もうすっかり空き地の状態になっていた。
コンクリート小片の小山が、最後のダンプを待っていた。
これが建築の最後の姿と言えるかもしれない。
大量の資材とエネルギー、もちろん人の情熱の塊でもある建築が、
こうして小山になってしまう。
建っているときは、不動に見え、不朽のようにも見えるものが、
最後を終える。
地面を覆い占有していたものが消えてなくなる。
このように考えるのは、この仕事をしているからかもしれない。
もっとリサイクルできる建物のあり方も考えねばならない。
でも建築行為の真髄には、
人力で不動永遠のものを作りたいという願いもある。
ストーンヘンジもピラミッドもそうしたものと思っている。
ある種祈りのような、現実世界への仮託の願いがある限り、
破壊と建設は、車の両輪のように繰り返し絶えないのだろう。
今こうして更地に立って歩き回って、
寂しさと同時に、
心の底にかすかな蠢きのようなものを感じているのだから。