入ることで、容易に設えを変更することができます

昔のように、手入れしながらも住み続けられる家こそが良い家です

木を生かした良い空間の家は、古びても美しい、

長く住み続けられる家になるかと思います

 


木の家 2

2015-12-02 | 木家

引き続いて木の家について説明します

                                      写真はCEDER HOUSE 杉の木の家

前回も書きましたが、日本の伝統家屋は自然の癖もあったりする木をうまく使ってきました

一方癖といった個体差がないことを求めると、工場で徹底的に加工した材、すなわち集成材とか積層材になると思います

また人工乾燥させた無垢材も、精度のよい木材となりますが、接着剤はない代わりに、

熱で強制的に水分を取り出しているので、繊維質の劣化の懸念があります

特に日本材は水分がもともと多いので、やっかいです

ということで、日本で合理的に無垢の木の家を作ることからいうと、

極端な精度安定性を求めずに、木の癖を吸収しながら作る形が理想と考えます

環境的にもそれが叶っています

話は飛びますが、高湿度の日本においては、湿気が木の大敵です

構造材は、現しにしてこそ、湿気が入り込まず、長期メンテができることになります

それをペンキを塗ったりせずに、木肌として生かすのも日本建築の伝統です

耐震性を求める現代の建築では、

いわゆる縦横の木組架構に、耐力壁を加えることで、耐震性を高めています

日本の伝統建築構造には、

縦横線だけで作る世界観みたいなものがあり、美学でもあったのだと思いますが、

筋かいといった斜材を生かしてこなかったことが、欠点としてありました

日本の大工はトラス構造を知らなかったという話しもありますが、私はそうは思いません

縦横材をホゾを利かして、貫通させながら組み立てて、

横応力に対しては、

「重い屋根の下で複雑な架構全体が、多数の部材が震えながら耐えしのぐ」ようなことだったのだと思います

五重塔のみが、(いろいろな説がありあますが)制震的で、それなりのモデルで実証もなされているようですが、

その他の社寺仏閣のような建物でも、一定の耐震性があったからこそ、今まで生き残れてきたわけです

 

このように平屋等の建築でも、エネルギーを逃がすよう制震的に作られてきたのだと思います

ただ実際の効果からいえば、小規模な物や、安普請なものは、耐震性がほとんどなかったことは事実だと思います

その程度なら、筋かいという斜材を少し入れていた方が耐震性があったと思います

話を戻しますが、現在は耐震壁というものを建物の要所に入れます

それは筋交いという手法よりも、半間以上の壁部を合板で貼固めることが普通となっています

構造的にはこれが合理的なのです

ただこの方法は構造の柱梁が隠蔽されて、湿気が入ったとしても中が容易に確認できません

そういうことから日本ではやはり、

構造架構はせめて片面でも、現しにしておくのが作法だと考えています

しかし構造を現しするのには、それ以上に理由があるというのが、私の考えです

日本建築では特にそうだと思いますが、

人が空間を見るときに、構造があればそれを追って、空間に構成をみてしまいます

組積造であれば、レンガの積み上がりを上方に追いかけることになります

地面から、屋根のてっぺんまでがどう支えられているか、見ることで安心感につながっていると思います

よく「大黒柱が家の中心にあって」みたいな話がありますが、

しっかりとしたものが屋根を支えているのを見ると安定感や安心感をかもしだします

もちろん構造が端から端まで見えることは少ないですし、普通の人が構造の詳細を理解しいるわけではないですが、

安定感があるものかどうかぐらいは、子供の積木を見ても、容易に感じるものでしょう

構造的なもの見えなくても、安心感のある作り感はだせるかどうかわかりませんが、

建物に必須のもの、そこにあるものを生かして、最小限の追加と操作で作るのが良い建築です

家は構造も含めて素直に考えて、シンプルかつそれでいて最上の空間を作ることを目指したいものです 


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