山王町を南に臨む
町に多くある空き家が、次々プチリフォームして民泊等への改修がされている
そうした中にあって 珍しい新築の小規模の建物
周りに多くある住宅群とほぼ同じ大きさではあるが、
今後の街の変化をいろいろ考えて計画してきた
結果銀色に輝くガルバリウム貼りの家になった
山王町を南に臨む
町に多くある空き家が、次々プチリフォームして民泊等への改修がされている
そうした中にあって 珍しい新築の小規模の建物
周りに多くある住宅群とほぼ同じ大きさではあるが、
今後の街の変化をいろいろ考えて計画してきた
結果銀色に輝くガルバリウム貼りの家になった
新旧の波板壁 左は塀の波板縦張りで、右側が今回の横貼りガルバリウム鋼板
薄板の板金によるの壁なので、
パネルやスパンドレルのような精度はもとより求められないし
ネジ締めによるふくらみ模様も見えるのだが、結構軽快でシャキとした印象がある
それでいて下地が25ミリのセンチュリーボードなので
硬質または強度感のようなものも少し感じる
ある意味アンビバレンツな感じが、その手作り感とともに感じられる
かなりメーカーとも話し合いを行った
その会社の専務が、親身になって相談に応じていただけたのが一番の幸運だと思う
もちろんこの外装の施工までには、工務店をはじめ、実際の貼り付けの職人さんたちの
苦労は並大抵のものではなかったのだが
またその話は別の機会に書いてみたい
しかしながら意図に近いものが、それなりに味わい深くできたのではないかと感じている
この味わいは
日々のように変貌をとげ、今ある町が消えつつ感じる環境において、
そんな中で、ただの建物が抗う訳にはいかないですが
といって単に知らんぷりをして流すという道でもなく、
今ある特有の感じをそれなりの強度で残したいと思いました
この町の印象は雑然感が強いのですが、
歴史があり。その色やにおいは、単に混濁しているのではなく
色々なものを包含してある、包容力と固有な場所性をもってきたと思いました
ここに住んだ旅芸人たちは、てんのじ村と呼んでいました
そういうものを感じた上で考えた建物です
足場解体が今日ありました
足場がだいぶ取れていました
この町で感じていたものの一部が、また形を変えても続いていくことができれば
よいのですが。
上二つが、アルネヤコブセンのデンマーク国立銀行にある階段の写真で
下記が オーフス市庁舎の階段である
多分賛成される方も多いかと思いますが、ヤコブセンは
セブンチェアとかアリンコチェア、スワンチェア等の名椅子の作家であり
またVOLA水栓や時計や照明器具のデザイン含めプロダクトの名品も数々残しており
椅子もそうだが、意匠とその機能のバランスがとてもよくできているので
現在も人気の高いものとして、よく使われている
今使っている椅子も白のセブンチェアだが、もう20年ばかり使っているが、
まったく問題ないし、デザインとしてもこれを超える椅子はめったに見かけない
そのヤコブセンは、階段のデザインでもとても評価が高い
私が見たのは、デンマークのSASホテルの階段だけだが
上記の階段を超えるようなものは、今は構造的な自由度がかなり上がっているにも拘らず
とても少ないと考えている
日本で一番らせん感が強い造形の現代建築を作ったのは、丹下健三ではないかと考えている
代々木のインドアスタジアムの手前の第二の方が単純らせん、
第一の方も両端が引き合うらせんのようにも見える
その上、RCで作らてた垂直の塔から吊るされる吊構造でもあるので、強い上昇感がある
一方地上からの目には、周囲に張り出す胴部が水平的な張り出し感も強く、
単純ならせん構成でないこともまた
丹下らしい輻輳する造形的な表現であり、見る人を深く引き付ける
第一の方も、両端からの吊構造に加えての胴部の強い張り出しがきわめて躍動感が強く
重力と遠心力のような葛藤のようにも見え、象徴的である
第一と第二がこのように、共通要素も見られながらも
構成が実際的にはかなり違うこともまた、
全体により大きな造形的運動感を生み出しており
部分の緊張感、建物の緊張感、2棟の緊張感と、大地の上のでのドラマとなっている
工事が進む階段の今日の写真です
床フローリングが過半の段に貼られていました
貼った部分には、茶色の養生ボードが貼られているのでわかりにくいですが
手すり立子が絡む所の床フローリングがちょうど櫛のように抜けていますので
今時点での面白い意匠になっています
有機的形態の建築で有名なブルースガフの設計した家のプラン
1955年にできた、バービンガーハウス
渦巻き壁が全体の骨子となっている
実際の内部はこんな感じで、SF映画に出てきそうでもある
材料等も有機的ということもあるが、渦巻き形状もあり
焦点が定まらず、エンドレスに連なっていく感じが強いよう思う
こうした野性的な建築の系譜というものがアメリカにあったように思うが
今はどうなっているのだろうか?
大きなサイズの写真が拾えなかったが
バチカン美術館の有名な階段
写真では見過ごしてしまいそうなのだが、これは2重らせんの階段で
写真でいうと、人が映っている部分が、出口用の下りの扱いのようで、
人の映っていない部分は、その出口用とは、交錯もせずに最上部とつながっている
もともとこの階段の前に、下記の写真の階段が16世紀にブラマンテによって作られており
これが2重らせんであって、それの拡大版がその後につくられたのだという
二重になった階段は、客用とサービス用とか、便利だったのでもあろうが
一見では普通のらせん階段にも見えながら、よく見ると何か違う、
その幾何的な重層による迫力の効果が、ずしんと効いてくる感じがあると思う
このバチカンの階段群は、非常に評価が高いのは、単に審美的なことではなく
構想のすばらしさとそれに見合ったデザインが効いているのだと思う
それは らせんという連続感強いものが反復されていることによる強調
もっと強く言うとある種の無限感を生んでいると思う
イサムノグチ の slide mantra「滑り台」はまさに
マントラともいえるだろうし、永遠に上り続ける階段みたいなものにも見える
上から見たモデルであるが
裏側に階段の登り口があるので、上ってはすべる
その繰り返しがらせんとして、そのまま形になっている
札幌には黒い石のものが設置されている
エッシャーは46種ものHOUSE OF STAIRS 階段の家の版画を残している
階段こそ、彼の絵の代表的なテーマといえる
現実にはあり得ない空間、奇妙にねじれた空間を絵にしている
この空間では、階段を上っても上ってもまだ同じ階段を上り続けることになる
無限に繰り返し続くこと、入れ子のような構造に、とても興味がひかれる
自画像でもあるが、このような入れ子の関係こそ、彼の絵の特徴が表れていると思う
もちろん現実の階段では、エッシャーの入れ子のように繰り返される階段はあり得ない
ただ、近代以降のこの世界は、地球も含め一周すれば元に戻ってくることが、
世界の前提になっている
近代以前のような世界の果てへの冒険もなくなってしまった
そうした時代の反映として、何かしらの永遠に向けて探査は
たとえ奇妙であってもが人々を引き付けるのだと思う