屋根に貼られていた波板を外すと、一枚だけ当初の屋根板金材が残さていました
あいにくすでに外されていたので、当初の状態がわからなくなったのですが
材料はそのものです
確かに図面にある通りの、アルミにも見えます
ただ戦後はジュラルミンも、供出により出回っていたとのことで
可能性もありそうです
戦後1946年 神戸元町にジュラルミン街できました
写真の縦の、店ごとの仕切り板のように見える所の部材で、
確かにきらきら光っています
これらは神戸の松蔭女子中学校に疎開されていた材料で、
川西航空機甲南工場での紫電改とかように、用意されていたものだそうです
写真の板がベコついているので、板金だと分かります
No32が着工されたのが、1955年なので、
その9年後にまだジュラルミンが残っていたのか少し怪しいです
ただアルミ精錬が再開されたのは、1950年代後半からとのことですので、
どちらもあまりしっくりしません