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ファチマ・クルーセイダー

2012年02月29日 | Weblog

 帝国の再生:ソビエト連邦で実際起こっていること(続き)

The Fatima Crusader Issue 38, Fall 1991より

Donald S. McAlvany


The McAlvany Intelligence Advisor(MIA) Sept./Oct. 1991 issue

結論

ソビエトの定義によれば、平和、民主主義そして社会進歩は資本主義を正確に表さない。他方において、世界共産主義(あるいはわれわれはそれを社会民主主義と呼ぶべきであろう)はその基本的な諸理想のうちに平和、民主主義そして社会進歩の諸前提を含んでいる。[注:平和は彼らにとって世界的な共産主義的抑圧であり、またすべてのレジスタンスの終焉である。]それゆえに、現在のソビエトの諸々の展開は厳密に、それのために拡張のよりよい機会を達成するための国の再編成と一致しているのである。将来には、社会民主主義者や民族的民主主義者を含む、共産主義あるいは社会主義の傾きを持った世界におけるすべての政治団体が一つの共通の世界運動のためにCPSUとのパートナーとなるであろう。

1990年第25回党大会が述べたように、「USSRは一つの単一国家から諸国家の友好関係への移行期にある」。この諸国家の友好関係は現在はソビエト連邦のうちにいない数億人の人民と今はUSSRのうちにいない大多数の諸国家を含むであろう。われわれは今日、現在のソビエト連邦よりは遙かに大きいであろう一つの新しい社会主義的-共産主義的集合体の誕生を目撃しているのである。専制君主によって支配されている国々において、王が死ぬとき、叫びが上がる:「王が死んだ--王様万歳」(新しい王を意味する)。現在の場合には、こう言われ得る。「帝国は死んだ--帝国万歳」(新しい拡張された帝国を意味する)。

ソビエトの人間たちはチェスの天才である(世界において最善)。彼らは東と西の間の連続する競争を巨人のチェス競技と見ている。試合の最終目標は王--それはアメリカである--を取る、あるいは詰むことである。しかし中間目標は女王(それは西ヨーロッパである)を取ることである。ひとたび女王、そしておそらく彼女の司教たち、ルークたち、あるいは騎士たち(すなわち;南アフリカ、フィリピン、おそらく韓国、等々)が倒れたならば、王(すなわち;アメリカ)は攻撃され易くなる。それは彼が倒れるまで単に時間の問題にしか過ぎないであろう。しばらくの間は、たとえソビエトのチェス名人たちが彼らのポーンたち、ルークたち、あるいは騎士たち(すなわち、バルト諸国、少数の東ヨーロッパの国々、そしてソビエト諸共和国のいくつかの国)を犠牲にしなければならないとしても、彼女の敵たちの女王(すなわち、西ヨーロッパ)を取るというより大きな利益にとって、現在の犠牲はそれに値するものである。しかしながら、このチェスの試合においてソビエトのチェス名人たちは彼らのポーン、ルーク、司教そして騎士のすべてあるいは大部分を取り戻したいと望んでいる。

IV.ソビエトの軍事的増強

「START[Strategic Arms Reduction Talks=戦略兵器削減交渉]条約をもってしてさえ、あなたがた(ソビエトの人間たち)は30分で合衆国を破壊する能力を持つであろう。」

コリン・パウエル将軍

 

「われわれの外交政策の効力はわれわれの国の力--その構成部分はわれわれの軍隊である--によって確保されている。」

ミハイル・ゴルバチョフ

 

ソビエト連邦において起こっている信じられないくらいの政治的大改革にもかかわらず、ガルガンチュア的なソビエト軍事機構は無傷のままであり、実際に変化していない。KGBはソビエト軍の指揮下に移るであろう。そのことはいずれの組織の役割の縮小をも意味しない。ソビエト軍は今なお500万人の軍人、25万人のSpetznaz特殊部隊、そして150万人のKGB兵士そして/あるいは職員を持っている。彼らは今もなお、通常兵器ではアメリカの5倍、戦略核弾頭ではアメリカの5倍から6倍の軍備を持っている。彼らは今なおアメリカをターゲットにした2万発の核弾頭を保有している。もし「強硬派」のクーデタが本物であったとしたら、ソビエト軍はこれらの核ミサイルをアメリカに対して発射することができたであろう。そしてわれわれは彼らに対して無防備である。われわれは、担当している者--「強硬派」あるいは「改革派」--にかかわらず、それらの一つでさえ止めることはできない。

A.ソビエトの軍事教育と教え込み

ロシア革命以来、ソビエト連邦は軍隊を社会主義の利益を守るための最も重要な力だと考えてきた。ソビエト軍隊は「科学的共産主義」の最近の諸理論に一致して教育されており、彼らの装備は一番最近の諸科学の発展に従って更新されている。西側諸国の兵士とは違って、ソビエトの兵士は彼の祖国にまず第一に奉仕するのではなくて、ソビエト連邦の共産党に彼の第一の忠誠を誓い、その義務を負うのである。このことはニカラグアのサンダニスタ軍における共産主義者サンダニスタたちについても同じように真である。

統制し、共産主義のイデオロギーを教えるために共産党統制委員と政治指導者たちが各軍隊単位に配属されている。すべてのソビエトの人間たちは軍隊での訓練を経験し、軍隊で奉仕する。戦争技術、戦略そして異なった種類の装備の操作は別にして、訓練は大量の政治的および愛国的教育を含んでいる。

大愛国戦争(第2次世界大戦)の間、すべての教育とプロパガンダはナチスに反対して教えられていた。しかしナチスの死と共に、ソビエトの人間たちは彼らの視界をドイツのナチズムと日本の軍国主義からアメリカの帝国主義へと再訓練した。不幸なことに、現在の破廉恥な偽情報にもかかわらず、われわれアメリカ人は相変わらず第一級の敵である。そしてソビエト兵士の基礎的教育はアメリカ兵士に対する彼の優越を証明することに向けられている。

第2次世界大戦以来過去46年にわたって、ソビエトの人間たちは政治的教え込みの信じがたいほど洗練された、包括的なそして徹底的な体系を発展させてきた。それは5歳の子どもたちから始まり、若い成人になるまでずっと(学校の内外で)続けられる。この教え込みの二つの主要な組織はコムソモール(青年共産主義同盟)とDOSAAF(陸海空軍との協力のための自発的協会)である。コムソモールが政治的教え込みにおいて手段的なものであるのに対して、DOSAAFはソビエト青少年を戦争のために準備することにおいて最も重要な組織である。DOSAAFはCPSU中央委員会軍事部門およびUSSR国防省の下で働いている。そして16歳から18歳の間のすべての青年男女の義務的前軍事訓練を行っている。ソビエト連邦の青年人口の大部分はDOSAAFにおける彼らの会員身分を持ち続けている。1988年にはDOSAAFの会員は1億700万人を超えた。

ソビエト連邦においては、全人口の政治的教育、しかし特に軍隊そして徴兵年齢あるいは徴兵年齢前の青年の政治教育は最も重要なものである。ただ政治的に教え込まれた兵士だけが社会主義国家の防衛において戦い、そして英雄的に行動する準備ができているのだとうことが強く信じられている。USSRのすべての青少年が5歳から20歳までに受けるその種の反アメリカ政治的教え込みでよく見かけるタイプは、ドゥルジニン(M. I. Druzhinin)将軍(DOSAAF教育における指導者)による若者は隊列において男になるという書物からの次の章句である。

「合衆国の帝国主義は前代未聞の軍備競争を引き起こしてきた。それは最も野蛮な大量破壊兵器でもって生意気にもガラガラ音を立てている。それはその力でもって解放運動と平和のための人民の闘争を踏みつぶそうと渇望している。それは人類を核戦争の破壊的突発へ引きずり込もうと脅迫している。それはわれわれの惑星の全文明を燃やして灰にする能力を持っている。」

「ソビエト軍が単にわれわれの母国の試験済みの見張りであるばかりでなく、また地球上の平和の保証人でもあるということは無益なことではない。もしわれわれの陸軍や海軍が彼らと同じように強力でなかったならば、もしわれわれが高度の技術、軍事的熟練、不屈の道徳的精神の完全な混合を自分たち自身において示しているそのような戦闘能力を所有していなかったならば、反動的な帝国主義者のグループ、特にアメリカ合衆国は、ずっと以前に、彼らの黒い夢想--政治組織としての社会主義の滅亡--を実現するために、ソビエト連邦および他の社会主義諸国に対する攻撃を行おうと試みたであろう。」

「ごく最近のアメリカの大統領たちがわれわれの祖国に対する核攻撃の計画を承認した、そしてそれもただ1度や2度ではない、ということは今では周知の事実である。これらの計画はコード名、『トロイア人』、『ドロップショット』、等々を持っていた。ただソビエト兵士の強力な報復能力と攻撃者の打撃に一つの破壊的な打撃でもって答える準備態勢だけが彼らの狂信的な計画を粉々にしたのだ。」

[編集者注:」これはソビエト指導部がアメリカの友人でありパートナーである振りをしているときでさえ、ソビエトの青少年がそれでもって教え込まれているこの主の反アメリカ・プロパガンダのほんの小さなサンプルである。]

最近、軍隊の中により政治的なイデオロギーを注入する傾向はより強くさえなった。与えられる理由は二つの社会体系--帝国主義と社会主義--の間の鋭い敵対関係の極端に複雑な諸条件の具体化である。オレグ・A. ベルコフ(Oleg A. Bel'kov)が祖国防衛の準備完了という書物において書いたように、「未来の歴史家たちは、勝利の好機を保証するために責任ある諸個人が機関銃の数や大砲の台数よりも、もっと勤勉に軍隊における現在の共産主義者たちの数を数えていたことを見出して驚くであろう。」言葉を換えて言えば、政治的教え込みは武器よりももっと重要なのである。

ソビエト軍指導部はアメリカ帝国主義者たちとの戦争が不可避であると信じている。彼らの書き物において、彼らは絶えず「不可避の来るべき戦争」に言及する。「彼らはただソビエト連邦だけが、その軍隊をもって世界を救うことができる。」ドゥルジニン将軍がソビエトの見解を説明しているように:

「帝国主義がその反人間的、反動的そして軍国主義的本質と共に存在するかぎり、われわれの祖国に対する軍事攻撃の危険は依然として一つの事実のままである。近年、そのような攻撃の危険は特に増大した。われわれはまず確実である攻撃をかわし、国家の安全を信頼に満ちて保証することができるように十分に軍備を整えなければならない。経験は、この問題をうまく切り抜けるために準備があらかじめ始められなければならないということを示している。われわれは一撃を与えるために雷を待つことはできない。われわれはすべての年齢の青少年に頼りながら始めなければならない。われわれは時間を無駄にすることはできない。そのような損失は代わりのないものである。そして戦争の間には大量の血を犠牲にする。用心せよ、友人たちよ、そしてあなたたち自身の結論を出しなさい。」

[編集者注:西側にいるわれわれはわれわれ自身の結論を出さなければならない。]

ソビエト軍事教育および教え込みにおけるもう一つの不吉な展開は18世紀ロシアの傑出した将軍、軍事的天才そして戦略家である陸軍元帥アレクサンダー・スヴォロフ(Alexander Suvorov)の書き物、戦略および戦術の復活である。スヴォロフの戦略および戦術に関する著作(彼のライフワークである征服するための科学においてスヴォロフによって最初に出版された)が最近再出版され、書き直された。そして数十万部がソビエト軍と政治家階層に広く配布されている。スヴォロフの迅速性、機動性、大胆な攻撃、等々の上出来の戦術は、孫子の戦術が数十年にわたってソビエト軍とKGBにとってのバイブルであったのと同じように、USSRにおいて広く研究されている。USSRにおけるスヴォロフの復活は一つの新しいそして遙かにもっと攻撃的なソビエト軍の戦略を特徴づけることができるであろう。

B.ソビエトの武器獲得

ソビエトの国内における財政的および政治的諸問題のすべてにもかかわらず、次の分野の軍拡と戦争準備は遅れることなく続いている:

1)この3年間(1988年から1990年)に、8つの主要武器カテゴリーにおいてソビエトはその生産高がわれわれを上回った。

2)ゴルバチョフが権力の座にあった最初の6年間、ソビエトは9つの別々の武器カテゴリーにおいてアメリカの生産高を上回った。

3)ゴルバチョフはKGBとソビエト軍の予算をそれぞれ20%および37%次の12ヶ月のために増やしたばかりである。USSRは(タイムズ・マガジンによれば)そのGNP[国民総生産]の50%をその軍事/産業複合体に対して費やしている。アメリカは6%(およそ4.5%そして次に3.5%下落)費やしている。

4)ゴルバチョフはUSSRの600の軍事工場の消費財工場への大量転換を約束した。ただ6つだけが転換した。

5)ソビエトは東ドイツに戦術核兵器および化学兵器を置いていた。そして今もなおそれらを維持している。東ドイツには、彼らはまた38万人の軍隊を今なお駐留させている。彼らはその地域の想定された独立にもかかわらず、東ヨーロッパに50万人の軍隊を今なお持っている。

6)ソビエトは大西洋からウラル地方までの地帯に今なお60から70の現役師団そして30の動員師団を持っている。

7)ソビエトは今やモスクワの周囲に75の深層地下市民防衛構造を完成させた。--その構造の各々はペンタゴンの大きさである。なぜか?彼らはわれわれが第一撃を始めたくないことを知っている。しかしわれわれはSLBM搭載の潜水艦から報復するであろう。

8)クレムリンは18基の新しい軌道可動型第一撃SS-24ミサイルを配備したばかりである。そしてそれらを列車に乗せた1100ヤードの長さの発射台に据えた。彼らは現在3000マイルの射程距離のあるSS-20ミサイルをキューバへ移動させている。

9)軍ジャーナル(1991年8月)は、大量の道路および軌道で動かせる核ミサイル、潜水艦搭載、地上および空中発射核ミサイルを含む、ソビエトが今充足している多くの新しい通常核および戦略の展開と配置のリストを上げている。

10)ソビエト政府は最近、500万人の徴兵年齢の学生たちのための兵役免除を撤廃した。これらの学生の多くあるいはすべては今やソビエト軍の兵役につかせられ得るであろう。--ソビエト軍は500万人から1000万へと倍になることができるであろう。

ソビエト「改革派」が平和、協力そしてパートナーシップを語っている間に、彼らの軍隊は全力を挙げての拡張と近代化計画を続け、戦争の準備をしている。彼らは平和を語っている。そして国として戦争体制へと動いている。

C.アメリカに対するソビエトの核戦争計画

合衆国に対するソビエトの全般的核戦争計画(ペンタゴンによってRISOPと呼ばれている。Red Integrated Strategic Operations Planから)は2500の標的をカバーすると信じられている。おおよその優先順位におけるそれらのうちの主たるものは:

1)1000のミニットマンとMX ICBMサイロ、それらのサイロのための100のICBM発射コントロール・センターそして別の50の命令およびコントロール施設、そして核兵器貯蔵所。少なくとも1150の「強化された」--すなわち、要塞化した--兵器施設標的の総計となる。これらは少なくとも2発そしておそらく3発のソビエトの弾頭によってそれぞれ命中させられるであろう。

2)別の54の核爆撃機と爆撃機発進基地そしてミサイル発射潜水艦を修理する少なくとも3つの海軍基地。これらは割合に「地味な」"soft"標的であるけれども、暴走したものやミサイルが無力化されることを確実にするよう多様な攻撃のために標的とされるであろう。

3)およそ475の他の海軍基地、飛行場、港、ターミナルビル、基地、貯蔵所、そして通常軍事力ならびに核軍事力に関連した他の軍事基地。

4)軍事機器において年間100万ドルあるいはそれ以上の国防省契約を持つおよそ150の産業施設。

5)国の電力の70%を産み出している325の発電所。

6)国の石油製品の70%を造り出しているおよそ150の精油所。

7)およそ200の「地味な」経済的通信、輸送、化学および市民的指導層の標的。

最後のこれら4つのカテゴリーにおいて、多くの標的は十分に近接して一緒のところに位置しているので、それらを破壊するのにただ1発の核兵器だけが必要とされるであろう。

D.ただ強者だけが生き残る

以下の論考は筆者のよき友人、前NATO軍最高司令官サー・ウォルター・ウォーカー将軍から自由世界の人々への一つの警告である。彼は英国軍の英雄であり、世界の最も偉大な地勢戦略の専門家である。彼はソビエトの戦略と戦術に関する何冊かのすぐれた書物を書いた人であるが、インドネシアのボルネオ侵略やソビエトのアフガニスタン侵略をあらかじめ警告した。筆者と同じように、ウォーカー将軍はソビエト熊が戦争の準備をしていると見ている。

私は、前NATO軍最高司令官として、あなたたちに行く手にある非常に危険な脅威について告げることは私の義務であると考える。それは、われわれが今最大の戦略的欺瞞の一時期にいることは確かだと私は知っているからである。おそらく全歴史の中で私が、次の10年のうちに行く手にある未来についてあなたたちに警告することなしにこの機会を見送ることを許すべきでないと感じている時期なのである。

私は冷戦はまだ終わっていないのであって、ただ一時的な鎮静の状態にあるに過ぎないということを最も強調して言う。例を挙げよう:多数のソビエト市民が今なお食物を求めて列を作っているにもかかわらず、ソビエト連邦は単にイラクだけでなく、アフガニスタンにおける共産主義体制やキューバやリビアのようなソビエトの衛星諸国に武器を供給し続けている。そうしているときに同時に、ますます多くの金が、彼らが自分たち自身の軍隊のために切った大きさのケーキの中へ注ぎ込まれている。

モスクワとの取引において、危険はますます不安にするようなものであり、はるかに大きいものであろう。普通の人は、ソビエト連邦が今なお西側に脅威となり得る軍事機構を維持するためにその資源のうちの莫大な比率を割いているということを告げられて来なかった。

一例として挙げれば、彼らの海軍は現在主要な再建計画に忙しくしている。海軍は65000トンのティビリシ--最初の主要空母--を進水させた。[西側の]一般大衆はゴルバチョフが6週毎に1隻の新しい原子力潜水艦を進水させていることに気づいていない。この海軍増強の目標はアメリカとヨーロッパとの間の戦略的結びつきを切断し、ペルシャ湾海域とアフリカ・ホーン岬周辺のシーレーンを支配することである。海の支配なしのNATOは無意味である。

「彼のすべての困難のただ中でゴルバチョフは今や将軍たちやKGBの主人たちの執拗な要求でソビエト軍事予算を37%も増加させた。これはこの国のGNPの40%に相当する。彼がこの増加を行った同じ日に、われわれの国防総省長官は全イギリス陸軍の4分の1に当たる4万人のイギリス軍が削減されるであろうと告知した。これは自殺的な決定である。さらに、西側の軍縮と工業技術移転はゴルバチョフと彼の強硬派の軍指導者たちが視野に入れていることである。彼と何らかの大きな取引をするということは単に愚かなことであるばかりでなく、大きなペテンである。

「ソビエトの軍事的脅威は消失したのでは「ない」。NATOの中立化は長い間ソビエトの最も重要なグラスノスチ欺瞞の目標の一つであってきた。戦車の生産は古い戦車に取って替わるものとして弱まっていない。そして彼らはまたいくつかの新しいヘリコプター、1機の巨大な輸送機、他のヘリコプターを撃墜するよう設計された戦闘機そして高性能対戦車ヘリコプターをも導入した。

「ソビエト経済の崩壊にもかかわらず、--クレムリンは--軍からの圧力の下で--軍事予算を実際に420億ドルから1600億ドル以上にまで増加している。それとは対照的に、わずか75億ドルが教育のために、そしてわずか45億ドルが保健のために取って置かれている。しかし、GNPの40%以上を消費していてさえ、この額は軍のエリートを満足させるには十分ではないであろう。もしソビエト連邦における経済的破局があるとするならば、そのとき確かに西側はバターが銃の前に来なければならないと主張すべきである。西側からのいかなる援助も厳格な条件を設けなければならない。真っ先の条件はソビエト連邦およびバルカン諸国における自由と独立である。

1990年11月19日のヨーロッパ通常軍(Conventional Forces in Europe=CFE)条約の調印にもかかわらず、ソビエトはすでにおよそ17000台の戦車とそれにプラスそれ以上に多くの装備[すなわち、総計7万の装置]をウラル山脈の反対側--条約の地理的区域を超えて--移動させてた。そしてハンガリーからの数機のソビエト航空機がソビエトの海軍の色に塗り替えられた。これもまた条約の外側である。

「最近、NATOのニュールックについて多くのおしゃべりがあった。人はそれらの言葉を読み続けている--私は『今、冷戦が終わったからには』を引用する:私があなたに告げていることに照らして、私は最も強調的に、冷戦はまだ終わっていないのであって、ただ鎮静の状態にあるにすぎない、と言う。厳然たる真実は恐怖に駆られたKGBが強化され、拡張されているということである。昨年、アメリカのFBIは30人の外国スパイを逮捕したが、そのうちの28人がKGBであった。これは新記録である。今日、KGBは150万人の人々と600万人の情報提供者を雇用している。そしてソビエト経済の危機にもかかわらず、KGBはその最近の予算において20%の増加を受けた。

「私は、もしわれわれがしっかりと立ち、危機を防がないならば、証明できる真実はクレムリンの利己的な卑下のポーズとは反対に、ソビエト連邦は崩壊に瀕しているのではないのだという赤裸々な事実をあなたに残す。他方において、西側の防衛力は崩壊に瀕しているのだ。

E.アメリカ人は軍縮へと駆り立てられている

「見せかけの」ソビエト帝国の解体、共産主義の死、冷戦の終結そして「自由な改革者たち」の再起(すなわち、USSRにおける「民主主義の諸勢力」)は合衆国およびヨーロッパの政治的および軍事的指導者たちをして彼らの軍縮計画を加速せしめる原因となっている。ブッシュは合衆国核ミサイルをヨーロッパから撤収した。ヨーロッパから合衆国の戦車、飛行機そして軍隊を撤退させている。実際、われわれの戦車、潜水艦そしてF-16の生産ラインを操業停止している。43箇所の合衆国国内基地、79箇所のヨーロッパにあるアメリカ軍基地を閉鎖している、そして合衆国の非ヨーロッパ軍事施設の535を閉鎖、フィリピンにあるわれわれの巨大な空軍基地(クラーク・フィールド)を閉鎖した。合衆国陸軍部隊を35万人、合衆国海軍を50%削減、これから先5カ年にわたって合衆国軍隊の全体の大きさを25%削減する、そしてアメリカの91の重要な戦争物資の戦略的備蓄品を40%削減する計画をしている。

合衆国軍隊の消費傾向は1996年で国防にGNPの3,6%しか費やさないであろうというほどのものである。(第2次世界大戦--アメリカが非常に軍縮をし、防衛力不足、そして真珠湾攻撃をされたそのとき--以来、最低のレベルである。)その一方で、ソビエトはその軍事費にGNPの40-50%を費やしている。

ブッシュとゴルバチョフは、合衆国とソビエトが核兵器工場を30%まで削減すると想定されているSTART条約に調印したばかりである。しかし、ソビエトは1962年の核実験禁止条約、1972年のABM条約、1987年のSALT I、SALT IIに関する条約、INF条約、1991年のヨーロッパにおける通常兵力条約で不正をして騙した。そして彼らは同じように新しいSTART条約でも不正をして騙すであろう。それは合衆国にとっては一方的な軍縮に等しい。なぜなら、われわれは条約を固守するであろうから。そしてソビエトはそうしないであろうということをわれわれは知っているからである。

一方で、合衆国軍縮折衝者リチャード・バート(Richard Burt)によれば、ソビエトは現在5つの新しい戦略核体系を開発し、配置している。STARTの下でソビエトは「うわべは」彼らの大型ミサイルを半分に削減するであろう--しかし軍事専門家たちは残されるものはより致命的なものであろうと報告している。なぜなら、SS-18はより大きな精密度と破壊力をもって近代化されてきたからであり、1基あたり10発よりもむしろ14発の弾頭を装着することができるからである。われわれはそのような強力な第一撃ミサイルを持っていない。

われわれはまた可動型ミサイルを持っていない。彼らはSTARTの下でそれらの数字を倍増させた。われわれがMXとミニットマンについて話し合った間に、クレムリンは軌道可動型SS-24と道路可動型SS-25を配備した。そしてSTARTの下で次世代[ミサイル]を開発することを許されるであろう。検証は実際上不可能であろう。砂漠の嵐作戦中に、われわれはサダムのスカッド[ミサイル]を発見することができなかった。それゆえ、イラクよりも20倍から30倍も大きなソビエト連邦の一地域にある戦略ミサイルをわれわれが発見できるとどうして考えられようか。

1991年6月7日に、合衆国下院議会は、ソビエトが1989年および1990年に長距離爆撃機において140対1でわれわれよりも過剰に生産したという事実にもかかわらず、注文中の14B-2ステルス爆撃機の完成後に合衆国の爆撃機の生産を終了することを可決した。合衆国[下院]議会はまた(ブッシュ政権の勧告で)--ピースキーパーICBMの最大限生産と配備を50基のミサイルに制限し、そして「信頼性テスト」のためのミサイルをたった12基に制限することを可決した。これらは、ソビエトが1989年および1990年にICBM生産において265対21でわれわれより過剰に建造したという事実にもかかわらず削減しているのである。

下院はまた(ブッシュ政権の勧告で)ソビエトが1989年および1990年に潜水艦において24対14でわれわれよりも過剰に建造した、そして現在1隻の新しい核潜水艦(1隻30億ドルの値段)を6週ごとに--1年で9隻になる--建造中であるという事実にもかかわらず、合衆国潜水艦生産を1年に1隻へ削減することを可決した。下院はまた(ブッシュ政権の勧告で)合衆国SLBM(Submarine launched ballistic missile= 潜水艦発射弾道ミサイル)の生産を劇的にわれわれの小型化した潜水艦艦隊に匹敵するところまで削減することを可決した。これは、ソビエトが1985年から1988年までのSLBM生産において375対107の割合で、そして1989年と1990年には165対103の割合でわれわれより過剰に建造したという事実にもかかわらず、のことでである。下院はまた(ブッシュ政権の勧告で)ソビエトが1989年および1990年に1300基のSRBM(short-range ballistic missile=短距離弾道ミサイル)を建造したという事実にもかかわらず、短距離弾道ミサイル生産ゼロを可決した。そしてソビエトのICBM、SLBM、SRBM、潜水艦および爆撃機の連続した非常に高い水準の生産にもかかわらず、下院議会は、--そのような諸々の戦略的兵器に対する保護のための--戦略的国防主導権(Strategic Defence Initiative=SDI)予算を40%引き下げることを可決した。ブッシュ政権は46億ドルを要求した--下院議会は27億ドルを可決した。

下院軍務委員会および下院認可委員会の両方(これらの「産み落として/閉じる」("builddown/shutdown")法案を送付した)において、これらの戦略的兵器体系の生産を終わるあるいは削減する有力な理論的根拠は:気にするな、冷戦は終わったんだ。われわれは勝った。平和が手許にある。われわれはゴルバチョフを信用する。われわれは社会的計画のため(すなわち票を買うため)の平和の配当金を必要とするのだ。不幸なことに、物欲しそうな考え方のこの同じ態度が上院、ホワイトハウス、国務省、体制側のメディア、そして一般大衆の多くにも拡がっている。

弁護士で防衛顧問のジム・ジラード・ジュニア(Jim Girard Jr.)は最近こう書いた:「冷戦が終わった、そしていわゆる平和の配当金は真実であると考えている多くの人々は、彼らが、少なくとも軍備競争の半分--ソビエトという半分--が今なお統制を失って荒れ狂っているということを見失うほどに絶望的である。」

これらの数字のうちに内在している危険を認めることを拒否する人々はジョージ・オーウェルが「恐るべきものを信じない意志」と呼んだものの生きた見本である。この場合における「恐るべき」事柄はもちろん、ソビエト大統領ミハイル・ゴルバチョフが心の内に悪しき目的をもって戦略兵器における巨大な増強を意図的にそして熟慮して追求しているという考えである。

いずれにもせよ、その厳しい数字はUSSRの貧困に打ちひしがれた人々が爪楊枝やトイレットペーパーの便宜も与えられることができない時期の間に、クレムリンはどういうわけか、いわゆる「戦略的三種の神器」--ミサイル、爆撃機そして潜水艦--のすべての部門において合衆国を巨大な差で追い越して多く生産し続けるほどにその欠乏した資源を再構築する(ペレストロイカ)諸々の方法をなお見出したのだ。

ゴルバチョフによるそのような断固とした戦略兵器増強に直面して、われわれとわれわれのNATOそして日本の同盟はUSSRに対する大規模な経済援助を求めるいかなる「大バーゲン」提案をもでたらめに非常識なものとして拒絶すべきである(すなわち、年毎に350億から500億ドルがゴルバチョフによって要求され、これを書いているときに、合衆国の高官たちのグループで真剣に考えられている。(続く)


ファチマ・クルーセイダー

2012年02月28日 | Weblog

帝国の再生:ソビエト連邦で実際起こっていること(続き)

The Fatima Crusader Issue 38, Fall 1991より

Donald S. McAlvany


The McAlvany Intelligence Advisor(MIA) Sept./Oct. 1991 issue

III.ソビエト帝国の再編成と再組織化

「もちろん、われわれはソビエト権力を変えようとしているのではない、ある
いはその基本的な原理を放棄しようとしているのではない。しかし、われわれ
は社会主義を強化するであろう諸々の変化の必要性を認めている」


M. ゴルバチョフ --ペレストロイカ

西側のメディアはここ1ヶ月の間、ソビエト帝国は崩壊しつつある、共産主義
と社会主義は放棄され、そしてついに死んだ、ソビエト連邦の共産党とKGBは
徐々に廃止され、解散させられ、そして「歴史のゴミ箱」にゆだねられた、と
いう見出しで満たされてきた。確かに「8人のギャング」の終焉、エリツィン
の権力への上昇、CPSUおよびKGBの公式的断罪、そしてソビエト諸共和国の多
くのものの独立は皆、「悪しき帝国」の終末を合図するように見えるであろ
う。しかし見かけは欺瞞的である得る。そしてマルクス・レーニン主義の弁証
法もまた欺瞞的であり得るのだ。

ソビエト帝国は西側報道機関や指導者たちがわれわれに告げ続けているように
は崩壊しつつあるのではない。それは再構築、再調整、再編成、合理化しつつ
あるのであり、無用な人材を追放しつつありそして次の5年から10年の間の
世界支配のためのその最終的な攻撃への準備の再武装をしつつあるのである。
ゴルバチョフが1989年に言ったように:「再構築(ペレストロイカ)を通じて
われわれは社会主義に第2の風を与えたい。このことを達成するために、ソビ
エト連邦の共産党はボルシェビキ革命の諸々の源泉と原理、新しい社会の建設
についてのレーニン主義の理想へと戻るのだ。」そして1987 年にはゴルバチ
ョフはこう言った」「1917年10月にわれわれは古い世界をきっぱりと拒絶して
それを手放した。われわれは一つの新しい世界、共産主義の世界へ向かって動
いている。われわれは決して横道には入らない。」

これは共産主義の死を統轄している一人の男のように響くであろうか?ゴルバ
チョフが崇拝しているレーニンは孫子を引用しながらこう言った:「われわれ
は後退を通じて前進する...われわれが弱いとき、われわれは強さを誇る。そ
してわれわれが強いとき、われわれは弱さのふりをするのだ。」あなたの敵を
混乱させるために2歩前進して1歩後退するという古い弁証法的レーニン主義
的教説は今日、彼の弟子であるゴルバチョフによって確かに適用されている。
それは信徒たちによって「科学的社会主義」と呼ばれている。そしてもちろ
ん、ゴルバチョフは自分は社会主義を放棄することを望むのでなく、それを更
新し、再構築し、強化することを望んでいると言った。ソビエト連邦における
現在のすべての変化は社会主義の枠内にあるということは記憶されるべきであ
る。
A.ソビエト共産党とKGBを廃止すること

ソビエトの人間たちはCPSUあるいはKGBを廃止しているのではない。彼らはそ
れらを改名しているのであり、それらを再編成しているのであり、それらから
役立たずの人材を追放しているのであり、彼らの使命を拡大しているのであ
る。

1.KGBは1917 年以来6つの名前を持って来た。1)CHEKA、2)OGPU、3)
GPU、4)NKVD、5)MVD、そして6)KGB。これらの名称変更のすべては追放
(そこでは頂点にいる数千人の長たちが除名された)に、再構築あるいは再編
成に、秘密警察の役割の拡大に、そして秘密警察は廃止されたという公的な宣
言に伴うものであった。1950年代に、NKVDの残忍で悪名高い長であったベリア
は追放され、そして処刑された。ウラディーミル・クリュチコフ(最近の偽の
クーデタと反クーデタまでKGBの長)は同じように解任され、そしておそらく
クーデタ/反クーデタをより本物らしく見せるために銃殺刑に処せられるであ
ろう。

KGBは世界中におよそ150万人の職員を持っており、隠退した約5万人が合
衆国にいる。KGB軍事部隊は今やソビエト軍司令官の下に移されるであろう。
(新しいKGBはソビエト軍隊の命令下に入るであろう。)そして数万人の無能
なKGB官僚たちは解雇されるであろう(あるいはもっと悪いことが)。これは
KGBを破壊するためではなくて、それをもっと強いもの、もっと能率のよいも
の、痩せたそして卑劣なもの、等々にするためになされるのである。それは肥
満した、馬鹿な、怠けたそして太鼓腹であると見られてきた。ちょうどルーマ
ニア秘密警察、セクリターテ(チャウセスクの下で5万人の強力なものであっ
た)が申し立てによれば非共産主義的であるルーマニア--しかし今なお共産主
義者たちによって支配されている--において働き続けているのと同じように、
KGBはUSSR--それは申し立てによれば非共産主義的であろうが--しかし今なお
共産主義者たちによって支配されている--において機能し続けている。

2.ソビエト連邦の共産党の再構築と改名--CPSUは2千万人の党員を持ってい
る。そして別の4千万人の党員がレーニン青年組織コムソモールに属してい
る。(コムソモールは赤軍、KGB,海軍、空軍そして青年工場労働者の大多数か
らのメンバーをもつ若い成人組織である。)CPSUは頭でっかちになり、重荷と
なる官僚的な人物によって能率の悪いものとなった。それはその能率を増大す
るために今や再編成され、再構築され、規模を縮小され(あるいは追放さ
れ)、そして改名されるべき時である。それは、ゴルバチョフ、ブッシュ、そ
してソビエトおよび西側報道機関がわれわれに告げ続けているように廃止され
ようとしているのではない。

ソビエト連邦の共産党が名称において多くの変態(metamorphoses)を経験し
てきたということは覚えておくべきことである:その発端では、それはロシア
社会民主労働者党と呼ばれた。1912年に党内の確執に続いてそれはボルシェヴ
ィキとメンシェヴィキ(「大きい方」と「小さい方」)に分裂する。大きい方
が小さい方を食った。名称はそこで1918年にボルシェヴィキのロシア社会民主
労働者党となった。1925年に名称はふたたび全ソビエト共産党(ボルシェヴィ
キ)へと変えられた。1952年にそれはソビエト連邦共産党(the Communist
Party of the Soviet Union=CPSU)となり、現在まで続いた。それは今やふた
たび改名されようとしている(おそらく社会民主党へ)。)

これらの名称変更の各々にはいつも主要なファンファーレ「共産主義者たちは
完全に変わったという絶対的証拠」、そしてすべての政治的、経済的、そして
抑圧的な諸悪が先行の党によって犯されてきた--しかし新しい党は慈悲深く、
民主的で、自由愛好的、等々であろうという宣言を伴っていた。実際には、古
い諸悪のすべては新しい改訂された党の下で続いた--何一つ変わらなかった!
現在の名称変更はソビエト連邦共産党の諸々の原理と目標のどれをも変更しな
いであろう。

レーニンとスターリンの下での主たる共産党名称変更の各々には、組織を簡素
化し、それを恐るべき規律の下にもたらすための大量追放(「党の若返らせ」
と呼ばれた)を伴っていた。数百万のロシア共産党員たちがこれらの追放にお
いて壁[銃殺のことか?=訳者]あるいはグーラーグ[強制収容所]へ行った。今
日のCPSUは肥満で、馬鹿で、怠慢で、不注意で、無関心でそして消極的なもの
となった。そして第二次世界大戦の間よりも10倍も大きくなった。それはそ
の目標を見失った。それは希釈されたものとなった。そしておそらく百万ほど
の党員たちによって刈り込まれるであろう。これは党の廃止ではない--それは
党の再編成、再構築そして強化である。

共産党員たちはアメリカ人は騙され易いと信じている

共産党員たちはアメリカ人そしてほとんどの西側の人々が浅薄で、表面的で、
騙され易い、そしてメディアによって産み出された諸々の幻想によって容易に
魅惑されると信じている。それゆえ、もし彼らが彼らの諸々の戦線あるいは党
の一つの名前を変えるならば、そして古い組織は死んだと宣言するならば、た
いていの西側の人々はそれを信じるであろう。数十年にわたって彼らはこのや
り方で彼らの共産主義戦線組織の名称を規定通りに変えてきた。彼らはイタリ
ア共産党を改名したばかりである。今はそれを民主党と呼んでいる。ポーラン
ドでは彼らは共産党(それはポーランド連合労働者党と呼ばれていた)を社会
民主党と改名した。ルーマニアでは彼らは新しい党を新救国戦線と呼びなが
ら、古いルーマニア共産党を改名した。これらの事例の(あるいは他の事例
の)どれ一つにおいても彼らはその共産党を廃止したのではない。彼らは単純
に党を改名し、再編成し、再構築したのだ。それなのに、騙され易い、素朴な
西側の人々はジェスチャーゲームを信じたのだ。「バラは、他のいかなる名前
によっても、やはりバラである」と言われてきた。CPSUを社会民主党(あるい
は何かそのような名前)と呼ぶことはそれが一つの新しい名前と何らかの新し
い顔をもつ同じ古いCPSUであるとう事実を変えないであろう。

今日、ソビエト連邦共産党は選挙で選ばれた代議員たち、政治局、そして中央
委員会を通じて作動している。CPSUの中央委員会(300人から450人の委員から
構成されている)はUSSRにおいて真の権力を行使している。そしておよそ100
人の委員の内密のサークルが実際に采配を振るっている。これらの中央委員会
委員たちは軍隊とKGBならびにゴルバチョフ、エリツィン、シュワルナゼそし
てさまざまの内閣諸大臣のような「可視的な」政治家たちを支配している。ゴ
ルバチョフは単に一人の俳優、被雇用者であって、彼は彼ら(そしてKGB)が
グラスノスチ/ペレストロイカ#6のための脚本を書いた1980年代初頭以来中
央委員会によって施行されている政策を実行しているのである。

ふたたび見栄えよくされ、改名された共産党は1986年および1990年における
CPSU第25および第26党大会で十分に論議された。ゴルバチョフは「新しい
党」を「社会主義的選択と共産主義的展望の党...偏狭な愛国主義、国家主
義、人種主義、そして反動的イデオロギーそして反啓蒙主義のいかなる出現に
も我慢できない...全人類に共通の人道主義的諸理想を支持する党...諸連邦共
和国の共産党の独立を承認する党...さまざまの国の共産党員、社会民主党員
そして社会党員との接触、共同行動に開かれた党」として記述した。

CPSUの指導部によって考えられた「新しい党」のプロフィールを読めば、「古
い党」と「新しい党」との間の唯一の相違が新しい党のプロフィールの、世界
中のすべての革命的運動の幅広い受容にあるということは明らかである。

「共産主義」の代わりに用いられるべき「社会主義」

「概念、主要観念はペレストロイカを通じてわれわれが社会主義に対して一つ
の新しい借地契約を与えたいと望み社会主義の組織の可能性を明らかにしたい
と望んでいるとう事実に存する。」ミハイル・ゴルバチョフ、1989年10月

「今日われわれはペレストロイカ、それに第二の息を与え、組織の中にあるす
べてのよいものを明らかにする社会主義の救済を持っている。」ミハイル・ゴ
ルバチョフ、1989年12月

「社会主義」という言葉は「共産主義」の代わりに用いられるであろう。そし
て後者は共産主義者の語彙からほとんど完全に追放されるであろう。レーニン
からゴルバチョフまで共産主義者たちは二つの言葉を交互に用いてきた。共産
党宣言においてカール・マルクスによって定義されたように、社会主義は
USSR、中国、キューバ、等々の人民に対して課せられてきたものである。共産
主義の最終的なユートピア的目標への踏み石として、社会主義は私有財産の廃
止、人民に対するドラコン的な政治的、財政的な規制および支配、巨大な官僚
主義、累進的な所得税、遺産相続の終結、独占的中央銀行、教育の中央統制、
そして家族、子ども、宗教の国家統制、等々を含んでいる。(それは少しばか
り1991年におけるアメリカを思わせる、そうではないか?)

新世界秩序

ジョージ・ブッシュ、ヘルムート・コール(Hermut Kohl)、ジョン・メジャ
ー(John Major)、たいていの西側指導者たち、ミハイル・ゴルバチョフ、ボ
リス・エリツィン、そしてエドゥアルト・シュワルナゼは皆何を共通に持って
いるか?彼らは皆社会主義者、世俗的人道主義者そして世界主義者--ブッシュ
とゴルバチョフによって「新世界秩序」と呼ばれた--共通の社会主義的世界政
府のために働く--たちである。

数年前に歴史の「収斂説」が現れた。それはアメリカと西側が政治的左翼へ、
ソビエトが政治的右翼へ動くであろう、そしてわれわれは皆社会主義者あるい
は社会民主主義者として中間で出会いそして融合するであろう、と主張した。
歴史の「収斂説」は正しいものであるように見える。社会主義的ロシア、社会
主義的東ヨーロッパそして社会主義的西ヨーロッパは皆、次の5年かそこら
で、一つの巨大な中央集権制連合国家へと融合する方向へ動いている。西ヨー
ロッパの大規模なソビエトによる転覆と併呑がその後に続くであろう

C.上から下までのUSSRの再編成

中央委員会、政治局、KGBそしてソビエト科学アカデミーにおける指導者たち
は10年前にUSSRの莫大な自然的および人的資源にもかかわらず、国がそれら
の資源を最も「野蛮な仕方で」用いていると断定し始めた。彼らは過去10年
間、ソビエト産業が西側にひどく遅れを取っている、特に資源とエネルギーな
らびに人的資源の浪費を統制することにおいて遅れていると結論した。ソビエ
ト産業は西欧諸国が使うよりも、生産単位当たり2倍から2倍半の物的資源、
そして1倍から1倍半のエネルギーを使っている。

ゴルバチョフとソビエト指導者たちはそれゆえに上から下までの、しかし社会
主義の枠内でのソビエト社会の再編成を求めた。「新しい経済政策」は「自由
市場」と呼ばれ、西側から用語を多く借用している。しかし、ゴルバチョフと
ソビエト指導部にとって「自由市場」は国有財産および集団的に所有された財
産、今なお国家が運営し、国家が統制する諸事業を意味し、事業利益あるいは
投資利益は今なお非合法である、等々。ソビエトの人間たちにとって、「自由
市場」は単に彼らがわれわれと貿易をするであろうということを意味するにす
ぎない。それなのに、西側の人々は、ソビエトの人間たちがその用語を使うと
き、USSRが資本主義への変わり目にあるのだと考える。

言葉/概念操作のもう一つの例は「解放神学」である。ソビエトの人間たちは
およそ15年前に「解放神学」の陰謀を企んだ。それはキリスト教的/聖書的
な用語、教説、等々のうちにくるまれたマルクス・レーニン主義的教説の悪魔
的、誘惑的な用法である。解放神学は中央およびラテン・アメリカ、南アフリ
カ、そしてフィリピンにおける共産主義者たちにとって猛烈な成功であった。
今や彼らはマルクス主義的および社会主義的諸概念を受け入れ、それらを--騙
され易い西側の政治および経済指導者たちを誘惑するために--自由市場用語、
概念、等々のうちにくるんでいる。

ゴルバチョフが景気停滞、産業の電子化、市場経済への国の開放、社会の民主
化等々について語るとき、彼は労働者たちの代わりにソビエト連邦を今運営し
ている堕落した、給料貰いすぎの、能率の悪い官僚たちを取り除くことを本当
に話している。太鼓腹の官僚は今にも切り離されようとしている。「なぜな
ら、それはその革命的な熱情を失ったからである。」

ゴルバチョフが第25回CPSU党大会で言ったように、「われわれが今日見てい
ることはソビエト連邦を動かしている労働者階級ではなくて、官僚制度--柔ら
かいそして利益のあがる地位を占領することに満足しているが、しかし革命的
諸運動、他の世界の政治的堀り崩し、あるいは共産主義の軍事的拡張にほとん
ど関心を示さない--である。これは明らかに停滞である。」

D.新しいソビエトのアプローチ:ビロードの手袋対装甲された拳

1917年以来、共産主義者たちは国家主義と民族主義者--共産主義者たちによっ
て求められた国際的秩序に反対する者として強い国家的諸実在のために戦う--
を憎んできた。社会主義的/共産主義的イデオロギーに従えば、国家主義は社
会主義そして結局は共産主義の発展を妨げ、そして反国際主義的である。1960
年代から1980年代までバルト3国、白ロシアそしてウクライナにおける民族主
義者たちは共産主義者たちによる絶えざる攻撃の下にあった。しかし、グラス
ノスチ/ペレストロイカと共に、状況は見たところでは変化した。国旗や他の
もののような民族的象徴物が突然許容された。文字通り一夜にして、人々は、
あたかも彼らが民族的な生き残りのための戦いに勝利したかのように、共産主
義者たちの面前で行列しながら古い民族的紋章に戻った。バルト諸国および他
の諸共和国における民族主義者たちは身分を明かし、彼らが誰であるかについ
て疑いを残さなかった。この潜在的な敵を表面に浮かび上がらせることがおそ
らくCPSUの主たる目標であった。過去数年間にわたってソビエトの人間たちは
民族主義的反対が現れることを許してきた。そして次に向きを変えて、それに
潜入し、融資した。そしてその多くに協力(あるいはそれを接収)した。

ソビエトの人間たちは彼ら自身の反対を創り出すことにおいてもあるいは接収
することにおいてもいずれもその主人公である

ソビエトの人間たちは彼ら自身の反対を創り出すことにおいてもあるいは接収
することにおいてもいずれもその主人公である。彼らはこのことをポーランド
において連帯と共に、ルーマニアにおいて新救国戦線と共に、そしてUSSRにお
いてシュワルナゼとエリツィンと共に行った。彼らの反対を破壊するよりも遙
かに有利なのは、彼らがそれを彼ら自身の諸目的のために使うことができるよ
うに、それを創り出すこと、あるいはそれに新委員を推挙することである。

われわれは「強硬派」対「改革派」、あるいは「保守派」対「リベラル派」に
ついて多く聞く。ブッシュのような西側指導者たち、そして西側のメディアは
「強硬派」(あるいは「保守派」)を悔い改めない「共産主義の鷹派」(すな
わち、「8人のギャング」のような)として、そして「改革派」(あるいは
「リベラル派」)を自由、民主主義、自由市場の愛好者(ゴルバチョフ、シュ
ワルナゼそしてエリツィンのような)として描写する。

実際は、両方のグループは、ソビエトの世界支配あるいは征服を堅く決意して
いる筋金入りのマルクス・レーニン主義的共産主義者である。彼らはただ単に
われわれの滅亡のための最も有利な手段に関してだけ意見が違うにすぎない。
「強硬派」は装甲した拳でわれわれを死ぬまでぶちのめすであろうし、「改革
派」はビロードの手袋でわれわれを絞め殺すであろう。結果--われわれの滅亡
--は同じである。いわゆる「保守派」と「リベラル派」の間の喧嘩は方法論を
巡るものであって、--結果あるいは最終的な成果に関することではない。改革
派はあなたが酢でよりも蜂蜜でやった方がもっと多くのハエを捕まえることが
できると考えているのである。

ゴルバチョフは広く、改革者、リベラル派の一人、民主主義の愛好者だと見ら
れ、描写されている。にもかかわらず、1989年12月に彼はこう言った:「私は
共産主義者、確信を持った共産主義者である。ある人にとってはそのことは一
つの幻想であろう。しかし、私にとって、それは私の主たる目標である。」
1987年11月にゴルバチョフは言った:「われわれの仕事と気苦労において、わ
れわれは社会主義の新しいそして幸せな世界のために戦うために70年前にロ
シアの労働者たちを動員したあのレーニン主義の諸々の理想と高貴な努力や目
標によって動機づけられているのである。ペレストロイカは10月革命の継続
である。」

西側に民主主義と平和の愛好者として描写されているその同じゴルバチョフは
1987年11月にこう言った:「われわれは一つの新しい世界、共産主義の世界へ
向かって動いている。われわれはその道を決して外れないであろう。」そして
1990年6月に、「改革派」であるゴルバチョフは言った:「私は、いつもそう
であったように、今も確信を持った共産主義者である。社会思想および全体と
しての現代文明に対するマルクス、エンゲルスそしてレーニンの巨大なそして
独自の貢献を否定することは無益である。」

ゴルバチョフ、シュワルナゼ、エリツィンそしてCPSUの改革派はひたむきな共
産主義者たちである。彼らはアメリカの、そして他の西側の「帝国主義者た
ち」を憎んでいる。そして彼らは今なお世界の共産主義的征服の不可避性を信
じている。しかし彼らは異なった戦略が現在のところ成功のために必要である
と考えている。彼らは対決、分割して征服せよ、敵を作ること、等々の古い
「強硬派の」戦略を放棄し、代わりに、協力、西側を抱き込むこと、西側を社
会主義的世界に友好的にすることという戦略を採用することを望んでいる。そ
して最終的には彼らは(二枚舌、欺瞞、潜入、転覆、そして操作を通じて)西
側を「吸収する」ことを望んでいる。(西ヨーロッパは吸収されるべき最初の
ものであろう。)

「改革派」は彼らの「新しい考え方」を、最終的に世界政治を支配するために
世界の思考過程へと組み入れたいと望んでいる。彼らは世界経済がソビエト連
邦の経済と統合されることを望んでいる。彼らは、エイズウィルスが身体を襲
う--徐々に、微妙に、内密に(免疫系を破壊することによって)--仕方で世界
を襲う。

西側にとってゴルバチョフ、シュワルナゼ、そしてエリツィン(「改革派」)
が「8人のギャング」と同じようにわれわれの生き残りにとって危険な敵であ
るということを理解することは重要である。事実、これらの改革派はもっと危
険である。なぜなら、彼らは西側をしてその脅威の知覚を低める--その警戒感
を低める--ようにさせる原因となったからである。(あなたが見ることがで
き、それに対して防御することができる敵の方が--ブルータスが彼を刺殺する
前にジュリアス・シーザーに対してしたように)--友としてあなたのところに
やって来る敵よりもよい。)「改革者派」はあなたが聞きたいと望んでいるこ
とをわれわれに告げる--彼らは民主主義、自由選挙、自由市場、多党制、自
由、独立、等々について話すであろう--これらの言葉に彼ら自身のマルクス・
レーニン主義的ひねりあるいは意味を与えているのに--もしあなたがビロード
の手袋をした手で首を絞められるならば(装甲された拳で打ち殺される代わり
に)あなたは静かに死んでいるのだ!

新しいソビエトの連邦制度

われわれはソビエト社会主義共和国連邦(the Union of Soviet Socialist
Republics=USSR)は崩壊していると告げられている。それは実際は真実ではな
い。それは、the Union of Soviet Sovereign Republics(ソビエト君主共和
国連邦)と呼ばれるべき一つの新しい連邦制度の利益となるようにソビエト指
導部によって自発的に解散させられているのである。USSR(帝国)のこの再構
築(それがソビエトの偽情報と西側のメディアによって描かれているような崩
壊ではなく)ゴルバチョフが権力の座に着く前から(実際は1970年代後半の時
期まで遡る)計画に上がっていた。

その当時のソビエト連邦の指導者たちはソビエト帝国の現在の形は古くさく、
効率が悪く、さらなる世界的拡張にとって非生産的である--USSRに隣接してい
ない世界の僻遠の地域(すなわち、アフリカ、ニカラグア)において以外には
--であるということを理解し始めた。ある意味において、1950年代における西
側の「封じ込め」政策とNATOの出現は東ヨーロッパおよびソビエト諸共和国を
超えるUSSRのヨーロッパへの拡張を制限することにおいてかなりの成功であっ
た。ちょうど古いアメリカ南部における奴隷制が合衆国の市民戦争の前に無駄
な、生産的でない、そして不経済なものとなったのと同じように、ソビエト帝
国は10年前からその帝国の構造において重大な改革を必要とすると見られて
いた。

レーニンの忠告を思い起こしなさい。「われわれは後退によって前進する。」
ソビエト帝国の「見かけの」終焉はNATOの解体を加速するであろう。西ヨーロ
ッパとアメリカの軍事構造は新しい「平和の時代、共産主義の死、冷戦の終結
そして悪しき帝国の崩壊」において分断されるであろう。そして彼らの西の側
面の中立化というUSSRの長期の目標--西ヨーロッパの吸収(政治的、経済的そ
して軍事的に)への準備--は達成されたことになるであろう。

新しい連邦制度が古い連邦(union)に取って代わるときに、新しいものが、民
主主義的に方向づけられた、多党制の政治組織と自由市場経済を伴った主権独
立諸国家から構成されていると思われることは不可欠のことである。そのこと
は知覚(今日ポーランド、ルーマニア、ニカラグア、等々においてそうである
ように)であろう。しかしそれは現実ではないであろう。特別な効果を狙った
言語表現=rhetoricは「自由市場」と「民主的」(それが今日のソビエト連邦
においてそうであるように)であろう。しかし現実はソビエト軍隊とKGB(そ
の新しい名前にかかわらず)が、いわゆる「主権独立諸国家」の潜入と転覆を
伴った一連の条約を通じて、そしてそれらの国々に対する経済的圧力を通じ
て、それらの共和国の支配を維持しつづけるであろうということである。

評判の高いソビエト学研究者、パリ、ソルボンヌ大学の教授のフランソワーズ
・トム(Francoise Thom)教授が最近言ったように、「われわれはモスクワの
新しい帝国政策の背後にある大きな計画を見損なっている。この失敗はソビエ
トのヨーロッパ政策の誤解へと導く。なぜなら、ペレストロイカ開始以来モス
クワのヨーロッパ政策はモスクワの大きな帝国計画の継続となったからであ
る。」

「われわれにとってこの戦略を理解することは不可欠である。モスクワにとっ
て、帝国の維持はますます国際的共同体の支配に依存している。ヨーロッパに
対するクレムリンの影響力、あるいはヘゲモニーさえが、完全に確立されると
き、バルト諸国の独立への要求は無関係と思われるであろう。」

トム教授はUSSRにおける政治的エリートが10年も前から最高権力を持つ帝国
(imperial empire)を再構築し、再編成する必要を見ていた、しかしソビエ
ト権力機構の不活発さが今までその作業を遅らせたと指摘している。これは改
革派(リベラル派)と強硬派(保守派)との間の真の闘争を説明している。前
者は変化の必要性に関してより啓発されている。彼らは単に共産党とソビエト
体制を、それを救いそして強化するために、追放し、再編成し、再構築するよ
う努力しているだけでなく、また帝国全体をもそうしようとしている。このこ
とはまた西ヨーロッパを新しい「民主的な」ソビエト連邦との統合と合併へと
誘惑するためにも不可欠である。

遠回りの欺瞞戦略

ソビエトの現在の信じられないほどの遠回しの欺瞞戦略をもっとよく理解する
ために、筆者は読者がビデオ・ショップに行ってスティングのフィルムを借り
ることを勧める。凝った、込み入ったペテンあるいは騙しがいつもずっと出て
来る。最も正直な人々は簡単に彼らを理解しない。そして人々が彼らを一緒に
するほどに十分に欺瞞的である、あるいは抜け目がないとは信じることができ
ない。しかし、覚えておきなさい、ソビエトの人間たちは世界チェスチャンピ
オンたちであり、そして彼らは常に嘘をつく(そうすることが彼らに有利とな
るときには)とうことを。後者[嘘をつくこと]は彼らのマルクス・レーニン主
義的教説の一部である。

トム教授が続けたように:「ソビエト帝国における現在の激動は現在のソビエ
ト指導部を加速された全ヨーロッパ統合を求めることへと導いた。」[編集者
注:すなわち、1985年に権力の座について以来CPSU党大会においてゴルバチョ
フが語ってきた「共通のヨーロッパの家]。これはただ西ヨーロッパと東ヨー
ロッパの両政治体制の根本的な変化と共にのみ可能である。全ヨーロッパの統
合はただ東と西の政治的構造の均質化が起こった場合のみ考え得るものであ
る。」われわれが見ているものは最初に一つのヨーロッパの状況における「収
斂あるいは合併理論」であり、次に世界的に--合衆国を含む--。トム教授が言
及している西ヨーロッパ政治体制における根本的変化は西ヨーロッパの合衆国
--それによってヨーロッパ諸国が彼らの主権をヨーロッパ超国家に与えるブリ
ュッセルにおけるヨーロッパ社会主義者たちの下での1992年のヨーロッパの政
治的合併--である。「東ヨーロッパ政治体制における根本的な変化」は--この
論考において分析された--CPSU、KGB、帝国それ自体の上から下までのUSSRの
再構築/再編成である。

トムは続けてこう言った:「ヨーロッパにおける政治的諸過程に対するヘゲモ
ニーを達成するために、ソビエト帝国の一つの新しい、見かけの上では民主的
な正当化(選挙で選ばれた議会による新しい連邦条約の批准)が達成されなけ
ればならないであろう。ソビエト帝国のこの「民主的な正当化」なしには「ヨ
ーロッパの家」の建設は考えられない。」
新しいソビエト連邦(帝国)の形と実体

もし第26、第27、そして第25回ソビエト連邦共産党大会(1981年、1986
年および1990年における)ゴルバチョフ、エリツィンそして他のクレムリン指
導者たちの議事録および演説を研究するならば、彼らが1981年以来新しい連邦
のための計画立案について話していたとうことが分かるであろう。

[編集者注:ユーラシア研究グループ(2460 South University Blvd.,
Denver, CO 80210)はこれらの演説および議事録、ならびに一連の
Pantaloguesにおいて過去数年間にわたる書物、出版物および他の資料を翻訳
し分析し出版した。それらはUSSRにおける現在の展開に関してさらなる研究を
したいと望んでいる自由世界中の研究グループに利用可能である。購読料は1
2号について年間100ドル。筆者はこれはすぐれた情報--ソビエト出版社か
ら直接出された--であると思う。]
新しい連邦の諸要素--存在している諸共和国にとって

新しい連邦あるいは連合は現在の15のソビエト共和国に関して次の諸要素を
含んでいる:

1)われわれが知っているものとしてのソビエト連合は解消されるであろう。
そして一つの新しい連合あるいは連邦が設立されるであろう--ソビエト主権諸
共和国の連合(the Union of Soviet Sovereign Republics)と呼ばれるべき
--

2)新しい連合の下で、各共和国は文化的および経済的レベルでより大きな独
立性を持つであろう、政治的レベルにおいては独立した多党制民主主義である
と「見える」であろう、そして軍事的レベルではまだなおソビエト連合の軍事
的影響力あるいは支配権の下にあるであろう。(「主権」諸共和国はそれらが
実際そうであるよりはより自由でより独立したものと「見える」であろう。)

3)巨大なロシア共和国(今エリツィンの下にある)は新しい機構においてよ
り大きな権力を持つであろう。そして第2次世界大戦中のドイツにより似たも
のと見えるであろう。ロシア共和国は新しいソビエト連邦(Federation)を支
配するであろう。(新しいソビエト連邦の初期の段階においてはロシア共和国
は他の諸共和国と同等なものとして描写されるであろう。このことは西側と諸
共和国を騙すためのジェスチャーゲームの一部であろう。)

4)15の共和国の各々は国連において1票を持つであろう(国連の始まり以
来ただUSSR、ウクライナおよび白ロシアだけが投票権を持っていたのに対し
て)。もしこれらの共和国のいくつか、あるいは大部分がUSSRに対する彼らの
忠誠を保持するならば、それは潜在的に国連においてアメリカに反対する12
以上の票であろう。

5)諸共和国は独立国家、主権国家と見えるようにされるであろう、より自由
な市場経済、多党制度、そして経済的自由について話をし、そして実際にそれ
らの方へ動くであろう。しかし隠れた共産主義者たちによって、そして実際に
はソビエト連邦共産党、KGB、そしてソビエト軍(それらの新しい名称がどん
なものになろうとも)によって支配され続けるであろう。

6)USSRとこれらの共和国の多くの間の条約(彼らを戻してソビエトへと縛り
つける)がこれを書いている時点で調印される。レーニンは言った。「条約は
強さを獲得するための一つの手段である。」(すなわち、ウクライナ共産党指
導部はつい最近独立を宣言した。そして次に向きを変え、そしてロシアとの軍
事的、経済的協力条約に調印した。彼らは新しい連邦へとまっすぐに戻って来
たのである。問い:「主権」が実際には「主権」ではないのはいつか?答え:
それが偽物であるとき。)

あるドイツの出版物反ボルシェヴィキ・ネットワークが実際は共産主義者たち
を支持している詐欺師たちのグループであるとしてウクライナ議会「改革派」
を攻撃するものとしてパット・ブキャナン(Pat Buchanan)によって引用され
た。この状況は同様に他の諸共和国の大部分ではないとしても多くの共和国に
おいて見出されるであろう。

7)「独立諸共和国」の大部分は経済的両手両足切断者である。彼らは西側か
ら同情と自由市場のレトリックを得るであろうが、しかし経済援助あるいは貿
易の仕方では非常にわずかしか得ないであろう。(不幸なことに、彼らは信用
貸しをするに値しない、彼らの手形を支払うことができない、そして実際自由
企業を理解していない。)それゆえ、彼らは事実上ロシア共和国とUSSRに経済
的に依存し続けるであろう。彼らはUSSRから彼らの諸産業のための原料を得、
彼らの完成した産物をUSSRに売り戻すであろう。

[編集者注:この状況は南アフリカにおいて一つの最近の歴史的な対応物を持
っている。南アフリカでは4つの部族保留地が10年ほど前に独立国となっ
た。しかし経済的には南アフリカ(彼らのかつての母国であり、保留地に比較
して一つの経済大国)に依存したままである。これらの国々は軍隊を持つこと
を許された(小さく、弱く、貧弱な装備の防衛軍であろうとも)、しかしこれ
らの軍隊は小さくて、相対的に巨大な南アフリカ防衛軍によって容易に支配さ
れ得るであろう。これらの国々はおそらく予見し得る未来に再び新しい南アフ
リカの中へ統合されるであろう--それはおそらく次の年あるいは2年後には共
産主義的なANCの支配下に落ちると思われる。]

8)「主権、独立」諸共和国は軍隊を持つことを許されるであろう。しかしこ
れらはガルガンチュア的ロシア軍事力に比較して--地方民兵あるいはアメリカ
のさまざまの州における州兵により似た働きをしながら--非常に小さなもので
あるだろう。

9)主権諸共和国においては「多党制民主主義」について多く話されるであろ
う。しかしこれらの党の大部分はマルクス・レーニン主義的(顕在的にか、あ
るいは隠された仕方でかのいずれかで)であり、そして/あるいは(今日の東
ヨーロッパの多くの国においてそうであるように)KGBによって支配され、操
作されるであろう。

10)主権諸共和国はより自由であろう。しかしなおソビエト監獄の壁の内部
にいるであろう。ソビエトの人間たちにとって、「主権」という言葉は実際に
記号論の問題である。それは彼らにとっては、それがわれわれに意味するもの
を意味しないのである。彼らにとってそれは完全な独立を意味しない--ただ部
分的な独立を意味するだけである。

バルト諸国と他の新しく独立したいくつかの共和国は新しい連邦あるいは連合
にしばらくの間(あるいはおそらくずっと)参加しないことを選ぶかもしれな
い。しかし参加しない国々は参加するようにという信じられないほどの明示的
そして暗黙の圧力の下に置かれるであろう、そして結局は諸共和国の大部分は
おそらく参加するであろう。諸共和国内部での共産主義の潜入と転覆はまた経
済的圧力と同様に、ここで一つの役割を果たすであろう。

拡張されたソビエト連邦の諸要素--古い国境を越えて--

USSRの現在存在する国境を越える、新しいソビエト連邦のための拡張の、クレ
ムリン指導者たちの計画はより大きな重要性を持つものである。

1)新しいはソビエト連邦は一連の経済的および軍事的条約を通じて東ヨーロ
ッパを連邦の中へと併呑するよう構想されている。かつての東ヨーロッパ衛星
諸国におけるソビエトの影響力は今なお非常に強い。例えば、ルーマニア--人
口2400万人の国--を考えてみよう。大雑把に言って、400万人が共産党
員である。800万人はコムソモールのメンバーである。800万人は子ども
たちである(そして政治的には数に入らない)。そのことは総計2400万人
のうち400万人の非共産党員の成人が残るということである。大統領(イリ
エスク)は共産党員である。支配的政党(新救国戦線)は共産党である。秘密
警察(49,000人の職員)は共産党員である。今日ルーマニアを支配して
いるのは誰か?

2)新しいソビエト連邦はゆくゆくは、東ヨーロッパ、USSR、アフガニスタ
ン、カンボジア(カンプチア)、ヴェトナム、ラオス、モンゴル、連合した韓
国、そして中華人民共和国を包含するよう構想されている。言葉を換えて言え
ば、ソビエト戦略家たちの壮大な計画は、現在の古ぼけた、沈滞した帝国と時
代遅れの、役立たずのワルシャワ条約を放棄することによって15億の人口を
包含する一つのより大きな自発的マルクス・レーニン主義者の支配する連邦を
まとめ上げることである。(レーニンが「われわれは後退によって前進する」
と言ったことを思い起こしなさい。)

3)(インド洋海岸地域における)国々の第2のグループは少し後で新しいソ
ビエト連邦の中へ連れ込まれるであろう。これらの国々は:イラク、イラン、
シリア、レバノン、インド、スリランカ、フィリピンそしてインドネシアを含
む。(最後の3つの国は共産主義者の反乱がまだ始まっていないが、しかし彼
らによって目標を定められている。)

4)新しい連邦の最も重要な部分は連邦に加わる他の社会主義諸国を獲得する
ことである。目標は共産主義(あるいはマルクス・レーニン主義あるいはもし
「共産主義」という言葉が廃止されるならば、社会民主主義)の下での「自発
的な」メンバーシップである。最終的に新しい連邦の煉瓦をばらばらにならな
いようくっつけるモルタルは経済学と社会主義イデオロギーである。しかしソ
ビエト軍事力もまた「統一の擁護者」と同様に一つの主要な役割を演じるであ
ろう。

ソビエトの人間たちは決して予定表を設定しない。しかしそこで世界の諸々の
出来事が今起こっているその速度と共に、新しい連邦の内的再構築の多くが1
年から3年以内に一つの既成事実となるであろう。新しい連邦の外的拡張は5
年から10年以内にうまく進展させられるであろう。(続く)


ファチマ・クルーセイダー

2012年02月27日 | Weblog

 帝国の再生:ソビエト連邦で実際起こっていること(続き)

The Fatima Crusader Issue 38, Fall 1991より

Donald S. McAlvany


The McAlvany Intelligence Advisor(MIA) Sept./Oct. 1991 issue

C.ゴルバチョフ-シュワルナゼ-エリツィン-同じ赤い壺の中の三つの豆

ロシア人たちは彼ら自身の反対を西側に創り出し、支配しそして売り込むことにおいて達人である。たいていの人間的努力に対する反対は早晩起こるであろうが、しかしもしあなたがそれを所有しているならば、それは決してあなたの事業にとって真の脅威にはならないであろう。--そしてそれは正当な反対を抑えることはできないであろう。ソビエト帝国においては本当に何事も偶然に、たまたま、あるいは運命の巡り合わせでは起こらない。USSRにおいては最も重要な諸々の出来事の背後にはよく決定された計画と目的がある。現在のソビエトの諸々の展開は、もしソビエト連邦が一つの巨大な劇場として見られるならば、そして現在の激動が劇における場あるいは幕として見られるならば遙かにもっと容易に理解される。第一流の俳優たちは以下に論じられる。

ミハイル・ゴルバチョフ1985年にたまたま舞台に登場したのではない。彼は彼の助言者、新聞記事の見出しに出るようなKGBの長、ユーリ・アンドロポフによって1970年代からその地位につけるように準備されていた。KGBの秘密諜報部員として、またアンドロポフの被後見人として、この筋金入りのマルクス・レーニン主義者はクレムリンの指揮によって1983年と1984年における相対的に無名な人間から世界の舞台へと躍り出た。そしてソビエトのプロパガンダ/偽情報専門家たちによって偉大な民主主義者、自由の愛好家、改革者、そして小さき人々の友としての肖像画を描かれた。(アンドロポフは同じように、それより数年前に、ソビエトの宣伝者たちによって「西欧型の秘密のリベラル派」として描写された。)

これは1984年12月11日にプラウダにおいて次のように言った同じミハイル・ゴルバチョフである。「平和と社会的進歩のための闘争において、ソビエト連邦の共産党はあらゆる可能な方法で国際共産主義および労働階級の運動の諸力を結集する一つの一貫した政策を追求している。われわれはマルクス・レーニン主義の偉大な理想の歴史的正当性を確認する。そして人類のすべての革命的、平和愛好諸勢力と共にすべての民族のための社会的進歩、平和そして安全のために公然と戦う。これはわれわれのプロパガンダの断固たる性質を決定すべきものである。」

エドゥアルト・シュワルナゼ80年代半ばにクレムリンはもう一人の俳優エドゥアルト・シュワルナゼを中央舞台に登らせ始めた。この終生筋金入りのマルクス・レーニン主義者は1968年から1972年まで--秘密警察、国境警備隊そしてすべての国内安全保障諸勢力(すなわち、グルジアKGBの指令の下にあった)に君臨する--グルジア共和国の内務大臣であった。1972年に彼はグルジア共産党中央委員会第一書記へと上げられ、1985年までその地位にとどまった。その年、1985年に彼は--アンドレ・グロムイコ(Andre Gromyko)に代わって--ソビエト連邦の外務大臣へと上げられた。

シュワルナゼ(彼はジョージ・ブッシュの親密な友人となった。そして特に国務長官ジェームズ・ベイカー(James Baker)とは親しかった。)は「強硬路線派による独裁制」へのUSSRの動きに抗議して、1990年12月に外務大臣としての彼の地位を辞めた。彼はソビエトおよび合衆国のメディアから、改革者、リベラル派、信頼に足る民主主義者、そして自由の愛好者として描写されている--しかし今なおゴルバチョフの友人たちのうちで親密な友人の一人である。彼は1991年前半に調達されたソビエト基金でアメリカへ派遣された。--そしてUSSRのための西側の財政援助において(手始めに)900億ドルを要求する--アメリカの自由東方施設(America's liberal eastern establishment)によってアメリカ中を繰り返し行き来した。

ハンサム、温厚、そして外見において洗練されたシュワルナゼはニューヨーク・タイムズやロンドン・エコノミストのような体制派の刊行物によって国連の次期事務総長--ハビエル・ペレス・デ・クエヤル(Javier Perez de Cuellar)の後継者となる--として勧められてきた。最近のクーデタ/反クーデタ劇以来、クレムリンの指導者たちはシュワルナゼを中央舞台に戻し始めた--そこでは、もし彼らが(テレビのメロドラマにおけるように)脚本からゴルバチョフを消す決心をしたならば、彼らはシュワルナゼをトップの地位へと移すことができるであろう。

シュワルナゼは西側の指導者たちおよび公衆に対して彼のクレムリンのPR(偽情報)取扱人たちによって民主主義者および平和愛好家としてうまく紹介されてきた。われわれは彼の愛読書は、彼がそれからしばしば引用するThe Federalist Papersであると告げられる。彼は、もし共産党指導部が彼をトップに据えようと決心したならば、「改革/民主主義/共産主義の終焉」クーデタに対する大きな信頼感をもたらすであろう。しかし、彼は今なおソビエト世界支配に献身した筋金入りの終生のマルクス・レーニン主義者である。

ボリス・エリツィンはソビエト劇場のステージに登るクレムリンの最新の主演登場者である。また終生の筋金入りマルクス・レーニン主義者(ゴルバチョフやシュワルナゼと同様に)であるエリツィンは信頼に足る反共産主義者、民主主義者、自由愛好家--忌まわしい強硬路線派の共産主義的怪物--ゴリアテ--に対して立ち上がることによって彼の生命と経歴を喜んで危険に曝そうとするロシアのダビデ--としてその肖像画を描かれてきた。アメリカ人は勇敢な負け犬を愛する。そしてエリツィンの性格はクレムリンの脚本作家たちによってアメリカ、ヨーロッパ、その他の中流階層から大きな賞讃と尊敬を引き出すために仕立て上げられた。西側における「普通の人々」はこの雄々しい、厳しく告発する、大酒飲みの、歯に衣を着せぬ「民主主義のチャンピオン」--ロシアの「ジョン・ウェイン・タイプ」--に共鳴することができる。

しかし、ボリス・エリツィンの実体はいくぶん違っている。1961年に30歳でエリツィンは共産党に入党した。1968年に彼はシベリアのスヴェルドルフスク(Sverdlovsk)共産党における専任党活動家となった。彼は続いて党書記となり、そして1976年には地域委員会の第一書記となった。このポストで腕利きのエリツィンはモスクワにおける共産党指導者たちによって注目された。1985年4月に彼は共産党中央委員会建設部門の長に上げられた。そして1985年12月には120万人の党員を抱えるモスクワ市党委員会(全ソビエト連邦における最大の共産主義組織)の長に指名された。

ゴルバチョフやシュワルナゼの場合にそうであったと同じように、CPSU中央委員会およびKGBにおける影響力のある人物たちはエリツィンをトップへの速い進路--その人間のマルクス・レーニン主義者としての信用証明が申し分のないものでなければソビエト連邦では決して起こらない何かあるもの--の上に載せた。モスクワ共産党の強力な長としてのエリツィンの立場は彼にとってソ連政治局(彼はゴルバチョフとの「喧嘩」において1987年に解任されたけれども)に据えられる扉を開いた。

1991年6月にエリツィンは(「偉大な民主主義と市場経済を確立するために速やかに動く」と約束して)ロシア共和国大統領に選ばれた(最初のそのような選挙において)--ソビエト連邦の2億8千万人のうち1億5千万人の得票数を得た--。(彼はそれ以来ほぼ独裁的な権力をわがものにした。)その選挙に引き続いて西側の報道機関は熱狂的にエリツィンを「実物よりも大きい--ロシア人民は彼を愛する」と描写した。

彼のイメージ、信用そして西側における地位は、彼が最近の8月クーデタ/反クーデタ劇の間に強硬派の「8人のギャング」クーデタ犯人に対して「隙間に立つ」ために現われたとき、軌道に乗ったのである。(以下の第II部--ソビエト偽クーデタ)

彼が全ソビエト軍とKGBをほとんど独力で撃退するために「現れた」とき、西側のメディアと世論はミサイルとなった(went ballistic)。アメリカ人は「正義の男:エリツィンはロビン・フッド、モーゼ、チャーチルの列に加わる」というような典型的な見出しをつけた記事で攻め立てられた。8月にはほとんど1週間にわたってエリツィンは世界の大統領として受け入れられたであろう--もしそのような地位が存在したらという話ではあるが--。

エリツィンの「考え」は第26回および第27回CPSUの党会議で彼が行った演説のうちに反映されている。そこでは彼は同じようにCPSUのすさまじい努力をソビエト連邦の不滅の前進と偉大な成功として大いに賞讃した。彼がその党会議の最初に言ったように:「今日、われわれは、われわれの社会が所有する大きな生産力と足かせを取り除かれた社会主義によってソビエト人民に供給された富を見出す。そしてこのすべては共産党、その中央委員会そして政治局の賢明な集団的頭脳、巨人的な働き、破ることのできない意志、そしてうち勝つことができない組織的才能の結果である...」

「中央委員会の指導の下にわれわれの党と国家は帝国主義(すなわち、アメリカ)の攻撃的策謀の困難な反証において実際に指導し続けてきた。共産主義者たちとスヴェルドルフスク中央委員会(1985年4月までエリツィンが委員長をしていた)の全労働者は代議員たちとレーニンの中央委員会に、彼らが全革命的熱意をもって戦い、そして共産党の運動に対して揺るぎない献身を捧げるであろうということを保証する。」

1990年7月に、クレムリンの脚本はエリツィンに共産党から退く(シュワルナゼとゴルバチョフが現在そうしたように)ように求めた。そしてエリツィンは今や「共産党員ではない改革者」として言及されている。そうだ、しかし彼は今なお筋金入りのマルクス・レーニン主義的革命家--一つの重要な栄誉--である。この論考を書いている時点で彼はロシア共和国(その1億5千万人の人口を持つ)に君臨するほとんど全般的独裁者となった。

エリツィンは、ゴルバチョフ、シュワルナゼそして共産党の改革(リベラル)派と同じように、ペレストロイカ(上から下までの共産党とソビエト連邦の再編成と再組織)に完全に身を捧げている(以下の項を見よ)。エリツィンは数十万人(あるいは数百万人)の官僚、aparatchiks、そしてノーメンクラトゥーラ(特権階級の人々)の追放に賛成しているが--それは共産主義を終わらせるためではなくて、世界の新しい支配へ向かってその推進力を加速するためである。彼はゴルバチョフよりも遠くそして速くさえ進むであろう--それゆえに二人の間には「申し立てられた」敵対関係があるのである。

エリツィンはゴルバチョフに反対ではないし、また共産主義に反対ではない。彼は、彼とゴルバチョフが利己的で慢心した、そして世界革命のための共産主義の予定表を遅らせていると信じている堅牢な官僚主義(とそれが産み出した停滞)に反対しているのである。

エリツィンとゴルバチョフがソビエト連邦における多党制について話し合うとき、彼らは共産主義体制内部ですべて機能する複合的な諸共産党について話しているのである。それゆえに、共産主義者たちの「左に」一つの新しい党を設立するというエリツィンの決定があるのである。それは反-自由企業、反-資本主義的、そして筋金入りのマルクス・レーニン主義的であろうが、しかし自由市場、民主主義、等々のすべての用語を用いるであろう。

[編集者注:ロシアの政治と劇場においては「嘘つき」と「嘘つきの援助者」の概念がある。ゴルバチョフは嘘つきであり--エリツィンは「嘘つきの援助者」である。]

結論--ゴルバチョフ、シュワルナゼ、そしてエリツィンはすべて(ハムレットあるいはリヤ王のような)一つの劇的舞台演劇における俳優たちである。ソビエトの人間たちは彼らの政治を、時には主人公の死あるいは永久の退場を含む十分考えられたシナリオに従って編成する。それは劇の筋を理解するのを助けるし、俳優たちの間の立場や関係、同様にまた観衆--世界--に対する意図された影響あるいは衝撃を理解する助けになる。ソビエト連邦における何物も偶然的ではない:言葉、舞台、バイオリン、あるいは筋。

上に述べた三人の俳優たちは皆、筋書き、その歩調、そして筋における各自の新しいひねりを組み合わせながらCPSU、KGBそしてソビエト軍の中央委員会における彼らの指導者達と(どちらかと言えば同じ)改革精神をもった、リベラルなマルクス・レーニン主義者たちである。(すなわち、[劇の筋とは]最近のでっち上げのクーデタ/ 反クーデタ、ソビエト連邦の共産党、KGBおよびUSSRそれ自体の終結--実際は改名である。)ちょうど西側の観衆がテレビの「ダラス」の次のエピソードによって魅惑されるのと同じように、クレムリンの指導者たちはソビエト政治劇場の次の演目で西側に催眠術をかけ、彼らを操作することを計画するのである。

そして最終的な目標:西側に共産主義はUSSRにおいて崩壊した、民主主義がやって来た、大量の合衆国(西側)援助と軍縮がその後に続くべきである、そして東と西の統合(ヨーロッパに始まる)が--1990年代半ばから後半までに--起こるべきであるということを確信させること。

[編集者注:上に述べた3大俳優には他の者たちが加わるであろう。他の新進のスターに注目せよ--アレクサンデル・ヤコヴレフ(Alexander Yakovlev)--ゴルバチョフとシュワルナゼのごく近い腹心。]

D. ソビエトの偽情報

「真理を告げることはブルジョワの偏見である。他方において、欺瞞は目標によってしばしば正当化される。」


ウラディーミル・レーニン(1921)

「われわれが弱いとき、強さを自慢せよ...われわれが強いとき、弱さを装え。」

ウラディーミル・レーニン(1921)

現在のソビエトの指導者たちは西側を不安定にし、それを体系的な欺瞞を通じて敗北させる歴史の中でも最も包括的そしてマキアヴェリ的計画を展開してきた。ソビエトの人間たちは、アメリカ人民が非常に短い注意期間を持っている、メディアが産み出す幻想によって容易に誘惑される、--行為が言葉に矛盾するときでさえ--行為よりは言葉(「真摯さ」をもって断言されるとき)を信じる方が容易であると思う、そしてカムフラージュと欺瞞を見抜くことを困難であると思う、ということを学んできた。ソビエトの指導者たちは現在、平和、共産主義の死、帝国の崩壊、ソビエト連邦の非武装化、USSRにおける民主主義、西側との友好関係(そしておそらく経済的崩壊さえ)の幻想を--まさにその反対を計画し、しでかしている一方で--創り出している。

欺瞞のこの戦略を促進するために、ソビエトの指導者たちは(主としてKGBを通じて)偽情報--非共産主義の世界から強く望んでいる反応を引き出すための共産主義的世界の真の状況と実践の意図的な偽りの描写--を利用している。共産主義世界内部の真の弱さと危機の時期においては、注意深く念入りに作られたイメージは攻撃的な強さと拡張のイメージである。そしてすべての共産主義的実践はそのイメージを創り出すように適合させられる。共産主義指導部内部の実際の強さと連帯の時期には、体制は弱い、もがいている、過渡的である、そして西側諸国家の一団との協力に対して開かれているものとして描かれる。

西側に対するイデオロギー戦争を遂行するために、ソビエトの偽情報/プロパガンダの専門家たちは2種類の研究に努力を集中する。一つは西側の人々と彼らの心理学の研究である。もう一つの研究はイデオロギー、政治そして経済の分野における勝利達成のための気づかれない、潜在意識に印象づけるプロパガンダの作業方法を発展させることから成り立っている。ソビエトの人間たちはアメリカ人に彼らが聴きたいと望んでいることを告げる、そしてそれを信じることができるものとする技術をマスターした。

1.偽情報ネットワーク

ソビエトの人間たちは世界のメディアにおいて偽情報とプロパガンダに特に専念する数万人のKGBエージェントを持っている。ジェームズ・タイソン(James Tyson)はTarget Americaの中で、アメリカにおける数万人のKGBエージェントのうち、およそ2千人が合衆国のメディア内部で働いていると見積もっている。ソビエトの公式ニュース(偽情報)機関であるタスは126の国々に--ほとんど独占的にKGBによって職員が配置されている--支局を持っている。

ノーヴォスチ(Novosti)通信社は世界中に3千人の従業員(ほとんどKGB)を持っている。それは世界中の4千の情報サービスに情報と報告を配信している。ノーヴォスチは数千冊の書物と世界中の(インドだけで12)外国に24の挿し絵入り雑誌を(45カ国語で)出版している。ノーヴォスチは32の異なったアフリカ諸国で雑誌と新聞を発行し(リビアで印刷された)、ヨーロッパと北アメリカで数百万部の書物、新聞および雑誌を配っている。

ソビエトの人間たちはプロパガンダの最善の普及は西側のメディア代理店へ適切に編集されたテレビニュース・リールおよび新聞ゲラ刷りを供給することにあるということを知っている。西側の人々は彼らの側で、グラスノスチがこのことを「許している」ということに感動し、そのデータ--そのほとんどはKGBによって準備されている--の妥当性に関しては何の考えあるいは疑問もなしにすべてのものを熱心に伝達あるいは公表するのである。

タス通信社は全世界がソビエト連邦についてのその情報をそれに依存しているはけ口である。タスは数万件のコミュニケ、雑誌と新聞の記事、毎年のプログラムと解説を産み出している。それらは偏っていなくて客観的であるように見えるが、しかし実際は現在のソビエトの考え、戦略あるいは巧みな操作を押し進める巧妙な、詭弁で惑わせる偽情報あるいはプロパガンダである。これらは今度は数万の西側および第三世界のメディア出口へと情報として与えられ、そして世界中の数百万の疑っていない人々が見ることになるのである。

この偽情報は実際に常に西側(特にアメリカ)の聴衆が聴きたいことなのである。目下のところ、それはソビエト経済の崩壊、共産党の解消、東ヨーロッパにおける大混乱、共産主義体制の終焉、ソビエト帝国の解消、等々を詳しく書いている。ソビエト軍隊に関するいかなる情報もほとんど完全にないということは注目すべきことである。これは偶然にそうだということではない!

2.ソビエトの人間たちが彼らの経済を実際より少なく述べるのは彼らの「弱さだと見せかけよ/西側の援助を得よ」という偽情報キャンペーンの一部としてであるか?

筆者は最近、多くの分野におけるソビエトと合衆国の生産を比較している世界統計の1988年ソビエト出版物からの統計を見た。これらの統計は多くの分野における驚くべきソビエト経済の強さ、USSRがまったくの経済的両手両足切断者であるというすべての見せかけとは完全に正反対を走っている強さを示している。

ソビエトの生産の数字対アメリカの生産の数字のいくつかの例は熟考に値する:生産量全体はアメリカのそれの80%である。原油生産量--アメリカのそれの140%、天然ガス生産量--アメリカのそれの139%、鋳鉄--アメリカの286%、鉄鋼--アメリカの214%、鉄鉱石--アメリカの504%、無機肥料--162%、トラクター一式--463%、セメント--168%、綿織物--515%、毛織物--515%、砂糖--149%、鉄道貨物輸送--273%、大学および短大生--83%、物理学者数--218%、病院ベッド数--369%。

筆者は1990年のソビエト穀物生産の統計を見たが、そのことは彼らが彼らの真の生産量を大幅に少なく言ったのではないかと筆者に疑念を抱かせる。われわれはソビエトの人間たちは技術的/産業的/財政的道化師であると信じる気にさせられた。しかし世界の技術者たちのうちの半分以上がソビエト連邦において生活しているのである。平均的なソビエトの大学卒業生は平均的な今日のアメリカの大学卒業生よりも遙かによく教育されている、このことはたいていのアメリカ人が認めることを望まない何かあるものである。ソビエトの人間たちはアメリカ人よりも1年間に世界特許を2倍半から3倍多く産み出している。彼らはすでに、「プラズマ」(血ではない)に基づく発電所--太陽のような自己生成する発電所--を持っている。

ソビエトの人間たちは、最初の核発電所を建設した。チェルノブイリはわれわれの核発電所よりはずっと古かったので起こったのだ。ソビエトの人間たちは1950年代に世界で最初の核発電の砕氷船を建造した。彼らは、アメリカが建造しないことを選んだスター・ウォーズ型の宇宙基地防衛システムを現在配備している。彼らは--軍事目的のために--大気圏外空間における作戦宇宙ステーションを持っている。アメリカは一つを打ち上げる余裕を持つこともできない。

彼らは、アメリカが打ち上げることができる32トン最大限ロケット弾頭(打ち上げ能力において3対1の強さ)に対するに100トンの弾頭を大気圏外空間へ打ち上げる作戦ロケットを持っている。彼らは、アメリカのC5Aギャラクシーよりも遙かに大きい世界最大の軍事輸送機を建造した。彼らはアメリカのお気に入りのビデオ・ゲーム--Nintendo--をさえ開発した。彼らは30億ドルの値段の原子力潜水艦を6週間ごとに1隻建造しているが、それはアメリカが建造することができるのと同じくらいよいものである。彼らの軍事産業はわれわれ自身のサイズよりも5倍から10倍であり、多くの場合われわれのものと同じくらいに洗練された、そしてわれわれ自身の量の5倍から6倍の量の兵器を生産している。彼らが技術的にアメリカに遅れている分野においては、かれらは必要としているものを懇願し、借用し、盗みあるいは西側によって与えられている。

財政的に、彼らは、彼らが大きな商取引における価格に関して常にわれわれを包囲する[原文はbestであるがbesetの誤りか?=訳者]--彼らは実際には非常に洗練された市場管理者(あるいは操作者)である--という点において、われわれが彼らがそうであると気づいている、無能力者ではないであろう。彼らは、金(世界第3位の大きな生産者として)を売るとき、彼らの利益を最大限にまで強めて売る。ソビエト経済は実際は、われわれ自身よりも、西側における来るべき不況に対しては弱点が少ない。なぜなら、彼らは、われわれが持っているような、崩壊させるような巨大な国内負債ピラミッドを持っていないからである。(アメリカのそれは15兆ドルであり、そして上昇している。)ソビエトのほとんどの負債は国際的な負債である--西側に負っている!--

さらに、ソビエト連邦における主要なデフレ経済(あるいは価格)崩壊は、政府があらゆるものを所有しており、そしてすべての価格を支配しているがゆえに、ありそうにない。人々は流動資産を得るために財産あるいは投下資本を外国市場へ投げ売りしないであろう。--彼らは何も所有していない!--ソビエトの人間たちは主要な輸出者ではない--彼らは自分たちの生産物のほとんどを消費する。しかし彼らは主要な輸入者である。そして輸入価格は不況においてはひどく下がるであろう。ソビエト経済は西側の世界不況からは相対的に隔離されるであろう。

要点は何か?中国の軍事戦略家の孫子(ソビエトの指導者たちが偶像化している)は「あなたの強さの頂点にあるときには弱さと見せかけよ」と言った。ソビエトの人間たちは彼らの経済的強さの頂点にはいないであろう(彼らはこれまでそうであったことはない)が、しかし彼らは経済的両手両足切断者でもないし、あるいはソビエトの偽情報が彼らをそうであると描くような技術的/産業的/財政的無能力者でもない。上述の諸事実のいくつかが示したように、彼らは、われわれが信じるように導かれてきたよりは経済的、産業的、技術的に遙かに強力であろう。

筆者が知っている一人の非常に評判の高いソビエト生まれのソビエト学者は、大幅な西側財政援助を求めるソビエトの背後の主要な動機は、われわれの資源を過度に乱用することによって、脆弱な合衆国および西側の経済を破壊する欲求と同じ程度には、窮乏ではないとさえ信じている。突然債務不履行となったUSSRへの1千億ドルあるいはそれ以上の借款がまた西側における財政的崩壊を早める助けをすることもまたできるであろう。

しかしながら、ソビエトは彼らの軍事的頂点にある(彼らの現在の「みかけの」政治的混乱にもかかわらず)。そして西側の強さに対しての強さは日々増大している(以下の第IV部を見よ)。ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArhur)将軍はかつて「あなたの敵を過小評価することは最も危険である」と言った。ソビエトの偽情報とUSSRにおける真の状態についての西側の騙され易さがソビエトの軍事的、産業的そして技術的な強さを危険にも過小評価し、われわれ自身の強さを過大評価するようにさせているのではないか?ソビエトの人々は注意深く「道化者」イメージを創り出しているのか?彼らは本当に「狐のように口がきけない」のか?

ソビエトの偽情報を考察するときのソビエト・ウォッチャーの一つのよい原則はほとんどすべてのことはそれがそうであると見えるものの反対であると考えることである。記憶しておくべきもう一つの規則は、もしあなたが銃を所有しているならば、あなたはなお国を所有するということである。

II.ソビエトの偽クーデタ -- その最善の状態でのソビエト劇


8月19日月曜日に、ミハイル・ゴルバチョフは彼のグラスノスチ/ペレストロイカ改革プログラムの諸結果に満足しなかった軍隊、KGB、そして共産党「強硬路線派」によるクーデタにおいて明示的に転覆させられた。三日以内に、そのクーデタはばらばらに崩壊した。8人のクーデタ指導者たちが逮捕された。そしてゴルバチョフは権力へと回復された。共産党の、そして世界の報道機関ならびにブッシュや他の西側指導者たちがクーデタと反クーデタの真正さを大声で吹聴したのだけれども、筆者をこのクーデタは演じられたのだと結論させるいくつかの非常に奇妙な局面がその出来事全体には存在した:
1)合衆国と世界の報道機関が8月19日にいたるまでの数日間来るべきクーデタについて警告した。世界の報道機関がそのような出来事について前もって通達を与えられることはほとんどない。西側の諜報機関の情報源は先立つ数ヶ月前にクーデタについて知っていた。したがって、クーデタのあらかじめの周知にもかかわらず、ゴルバチョフはそれに対処する、あるいはそれを回避する何の動きもしなかったとという事実は奇妙であった。

2)8人のクーデタ指導者たちはすべてゴルバチョフに任命された者そして腹心であった。

3)クーデタ指導者ゲンナディ・ヤナーエフ(Gennady Yanayev)は自らについて「代理大統領」としてのみ言及し、「彼[ゴルバチョフ]の病気」から回復した後権力に復帰するゴルバチョフについて語った。

4)クーデタ指導者たちは国内あるいは国際通信回線を切断しなかった--クーデタあるいは革命的激動においては常になされるあること--。

5)クーデタ指導者たちは報道機関を--ソビエトの報道機関もロシアに支局を持つ外国報道機関もどちらも--統制する何らの試みもしなかった--それらはクーデタの間中国際電話回線への完全な接続を持っていた。

6)エリツィンのような反クーデタ指導者たちはクーデタの間中国際電話回線そしてオペレーターへの接続を持っていた。

7)ただ最小限の人数の軍隊のみがクーデタを通じてずっと用いられたにすぎない。そしてエリツィンに忠実な軍隊は議会の建物にいるエリツィンの周りに派遣された。

8)空港はすべて開かれたままであった。

9)議会の建物における水道、電気そして電話回線は一度も切られなかった。

10)筋の通ったクーデタにおいては、KGBはエリツィン、ゴルバチョフそして他の改革派の指導者たちを殺したであろう。エリツィンを逮捕する何らの試みはなされさえしなかった。しかしクーデタ首謀者たちはゴルバチョフの有名な敵であるゴディヤン(Godiyan)を逮捕した。

ソビエト人民の62%はクーデタが偽物であったと信じている

ソビエト・グルジアの大統領はクーデタの後間もなく出て来て、背後で操ったとしてゴルバチョフを非難した。そしてソビエト人民の62%(私的な世論調査に従えば)はクーデタが偽物であったと信じている。エドゥアルト・シュワルナゼ(ゴルバチョフの元外務大臣)でさえ、ゴルビーがクーデタの背後にいたであろうと言った。ゴルバチョフとソビエト指導部は確かに偽の、あるいは演じられたクーデタから多く得るところがあったのである:

1)もしゴルバチョフが反動主義者たちから国家の支配を取り上げ、憲法の権威を回復する者として見られることができるならば、彼の人気と正当性は人民の間で上昇するであろう。

2)クーデタと反クーデタは度し難いソビエト人民を--彼らの生活状態の改善への希望を約束しながら--静めるであろうと期待された。

3)クーデタと反クーデタは--もっと多くの財政およびハイ・テク援助のための水門を開きながら--西側の目にソビエトの改革/民主主義/グラスノスチ/ペレストロイカ運動の信用度を上昇させるであろう。世界のブッシュたちはこう言うことができた:「見よ、われわれのよき友人ゴルバチョフとソビエトの民主主義勢力は「強硬路線派の弾丸」から身をかわしたばかりである。--今やわれわれは、民主主義と改革が成功しそして生き残るのを見ることを望むならば、彼らを助けなければならない」と。

4)クーデタはゴルビーが本当に何とすばらしいかということを西側に思い起こさせなければならなかった。彼は彼の巨大な軍事的増強、彼のバルト諸国における人民の殺戮、等々のために信用を失っていた。クーデタの後、彼はこれらすべての不謹慎な行為を「強硬路線派」に対して非難することができた。

5)ソビエト連邦への「民主主義の復活」そして「強硬路線派の消滅」は今やその軍縮を加速するための西側に対する一つの口実である。そして新世界秩序への吸収を加速するためのアメリカ、ヨーロッパ、そしてソビエト連邦における世界主義者たちに対する口実である。

6)クーデタと反クーデタは数十万人の無能な共産党、KGBあるいは政府の官僚たち--彼らのうち数万人は射殺され、あるいは投獄された--の期限の切れた追放を始めるための一つの口実である。党のこの追放(あるいは浄化)は1917年以来定期的に行われてきた。それはそれをもっと強くするためにブドウの木あるいはバラの茂みを刈り込むことに似ている。一つの巨大な共産党パージはソビエト連邦において今進行中である。

7)クーデタと反クーデタはソビエト連邦の共産党、KGBそしてUSSRそれ自身を再組織し、改名するための口実であろう。ソビエト連邦を上から下まで再編成し、再組織しそして合理化するというこの戦略はここ数年間計画の段階にあった。クーデタと反クーデタの衝撃(あるいは煙幕)の下でこの再組織は今や巨大な飛躍においてなされるであろう。

8)クーデタと反クーデタのもう一つの目標はボリス・エリツィンを「スーパースターの地位」に上げ、その結果、もし人民がゴルバチョフの周りに馳せ参じなかったならば、彼が指導部へ割り込むことができるようにすることであった。ソビエト劇場は、即座に舞台に立てる準備のできているスターのための一人の代役を常に持っている。

クーデタの8人の指導者たち(クリュチコフ(Kryuchkov)、ヤゾフ(Yazov)、パブロフ(Pavlov)、プゴ(Pugo)、ヤナエフ(Yanayev)、バクラノフ(Baklanov)、スタロドゥブツェフ(Starodubtsev)そしてティジャコフ(Tisyakov))はクーデタを仕組むことへとおびき寄せられた。(彼らがそう信じたことは本当であった。)彼らははめられ、罠にかけられ、そして次に裏切られた。プゴは自殺したと言われているが、しかし殺された方がもっとありそうなことであった。残りの7人は裁判にかけられ、投獄されあるいは銃殺されるであろう。裏切ることそして彼ら自身の最高の指導権を粛正すること--これが共産主義者のやり方である。彼らはトロツキー(Trotsky)を打倒し、(メキシコで)殺害した。彼らはブハーリン(Bukharin)(レーニンの最も近い仲間であり、「革命の英雄」)を追放しそして1936年に処刑した。なぜなら、彼は1936年および1937年におけるスターリンのペレストロイカを支持しようとしなかったからである。そして彼らは1956年にベリア(Beria)(NKVDの長)を処刑した。クリュチコフと友人たちは党の長期の善のために犠牲とされる似たような運命をおそらく経験するであろう。そしてクリュチコフ、ヤゾフ、プゴ、パブロフ、等々(明らかに罠の中に歩いて入った)の犠牲はクーデタと反クーデタの計画全体に巨大な信用を与える。

歴史的前例--1917年以来ソビエトの歴史には追放、二枚舌、裏切りそして残忍な処刑のための多数の前例がある。しかしまた、猛烈イヴァン(Ivan)がロシア皇帝であった1546年にロシアの歴史における偽クーデタの前例がある。イヴァンはロシアを彼のイメージに作り変えるができないことに対して狂ったようになった。支配階級(年老いた近衛兵)は事あるごとに彼を妨げようとした。イヴァンはまた支配階級が彼の妻アナスタシア(Anastasia)を殺した(毒殺した)と信じた。それゆえ、彼は、あたかも休暇に出かけるかのように荷造りをし、そしていったん自分の目的地に到着すると、自分は王位を棄てたと支配階級のエリートに伝言した。

このことは支配階級中に恐怖の衝撃波を送った。農民たちが反乱を起こすであろう。そして彼らはイヴァンの商人階級の追随者たちから何らの援助も得られないであろう。それゆえ、彼らはイヴァンに伝言した。「どうか戻ってください!」彼は答えた。「戻ろう、しかし私の条件でだ。」彼らはそれについて考えた。そしてそれから、それは悪のうちの小さい方だと決断した。イヴァンは王位に戻り、支配階級からの抵抗もそれほどなしに彼の改革の努力を再び始めた。

ソビエトの人々はジェスチャーゲームを看破した

一つの事が偽のクーデタ/反クーデタではうまく行かなかった。ソビエトの人々はゴルバチョフの周りに参集すると想定されていた。彼らはそうではなかった!多くの人々がジェスチャーゲームを看破した。そしてたいていの人は彼の6年間の独裁支配を簡単に赦さなかった。それゆえ、エリツィンおよび/あるいはシュワルナゼを中央舞台に移すことが有利となり得た。しかし思い起こそう、両者ともゴルバチョフと同じ布から切り出された筋金入りのマルクス・レーニン主義者であることを。フランスの諺が言っているように、「それが変われば変わるほど、それはそれだけますます同じものにとどまる」のである。(続く)


ファチマ・クルーセイダー

2012年02月26日 | Weblog

帝国の再生:ソビエト連邦で実際起こっていること

The Fatima Crusader Issue 38, Fall 1991より

Donald S. McAlvany


The McAlvany Intelligence Advisor(MIA) Sept./Oct. 1991 issue

これは私がこれまでに書いた最も重要な(確かに最も議論の余地のあるそして
最も長い)報告であろう。ソビエト連邦における諸々の出来事は目をくらます
速さで動いてきた(すなわち、MIA がしばしば言及する「加速要因」)。世界
は最近ソビエト帝国における諸々の出来事について以前よりも多くの情報(筆
者の意見では--たいていは偽情報)を受けさせられてきた。実際に起こってい
ることに関する混乱は聡明な保守派の人々やソビエト研究者たちそして生涯続
く反共産主義的自由の闘士たちの間でさえ非常に行き渡っている。この混乱は
ソビエトの台本作家たちのもくろみによるものである。

この報告はソビエト連邦における最近の出来事に関して一つのまったく反対の
(contrarian)分析--アメリカ人がテレビで聴き、新聞で読み、合衆国および
ソビエトの指導者たちから聴いている、そして彼らが自分たちは自分自身の眼
で見ていると信じていることとほとんどまったく矛盾対立する分析--を提供す
るであろう。筆者は読者にこの報告を読んでいる間開かれた精神を保ち、それ
を数回読み直すことを、そしてそこで彼らが一つの事柄を言い、そしてそれと
反対のことをした過去のソビエトの諸々の欺瞞を、思い起こすことを勧める。
もし報告があなたにとって意味をなすなら、そしてあなたが一般的に分析と結
論に同意するなら、それをコピーしてできるかぎり広範に--特に軍隊、諜報機
関、NATOにいる人々、他の出版物に、そして自分自身で考えることができる政
治家たち(彼らの大部分を除外するが)に配ることを勧める。

警告:この報告を読む大多数の人はそれに同意しないであろう--ある人々は強
く。筆者は「冷戦から取り残された偏執狂の変わり者」そしてもっと悪いもの
と呼ばれることを覚悟している。この報告を読む何人かの読者は頭脳がロック
された状態になるであろう。なぜなら、それは過去6年間あなたが告げられて
きたすべてのことにまったく反対のことだからである。しかしそれを研究しそ
してそれについて考えなさい。この報告がソビエト連邦において何が真実の事
態であるかについてそしてアメリカがわれわれ自身の軍縮ならびに新しいソビ
エト連邦への援助を加速させるべきかどうかについて何らかの論争を起こせれ
ばよいというのが筆者の希望と祈りである。これを書くにあたっては何ら論争
はない--世界は単純にソビエトの説明を額面通りに受け入れている。

序論

ルディヤード・キプリング(Rudyard Kipling)は1898年にロシア皇帝ニコラ
ス2世による巧妙な欺瞞キャンペーンの後間もなく「人間のように歩く熊」と
いう標題の一つの寓喩を書いた。キプリングは、その男が狩りをした一匹の熊
があたかも哀願するかのように立ち上がったとき、傷を受けそして盲目となっ
た一人の男について書いた。そしてその狩人は「憐れみと驚きで感動させられ
て」彼の射撃を思いとどまった。彼はただ「鋼鉄の靴をはいた足」によって彼
の顔を引き裂かせただけであった。キプリングが書いたように:

「それ[熊]が人間畜生の見せかけで揺れながら嘆願するものとして立ち上がる
とき」

それが憎しみとその豚のような眼の狡猾さを隠すとき、それが祈りの時の両手
のような[前]足で捜し求めている方角として示すとき、それは危険の時である
--熊の休戦の時である」。

われわれは熊の休戦の時のうちにいる。われわれは共産主義は死んだ、冷戦は
終わった、ソビエト連邦の共産党は非常に恐れられたKGBと共に終わったと告
げられている。われわれはソビエト帝国は崩壊した、その場所に自由、民主主
義、統一と自由市場が1千本の花のように咲き誇っていると告げられている。
われわれは平和が来た、そして東と西の共通の利益が--最初にヨーロッパに、
そして次に新世界秩序を通じて世界中に--統合され、合流され得ると告げられ
ている。

しかし筆者はこの筋書きは何か狂っていると思う。ソビエト共産主義のような
悪が、悪の帝国が消え失せたと思われるように急速には消え失せない。特に、
その悪の帝国が世界の歴史において最大の軍事力を支配しているときには消え
失せない。1930年代後半にわれわれは平和が来た--ヒットラーの意図は高潔で
ある、--彼は友情と一致を求めていると告げられた。(この「平和の愛好者」
は非常に信用できるのでタイム・マガジンは1938年に彼を「その年の最もすぐ
れた人物」に指名した。)戦争がその後に続いた!

ソビエトの人々は欺瞞における達人、われわれにあるものをない、ないものを
あると信じさせることができるチェス競技者たちの優勝者である。

ソビエトの人々を理解する際の一つのよい規則は、現実があなたが見ているも
のの反対であると常に考えることである。

われわれは1921年以来グラスノスチ/ペレストロイカの第6期を現在経験して
いる。--先行する5つのグラスノスチのそれぞれは今回のグラスノスチと同様
に、共産主義者たちは本当に変化している、民主主義、多党制、自由選挙等々
へと変わると約束していた--最初の5回のそれぞれで、われわれは欺かれた。
しかしわれわれが目覚めてソビエトの熊の憎しみと狡猾さをもう一度見る前
に、われわれは大きな譲歩をし、大きな援助を与え、あるいは大きな軍縮をし
た。

グラスノスチ/ペレストロイカの現在の時期はミハイル・ゴルバチョフ(ユー
リ・アンドロポフの被後見人)を含む--ソビエト連邦の共産党中央委員会によ
って1981年に書かれた一つのうまくお膳立てされた脚本(それらすべてのうち
の最も壮大なもの)である。このグラスノスチ/ペレストロイカの諸目標は共
産主義は死んだと宣言すると同時にソビエト帝国を再組織し、再構成するこ
と、アメリカとヨーロッパをそそのかしてNATOを徐々に廃止させることそして
「共産主義の脅威が徐々に薄れている」ので大規模な軍縮を行わせること、西
側の援助において数千万ドルを「できたばかりの民主主義の」USSRに投入させ
ること、そして最終的には西ヨーロッパと東ヨーロッパを合併し、新しいソビ
エト連邦を一つの「共通のヨーロッパの家」へと合併することである。

最新のペレストロイカにおいては、ソビエト連邦の全般的な戦略は対決とばら
ばらの陣営への世界の分割から協力、統合、融合、そして吸収合併へと移っ
た。「新しい思考」は言う:われわれはわれわれのイデオロギーの上での諸々
の相違、われわれを分けている諸々の葛藤を忘れなければならない。そして戦
争、核の大惨事、飢餓、テロ、環境悪化等々に対して一緒に戦うためにわれわ
れの努力を結合しなければならない。

しかしUSSRにおける現在の諸展開の背後に一つの大きなもくろみがあるのか?
われわれは一つの自然に起こっている解体を見ているのか、それとも一つのよ
く計画され、画策され、企てられたジェスチャーゲーム--せいぜいロシア劇--
を見ているのか?MIA(McAlvany Intelligence Advisor)のこの号はこれらの
問いに答えるよう試みるであろう。それはゴルバチョフ、エリツィン、シュワ
ルナゼ--すべて徹底的に「改革者/リベラル派」そして共産主義者--のマルク
ス・レーニン主義的な悪い性向を検討するであろう。それはクーデタ/反クー
デタとなぜそれが偽物であるか--1981年に動き始めた長期の戦略的欺瞞におけ
るもう一つのひねり--を分析するであろう。

この報告はソビエトの人々が西側を混乱させ操作するためにどのように偽情報
を用いるかを検討するであろう。それはなぜソビエト帝国が崩壊しているので
はなくて、共産主義体制内部で再編成され、再組織されているのか、その理由
を明らかにするであろう。なぜ共産党とKGBは廃止されているのではなくて、
単に改名され、彼らの能率を改善するために再組織化されているのか、そして
新しいソビエト連邦がどのようにUSSRの大きさ、範囲そして影響力において巨
大な増大であるか--拡大であって--縮小ではない--を明らかにするであろう。

この報告はまた不吉な進行中のソビエト軍事的増強--起こりつつある明白な諸
変化のすべてにもかかわらず--をも分析するであろう。

ソビエトの偽情報はあなたが聴きたいすべてのこと、そしてそれをあなたに信
じさせるすべてのことをあなたに告げるために計画されている。この報告はあ
なたが聴くことを望まないすべてのこと、そしてそれについてあなたに考えさ
せるすべてのことをあなたに告げるために計画されている。

もしあなたが読み続けるならば、あなたは警告されたのだ!

I:欺瞞の大家たち

「すべての闘争は欺瞞に基づいている。」孫子、B.C.500.
「なぜなら、人類の大多数は、あたかもそれらが実在であるかのように、見せ
かけに満足し、...そしてしばしば現にある事柄よりもそう見える事柄によっ
てより影響されているからである。」マキアヴェリ

序論

われわれは欺瞞、混乱、危険そして諸々の世界的出来事の目をくらます加速化
の時代に生きている。われわれは、共産主義は死んだ、冷戦は終わった、ソビ
エト帝国はその終末期にある、そして平和、一致、兄弟愛の新しい時代--一つ
の新世界秩序--の夜明けを迎えつつあると告げられている。そのまったく反対
のことが実際には起こりつつある。しかし西側の1万人のうちの1人しかわれ
われの前に展開されているマキアヴェリ的な欺瞞の戦略を理解していない。

常に明白なものに疑いを抱け!ソビエト連邦は今日解体しているのではない--
それはこの10年間の後半の一つの主要な拡張主義的推進への再編成、再調
整、再組織の準備である。ソビエト連邦の共産党は廃止されているのではない
--それは単にその名前を(おそらく--レーニンの下での最初の名前--社会民主
党に)変えているにすぎない。それは再組織し、再編成しているのであり、そ
の構造(おそらく官僚の何十万人、おそらく数百万人)から官僚的無用の人材
の大部分を取り除き、そのマルクス・レーニン主義の基礎に戻って行ったので
ある。KGBは廃止されているのではない--それは改名されているのであり、
1917年以来すでに6度起こったように再編成されているのである。ソビエト軍
は徐々に廃止されているのではない--それは劇的に拡張されている。ソビエト
帝国はまったく解体されているのではない--それはたぶん古い諸共和国の大部
分を保持し、以前にはソビエト帝国の一部ではなかった他の諸国を結局は吸収
するであろう一つの緩やかに編成された連邦あるいは連合へと再組織されてい
る。ゴルバチョフは3,4年前に、現在の時代遅れの、古めかしい、能率の悪
い帝国は解体され、より柔軟で膨張可能な連邦あるいは連合と置き換えられる
と主張しながら、この[古い帝国の]解消について話し始めた。この新しい連邦
は最終的には拡張され、そしてソビエト軍事力とKGBによって結合されるであ
ろう。

筆者は8月クーデタは最もみごとなソビエト劇--ゴルバチョフとエリツィン、
および共産党の「改革派」の立場を強化するために仕組まれ、ゴルバチョフに
対するソビエト大衆からの支持を引き出すために仕組まれ、そしてソビエト連
邦への合衆国(および西欧)の援助における大量増加ならびにアメリカ(およ
び西欧)の軍縮の急速な加速化を引き起こすために仕組まれた一つの偽クーデ
タ--であったと信じている。

A:ソビエトの欺瞞の戦略

「問題は、共産主義者の目標は固定され、変化がないということです。--それ
は世界支配という彼らの目的をみじんも変えるものでは決してありません。し
かしもし私たちが、彼らが進んでいると見える方向によってのみ判断するなら
ば、私たちは欺かれるでしょう。」エレイナ・ボンナー(Eleina Bonner)、
サハロフ(Sakharov)未亡人

元NATO軍最高司令官であなたの編集者の友人であるサー・ウォルター・ウォー
カー(Sir Walter Walker)将軍は最近こう書いた:「西側はゴルバチョフと
この悪人の諸々の意図について余りにも無知である。過去10年間の真実の物
語は何か次のようなものとして進行している:ゴルバチョフの台頭はレオニー
ド・ブレジネフ(Leonid Brezhnev)の耄碌の間の1980年代初頭に起こったKGB
の「クーデタ」の結果である。」

「このクーデタは--(ソビエト連邦の共産党中央委員会の命令の下で)KGB議
長である--ユーリ・アンドロポフ(Yuri Andropov)によって行われた。ペレ
ストロイカの混乱は国の経済的な弱さを勝利を得させる立場に変えるよう西側
と膝詰め談判をするためにKGB内の頭の良い人間たちによってなされた一つの
試みである。ソビエト連邦の現在の弱さと第三世界の経済状態に集中させられ
たわれわれの注意とともに、われわれはわれわれの警戒を緩め、ロシアの狼を
ヨーロッパの家の中に入らせるであろう。」

1:グラスノスチ/ペレストロイカ#1-6

1989年と1990年に筆者は「熊に催眠術をかけられて:ソビエトの大きな欺瞞」
(第I部および第II部)と題するMIAの2つの号を書いた。それはソビエトの人
々がアメリカおよび西欧に対して1981年に始めた巨大な戦略的欺瞞あるいは偽
情報キャンペーンを分析したものである。(The Fatima Crusader31-2 & 33に
おいて利用可能)これらの報告はグラスノスチ/ペレストロイカの最初の5つ
を分析したものである:

#1はレーニンの下で1921年から1929年まで
#2はスターリンの下で1936年から1937年まで
#3はスターリンの下で1941年から1945年まで
#4はクルシチョフの下で1956年から1959年まで
#5はブレジネフの下で1970年から1975年までであった。
そして最後に#6はゴルバチョフの下で1985年から現在まで

グラスノスチ/ペレストロイカのこれらの時期の各々は共産主義を断念し、資
本主義、民主主義、自由選挙、自由市場、等々へ動いているというソビエトの
見せかけを含んでいた。簡単に言えば、それぞれの時期に、ソビエトの人間た
ちは西側に西側が聴きたいと望んでいることを告げ、そして西側の大量の財政
援助および/あるいは西側の大規模軍縮を引き出すためにその方向への表面的
動きをした。グラスノスチ/ペレストロイカの最初の5つの時期の各々の後に
続いたのは厳重な取締り、残酷な追放そしてソビエトの海外での隠れたそして
革命的な諸活動の再開であった。

グラスノスチのこれらの時期はマルクス・レーニン主義的弁証法:2歩前進1
歩後退という弁証法が活躍した時期であった。各々の後退の間に、西側の援助
が[ソビエトに]流れ込んだ。そして#4,5,6のグラスノスチの間に西側の
軍縮措置が加速した。しかし元NATO連合軍最高司令官バーナード・W. ロジャ
ーズ(Bernard W. Rogers)はこう言った:「ソビエトの目標は世界支配であ
る。」そしてウラディーミル・レーニンが言ったように、「われわれは後退に
よって前進する。」

2:グラスノスチ/ペレストロイカ#6のための戦略的欺瞞の脚本

1981年にソビエトKGB要人アナトーリ・ゴリツィン(Anatoliy Golitsyn)は離
反して西側に逃亡した。そして古い嘘に代わる新しい嘘 New Lies for Old と
いう標題の書物を書いた--これは1984年に出版された(The Fatima Crusader
から入手可能)。その書物の中でゴリツィンは1985年にゴルバチョフが実行し
始めたグラスノスチ/ペレストロイカ#6のためのKGBの脚本を展開した。この
脚本はグラスノスチ/ペレストロイカの脚本の中でも最も入念な脚本であろ
う。そしてソビエトを彼らの世界支配の目標へと、世紀の変わり目に、あるい
はそれ以前に、連れて行くように計画されていた。

ソビエト連邦における最近の激動、クーデタと反クーデタ(筆者はそれをでっ
ち上げだと信じている)、KGBの終り、共産党の死、ソビエト帝国の崩壊、等
々はグラスノスチ/ペレストロイカ#6のための入念なKGBの脚本のすべての部
分--その最善の状態でのソビエトの高等劇--である。ゴルバチョフ、エリツィ
ン、シュワルナゼは皆ソビエト連邦共産党中央委員会とKGBによって雇われた
キャスト--俳優たちの一部である。

ソビエト帝国における最近の展開を分析する前に、1981年にゴリツィンによっ
て書かれ、そして1985年以来ゴルバチョフと彼の仲間の俳優たちによって非常
に忠実に履行されたKGBの脚本を論評しておくことは有益であろう。

a) 申し立てられたソビエトの諸々の譲歩

1.東ヨーロッパの「名目的」支配を明け渡す。

2.東ヨーロッパとソビエト連邦における民主主義諸運動を「表面的に」奨励
する。

3.鉄のカーテン開放/ベルリンの壁の破壊。

4.東西ドイツの再統一を許す。

5.共産主義は死んだ、冷戦は終わった、そしてソビエト連邦および東欧の共
産党は死んだか、あるいは時代遅れのものであるかのいずれかだと宣言する。

ソビエトの人間たちが東ヨーロッパ中で用いてきた欺瞞のパターンそしてその
大部分が今日のソビエト連邦で従われているパターンは:

1)古い警備(強硬路線の)共産党員を追放し、改革者と呼ばれるあまりよく
知られていない共産党員あるいは共産党協力者を持ち込む(KGBはこれらの追
放に責任を持っていた)。

2)その特定の国の共産主義は死ぬはずであると宣言する一方で共産党の名称
を変える。

3)実際には秘密共産主義者たちとKGBによって統制されている新しい「民主
的な反対派諸組織」を産み出す。

4)実際には共産主義者たちによって操作され統制されているいわゆる「自由
選挙」を維持する。

5)実際には秘密工作員を再び移し替え、再任命し、組織を非常に活発にさせ
るが、しかし異なった形で、そして異なった名称(あるいは諸々の名称)でそ
うする一方で、秘密警察の終結と解体を告知する。

6)西側における現在の多幸症、混乱そして混沌の時期を利用して西側の中に
数万人あるいは数十万人の秘密共産党員を潜入させる。

このパターンは東ヨーロッパにおいては国ごとに少しずつ異なっていた。それ
はルーマニアとポーランドにおいて最も念入りに従われた。ルーマニアにおい
ては共産主義者たちは古い共産党を新救国前線(New Salvation Front)で置き
換えた。彼らは強硬路線派のチャウセスク(Ceausescu)を年老いたナンバー
・スリーの共産主義者(比較的知られていない)イオン・イリエスク(Ion
Illiescu)と取り替えた。彼らは秘密警察(The Securitate)を改名し再び移
し替えたが、しかしその5万人の署員の95%を無傷のまま残した。

ポーランドにおいては、彼らは共産党の名前をポーランド統一労働者党から無
害な響きのする社会民主党に変えた。連帯はほぼ間違いなく1980年にソビエト
の人間たちによって始められた。--それは100万人の共産党員を抱えてい
る。1989年における共産主義者たちとポーランド議会の議員の65%は共産党
員である。ポーランド大統領であり連帯の指導者であるレク・ワレサ(Lech
Walesa)--アメリカにいるポーランド亡命者たちによって1980年以来共産主義
協力者であったと広く信じられている--はゴルバチョフとソビエト人たちに対
して非常に友好的である。5万のソビエト軍隊がポーランドの土地に残ってい
る。(アメリカにいるポーランド亡命者たちはその数は30万人以上であり得
ると信じている。)チェコスロヴァキアと東ドイツにおいては秘密警察はソビ
エトKGBの命令構造の下に移された。そしてそこでこっそりと働き続けてい
る。

チャモロ(Chamorro)政府が単純にサンディニスタ戦線であるニカラグアにお
いてもそのパターンは同じである。共産主義的サンディニスタたちは軍隊、秘
密警察そして教育制度を支配し続け、反共産主義的な元コントラの指導者たち
を暗殺し続けている。ヴィオレッタ・チャモロ(Violetta Chamorro)(彼女
自身元サンディニスタ)はそこでは単に名目上の指導者としてのみ機能し続け
ている--実際的な権力はダニエル・オルテガおよびフンベルト・オルテガ
(Daneel and Humberto Ortega)によって指導された共産主義者たたちによっ
て主宰された「非共産主義的、民主的ニカラグア」にある。

共産主義者たちが彼ら自身の反対を創り出し支配することにおける主人公であ
るということは注目されるべきである。--それは表に現れ政権を握ることから
の反対を排除するためである。そのような共産主義者たちが創り出した反対の
いくつかの例は、ルーマニアにおける新救国前線とイリエスク、ポーランドに
おける連帯とワレサ、ニカラグアにおけるヴィオレッタ・チャモロそしてソビ
エト連邦におけるボリス・エリツィンとエドゥアルト・シュワルナゼを含んで
いる。

1981年にゴリツィンによって記述されたように、グラスノスチ/ペレストロイ
カ#6のためのソビエトの脚本に戻ると:

b. 西側の(見返りの=quid pro quo)諸々の譲歩

1.アメリカと西側はUSSRの東ヨーロッパ財政的負担を1年間に400億ドル
から500億ドル引き受けるであろう。

2.再統一されたドイツは中立国となり、経済的にはソビエト連邦の方へ傾く
であろう。

3.アメリカ軍は西ヨーロッパから撤退するであろう。

4.西ヨーロッパは中立へと動き、NATOはつぶれるであろう。

5.アメリカと西側は大規模にソビエト経済を金を出して財政的困難から救い
出し、動かなくなったソビエト経済に融資するであろう。

6.西ヨーロッパと東ヨーロッパ(USSRを含む)は一つの経済ブロックに融合
するであろう。

7.アメリカと西側は「共産主義後/冷戦後の時期」において大規模に軍備を
縮小するであろう。

8.アメリカは世界中の反共産主義諸運動(例えば、コントラ、ムジャヒディ
ン、ウニタ)のための援助を止めるであろう。

9.アメリカ軍は韓国とフィリピンから撤退するであろう。

KGB脚本のこれら9つの要素は完成のさまざまの段階にある(すなわち、30
%から90%)。[MIA編集者注:すなわち、ブッシュ政権はフィリピンにある
クラーク空軍基地を閉鎖した。そして9/10/91に、共産主義は死んだ、そして
冷戦はもはや脅威ではないので、アメリカはまたわれわれのスービック湾海軍
基地をも閉鎖している、そしてフィリピンから完全に撤退するであろうと告知
した。フィリピン人たちは合衆国軍隊撤退の2年以内にソビエトに支援された
共産主義的反乱、新人民軍の手に落ちることになりそうである。]1995年ある
いは1996年までに9つすべての要素は実際に既成事実となるであろう。グラス
ノスチ/ペレストロイカ#6の彼らの脚本を実行するに際してのソビエトの人
間たちの二枚舌、欺瞞そして不誠実の証拠は:

1)アンゴラ、キューバ、アフガニスタン、フィリピン、イラク、シリア、モ
ザンビク、等々への大量の武器発送--総計1年間に250億ドルから300億
ドル。

2)スリランカ、フィリピン、ウルグアイ、エルサルヴァドル、南アフリカの
政府転覆に向けてソビエトに支援されたゲリラが彼らの努力を強化している
(1991年2月にはソビエト/リビアに支援されたゲリラがチャドを乗っ取った
ばかりである)。

3)アメリカとヨーロッパにおけるソビエトスパイはグラスノスチ#6とゴル
バチョフ政権が始まって以来4倍になった。

4)ソビエト軍事力はグラスノスチ#6が始まって以来35%から40%増大
した。そして主要な武器部門において急速に増大しつつある。

5)ソビエト軍とKGBはゴルバチョフの下で大幅に強化された。そそて強硬
派、鷹派/マルクス・レーニン主義者たちがゴルバチョフによってすべての重
要部門に移動させられた。

6)共産主義者たち(あるいは秘密共産主義者たち)はたいていの東ヨーロッ
パの国々において最も重要な地位を保持した。そして、共産主義的軍隊および
秘密警察(改名されているけれども)は無傷のまま残っている。

B. ヨーロッパを支配するソビエトの戦略


現在のソビエトの世界的戦略の鍵になる要素は、ソビエトの人間たちが公然と
「共通のヨーロッパの家」と呼んでいるものにおいてヨーロッパ(東そして
西)を支配することである。ソビエトの人間たちは、彼らの帝国が弱まってい
るように「見える」ちょうどそのときに、ヨーロッパのすべてを支配するため
の一つのマキアヴェリ的な戦略(そして必ずしも、あるいは排他的に軍事的な
征服によってではなく)を持っている。ヨーロッパのこの支配は彼らの世界支
配の長期の戦略への一つの鍵となる踏み石である。
全ヨーロッパ統合(そしてゆくゆくはソビエト支配)はただ西ヨーロッパの政
治体制と東ヨーロッパの政治体制の両方ともにおけるラディカルな変化が起こ
るときに初めて可能である。その変化はヨーロッパ合衆国が出現するとき、
1992年に西ヨーロッパにおいて起こっている。ヨーロッパと英国の人々には一
つの大きな自由市場の冒険として売り出されているけれども、事実は西ヨーロ
ッパの人々がブリュッセルにある、社会主義的左翼世界主義的、そしてユーロ
共産主義的権力志向者たちによって支配された、そしてKGBによって激しく潜
入されたヨーロッパ超国家へと彼らの政治的主権と独立をまさに移そうとして
いるということである。新しいソビエト連邦(計画中の)を西ヨーロッパ合衆
国と合併させることは新しいソビエト連邦を12の分離した国民国家と統合す
ることよりは遙かに容易であろう--それらの国々の多くは個別的にはソビエト
から彼らの主権を守ることを望むことに傾くであろう。

ソビエトの人間たちにとって一つの統合された「共通のヨーロッパの家」を支
配するための6つの主要な前提条件がある。

1.一つの統一された西ヨーロッパ--1992年に既成事実。

2.軍事的にNATOとヨーロッパからのアメリカの排除。

3.東ヨーロッパのソビエト支配。

4.再編され、再組織されたソビエト主権諸共和国連邦のソビエト支配。

5.西ヨーロッパの人々によって「民主的」と見られるソビエト連邦。

6.大西洋からウラルまで(あるいはゴルバチョフが修正したように、大西洋
からウラディオストック(太平洋)まで)の全地域に対するソビエトの軍事的
支配(「大きな杖」)。

これらの前提条件を簡単に検討してみよう。

第1に、一つのヨーロッパ超国家(方向において社会主義的な)はソビエト超
国家(方向において社会主義的な--しかし民主的であるふりをしている)と統
合あるいは融合することは、真に独立した東西ヨーロッパ諸国の10数カ国と
融合或いは統合するよりも遙かに容易であろう。

第2に、ソビエトの人間たちはアメリカをヨーロッパから軍事的に(そしてで
きる限り経済的にも)追い出すために策略を巡らしまた操作している。
INF[intermediate-range nuclear forces=中距離核戦力]条約はアメリカの中
距離弾道核ミサイル(すなわち、巡航[ミサイル]とパーシングIIミサイル)を
ヨーロッパから取り除いた。ヨーロッパ条約および砂漠の嵐作戦における在来
型軍事力はアメリカを在来型地上軍事力(兵員、戦車、飛行機、物資、等々)
の大部分の撤退へと追い込んだ。合衆国は現在西ヨーロッパにおける79の軍
事基地を撤退あるいは閉鎖しつつある。「申し立てられた」共産主義の死、冷
戦の終結そしてソビエト帝国の崩壊のゆえに、ブッシュとアメリカ支配層はア
メリカ軍をここ2,3年でヨーロッパからほとんど完全に引き上げる計画をし
ている。

その間にソビエトの人間たちはドイツ、フランス、イタリア、ギリシャおよび
スペイン(全部で6つの条約)との一連の条約に調印することによってNATOに
対するアメリカの責任を掘り崩そうと努めている。それらの条約は上述の国々
に危機の場合にはNATOへのコミットを妥協させるものである。フランスはヨー
ロッパ共同体、GATT[General Agreement on Tariffs and Trade=関税・貿易に
関する一般協定]、IMF[International Monetary Fund=国際通貨基金]、世界銀
行、そしてNATO内部でのソビエトの利害を代理することに同意した。イタリア
の条約はイタリアのNATOに対する責任に矛盾対立する。ドイツの条約はドイツ
にソビエト連邦内部にバルチック諸国を保持することを助けるよう約束させ
た。

タス通信はこの7月にこう報じた:「ギリシャとの友好協力条約は...共通の
ヨーロッパの家の建設におけるなおもう一つの要素として役立つ。その条約は
ソビエト連邦とイタリア、スペイン、フランス、ドイツとの間に締結された似
たような国際文書と同じカテゴリーの中に置かれ得る。」

ソビエトの人間たちは今やヨーロッパ共同体とNATO内部に足がかりを得た。そ
してアメリカとそのヨーロッパのNATOパートナーたちとの間にくさびを打ち込
む過程にある。筆者は2年から5年の間にアメリカが軍事的にNATOとヨーロッ
パから退くであろう、そしてNATO(あるいは少なくともヨーロッパを防衛する
というその軍事的使命)は崩壊するであろうと予告する。ヨーロッパはそのと
きまでにほとんど全面的に中立的となるであろう。そしてフィンランド化され
たものとなる(第2次世界大戦の終結以来フィンランドがそうであったよう
に、ソビエトの人間たちによって支配される)であろう。

第3に、上で論じたように、ソビエトの人間たちは東ヨーロッパの完全な支配
をこれまで一度も断念したことはなかった。彼らは今なおそこに50万人の
(あるいはそれ以上の)軍隊を駐留させている。東ヨーロッパでは多くの重要
な地位には目立たない共産主義者たち(あるいは共産主義協力者)がいる。そ
して共産主義者の秘密警察や軍事組織は今なお大部分無傷のままである。さら
に、ソビエトの人間たちは最近東ヨーロッパ諸国と一連の条約を締結し、それ
らは彼らにこれらの国での増大する足がかりを与えている。

第4に、そして第5に、西ヨーロッパをそそのかして一つの(東/西)ヨーロ
ッパの家へと統合するためには、ヨーロッパ人たちにUSSRが民主的になった、
そして新しいソビエト連邦(10年間計画中であった)は自由で独立的で同様
にまた民主的であるということを確信させなければならない。現在の帝国の解
体は偶然的あるいは自然に起こったものではない。それは、ソビエト帝国の現
在の形が旧式で非生産的なものであり、帝国の構造の深い再組織化が不可避で
あるということを知っているゴルバチョフとクレムリンの指導者たちによって
数年にわたってよく計画され、考え出されたものである。新しい連邦は自由、
独立そして民主的であると見えなければならない(しかし実際はそれはソビエ
ト軍事力によって支配されるであろう)。ちょうど、フィンランドが自由であ
ると見えるが、しかし実際にはソビエト軍の銃が頭に突きつけられているがゆ
えにソビエトの命令がそうしているのと同じように。

第6に、東ヨーロッパおよび西ヨーロッパに対するソビエトの軍事的優位はす
でに現在の現実である。西側の軍縮の数年間以上とソビエトの軍備増強(以下
の第IV部を見よ)そして全ヨーロッパに対するソビエトの軍事的ヘゲモニー
(すなわち、東西ヨーロッパのフィンランド化)は一つの既成事実であろう。

西ヨーロッパを吸収しようとするソビエトのマキアヴェリ的戦略のもう一つの
局面は「防衛」の概念、「安全保障」の概念に取って代わったペレストロイカ
的宣伝である。「安全保障」はそれが「集団的」である場合のみ現実的なもの
であると提案されてきた。ヨーロッパとアメリカは「集団的安全保障」(すな
わち、東と西の間の警察強制行動の共同事業)がテロリズム、サダム・フセイ
ン、あるいはマヌエル・ノリエガ、環境危機、等々のような「ヒットラー的独
裁者たち」に対して世界を安全にする唯一の方法であると確信させられてき
た。

それゆえに、最近の中東紛争の間に、アメリカは、その歴史において初めて、
戦争を遂行するため--中東の「集団安全保障」の準備をするため--にその許可
をUSSRに求めざるを得ないと感じた。「集団安全保障」から「世界的安全保
障」(すなわち、テロリズム、薬物、環境汚染、危険な第三世界の独裁者たち
に対する)の概念が成長する。そして「世界的安全保障」はただ一つの世界的
警察力、一つの世界的裁判制度、一つの世界的法律、一つの世界的金融制度、
等々によってのみ準備され得る--そのようなものがブッシュとゴルバチョフの
新世界秩序によって構想されたものである。「世界的警察力」は合衆国、ソビ
エト、ヨーロッパおよび第三世界の軍隊から構成された一つの国連警察軍であ
ろう。

ヨーロッパにとっての「集団安全保障」は(クレムリンの伝道師によれば)西
ヨーロッパ、東ヨーロッパそして新しいソビエト連邦の間の一つの安全保障調
整共同事業を意味する。その共同安全保障調整を誰が支配するだろうか?言い
当ててみよ。675万の兵隊、3万発のミサイル弾頭、7万5千台の戦車、そ
して世界の歴史の中でも最大の軍備を持つ国--ソビエト連邦。

ヨーロッパが1930年代後半に狡猾、欺瞞、操作、偽情報そして最後に圧倒的な
軍事的圧力を通じてナチス第三帝国によって呑み込まれたと同じように確実
に、1990年代のヨーロッパはもっと欺瞞的、マキアヴェリ的でさえあるロシア
の熊によって呑み込まれることへと自らを曝しているのである。(続く)


ファチマ・クルーセイダー

2012年02月25日 | Weblog

今、黙示録

The Fatima Crusader Issue 37(Summer 1991)より

われわれは、もし目覚めないならば、今や聖書に予告されている圧制的な反キ
リストの下での新しい世界秩序/一つの世界政府のまさに出発点にいる。ここ
にあなた自身で確かめることができる重要な証拠がある。以下の論考は1991年
7月のMcAlvany Intelligence Advisorから取られた抄録から構成されてい
る。

「世界革命の最終目標は社会主義あるいは共産主義でさえない。それは現在の
経済組織における変化ではない。それは物質的な意味における文明の破壊でも
ない。指導者たちによって望まれている革命は一つの道徳的および霊的な革
命、それによって19世紀間を通じて確立されたすべての基準がひっくり返さ
れ、すべての尊敬されていた伝統が足下に踏みにじられ、そしてとりわけキリ
スト教的理想が最終的に完全に破壊される観念の無秩序である。」ネスタ・ウ
ェブスター(Nesta Webster)--Secret Societies and Subversive Movements
「秘密社会と転覆運動」という彼女の書物から。

「国家はその愚かな人々そして野心的な人々をさえ切り抜けて生き残ることが
できる。しかしそれは内部からの反逆を切り抜けて生き残ることはできな
い...一人の殺人者はそれに比べれば恐れられるものではない。」マルクス・
キケロ--国家的危機の時に国民に向かって話しかけているローマの愛国者。

「もしそれ(危険の接近)がわれわれに達するとするならば、それはわれわれ
の間から生じるに違いない。それは海外からやって来ることはできない。もし
破壊がわれわれの運命ならば、われわれは我々自身がその創始者でありまた終
結者でなければならない。」エイブラハム・リンカーン。

1990年代初期のアメリカは国連の下で、そしてオカルト的なニュー・エイジ運
動の下で--世紀の転換によって(すなわち、9年間のうちに)一つの社会主義
的政府(ブッシュとゴルバチョフによる「新世界秩序」と呼ばれる)へと次第
に変わって行くために--一つの社会主義的警察国家へと急速に転換されてい
る。

緩やかに煮られている蛙のように、たいていのアメリカ人(たいていの保守派
とキリスト者を含む)はわれわれの基本的諸自由の、われわれの伝統的生活様
式の、われわれのユダヤ・キリスト教的諸価値の、そしてわれわれの国家的主
権と独立の急激な低下を見ることができない。それはあたかも、週に25-3
5時間のテレビと数十年間の物質的繁栄によって催眠術をかけられ無感覚にさ
せられたアメリカ人の全世代が妄想あるいは盲目の精神に引き渡されたかのよ
うである。

ますます社会主義的、集団主義的、国際主義的、反家族的、そして反憲法的な
諸々の法律、布告、あるいは官僚主義的規則や規制が激増し、そしてそれらが
アメリカ人に課されるにつれて、(たいていのキリスト者と保守派を含む)大
多数の人々の無関心と自己満足が同じように急速に増大し続ける。アメリカ人
は、英国、ヨーロッパ、南アフリカ、オーストラリアの人々そしていわゆる自
由世界の多くの人々と同じように、1990年代に現れつつある人民支配のオーウ
ェル的世界における従順で穏和な奴隷となる準備がよくできているように思わ
れる。

新世界秩序/ニューエイジ運動は彼らの秘密の会議と書き物において数十年に
わたり(数百年でないとしても)彼らの究極的な目標が:1)すべての秩序づ
けられた政府の撤廃、2)私有財産の撤廃、3)遺産相続の撤廃、4)愛国主
義の撤廃、5)すべての宗教の撤廃、そして6)家族の撤廃であるということ
を計画し、戦略として整備し、そして書いてきた。これらの目標が達成される
とき(彼らは2000年までにと希望している)、新世界秩序--新時代の曙--、ア
クエリアスの時代が出現するであろう。到来しつつある新時代は、それがイル
ミナーティ(Illuminati)、合衆国自由東方体制(US liberal eastern
establishment)、外国関係委員会(Council on Foreign Relations)、三極
委員会(Trilateral Commission)、ローマ・クラブ(Club of Rome)、ビル
ダーバーガーズ(Bilderbergers)、社会主義インターナショナル(Socialist
 International)、あるいはファビアン社会主義者同盟(Fabian
Socialists)によって担われそして養われようと、欺瞞によって、そして一つ
の超自然的な、悪魔的な原動力によって特徴づけられる。平和、繁栄、兄弟
愛、そして世界統一の点で多くを約束するこの運動はまさに正反対のもの--
死、破壊、隷属そして信じられない悪を産み出すであろう。

1990年代は、--われわれが自由と隷属、真理と欺瞞、善と悪、神とサタンとの
間の歴史の最大の衝突を見るであろうとき、ほんとうに運命の10年間として
の形を取る。キリスト者と他の聖書研究者はどちらの側が最終的に勝利を収め
るかを知っている。しかし、こちらとあちらの間には大きな苦しみ、苦痛そし
て激動が横たわっている。キリスト者、保守派の人々そして他の自由を愛する
アメリカ人は試練の時のために準備し、そして彼らがかつて経験したどの時代
とも似ていない1990年代の評価を検討する準備をする必要がある。そして彼ら
は最終的に勝利する側に自分たちがいるということを思い起こす必要がある。

MIA(McAlvany Intelligence Advisor)のこの号は来るべき矛盾のいくつかの
領域を検討するであろう:アメリカの社会主義への突入、新しい通貨と現金を
使わない社会への前進、一つの世界の銀行業務と金融制度、アメリカ人の生活
のあらゆる局面のコンピュータ化とそれに続く奴隷化する支配、アメリカ人に
対するすべてのプライバシー--財政的および個人的な--のオーウェル的撤廃。
一連の行動がそのとき、来るべき新世界秩序/ニューエイジにおいてできる限
り多くあなた自身そしてあなたの家族を守るために展開されるであろう。

第I部:アメリカ警察国家へ向かって

「某シーザーあるいはナポレオンのどちらかが強い手で政府の手綱を取るであ
ろう。あるいはあなたの共和国(アメリカ)は、ローマ帝国が5世紀にそうで
あったように、20世紀に野蛮人たちによってひどく略奪され、荒廃させられ
るであろう。ただしローマ帝国を荒廃させたフン族やヴァンダル族は外部から
来たが、あなたたちのフン族やヴァンダル族はあなたたちの制度によってあな
たたち自身の国の内部で産み出されるであろうという違いがある。」トーマス
・マコーレイ--1857年5月23日H.S. Randall宛の手紙。

過去17ヶ月の間、ブッシュ大統領は...マイケル・デュカキスの選挙運動か
らほとんど言葉どおりに主要な政策アイデアを採用した。元「デュカキスを大
統領に」スタッフ、マイケル・アロンソンおよびクリストファー・J.ジョー
ジ、1990年6月。

ジョージ・ブッシュ、リベラルな合衆国議会、ガルガンチュワ的無視された官
僚制度、リベラルな合衆国裁判制度、そしてさまざまの州当局と地方自治体は
われわれの歴史におけるどの時代よりも多くの、アメリカ人の自由を窒息させ
つつある法律、規制、規則そして布告を通過させている。

The Wall Street Journal の「規制する大統領」と題された6/17/91の論説
は、ブッシュ政府が他のどの合衆国大統領よりも多くの規則や規制を、空気清
浄法、1986年銀行秘守法、憎むべき犯罪法案(Hate Crimes Bill)、銃規制法
等々によって、推進しているということを指摘した。IRS,OSHA,E.P.A.,BATF,
DEA等々のような(数万人の顔のない、選挙で選ばれたのではない官僚が職員
として働き、合衆国の納税者の基金の数千万ドルから資金提供された)官僚的
な機関を用いながら、ブッシュ政権と議会はアメリカ人の諸々の権利と自由の
大規模な虐殺を主宰している。

数千人のアメリカ人が、過去数年にわたって議会から出された新しい法律から
生じたさまざまの規則や規制の違反の廉で現在逮捕され、裁判を受けさせら
れ、投獄されている。1986年銀行秘守法、空気清浄法、憎むべき犯罪法案そし
てさまざまの銃規制主導権のような法律が違反に対する付加された刑事罰則を
伴って通された。多くの場合、新しい規制の公的予告はほとんどあるいはまっ
たく与えられていない。アメリカにおいては法を知らないことは防衛ではない
ことを思い起こしなさい。そこで、OSHA、IRS、BATF、EPAそして他の諸機関か
らの政府職員たちは出かけて行って、多くの場合規制について一度も聴いたこ
とがない人々に対して罠をかける(これらの罠は「おとり捜査」と呼ばれ
る)。政府の「犠牲者」は犯罪とされた新しい規制に違反するようにおびき寄
せられる。そして次に逮捕され、起訴されそして裁判にかけられる。これらの
「おとり捜査」の犠牲者たちの大部分は有罪判決を受ける。そして--他の人々
を新しい法あるいは規制に完全に従うように脅迫するために--その裁判は十分
に周知徹底される。

ポール・クレイグ・ロバーツ(Paul Craig Roberts)は通信社を通して発表さ
れたすぐれた論説(6/15/91)の中でこう書いた:「歴史的に見ると、法の目
的は予測できないそして恣意的な権力から市民を守ることであった。しかしそ
れらの日々は過ぎ去った。今日では、合衆国政府は法的行為の根拠としてこれ
までに知られていなかった罪を根拠に私的な市民たちを起訴している」。ロバ
ーツはエクソンの予期しないヴァルデス・スーパー・タンカーのオイル漏れに
対する重罪の有罪判決を得ようとする試みにおける「政府のKGBスタイルの恣
意的および乱用的な権力の適用」に言及した。政府は最終的に、明らかに前も
って計画されたのではない事故であったものに罰金としてエクソンから10億
ドルの金を巻き上げた。

合衆国(あるいは州)政府の恣意的な権力乱用の例はアメリカ中で増加しはじ
めている。以下のほんのわずかのものがその傾向を例証するであろう。

1)カリフォルニアにおいて、州警察は今、捜索令状なしに市民の家のドアを
蹴落とし、家宅捜索を行い、もし警察が登録されていない武器(56の目標と
された武器のリストに載っている)を所有しているという「犯罪」の嫌疑をか
けるならば、登録されていない火器を押収することができる。銃の所有者は懲
役3年に直面する。

2)ミルウォーキーにおいて、群保安官代表者と警察は5/4/91に非合法の薬物
のために車を恣意的に捜索するために1-94[ルート]上で路上障害物/チェック
ポイントを設定した。すべての者は無罪であると証明されるまでは有罪の者と
して取り扱われた。これは上述の1)項と同じように、「令状のない捜索と逮
捕」からの憲法上の保護の明らかな違反である。

3)合衆国最高裁判所は5/23/91に、警察が手荷物および車の他のコンテナを
捜索令状なしに捜索してもよいと7対2で裁決した。

4)合衆国最高裁判所は5/13/91に、警察が人々を令状なしに逮捕し、その逮
捕が正当化されるかどうかについての何らかの聴取以前に48時間彼らを拘置
所に留めておくことができると5対4で裁決した。[最高裁判所]判事アントニ
ン・スカリア( Antonin Scalia)はその裁決を「憲法違反の警察権力の拡
大」として公然と非難した。「これから先、不当に逮捕された市民を守る法律
は、彼を拘留する理由は絶対にない、誤りが犯されたのだと裁判官に示す機会
を一度も与えられずに、2日間拘置所で待つことを強いられるであろう。」

5)ブッシュ政権は、ニューヨーク・タイムズ--5/24/91によれば、「外国人
に対する国外追放裁判における秘密審理、秘密証拠、そして秘密判決の体系」
を求めるその大部の刑法典の一部として40ページの法律を押し進めている。
秘密国外追放公聴会に呼ばれたNYTの記者アンソニー・ルイス(Anthony
Lewis)は--それによって、外国人は直ちに拘留され、聴聞される権利を否定
され、彼に対する何らの証拠もなしに国外追放され、そして裁判所が指定する
国へ国外追放される法律を--「200年間のアメリカ憲法の伝統および法律と
の徹底的な断絶」だと呼んだ。

「アメリカにおける秘密裁判のための計画」というサブタイトルをもつそのタ
イムズの記事は、北京政権に反対していた一人の中国人学生が中国共産党政府
によって提供された証拠に基づいて中国へ強制送還され得るであろうと結論し
た。

6)テキサス、ルリング(Luling)の警察は、--抜いた銃をもって急襲しなが
ら--一人の青年を探しに、ある家の夜間手入れを行った。彼らが犯罪者だと思
い、「威嚇的に行動した」82歳の父親は5回も胸を撃たれた。39歳の息子
は少量のダイエット・ピル所持で逮捕された。そして警察は適切に行動したと
宣言された。

7)6/27/91に、サン・フランシスコ警察署は彼らが「憎むべき犯罪」(おそ
らく、--サン・フランシスコ人口の大きなパーセンテージを占める--同性愛者
たちに対する--)法で処理するために全区域を設定したと告知した。

8)5月に、薬物強制管理(the Drug Enforcement Administration=DEA)は
DEAが潜在的なマリファナ栽培者を捜査するので、国中の庭園業者から顧客の
リストを要求した。数千人のガーデニングをする人々や水耕栽培用品の使用者
たちは尋問されたり、あるいは潜在的な薬物被疑者として監視下に置かれるで
あろう。

9)6/13/91に、カルヴィン・ウォン(Calvin Wong)18歳は彼のサン・フラ
ンシスコ湾岸地域高校の正式服装での卒業式から無理矢理に引きずり出され、
手錠をかけられ、そして2週間の間強盗事件の捜査の一部として拘置された。
2週間後警察は人違いであったと結論した。そしてウォンをノーコメントで釈
放した。

10)昨年のクリスマスに、著名人のサイン入り写真を蒐集しているジョー・
リー(Joe Lee)はサイン入り写真を求めてミハイル・ゴルバチョフに手紙を
書いた。FBIは(郵便局と協同で)リーの手紙を開封し、そして次に彼を尋問
するために彼の家に来た。この「非合法の手紙無断開封」について質問された
とき一人のFBIスポークスマンは、FBIがいくつかの外国に送られる手紙を定期
的に見ていると答えた。

80年代半ばに、この論考の著者、大いに憎まれた南アフリカ共和国へしばし
ば旅行していたドン・マックアルヴァニーはあるCIAの職員の訪問を受けた--
彼は南アフリカにおけるあなたの編集者の多くの接触について質問した。彼の
釣り旅行はリハーサルであった。しかし、次の12ヶ月以上にわたって、実際
にこの著者が南アフリカ共和国から受け取ったすべての手紙は無惨に引き破ら
れ、テープで閉じられていた--ビッグ・ブラザーが南アフリカからの私の郵便
物を読んでいたことをまさにそれほど繊細ではない仕方で思い出させるもので
ある--。この著者が南アフリカ共和国へ送った郵便物の多くはこの時期の間決
して受け取られなかった。

11)辞職するCIA長官ウィリアム・ウェブスター(William Webster)はCIA
が合衆国内部で(その憲章の違反)いわゆる団体スパイに対して働くことを許
されるべきだと提案した。このことはすぐさまCIAエージェントたちを合衆国
の諸団体に対して、またその内部でスパイさせる地位に置くことができるであ
ろう。そしてアメリカ人民に対して用いられるべきCIAのためのパンドラの箱
を--ソビエト連邦においてKGBがロシア人民に対して用いられるように--開く
ことができるであろう。

12)アメリカにおけるキリスト者たちは、祈り、あるいは公立学校で聖書を
論じ、公立の公園で降誕の場面を展示し、公的な場所に十字架を建て、或いは
中絶クリニックに反対して非暴力的に抗議する彼らの権利を行使するという自
由な言論の権利をますます否定されつつある。多くの事例において、警察は平
和的な中絶反対のデモ参加者に暴力を振るい、傷つけた。彼らは今度はRICO法
の下で投獄され、そして/あるいは平和的にデモをしたことに対して思い罰金
刑を科されるのである。

第I部の結論

最高裁判所判事アントニン・スカリアは、拘置所での48時間拘留に対する彼
の異議の中で、合衆国の裁判所が、憲法の作成者たちが保証していた諸権利を
無実の人から取り去る一方で、罪のある犯罪者たちを保護する、合衆国憲法の
うちには見だされない、諸権利を創り出していると指摘した。アメリカ人は常
習犯罪者たち(すなわち、殺人者たち、強姦者たち、薬物売人たち、強盗等
々)の自由な甘やかしで養われ、そしてこれらの犯罪者たちに厳しくする態度
を要求されている(そしてそれは正当にそうであるが)。しかし、彼らが理解
していないことは、リベラルな議会、ブッシュ政権、官僚、そして裁判所が新
しいそして有罪とされた政府の諸規制に巻き込まれた数万人の無実のアメリカ
人を起訴するために諸々の法律、規則そして規制を通過させる一方で、常習犯
罪者たちに対して手ぬるいあり方を続けるであろうということである。例え
ば、空気清浄法の違反は450年の懲役刑という判決で終り得るが、これは殺
人、強姦あるいは銀行強盗に対するよりも5倍から10倍厳しいものである。

後に検討されるであろうが、たいていの納税違反は「マネー・ロンダリング」
であると宣言されようとしている。それは有罪とされ、懲役刑によって処罰さ
れるであろう。銃規制違反は同様に有罪とされるであろう。これはアメリカ人
の異議を唱える人々、保守的な人々、キリスト者たち、等々を沈黙させる新し
い方法なのか?これはジョージ・ブッシュがアメリカの刑務所の収容能力を2
倍にするよう命令した理由なのか?犯罪に対する戦争は、薬物に対する戦争と
同じように、犯罪者たちに対する戦争では全然なくて、--正直な、法律を遵守
する、愛国的な合衆国市民--特に新世界秩序に反対する者たち--に対する戦争
である。それは、1930年代にドイツにおいてナチスが権力の座に上り、愛国者
たちの残りの者が彼らに反対したときのようなものであるのか?

[編集者注]:社会主義、銃規制そしてアメリカ人民に対する警察国家諸統制へ
のこれらの傾向のすべては1992年大統領選挙のすぐ後に劇的に加速するであろ
う。ジョージ・ブッシュと彼の新世界秩序の暗黒面が1993年初頭には明らかに
なり始めるであろう。国際銀行家ポール・ウォーバーグ(Paul Warburg)が合
衆国上院に(12/2/50に)告げたように、「われわれは好むと好まざるにかか
わらず、一つの世界政府を持つであろう。唯一の問題はそれが同意によって創
られるか、それとも征服によって創られるかということである。」MIAのこの
号を保存しおき、1993年初頭に読んでみなさい。

第II部:現金のない社会へ向かって

現金は自由(freedom)である! 社会主義者たちそして新世界秩序の群衆は人
民を完全に支配するために、彼らが人民の支出を監視し、彼らの金銭を支配し
なければならないということを理解している。それゆえに、数十年にわたっ
て、世界政府の主張者たちはコンピュータ化された銀行業務あるいはクレジッ
ト・カード・システムへと(最初は国家的にそして次に国際的に)注入される
べきすべての金融取引を推進してきたのである。現金のない社会は人民支配を
意味する。

来るべき数ヶ月(あるいは数週)のうちに発行されるはずである新しい通貨は
世界的通貨と中央銀行への、そして究極的にはコンピュータ化された現金のな
い社会への、単に一つの踏み石、一つの中間的な一歩にしかすぎない。--現金
のない社会は2000年までに、あるいはそれよりも早く、世界主義者たちが誘導
しようと計画している新世界秩序/ニューエイジ体制にとって本質的なもので
ある。

第III部:アメリカ人民のコンピュータ化

「さらに、彼のたくらみで、偉大な者、小さな者、貧しい者、富む者、自由
民、奴隷のすべては右の手と額にしるしをつけさせられた。獣の名あるいはそ
の名の数をしるされていない者の他は、だれも売買することができぬようにす
るためである...獣の数字...それは人間の数字であって、その数字は666で
ある。」黙示録13:16-18

われわれはコンピュータの時代に生きている。コンピュータの知識、処理の速
度そして技術は今や2年ごとに倍加している。コンピュータ技術および情報収
集におけるこの驚くべき爆発はあなたについてのすべての傷つき易い個人的お
よび財政上の情報が中央集権化され、審査のために利用可能とされる段階に達
した。

数年にわたって政府はあなたについての傷つき易い膨大な量の情報を集めた。
しかしその情報を十分に利用することができなかった。なぜなら、このデータ
を管理し関連づけることができなかったからである。実質的にすべての政府の
記録ファイルのコンピュータ化とともにすべてのことが変化した。この処理は
過去10年以上にわたり政府のあらゆるレベルで、そして私的な部分において
急速なスピードで起こった。銀行、クレジット会社、保険会社、あらゆる種類
の店舗やビジネスそして一般的企業主たちは今これらの記録にアクセスでき
る。その記録は数秒以内にあなたについての傷つき易い情報の膨大な量を与え
ることができるのである。

すべての情報のこの全体的なコンピュータ化の主眼点は現金のない社会であ
る。それによってコンピュータは貸し方と借り方を電子的に移すであろう。貸
し方と借り方が電子的に移され、そしてあなたの異なった財政的勘定書からは
いかなる「現金」も所有主が変わらないので、--現金の必要はなくなるであろ
う。なぜなら、コンピュータが電子的に処理を行うであろうから。現金や小切
手の必要は消えてなくなるであろう。今日、すべての銀行業務の4分の3以上
が電子的に処理されている。合衆国政府は非常に多くのビジネスと同じよう
に、たいていの官公庁給与支払い、福祉および社会保障管理を電子的に預金し
ている。

各々のアメリカ人は彼に関する数ダースの(数百のではないとしても)コンピ
ュータ・データ・ファイルを持っている--政府が現在各アメリカ人に関する2
ダースと3ダースの間の別々のファイルを維持していると共に--。この種々雑
多なものから成るコンピュータ化されたデータ・ベースのすべての政府による
管理、合併、統合そして使用の鍵は--さまざまのデータ・ベースのすべてを一
緒にまとめるための--たった一つの普遍的な番号である。あなたの社会保障番
号があのコンピュータ化された情報のすべてを合併しそして公表するための普
遍的な鍵となった。

アメリカにおいてあなたの社会保障番号なしに生活することは実際問題として
不可能である。もしあなたが政府と何らかの接触を持っているならば、あなた
はその番号を持たなければならない。それは連邦、州そして地方の納税書式の
ため、すべての医療計画のため、パスポートのため、福祉を受けるため、失業
給付のため、医療費支払いの為、食料キップのため、何らかの目的のための何
らかの政府の調査のため、銀行預金口座あるいは有価証券口座を開くため、等
々で要求される。たいていの企業や小売商店は、たいていの医師、歯科医そし
て開業医がそうするのと同じように、取引に際して社会保障番号を要求し始め
た。(誰もこれら後者のグループに番号を示すことを法的に義務づけられては
いない。そしてそうすることはこの著者には賢明ではないと思われる。)

政府の国家コンピュータ・ネットワーク

コンピュータ・テクノロジーにおけるこの爆発と社会保障番号を通じての数十
の(あるいは数百の)データ・ベースの結合から、あなたの生活、財政、そし
て文字通り揺りかごから墓場までの諸活動をカバーするあなたあるいはあなた
の家族に関する何らかのあるいはすべての情報をそこで政府諸機関がほとんど
瞬時に呼び出すことができる一つの国家的コンピュータ・ネットワークが実現
した。(社会保障番号は今や2歳以上の者に要求される。)

1985年以来IRSはすべてのアメリカ人をコンピュータ化した。そしてそのプロ
ジェクトは今や事実上完全である。コンピュータ・プロフィールは今や事実上
あらゆるアメリカの家庭あるいは個人の上に存在しており、それは政府がコン
ピュータによってあなたたの諸活動、足跡、軌道の全てを事実上監視し、あな
たの財政、ビジネスあるいは個人的取引を見張り、非常に手っ取り早くあなた
の居場所を突き止め、そしておそらくあなたのコンピュータ化された財政的プ
ロフィールに基づいて結局はあなたの税金を直接査定し、--支払期日の来た税
金のためにあなたの銀行口座から電子的に引き落とすことを可能にするであろ
う。

アメリカ人民のコンピュータ化は政府があなたを揺りかごから墓場まで見張り
そして支配することを可能にするであろう。もしこのことがジョージ・オーウ
ェルの1984年、ニコライ・チャウセスクのルーマニア、ヒットラーの第三帝国
あるいはゴルバチョフのあるいは小平の共産党「天国」のような代物に思わ
れるならば、--それはそうであるがゆえにそうなのだ!未来の新世界秩序/ニ
ューエイジ政府は過去のいかなる全体主義的権力よりももっと完全にそしても
っと効果的にその人民を監視し支配することができるであろう。コンピュータ
はそうするために彼らを助けるであろう!

第III部:結論

過去10年から15年にわたるコンピュータ・テクノロジーにおける爆発は相
反するものを含んでいる一つの祝福である。それはわれわれの生活をより効果
的なもの、組織化されたもの、そして素早く探知されるものとした。しかしそ
れはまたわれわれの生活のあゆる局面をビッグ・ブラザーが綿密に調べ、跡を
つけ、そしていつか支配するかぎり、パンドラの箱を開きもしたのである。2
歳以上のアメリカの子どもたちは、彼らがほとんど文字通り揺りかごから墓場
まで追跡されることができるように、今や一つの社会保障番号(政府の無数の
データ・ベースに彼らを結びつける彼らの普遍的番号)を持たなければならな
い。

慈悲深い、自由市場の、自由へ方向づけられた政府(親切なアメリカ人がほと
んど200年間享受してきた)と共にであれば、このコンピュータ・テクノロジ
ーはなんら脅威ではないであろう。しかし、権力を握ったヒットラー、ゴルバ
チョフ、あるいは小平、あるいは新世界秩序/ニューエイジ志向の指導部と
共にであれば、このコンピュータ・テクノロジーはアメリカと世界を奴隷化す
るための危険な手段となり得るであろう。

第IV部:ビッグ・ブラザーはどのようにわれわれのプライバシーを撤廃してい
るか

プライバシー[他人から干渉されない自由な私生活]は自由の最も基本的な構成
要素の一つである。それにもかかわらず、それはたいていのアメリカ人が--そ
れを失うまでは--完全に、特に注意を払う必要のないものとみなしているもの
である。ちょうどジョージ・オーウェルのすべてを見、すべてを知っているビ
ッグ・ブラザーがそうであるように、われわれの政府は、彼らをもっとよく保
護し、課税し、支配することができるように、今やすべてのアメリカ人につい
てあらゆることを知りたいと望んでいるのである。プライバシーは(現金と同
じように)今やわれわれの政府官僚たちによって、--1990年代の「憎むべき
罪」と同じように--悪と見なされている。

この論題の第I部(1990年1月に書かれた)においてこの著者はこう書いた:

「ジョージ・オーウェルの古典的小説1984年は、その中で全能の、社会主
義的政府(オーウェルによって「ビッグ・ブラザー」と呼ばれている)が彼ら
の生活、彼らの運動、彼らの財政、そして彼らの思考さえのあらゆる局面を支
配することによって人民を奴隷化している一つの灰色の抑圧的な世界を描い
た。ビッグ・ブラザーは彼らを彼ら自身から保護するために人民の生活のあら
ゆる局面を統制した。彼は言葉と概念の意味を変えた、あるいは逆にした。そ
の結果、「隷属」は「自由」と呼ばれ、「戦争」は「平和」と呼ばれ、「憎し
み」は「愛」と呼ばれ、以下そのような仕方であらゆるものが呼ばれた。」

「彼は大衆を、彼自身のブランドの並の娯楽(それは最も左翼的な政治プロパ
ガンダで彼らを洗脳した)でもって絶えず楽しませた。彼は定期的な地域戦争
でもって大衆の気を紛らせた。打ち解けて心安いと思われるか?彼は人民の良
心となった。彼は歴史を書き換えた。そして彼は彼の臣民たちの精神と思想と
を支配した。しかし最も重要なことには、ビッグ・ブラザーは人民を見張った
--彼は1日24時間彼らと彼らの生活のあらゆる局面を絶えざる監視下に置い
た。ビッグ・ブラザーはプライバシーのすべての局面を全面的に廃止した。

「数十年にわたってビッグ・ブラザーのテクニックを実践してきた東ヨーロッ
パ中のすべての共産主義政権が解体しつつあると「思われる」ある日に、アメ
リカ合衆国がジョージ・ブッシュの下でこれらの同じKGBスタイル--すべて人
民を一連の社会に脅威を与える危機から守るという名目の下に--を制定するた
めに動いているということは皮肉である。われわれば薬物危機、環境危機、地
球温暖化危機(世界はだんだん寒くなっているのに)、テロリスト危機、犯罪
危機、等々を抱えている。--そしてビッグ・ブラザーはアメリカ人民をこれら
の危機から守らなければならない。

「これらの危機の各々は、アメリカ人の生活のあらゆる局面に対する[古代ギ
リシャのドラコンのような]過酷な社会主義的統制を課すためのリベラルな政
治家や官僚の徒党を組むための口実である。1990年代の社会主義的アメリカに
おいて、ビッグ・ブラザーがアメリカ人がするあらゆる動きを綿密に調べ、あ
らゆる取引を監視し、そして最終的にあらゆる決定を統制することを望んでい
る。金銭とその自由な抑制されていない流れは資本主義社会の生き血であり、
もしビッグ・ブラザーがその流れを監視し支配することができるならば、彼は
社会を支配することができる。抵抗する普通の市民は犯罪者(すなわち、マネ
ー・ロンダリングをする者)として烙印を押され、それに応じて処置されるで
あろう。」

最初に1967年に出版された「プライバシーと自由」という書物において、アラ
ン・ウェスティン(Alan Westin)教授はプライバシーをある形式においてす
べての文化に共通の、そして正しい「心理学的バランス」の維持に必要な一つ
の基本的な人間的要求として見る見方の強い擁護論を唱えている。人々、諸々
の組織そして諸々の政府は適切に機能するためにはあるプライバシーを持たな
ければならない。共産主義者たちが、ロシアと中国において[政権を]引き継い
だとき、した最初のことはすべての形式のプライバシーを破壊することであっ
たということは興味あることである。彼らは、そこで隣人たちが隣人たちを密
告するスパイ網を確立した。--ちょうどブッシュ政権が、今日銀行員たちや金
融業者たちに顧客をスパイし、どんな「疑わしい行動」をも報告するように奨
励しているのと同じように--。独裁者たちは人民を支配するためにプライバシ
ーを破壊しなければならないのだ。

ソビエト連邦においては、KGBはすべてのひとがすべてのことをするのを事実
上常時監視している。このドラコン的マキアヴェリ的な人民監視および支配の
体制(ソビエト型の身分証明書を完備した)は、アメリカが社会主義に変わ
り、新世界秩序の方向へ突き進み、ソビエト連邦と合併するにつれて、1990年
代にアメリカに入って来ている。

途方もないコンピュータ・テクノロジーと他のハイテク機器の激増は社会主義
的合衆国をして、プライバシーを廃止し、そして数年のうちに人民を完全に支
配するためにアメリカ人民の生活のすべての局面(財政的および個人的)を監
視することを可能ならしめている。

結論

ジョージ・オーウェルの1984年は、ジョージ・ブッシュと行政における彼
の社会主義的新世界秩序連合、議会そして政府官僚によって導入されて、1990
年代初期にアメリカにおいて急速に現れている。アメリカとロシアが「われわ
れの共通の関心の合同」に向かって動いているので、アメリカは毎日ソビエト
連邦により似たものになって来ている。アメリカを支配している社会主義者た
ち(共和党も民主党も両方とも)は、もし彼らが現在の猛攻を続けるならば、
アメリカ人から実質的にすべてのわれわれの自由(財政的およびその他の)を
奪い、1990年代の10年間が終わる前にわれわれを奴隷に変えてしまうであろ
う。そして彼らはそれをすべて善の名において、薬物危機、財政的危機、環境
危機、犯罪危機、等々からわれわれを守るという名においてするであろう。

過去30年から40年間にこの国で成長したたいていのアメリカ人は一度も犯
罪を犯したことがなく、彼らの税をごまかさず、彼らの国と政府を愛し、警察
が犯罪者を追跡して逮捕したときには喜んだ、正直な、法律を遵守する市民で
ある。われわれはたいてい非常な法律施行賛成、警察賛成、FBI賛成、等々で
ある(そしてそれはこの著者も含んでいる)。しかし、ロシアや中国における
警察や政府役人が彼らの市民を追跡逮捕し投獄するときには、なぜわれわれは
喜ばないのか?なぜなら、これらの市民は全般的にどんな罪も犯していないの
であり、これらの政府は悪く抑圧的だからである。今日、アメリカにおいては
正直で法律を遵守する市民は、抑制を失って社会主義の方へ突進している合衆
国政府によって犯罪者だと宣言されている。そしてわれわれの諸権利を守るは
ずの警察と政府職員たちはソビエト・ブロックにおける彼らのよく似た相手の
ようにますます行為し始めている。

もし細部から離れて大きな絵を見るならば、アメリカの現在の軍縮と合併への
衝動を、銃規制の不可抗力を、現金のない社会、財政的プライバシーの廃止、
われわれの生活のたいていの局面に対する社会主義的統制への動きを見るなら
ば、一つの非常に不吉な絵がアメリカにおける自由に関連して出現してくるの
である。われわれは警察国家の中に生きる奴隷として次の世紀へと入るように
運命づけられるのか?


ファチマ・クルーセイダー

2012年02月24日 | Weblog

ローマ・カトリック聖職者の中への共産主義者の潜入

The Fatima Crusader Issue 33, Summer 1990より

聖家族ベネディクト会、ニュージャージー、ベルリン

ピオ11世教皇はその偉大な回勅無神論的共産主義についての中で、「モスク
ワからキリスト教文明に反対する闘争を指揮している、教会の最も永続的な敵
自身が...教皇制は共産主義の危険に対する公的な注意を、地上における他の
いかなる公的権威よりもより頻繁にそしてより効果的に、呼び起こしたという
ことを証言した」(par. 6)と指摘された。それでもしカトリック教会が共産
主義のそのように効果的な敵対者であるならば、敵対するものの絶滅はマルク
ス・レーニン主義者たちにとって最優先事項であろうことは明らかである。そ
れは滅ぼされなければならない。もし直接的な破壊によってでないならば、そ
のとき潜入と転覆によってである。

何年にもわたって、内部から教会を破壊する目的のために神学校に入りそして
司祭に叙階されるであろう共産主義者たちによる教会の潜入についての噂と報
告があった。われわれはここにこれらの噂の強いそして否定できない確証を提
示する。以下に述べることはモスクワが教会の潜入のための恐ろしいほどに成
功した戦略を命令し、指導し、実行したということを認めている元共産主義者
たち自身からの引用と言い換えである。

フランス共産党の元党員であるアルベール・ヴァッセール(Albert Vassert)
は1955年に、モスクワが、注意深く選ばれたコミュニスト青年党員たちが神学
校に入学し、訓練の後、司祭として叙階を受けるようにという1936年命令を発
したということを明らかにした。これらの者たちのうちの何人かは修道会、特
にドミニコ会に潜入しなければならなかった。(デイトリッヒ・フォン・ヒル
デブラント(Deitrich von Hildebrand)はそのエッセイ「働くサタン」のな
かで、フランスのドミニコ会は彼らの「福音宣教」においてあまりにも共産主
義的となったので、1953年にその修道会はピオ12世の命令によってほとんど
解体を免れなかったと報告した。)

クレムリン、カトリック聖職者の潜入を命じる

アメリカ共産党の元高官であるマニング・ジョンソン氏(Mr. Manning
Johnson)は1953年に非アメリカ活動委員会(the House Unamerican
Activities Commission)に対して以下の証言を行った。「宗教的諸組織の潜
入の戦略がひとたびクレムリンによって設定されたら...共産主義者たちは、
宗教の破壊が教会それ自身の内部で働く共産主義者たちによる教会の潜入を通
じてはるかに急速に進行し得るということを発見した。合衆国における共産党
指導者部はこの国における潜入戦略はアメリカの諸条件およびこの国に特有の
宗教的構造に適合しなければならないであろうということを理解した。最も初
期の段階では、彼らに利用可能であるただ少数の力で共産主義者のスパイを神
学校に集中する必要があると決定された。共産党指導者たちによって引き出さ
れた実際的な結論はこれらの制度が小さな共産党少数派にとって共産主義的諸
目的へと導く道において将来の聖職者たちのイデオロギーに影響を与えること
を可能にするであろうということであった。」

さらに続いて彼の証言において、ジョンソン氏は以下のような動かし難い事実
を指摘した。神学校潜入のこの政策はわれわれ共産主義者の期待をさえ超える
成功であった。。

「もしある団体が1%の共産党と9%の共産党シンパを持つならば、この10
%は個人的な基盤で行為し考える残りの90%を効果的に支配することができ
る。」

ジョンソン氏はさらにこの潜入の目標は二つだったと証言した:

1.カトリック教会を共産主義に対してもはや効果的ではないものとすること

2.聖職者の考えを霊的なことから引き離して世俗的および政治的なことへと
方向づけること...それゆえに、「社会的福音」の説教へと方向づけること。

[編集者注:あなたは、第2ヴァチカン公会議がその全16文書のうちで、た
だ1つの脚注においてだけしか共産主義に言及しなかったということを知って
いたか?公会議の間に、共産主義が明示的な取り扱いを受けるようにと要求す
る454人の枢機卿によって署名された1通の請願書が「不可解なことにどこ
かに置き忘れられた」。第2ヴァチカン公会議以来、教会は今、彼らに反対す
る代わりに、共産主義者たちと「対話している」...マルクス主義者の夢は実
現している!]

アメリカ合衆国において1100人の急進派青年が1930年代に聖職階級に入った

ベッラ・ドッド夫人(Mrs Bella Dodd)は彼女の生涯のほとんどをアメリカ共
産党で過ごした。そしてもし党がホワイト・ハウスを得たときには法務長官に
指名されるべき人物であった。[共産党]離反の後、彼女は、共産党員としての
彼女の仕事の一つは急進派の青年たち(必ずしも党員証を持っている共産主義
者ではない)にカトリックの神学校に入学するようし向けることであったとい
うことを明らかにした。彼女が合衆国において党を去る前に、神学校と修道会
に潜入するよう、ほとんど1000人の急進派の青年たちを彼女自身、励まし
た...そして彼女が唯一の共産党員であった、と言った。

聖家族修道院院長のジョゼフ・ナターレ・ブラザー(Brother Joseph
Natale)は1950年代初期にベッラ・ドッドの講義の一つに出席した。彼はこう
語っている。「私はその女性の話に4時間耳を傾けた。そして彼女は私の髪の
毛を恐ろしさのために逆立てさせた。彼女が言ったすべてのことが文字通り実
現されてきた。あなたは彼女が世界の最も偉大な預言者であると考えるであろ
う。しかし彼女は預言者でも何でもない。彼女はただカトリック教会に対する
共産主義的転覆の段階的闘争計画を暴露しただけである。」

多くの者は今司教である

彼はこう説明する。「彼女は世界諸宗教のすべてのうちで、カトリック教会は
共産主義者たちによって恐れられている唯一の宗教であると言った。なぜな
ら、カトリック教会は共産主義の唯一の効果的な敵であるからである。元共産
党員として話しながら、彼女は「1930年代に、私たちは教会を内部から破壊す
るために司祭階級の中へ1100人の人々を送り込みました」と言った。その考え
は、これらの人々にとって叙階されること、そして次に影響力と権威の階段を
昇ること--大司教や司教になること--であった。そのときのことを振り返って
彼女はこう言った。「まさに今、彼らは最高の地位にいます」と。そして彼ら
は、カトリック教会が共産主義に対してもはや効果的ではないものとなるよう
に変化をもたらすために働いています」と。彼女はまた、変化はそのように徹
底的なものであろうから、「あなたたちはカトリック教会を認めないでしょ
う」とも言った。」(これは第2ヴァチカン公会議のおよそ10年から12年
前のことであったことに注意せよ。)

われわれの信仰を破壊する陰謀

ひとたびこれらの人間が司教となると、彼らの影響は広く広まることができる
であろう。なぜなら、「司教たちは司教たちを産む」からである。そしてこれ
らの代理者たちは彼らの影響力を、必ずしも共産主義者たちに献身してはいな
いが、しかし進歩的そしてリベラルな精神構造を持ち、そして聖職者階級の諸
段階内部で新しい哲学や神学を促進することを当てにすることができる聖職者
を昇進させそして促進するために用いるであろう。ひとたび聖職者が感染させ
られたならば、彼らはこの伝染病を平信徒にうつすであろう。その全体的な考
えは教会の制度を破壊することではなくて、むしろ人々の信仰を破壊すること
であった。そしてもし可能ならば、一つの擬似宗教、カトリシズムに似た、し
かしまったく本物ではない何かあるもの、の促進を通じて信仰を破壊するため
に制度をさえ用いることであった。ひとたび信仰が破壊されたら、次に制度の
徐々の廃止が起こるであろう。

「彼女は、『過去の教会』を、抑圧的、権威主義的である、偏見に満ちてい
る、真理の唯一の所有者であると主張することにおいて傲慢である、そして数
世紀にわたる宗教的諸団体の分裂に責任があるものとしてレッテルを貼るため
に...罪のコンプレックスが教会の中へ導入されるでしょう、と言った。この
ことは教会指導者たちを恥じ入らせて「世界に対して開かれていること」へ、
そして他のすべての諸宗教や諸哲学に対するもっと柔軟な態度へと変わらせる
ために必要であろう、と。共産主義者たちは次に教会を[内から]堀り崩すため
にこの開かれたあり方を活用するであろう。ドッド夫人は実際やって来るはず
であった「エキュメニズム」を述べていたのである。そして今、ファチマの聖
母の重大な警告が来た。ロシアはその誤謬を、教会のまさに懐の中にさえ、広
めたのである。

これは不測の出来事ではなかった

現在の世界的な荒廃と教会内部の信仰の危機は、それゆえに、決して説明不可
能な現象ではない。それは不測の出来事であるにはあまりにも完全でありすぎ
る。偶然に起こるために何事も残されなかった。触れられないままに何事も残
されなかった。それが典礼であれ、カテキズムであれ、神学校であれ、秘蹟で
あれ、あるいは何であろうと他の何であれ、何らかの仕方で、いわゆる第2ヴ
ァチカン公会議の「刷新」以来変えられ、弱められ、転覆され、あるいは取り
除かれなかったカトリシズムのたった一つの局面もない。「一つの敵がこのこ
とをした」...敵どもはファチマの聖母によって警告された共産主義の組織を
通じて働く、ラ・サレットの聖母によって言及された、地獄から解き放たれた
悪魔たちである。われわれは頑固に神に背を向けたので、神は今、われわれが
現代においてそのように進んで抱きしめている彼らの悪と不道徳のまさに悪魔
たちによって厳しく罰せられることをわれわれに許しておられる。われわれが
喜んで聴こうとさえしていれば、ファチマの聖母はわれわれに答を与えられ
た。聖母はこう言われた。「ロシアは世界を、その罪のゆえに罰するために神
によって選ばれた道具となるでしょう...人は神に背くことを止めなければな
りません。」それゆえに、平和、健全さ、秩序そして聖性がわれわれの教会そ
してわれわれの世界に戻ってくるのはただ、罪を棄て、神へと立ち帰り、神の
啓示を学び、自らの信仰を生き、ファチマの聖母の要求を満たすことによって
のみなのである。


ファチマ・クルーセイダー

2012年02月21日 | Weblog

現代エキュメニズムは欺瞞である

The Fatima Crusader, Issue 31-32 March-May 1990より

聖ベネディクト会、ニュージャージー、ベルリン

この解説の目的は現代的エキュメニズムに石を投げることではまったくなく、
忠実なカトリック教徒に彼らの「高価な真珠」、彼らの一つの真の聖なるロー
マカトリックの信仰を時代の自由な精神に明け渡す危険を警告することであ
る。

1908年版のカトリック百科辞典には「エキュメニズム」という語は現れさえし
ていない。それはエクアドルからエキュメニカル公会議へさらにエッダへとま
っすぐに続いている。エキュメニカル公会議というこの見出しは以下のことを
含んでおり、それ以上は何もない:

エキュメニカル公会議:公会議、一般を見よ。

しかしながら、1965年のカトリック百科辞典には7ページが「エキュメニカル
運動」に充てられている。それゆえに、エキュメニズムは20世紀の現象なの
である。60年という短い期間にわれわれが今日それを知っているようなエキ
ュメニズムは非存在の状態から「教会の新しい神学」の不可欠の骨組みとなっ
たのである。

エキュメニズムの定義

エキュメニカルな運動は基本的には、すべての諸教会の単一の教会への再統合
への運動である。それは身体において一つであるが、しかし必ずしも同一の宗
教的教義を持っていない...われわれが共通に持っているものに焦点を当て、
われわれを分かつ事柄をもみ消すものである。しかしながら、もしあなたが1
0の諸教派の10人の異なった神学者たちにエキュメニズムの定義を問うなら
ば、その見込みはあなたが10のいささか異なった解答を受けるだろうという
ことである。これがエキュメニズムの最大の弱点である。それは何らかの堅固
な正統的な定義を欠いている、理解しにくいそしてずさんな表現である。この
ようにそれは--転覆を狙う諸運動一般がするように--曖昧性とごまかし言葉に
役立つ。第2ヴァチカン公会議は、一度も言葉の定義を与えることなく、エキ
ュメニズムについて非常に多く語った。

1960年以前は、カトリック教会は、ときどき、それによく知られた10フィー
トの棒でもって触れながら、しかし決して積極的な役割を演じないで、常にエ
キュメニカルな運動をキリストの神秘体に寄せ付けないようにしてきた。

教会史のどの研究者も、ローマ・カトリック教会の特別のカリスマは混乱の時
代に真理を明確にすること、そして教会が使徒たちの時代以来常に信じてきた
ものにすがりつき、そしてそれを明確にすることによって新奇なものあるいは
誤ったものに反対することであったと、あなたに告げるであろう。このよう
に、マルティン・ルターが、ローマ・カトリック教会が真だと主張したものの
非常に多くのものを否定したとき、教会は7つの秘蹟、贖宥[免償]、義認、等
々の各々を詳細に定義しながら...トレント公会議でこの問題を処理した。教
会はこれらの公会議において新しい教義を創り出すのではなくて、教会が常に
信じて来たものを荘厳なそして公式的な仕方で定義し、そして明確にするので
ある。過去の諸々の公会議は教会と世界を混乱の時代から神学的な安定の時代
へと連れて行った。不幸なことに、第2ヴァチカン公会議は教会の歴史の中で
この点に関して助けなかった最初の公会議である。実際のところ、われわれは
すべての証拠が、公会議が事柄をますます悪くしたということを示していると
残念ながら認めなければならない。

エキュメニズムの起源

今日存在しているようなエキュメニカルな運動はその起源を1910年にエディン
バラでのプロテスタント宣教師たちの会議に負っている。その最初の目的は異
なった教派のプロテスタント宣教師たちの間で異教的世界を「福音化する」た
めに協力の精神を促進することであった。教義上の諸相違は軽視されなければ
ならない...行動の結束そしてすべてのものによって共通に主張されているこ
とが称揚されなければならない。

フィリピンのアメリカ監督派教会主教チャールズ・ブレント(Charles
Brent)がすべてのキリスト教宗派からの代表者たちの大会議招集の考えを抱
いたのはこの時期の間であった。第2回会議はブレントによって「信仰と秩序
に関する会議」と呼ばれた後間もなく形成された。1919年に、代表者を送るよ
うに請われた聖座は丁重に断った。ベネディクト15世教皇は、自分の熱心な
希望は一つの群、一人の牧者であるけれども、カトリック教会にとって一致を
求めて他の教派に結びつくことは不可能であると説明された。キリストの教会
に関するかぎりでは、それはすでに一つであり、それ自体あるいはそれ自身の
一致を求める外見を与えることはできないであろう。教皇はカトリック教会の
外部の何かあるものとしてその運動を非とされたのではないと報告されてい
る。しかし、彼自身の言葉によって、彼がカトリック信徒にとってそのような
仕方で一致を探すことに参加することは単に有害であるばかりでなく、危険で
ありまた恥ずべきことでさえあるということを教皇が知っておられたことは明
らかである。

世界教会会議=WCCが生まれたのはこの運動を通じてであった。

Mortalium Animos とHumani Generis

キリスト教的愛の歪められた概念によって影響されたかなりの司祭や神学者た
ちがこの「一致運動」に興味を持つようになり、そして多くの者が文字通りそ
れに加わろうと焦っていたことは疑いない。このようにして、ピオ11世教皇
は1928年に書かれたのだが、すぐれたカトリックの手引きである回勅
Mortalium Animos注1)(真の宗教的一致の助長について)を準備するように
動かされた。これは、明白な諸理由のために、今日ほとんど引用されない回勅
である。ピオ12聖教皇もまた、その偉大な1950年回勅Humani Generis(カト
リック信仰の基礎を破壊する恐れのあるいくつかの誤った見解を扱う)におい
てこの誤謬に警鐘を鳴らされた。教皇は、「カトリックの諸々の教義の意味を
最小限にまで引き下げる」ことを望む人々、そして「善良で正直な人々を分か
つ防壁を廃止しようとする欲求」について警告された。教皇が用いられた言葉
は、それを「重大な危険」と呼びながら、「平和主義」("eirenism")であっ
た。なぜなら、「それは徳の仮面の下に隠されているからである。」(Humani
 Gneris par. 12 - 25を見よ。)ヴィンセント・ミセリ(Vincent Micelli)
神父はこの回勅を「忘れられた回勅」と呼んだ。それは忘れられたのではなく
て、猛烈に無視されたということの方がよりありそうなことであると思われ
る。十分に奇妙なことであるが、ピオ11世教皇とピオ12世教皇の両者によ
って不道徳だと考えられたまさにその行為が1962-65年公会議に従うカトリッ
ク教徒に対してはいわゆる「第2ヴァチカン公会議の精神」によって突然正当
化されるものとして力説された。

公会議で流布されたエキュメニズム

それは将来のニュースレターにおいてもっと詳細に取り扱われるであろうけれ
ども、ここでピオ10世教皇によって断罪され、そして実質的に統制の下に置
かれていたすべての異端の総合である近代主義がそれにもかかわらず、聖ピオ
10世がそう表現されたように、「教会のまさに懐の内部に」生きており、そしてうまく隠れていたのである。

第2ヴァチカン公会議は世界のすべての司教たちそして彼らの最も「一流の」
神学者たちを一緒にローマへもたらした。そして教会の最大の悲劇であること
には、リベラルなそして近代主義的な要素が勝ったのである。注2)その諸々
の結果は際だった仕方でわれわれの目の前にある。


エキュマニア[=エキュメニズムへの異常な熱狂]の精神が今猛威を振るってい
る。第一の関心はもはや「それは正統であるか?」ではなく、「それはエキュ
メニカルであるか?」である。どうしてかわからないが変化と新機軸に対する
強い欲望が一つの多幸症的高みにまでもたらされた。プロテスタントや教会分
離主義者たちは参加するためではなくて、オブザーバーとして来るために、公
会議に出席するよう招待された。少数の司教たちはこのことが彼らの諸々の誤
謬が含まれている問題を議論するのにいくぶんやりにくくしたと述べた。ミサ
の新しい儀式はこのエキュメニズムの精神によって考え出された。これがその
儀式があるプロテスタントの礼拝に非常によく似ている理由である。「エキュ
メニズムの精神」は「新しい教会」によって確立された新しい典礼および秘蹟
の形式の全範囲における最も重要な形成原理であった。第2ヴァチカン公会議
にすぐ引き続いて、全カトリック教会は突然、疲れを知らないエネルギーと激
しい憤激とを伴って全教会を貫いてその軌道を飛び立つ、深いそして前例のな
い諸変化によってその中軸を揺さぶられた。確実にこの革命を求めなかった、
そして彼らの指導者たちが彼らのために何を用意していたのかについてまった
く知らなかった不幸なカトリック平信徒たちは完全に不意を襲われた。それゆ
えに、公会議は世界におけるあらゆる小教区、あらゆる修道会そしてあらゆる
神学校を一様に貫いてまさにその軌道を飛び立とうとしているエキュメニズム
のロケットを支えている一つの大きな発射台のようなものであった。

近代のエキュメニズム:教会の沼地

川と沼地との間の相違は大きい!沼地は堤を持たない。そして水は赴くままに
ごたまぜになる。沼地は航路として、魚のための生命の源として、あるいは浄
化のためには役に立たない。だが一方、川は水を正しい方向に流れるようにす
る固定した堤防を持っている。それは境界、深さそして幅を持っているので、
生命、健康そして実際的な利益の大きな源であることができる。

現代のエキュメニズムは一つの沼地である!われわれはエキュメニズムそれ自
体の明確な定義なしに、そしてエキュメニズムのための安全なガイドラインが
何であるか...換言すれば、人はどこで止まるべきかを[知らされずに]このエ
キュメニカル運動の中へパチンコ玉のように打ち込まれてきた。すべてのエキ
ュメニカルな活動は、どれほど恥ずべきものであり、あるいは馬鹿げたもので
あろうとも、第2ヴァチカン公会議のエキュメニズムに関する布告に訴えるこ
とによって正当化されている。その布告は、他の公会議諸文書と共に、定義を
欠いており、そして意識的に曖昧である。この点に関して、ルフィニ
(Ruffini)枢機卿は、エキュメニズムに関する布告が「エキュメニズム」と
いう言葉それ自体のいかなる適切な定義をも用意することに失敗したという特
別の関心を表明された。...それは一つの危険な要因である。なぜなら、その
言葉はプロテスタントたちとカトリック教徒たちによって異なった意味で用い
られているからである!リベラルなオランダ人神学者エドワード・シレベーク
ス(Edward Schillebeeckx)神父--第2ヴァチカン公会議の専門家(periti)
--はこう認めた:「公会議の間われわれは曖昧な用語を用いた。そしてわれわ
れはそれらを後でどのように解釈するかを知っている。」

ありそうなことであるが、「エキュメニズム」という用語のその使用のために
第2ヴァチカン公会議によってエキュメニズムの定義が与えられなかったのは
なぜか、その理由はもしエキュメニズムの布告の本当の意図が公然と宣言され
たならば、善意のカトリック教徒でしっかり知識を持った者がそれを拒絶した
であろう、そして転覆の道具としての布告の価値が失われたであろうというこ
とであった。額面通りに言って、神の意志に従った宗教的統一が、神御自身、
神の教会そしてわれわれの救いに関する神の啓示の何であれ何らかの局面を
「共通に」信じられているものを誇張して言うために軽視することによって可
能であろうという不条理な考え方に、どの真のカトリック教徒がどのようにし
て同意できるであろうか?それは、あたかもカトリックの教えと伝統の2000年
がエキュメニズムの「メシア」の前に腰をかがめ、「それは増大しなければな
らない、そしてキリストの教会は減少しなければならない」という不滅の言葉
を発するべきであるかのようである。

同じ立場でのすべての諸宗教

エキュメニズムの大きな危険はそれがすべての諸宗教を同じ立場の上に置くこ
とである。現代エキュメニズムはわれわれに何であれ宗教的信念を持っている
すべての人間は等しく「神への途上に」あると信じさせるであろう。彼らはそ
こに到達するために単に異なった手段を取っているにすぎない...それゆえ、
もしあなたがプロテスタントであるならば、よきプロテスタントでありなさ
い、もしあなたがユダヤ教徒であるならば、よきユダヤ教徒でありなさい、も
しイスラム教徒であるならば、よきイスラム教徒でありなさい、もしヒンドゥ
ー教徒であるならば、よきヒンドゥー教徒でありなさい。神は一つの山の頂上
におられる方として描写され、そして神に導く山へと登る多くの道や小道があ
る。どの人間も彼が望む道を選ぶ自由がある。神にとっては神に達するために
一人の人間がどの道を選ぶかにいかなる差違もない。誰も確実に彼自身「唯一
の道」を持っていると宣言することはできない。

さてカトリック教徒がひとたび「エキュメニズム病」(Ecumenitis)ウィルス
を彼らの血流の中に入れてしまうと、その伝染病はただ霊的な病気と死とをも
たらすことができるだけである。彼らは彼ら自身のカトリシズムについて不注
意になり始める。彼らは偽りの諸宗教の人々との礼拝に加わり、キリストの真
の教会を放棄することに終わるであろう。彼らは7つの秘蹟を、彼らの永遠の
救いに対して何の影響も及ぼさない、使用するのも自由、拒否するのも自由
な...他の宗派の儀式とも同然の、恩寵の単なる「随意の」手段と見なすよう
になるであろう。

現代エキュメニズムはそれゆえに、われらの主イエズス・キリストがその使徒
たちにその神の法をお委ねになり、その頭としてペトロを持つ御自分の教会を
お建てになり(マテオ16:18-19)、彼らに「行け、諸国の民に教え、聖父と聖
子と聖霊の名によって洗礼を授けよ」(マテオ28:19)という神の委託を彼ら
にお与えになったとき、その使徒たちに対するわれらの主イエズス・キリスト
の命令とは著しく調和しないのである。それは、キリストが「私によらずには
だれ一人父のみもとには行けない」(ヨハネ14:6)そしてさらに「信じて洗礼
を受ける者は救われ、信じない者は滅ぼされる」(マルコ16:16)とわれわれ
に告げられたとき、キリストの警告を無視するのである。それはキリストの御
意志に反するものである。「一つの群、一人の牧者となるだろう」(ヨハネ
10:16)。キリストは牧者である。現代エキュメニズムはイエズス・キリスト
の真の福音に反する...それは教会の狂気である。

エキュメニカルなモーゼ

脱出の書は律法の板...十戒...をもって神の山を降りて来たモーゼについてわ
れわれに告げている。ところでイスラエルの12部族がいた。その部族のうち
の一つ、例えば仮にユダ族が十戒を検討した後で「われわれは第8戒と第10
戒とを除いてすべての戒律を受け入れよう」と言って彼ら自身を区別し、「わ
れわれは撤回することができないし、またそのつもりもない」と宣言して彼ら
の断言を強固にするとしよう。あなたは、モーゼがこれらの人々と「エキュメ
ニカルな対話」を続け、あるいは彼らが少なくとも他の8つの戒律に関して彼
に同意したという事実に喜んでエキュメニカルな多幸症の状態で踊り回るだろ
う、と考えるか?さらに、あなたは、モーゼがユダ族を怒らせることを望まな
かったために、イスラエル諸部族の典礼や宗教的礼拝の中には第8戒と第10
戒について何の言及もないということを確かめただろうと、考えるか?こうす
ることによって、モーゼは神の御計画に仕えたのであろうか、それとも道を外
れた人間的計画に仕えたのであろうか?その答はまったく明らかではないか?

そしてこれは第2ヴァチカン公会議に引き続いて起こったとわれわれが見てい
るもの、そしてエキュメニズムに対する多幸症ではないのか?誤った諸宗教へ
のこの新奇なアプローチにおいて仕えられているその目的はキリストの御計画
なのか、それとも道をはずれた人間的な計画なのか?ちょうどモーゼが、神が
彼をその管理人となさった啓示を無視する、あるいはもっと悪いことにそれを
恥じるいかなる権利をも絶対に持っていなかったであろうのと同じように、カ
トリック教会におけるいかなる権威もまた、不信仰者たちを怒らせないように
するために、カトリック真理の最小の微粒子をさえ、エキュメニカルなカーペ
ットの下で掃いて除けながら...神が彼らをその管理人となさった啓示を恥じ
る何であれいかなる権利も持っていないのである。そのような諸々の活動は、
単に信徒に対してばかりでなく、彼らのうちの各人をわれわれがCatechumen
in spe[希望における洗礼志願者](予想される洗礼志願者)だと見なすべきす
べての非カトリック者に対してもまた同様に、取り返しのつかない不面目を引
き起こしながらキリストの宣教を破壊する。そのような事柄は原則的に福音の
律法の放棄であり、キリスト教それ自体の否認である。「律法の一点一画もす
たれない」(マテオ5:18)そして「それを破り、またそのように人に教える者
は、天の国でいちばん小さな者とあるであろう」(マテオ5:18-19)とわれら
の主は言われる。

なぜそれは欺瞞なのか?

現代エキュメニズムは、それが一つの偽りの原理を「徳の仮面の下に隠してい
る」がゆえに欺瞞である。それはただカトリック教会の破壊に向けてのみ働く
ことができる。それはここに提示された以上のもっと完全なもっと長い取り扱
いに値するけれども、最も際だった諸点は:

1)それはキリストの神秘体を転覆する

教会の使命はキリストの使命である。キリストは人間を罪から贖い、人間が救
いを得るために信じなければならず、行わなければならないことを人間に教え
るために来られた。キリストはまた支配しそして聖化するために来られた...
そしてわれわれはキリストのメッセージ全体を、それのほんのわずかな、ある
いは歪められた部分ではない全体を、受け入れなければならない。キリストの
この完全なメッセージはただカトリック教会のうちにのみ見出される。

エキュメニズムはエキュメニカルな一致のためにカトリック真理をわれわれに
無視させるか、あるいはその重要性を落とさせるであろう。それはわれわれに
人々をだけを彼らの宗教的誤謬のうちに残させ、すべての諸宗教が、真の宗教
も偽りの宗教も両方とも、すべて神への類似した道であると認めさせるであろ
う。エキュメニズムは、それゆえに、キリストのメッセージ全体とキリストの
真の一なるカトリック教会が救いのために必要ではないという偽りのそして危
険な原理を受け入れる。教会は人類の教師としてのその役割を失う(第1ヴァ
チカン公会議)注3)「行って、教えよ」は「行って、対話せよ」へと変えら
れた。

2)それはその最高の可能な善として宗教的諸団体の単なる外的/物質的 統一
を置く

神学的真理とそれの受容はもはや宗教の最も重要な局面ではない。反対に、そ
れは他の諸々の料理の材料と混ぜ合わせるために、そこで各人が彼自身の特有
の味を煮て作り出さなければならない一種の「エキュメニカル・シチュー」の
中でのすべての諸宗教のとろとろ煮となる。神が人類に啓示なさった真理とは
対照的に、そこに真理の一致のない一つの外的な統一が彼らのものであり、そ
してこのようにして全然一致はない。神が御自分が真理において信じられ、礼
拝されること、すなわち、神があられるところのもの、そして神がわれわれに
告げられたもの、に従ってそうであることを要求なさる。エキュメニズムはこ
のすべてを無視し、そして真理ではなくて、一種の「諸宗教の国連」をその最
高の可能な目的として措定する。これは偽りの宗教である。(他のいかなる宗
教団体もエキュメニズムのために第2ヴァチカン公会議後の教会以上にそのよ
うな徹底的な変化をなしたものはないということは注目されるべきである。プ
ロテスタント諸派、ユダヤ教、イスラム教等々は何も変えなかった...ただカ
トリシズムだけである。)

3)一致を求める際の第一の損害

われわれの聖なる教会における当局者たちは彼ら自身の一致をエキュメニズム
の祭壇の上に犠牲として捧げた。それは一致の名においてカトリック教会の容
赦のない「分断」を、マス・メディアの用語を用いることが許されるならば、
われわれの小教区内部に、われわれの神学校内部に、われわれの裁判所内部
に、左翼に対する強い強調と、右翼に対する奇妙な寛容を伴って...「極右」
から「極左」までのあらゆるものをわれわれがそこに見出す点にいたるまで、
引き起こしているのである。もし「その人自身の良心に従うこと」そして「真
摯さ」が宗教の唯一の尺度であるならば、そのときこれが教会の一致に直接打
撃を与えそれを解体するであろうということが必然的に帰結する。エキュメニ
ズムはカトリシズムを犠牲にしての一致である!

カトリック教徒は第2ヴァチカン公会議のエキュメニズムに異議をはさむこと
が許されるか?

第2ヴァチカン公会議は教義の公会議ではない...それは信仰と道徳に関して
われわれの良心を拘束するどんな荘厳な決定もしなかった。それは司牧公会議
であった...霊魂を指導するための公会議である。それゆえに、われわれは次
のように問うことを許されてよいであろう。「われわれはどこまで導かれたの
か?」と。

公会議の終わりに、司教たちは、神学者たちが公会議の「神学的覚え書き」と
呼んでいるもについてフェリチ(Felici)枢機卿に質問した。彼は答えた。
「われわれは諸々の概要と集会に従ってすでに教義上の諸決定の主題であった
ものを区別しなければならない。新しい性格を持つ諸宣言に関して言えば、わ
れわれは留保しなければならない。」

ところで、エキュメニズムは明らかに目新しいものである。現代エキュメニズ
ムの実践は明らかに先行の諸教皇の教えや行動に矛盾対立している。そしてエ
キュメニズムの結果は全教会を貫いてブルドーザーでならされた悲惨なそして
破局的な道であり、それは非常に多くの個人の霊魂において*信仰のまさに基
礎を根絶し、そしてカトリックの真理のあらゆる局面をその最後の分子にいた
るまで粉砕する原因となった。エキュメニズムは教会の原子爆弾である!それ
は現在の信仰の危機のまさに中核にある。それゆえに、カトリック教徒は「留
保をする」そしてエキュメニズムのこの疑問の余地のある「新奇さ」に抵抗さ
えする彼らの権利のうちに完全にいる。

カトリック教徒の増大する損失、p.34を見よ。

このことは、しかしながら、カトリック者と非カトリック者が共通善のために
市民的レベルで共に働くことができないということを意味しない。ドゥアーヌ
・ハント(Duane Hunt)司教が1949年に述べたように「たとえわれわれが信仰
において統一されることができないとしても、われわれはよい仕事において統
一されることができる。」すべての善意の人は彼らの力を結集し、東における
戦闘的無神論の猛攻撃と西における柔らかく上品ぶった無神論に反対する共同
戦線を張ることができるし、また張るべきであろう。それらのすべての形態に
おけるこれらの大きな悪に結束して戦うことは必要であるが、しかしこのこと
はカトリック教徒がこれらの試みにおいて、特に信仰のまさに家族内部でカト
リックの真理のほんの少しでも犠牲にするように強制されるべきであるという
ことを意味しない。

唯一の真の一致:カトリック教会

たとえどれほどの勝ち目であろうとも、われわれはすべての人々が一つの真の
教会の群の内部に来ることに向かって勤勉にそして絶えず働かなければならな
い。キリストに関係するかぎり、他の何物も十分ではないであろう。たとえこ
の考えが今日「ほとんど不可能」に思われようと--もう一つの思い違い--、わ
れわれはこの理想を放棄してはならない。なぜなら、非カトリック者の永遠の
救いはそれにかかっているからである。エキュメニズムにその答えを求めよう
とすることは単に臆病、信念の欠如、そしてキリスト教的な慈悲の歪められた
概念にしかすぎない。おそらく、神の恩寵を通して、われわれが、その本気の
1928年回勅Mortalium Animos(真の宗教的一致を促進することについて)にお
いて疑いの余地を残されなかったピオ11世教皇のカトリック的原理に立ち戻
るように熱心に祈ろう:

「非カトリック者がそれによってキリスト諸教会の一致を求めようとしている
複雑な運動が頼っているある種の偽りの見解を説明し反駁することが適切であ
ると思われる。彼らは、教会がそれ自身において、あるいはその本性からし
て、諸部分に分けられている、すなわち、教会がいくつかの諸教会から、ある
いは異なった諸共同体から構成されているということを付け加える。教会は今
なお分離されたままである。そして教義のある条項を共通に持っているけれど
も、にもかかわらず、残りのものに関しては意見が合わない。これら諸教会は
すべて同じ権利を享受する。そしてこのようにして、彼らの主張では、教会は
せいぜい使徒の時代から最初のエキュメニカルな公会議まで一つの分離されな
い形であった、と付け加える。それゆえに、現在までキリスト教的家族の成員
たちを分裂させたままにしてきた諸々の論争、そして積年の意見の相違は完全
に無視されなければならない。そして残っている諸教義のために信仰の共通の
形が引き出され、すべての人が単に知っているばかりでなく、彼らが兄弟であ
ると感じるものの信仰告白において、信仰のために提示されるべきである、
と...彼らは続けてこう言う。ローマ・カトリック教会もまた過ちを犯した。
そして信念のためにいつくかの教義を付け加えそして提案することによって最
初の宗教を堕落させた、それらの教義は福音にとって単に無縁であるばかりで
なく、福音に矛盾したものであると言う...同時に彼らは自分たちはローマ教
会と喜んで交渉する、しかし同等の条件で、すなわち、対等な者との対等な者
たちとして...ことがそのようであるから、使徒的聖座がいかなる条件ででも
彼らの集まりに参加することはできないし、またカトリック教徒にとってその
ような諸々の企てのために支援あるいは働くことは合法的ではない。なぜな
ら、もし彼らがそうするならば、彼らは一つのキリストの教会とはまったく無
縁の偽りのキリスト教を支持することになるからである。...それでは、その
成員たちが、他の残りの者の意見とは矛盾しているけれども、信仰のまさに対
象にかかわる問題においてそれぞれ彼自身の意見と私的な判断を保持している
一つのキリスト者連盟を誰が考えることができようか?...一致はただ一つの
教える権威、一つの信念の法そしてキリスト者の一つの信仰からのみ生じう
る...キリスト者たちの一致はただ、それから分離している人々の、キリスト
の真の教会への帰還を促進することによってのみ促進され得る。なぜなら、過
去において彼らは不幸にもそれ[キリストの真の教会]を去ったのであるから。

1)Mortalium Animos とHumani Generis の両テキストはThe Fatima
Crusaderから入手可能。
2)The Rhine Flows into the Tiber のpp.13-56を見よ。これもThe Fatima
Crusaderから入手可能。
3)"Ecclesia Romana est Mater et Magistra omnium ecclesianum". 「ロー
マ教会はすべての諸教会の母であり教師である。」(信仰の教義


ファチマ・クルーセイダー

2012年02月20日 | Weblog

殉教者たちの教会

The Fatima Crusader Issue 08, April 1982より

ヨシフ・スリピー枢機卿

35年の迫害の後のウクライナ・カトリック教会に関するヨシフ・スリピー枢機卿による一つの報告


一つの古い伝説は使徒聖アンドレがキエフの丘を祝福し、ウクライナにおけるキリスト教の勝利を予告したと告げている。聖ペトロの3人目の後継者である聖クレメンスがトラヤヌス皇帝によってクリミアに国外追放され、そこで殉教者として死に、ウクライナにおける教会に一つの消えない影響を残したということが確実に知られている。500年後にもう一人の国外追放された教皇マルティノ1世が教会の一致のためにウクライナの海岸地方で殉教死を遂げた。

キリスト教徒の一致のための殉教はウクライナ教会の栄光あるしるしであった。東方教会の分裂の後、ウクライナ教会はブレスト・リトヴスクにおいてローマ教会との一致を取り戻した最初の教会であった。そして血の河と死体の山をもって使徒座へのその忠誠を再び動かぬものとした。

この殉教は、スターリンとモスクワの総大主教の活動を通じて、ローマに忠実であったウクライナ人たちが強制的に正教会に編入された第2次世界大戦の後にその頂点に達した。無数の信徒、数百人の司祭そしてほとんどすべての司教たちがこの非エキュメニカルな力の使用の結果として非業の死を遂げた。モスクワの総大主教区における権威者たちはそのことを今なお正教会の歴史における栄光ある1ページと見なしている。

ヨシフ・スリピー枢機卿はその恐怖を生き延びた。彼がローマとの一致を断念し、教皇の首位性を否定するという条件でモスクワの総大主教の座を提供されたときも、彼は忠実であり続け、その十字架の道を続けたがそれは18年間に及んだ。

ヴァチカン公会議の始めには、迫害の責任を分かち持っているアレクシス総大主教の代表者たちが出席していた間、彼[ヨシフ・スリピー枢機卿]の座は空席であった。抗議の嵐が起こった。ヨハネ23世教皇は個人的に介入された。1963年2月9日、この迫害をくぐり抜けた不動の信仰告白者は解放された。ローマ--それ以来彼はそこに住んだ--から彼は彼の教会を指導し続けた。その教会は今なおカタコンベにおいて、そして移住者たちの共同体において生きているのである。この説明において、彼自身、35年以上にわたって彼の祖国において迫害されてきたカタコンベ[地下]教会について報告している。

ルヴィヴ(Lviv)にある聖ジョージ司教座聖堂は17世紀以来ウクライナにおけるカトリシズムの焦点であり象徴であった。1946年にそれは共産主義者たちによって接収され、ロシア正教会に与えられた。ヨシフ・スリピー枢機卿はウクライナ教会の歴史において最も恐るべき迫害が1945年4月11日に始まったとき、この司教座聖堂の首都大司教であり、ウクライナカトリック教会の長であった。枢機卿はこの迫害の最も適任の承認であり、今日の彼の祖国におけるカタコンベ教会を最もよく知っている人物である。

ウクライナ教会の粛正

私の、聖人のような前任者、神のしもべ首都大司教アンドレイ・セプティスキー(Andrej Szeptyckyj)は1944年11月1日に亡くなられました。私たちのウクライナ・カトリック教会がモスクワの総大主教区の助けと共にソビエトの手によって粛正に直面したその瞬間に、神は私に彼の後継者であるという困難なしかし大きな任務をお与えになりました。

1945年4月11日に私は他のすべての司教たちと一緒に逮捕されました。1年以内に800人以上の司祭が私たちに続いて投獄されました。1946年の3月8日から10日まで、リヴィヴの規則違反の教会会議が招集され、無神論者の圧力の下でウクライナ・カトリック教会のソビエトに支配された正教会との「再統合」が告知されました。

10人の司教が殺され、あるいは別の仕方で死ぬ

この「再統合」そしてそれと共に私たちの教会の外的な粛正が野蛮な力をもって遂行されました。司教たちはソビエト連邦のあらゆる地域に強制移送され、そしてほとんどすべては例外なく牢獄で死にあるいは殺されました。私たちは各々自分たちの十字架の道を行かなければなりませんでした。今私は88歳です。イェニセイスク(Jeniseisk)、モルドヴィア(Mordovia)、ポラリア(Polaria)、インタ(Inta)そしてシベリア(Siberia)の記憶は薄れて来ました。しかしその当時は一つの厳しい現実でした。私はほとんど18年近くの間この十字架を堪え忍ぶ力を与えてくださった神に感謝します。そしてその生命の犠牲をもって教皇、聖座そして普遍的教会への忠誠を封印した彼らの投獄によって司教職における私の10人の兄弟たち、1400人以上の司祭たち、800人の修道女たちそして数十万の信徒たちに対して敬愛の念をもって頭を垂れます。

背教と強制移送との間の選択

私たちの司祭たちは「体制の教会」に加わり、そしてそれによってカトリックの一致を断念するか、それとも少なくとも10年の強制移送の厳しい運命とそれに関連したすべての処罰に耐えるか、そのいずれかの選択を与えられました。圧倒的多数の司祭たちはソビエト連邦の牢獄と強制収容所の道を選びました。

1945年から1955年までに私たちの最善の司祭たちの一人はポトマ(Potma)、サロヴォ(Sarovo)、ヤバス(Javas)、ウリヤノヴォ(Uljanovo)そしてポリヴァノヴォ(Polivanovo)の収容所で苦しみました。彼はその小教区の人々にこう書きました:「私はこの投獄を罪の償いとして受け入れ、そしてあなたたちがこの十字架なしで済ませることができるように、それをあなたたちに捧げます。私はあなたたちを祝福し、またあなたたちのために祈ります。1日に5回私は私のすべての小教区の人々のために祈ります。日曜日には私は神的な典礼を祝います。毎日私はmoleben(信心の祈り)を祈ります。...彼らは私に背教を強制したいと思っていますが、私は拒否しました。..神の訴訟は勝利するものでなければなりません。あなたたちの父祖の信仰を守りなさい!」

彼らの10年間の投獄を生き延びた司祭たちにとって、彼らの迫害の終りは決して見えるところにはありませんでした。私はカルパチア山脈にいる一人の修道僧についてのニュースを送られました。彼は子供たちに宗教教授を与えた廉で1968年に再び3年の懲役刑を宣告されました。彼は最後の日まで服役しました。1973年に彼はある女性の病床で祈った廉でさらに懲役18ヶ月の刑を受けました...ソビエト政府はウクライナ・カトリック教会は禁じられているという見解を持っており、そしてそれゆえに個人の家で祈ることでさえ国家に反する犯罪であると考えるのです。」

司祭たちを持たない信徒たち

それにもかかわらず、信徒たちは彼らの信仰に忠実であり続けています。教会が閉ざされ、司祭が強制移送された僻遠の村々で、彼らはときどき密かに教会を開き、晩歌、moleben、人々のために用いられるように考えられた典礼の部分--もちろん、それは応答の部分だけです、なぜなら私たちには司祭がいないからです--でさえを歌います。カリスが祭壇の上に置かれ、蝋燭が灯されます。」

信徒たちは礼拝に非常に愛着を持っていますから、もし彼らが正教会の司祭を信用する場合には、彼の儀式にも参加します。

無神論的体制はその目標を見失った

今なお35年間にわたって続いている迫害にもかかわらず、私たちは滅びるようにと宣告された私たちの教会が単に生きているばかりでなく、西部および東部ウクライナの両方において、そして私たちの強制移送された人々が生きているソビエト連邦のいたるところに、特にシベリアにおいて発展しているということを感謝をもって宣言することができます。

私たちの教会はローマに忠実であり続けた少なくとも400万人の信徒をソビエト連邦の中に数えます。彼らの信仰は非常に強いので、多くの実を結んでいます:私たちは司祭、修道者、修道女、さまざまの職業の人そして秘密の聖職位階を持っています。無神論的体制は信仰を破壊することに成功しませんでした。神なき国家において成長した親たちは自分たちの子どもをキリスト教精神において育てています。無神論的学校で教育された反体制の人々は神について話し、教会を擁護します。ある35歳の女性は法廷の前で4人の子どもに洗礼を受けさせ、彼らに祈りとカテキズムを教えたと誇らしげに認めています。ある旅行者の質問に答えて、14歳の生徒は真面目にそして躊躇せずに「もちろん、僕は祈ります」と答えます。

ウクライナにおける永久礼拝

私たちの信徒からの手紙は勇気づけるものです。私たちの修道女たちの院長は今年私に復活祭の挨拶を送ってきました。彼女はこう書きました:「私たちは日夜御聖体の礼拝をしています...私たちの娘たちの数人の者は結婚しました。」これは若い修道女たちの数人が終生誓願をしたという意味です。

看護婦として働く秘密の修道女たちはキリストに対するすばらしい証をしています。彼女たちは多くの探求者たちをキリストへ導いています。彼女たちの自己犠牲の生活は他の若い女性たちに彼女たちの模範に従う希望を与えます。彼女たちが修道女であることを知っている無神論的な医者たちでさえ彼女たちの献身を非常に高く評価しているので、あらゆる犠牲を払っても自分たちの病院に彼女たちを留めておきたいと望みます。

召命の不足はない

カルパチア山脈の向こうから来た一人の若い医師は司祭になるために借りてきた書物の助けで神学を勉強しています。若い医師たち、技術者たち、法律家たち等々が司祭あるいは修道者として自らを神に捧げています。一人の秘密の司教が1980年1月8日に私に1通の手紙を書いて来ました。「私たちは通信教育のコースで神学を研究してきた新しい司祭たちを間もなく叙階します。シスターたちは書面の質問を志願者たちに渡し、彼らの解答を集めています。口頭試問は田舎で春あるいは夏に戸外で行われます。入会式がそのあとに続きます。」

1980年2月11日のある手紙の中で一人の経験のある司祭が私にこう保証しました:「新しく叙階された司祭たちの中に何人かのすぐれた人々がいます。」それは非常な誉め言葉です。しかしカタコンベの教会において司祭職の恵みを受けるためにはどれほど多くの信仰が必要とされることでしょうか?そしてこの召命<をやり遂げるためにどれほど多くの犠牲が必要とされることでしょうか?このことをよく理解させるために、私たちの司祭たちのうちの一人の物語をあなたたちに話しましょう。

ミコラ神父の物語

私たちは彼をミコラ(Mykola)と呼びましょう。非常に宗教的な両親の息子として彼はまた非常に若いときから司祭になる望みを持っていました。カタコンベの司祭たちが彼に神学を教えました。彼は1975年に叙階されました。

地下貯蔵庫での叙階式

叙階式は信用のおける人々の列席の下に地下貯蔵庫で行われました。ミコラ以外に11名の他の叙階候補者がいました。カタコンベ司教は数人の老司祭たちによって補助されました。それは感動的な儀式でした。カタコンベでの司牧的な働きのためには最大の注意が要求されますので、誰一人典礼の祭服をつけませんでした。彼の司祭のための装備としてミコラは一つの小さなひげ剃りのケースの中にすべて積み込まれた祭服と典礼用のさまざまのものを与えられました。中身は?小さなカップ、小さなスプーン、エピトラチェリオン(epitrachelion)あるいはストラ[帯状の布]として役立つための彩色された絹の細長い布きれそして水とぶどう酒の入った2本の小さな瓶。新しく叙階された12人の司祭たちは地下貯蔵庫の中で彼らの司教と共に最初の神の典礼を祝いました。司教の祝福と共に彼らはキリストと彼らの迫害された兄弟たちに仕えるためにそこで彼らの仕事を始めるために新しいカタコンベへと出かけて行きました。

一人の秘密の司祭と一緒の旅行で

ミコラ神父と彼の11人の友人たちはどのように働くのでしょうか?若い司祭たちは活動のための自由のいくらかの余裕を彼らに残す安い給料の仕事を意図的に探します。彼らは状況が許すとき典礼を祝います。ミコラ神父は行くところはどこでも信用のおける人物を探します。日曜日の朝早く彼は村に行き、教会の外に立っている人々の間に混じります。

「典礼は祝われるでしょうか?」彼は訊ねます。

「人々は自分たちだけで祈ります。なぜなら、司祭は強制移送されたからです」というのが彼が与えられる答えです。

ミコラ神父は聖具保管室に入って行き、そして年老いた聖具保管人に神の典礼を祝ってもよいかどうか訊ねます。聖具保管人は最初彼を疑わしそうに見ますがしかし最後には納得し、彼が祭服をつける手助けをします。ミコラ神父は祭壇に上り、歌い始めます。出席している人々は眼に涙を浮かべて答えます。彼らが最後に司祭を見、神のみ言葉を聴いたのはずっと前のことです。司祭が教会を去るとき、彼は再び一人の単純なソビエトの労働者です。聖具保管人は彼を家に昼食に連れて行き、数人の他の信用のおける人々を招きます。彼らはミコラ神父に数日間滞在するように頼みます。多くの洗礼を受けていない子どもたちがおり、また告解を望んでいる病人がおり、そして祝福されなければならない多くの墓があるからです。彼はその村にとどまり、彼の司牧上の諸々の義務を遂行します...

神の御母が彼を守られる

ミコラ神父はたいていは、彼がまた必要な場合に隠れることができる一つの家に宿泊しています。いくつかの場合には彼は裏切られます。しかし信徒たちは常に彼の逮捕を妨害することができました。彼が司祭の諸々の職務を遂行するときには何人かの人々が常に見張りをします。教会で典礼を祝うことが不可能ならば、彼はある信頼できる信者の家でそれを行います。ときには彼は党幹部の子どもたちにさえ夜密かに洗礼を授けます。このようにして彼と彼の友人たちはウクライナ中を旅行します。彼は単にカトリック信者だけでなく、また正教会の信徒をも訪問します。ウクライナの人は皆神の聖なる御母が彼を保護してくださる、そしてマリアが御自分の司祭たちを、可哀想な人々を慰めるために送ってくださると信じています。

ミコラ神父の物語--私はそれを1979年10月に書かれたあるレポートから取ったのですが--は抑圧の中で成長し、山を動かすことができる英雄的な信仰を証しています。しかしそれはどれほどの値で勝ち取られたのでしょうか?一人の正教会の反体制の人、オレス・ベルドニク(Oles' Berdnyk)は、教皇に次のように書いた後1979年12月にもう一度逮捕されたとき、このことを経験しました。「私は無神論が公式の教えである国に生まれ、育ちました。闘争によって、そして苦しみの中で私はキリストを見出し、そしてキリストの生涯の真実性を学びました...」

死体がまき散らされた十字架の道

同じことは私たちの司教たちのうちの一人--彼は最近彼の諸義務を遂行している間に発見されました--によっても経験されました。KGBは協力させようと彼に説得するために脅迫と拷問を用いましたが無駄でした。彼らはまた内部から教会の一致を分裂させる試みにおいてある程度の自由を彼に約束しましたが、しかしもれもまた失敗でした。なぜなら、その司教は教会にとって十字架の道以外には他の道は何もないということを知っているからです。ウクライナ教会のこの十字架の道は今日もなお死体でまき散らされています。

1980年3月に私たちの司祭たちのうちの一人、アナトール・ゴルグラ(Anatol Gorgula)の死体がロハティン(Rohatyn)地方の一つの村トマシヴカ(Tomashivka)で発見されました。彼は縛られ、石油をかけられて焼き殺されていました。彼の信徒は、彼の唯一の罪は教会に対する忠誠と神の典礼を挙行したことだったと私に報告しました。

1980年5月にルヴィヴ(Lviv)近くのジムナ・ヴォダ(Zymna Voda)で60歳の司祭イヴァン・コティク(Ivan Kotyk)が彼が働いていた工場で殺されているのが発見されました。彼の顔は真っ青で、鼻は凝固した血でつまり、すべての歯はへし折られ、そしてパンが口の中に無理矢理詰め込まれていました。彼の信徒たちは聖歌を歌いながら彼を埋葬しました。そして弔問者の数は非常に多かったので、葬列は600mにもなりました。

私たちの若い信仰告白者ヨシプ・テレリヤ(Josyp Terelya)が1977年3月6日にパウロ6世教皇に宛てて布きれに書いたことは今日でもなお真実です。「ウクライナにおけるギリシャ・カトリック教会にとって厳しい時がやって来ました。私たち、この教会の信徒は自分たちの子どもたちに秘密で洗礼を授け、結婚させ、告解をさせ、そして秘密のうちに埋葬するよう強いられています。私たちの司祭達は労働収容所や精神病監房の中で呻いています。彼らは精神的に滅ぼされつつあります...私はキリスト者であることが犯罪である国に住んでいます。キリストの教会の信徒が今日のような迫害に曝されたことは今までに一度もありませんでした。ウクライナのカトリック信徒はあらゆるものを奪われました:普通の家庭生活、言論の自由、私たちの教会の典礼を祝うことを。私たちはカタコンベの中にいます!神の言葉のために生きている精神が十字架にかかっています。私の生涯の34年のうち、私は14年間を牢獄、強制収容所そして精神病棟で過ごしました...キリスト教界のすべての勢力による一つの反作用がないかぎり、神なき世界の諸々の犯罪には終りを期待することができません...私たちは痛めつけられているギリシャ・カトリックのウクライナ教会を守ってくださるよう私たちのカトリックの兄弟たちに懇願します。」

殉教者たちの生ける教会

私たちの教会は、自由世界の多くの人々が信じているように、あるいはおそらく望んでさえいるように、死んではいません。なぜなら、私たちの教会はそのあまりにも人間的な計画の途上に立っているからです。私たちのウクライナ教会は生きています。このことの最善の証拠は私たちの教会の殉教者たちです。教会は信じるがゆえに苦しんでいます。そして教会は苦しんでいるがゆえに信じています。そして1980年5月の手紙の中で私が書いたように、教会は神のために苦しむことを許されていることを喜んでいます:「私たちは主から選ばれています。神とその教会のために苦しむことを許されていることは一つの恵みです。」

私たちの信徒にとって、私たちの教会が最も血生臭い迫害の35年後になお生き残っているという事実は彼らにくりかえし熟考することを強いる神の恩寵の一つの奇跡です。この奇跡は彼らの信仰を揺るぎのないものとしています。

共産主義体制もまた、60年前にそのような自信とそのような誇りをもってそれが始めた人間の霊魂に対する闘争が、彼らが期待した成功をもたらさなかったということを知っています。宗教的礼拝には参加しないようにという、諸々の共産主義青年組織の訴えを含む青年たちに対して新聞でなされるしばしばの訴え、聖なる場所や信徒を絶えず嘲ることは大多数の人々が今なお彼らの信仰を固持しているということを明らかに証明しています。この信仰は非常に強いので、それは若い人々を彼らの共産主義指導者たちの影響から引き離し、彼らを神へと連れて行く力を持ってさえいます。無神論の地獄において実際に生活した者だけが教会が私の祖国において信仰と道徳の教師としていかなる役割を果たしているかを理解することができます。

ソビエト連邦において当時なお反体制者であったウクライナの歴史家ヴァレンティン・モロス(Valentyn Moroz)は1973年に正当に次のように書くことができました:「教会は私たちの文化生活に非常に深く根付いているので、国家の霊的構造全体を同時に壊すことなく教会を邪魔することは不可能である。」

それは本当です。しかし教会はまた私たちの人々にとってより深い意味をさえ持っています:共産主義独裁体制との政治的協力を拒否する他の宗教的諸団体と共に、教会は福音を生きることに関わりたいと望むすべての人々にとって真理と道徳の柱、防波堤です。

離散教会と普遍的教会にとっての重要性

私の祖国における教会の生存と霊的強さは難民あるいは移民として世界中に散らばったウクライナ人たちの忠実さにとっても非常に重要なものです。しかし母なる教会の生存にとってディアスポラ教会[離散した教会]の問題はあり得ないでしょう!バビロン捕囚におけるユダヤ人が、エルサレムを忘れたとたんに異国の風習に不可避的に適応したのと同じように、ウクライナのディアスポラもまた母なる教会とのその内的なつながりがなくなればそのアイデンティティを失うでしょう。この運命的な同化は単に民族的なものにおいてだけでなく、また私たちの人々にとってその内的本性とそのカトリック信仰の喪失をもって終わるであろう宗教的な分野においてもまた進行します。

聖パウロの言葉において私たちが「キリストの神秘体」と呼ぶ生命の神的通交において、ある教会の生存はその影響を他のすべての特定の教会に及ぼしますので、いかなる教会もウクライナ教会に対して無関心のままでいることは許されません。無防備のキリストのようにすべての制度的、組織的および物質的手段を奪われても、ウクライナ教会はそのすべての姉妹諸教会にとって内的強さと真の刷新の源泉です。ここでウクライナ教会は普遍的教会の霊的宝に対して彼女自身の価値ある貢献を果たしています。

エキュメニズムにとっての重要性

普遍的教会の枠内におけるウクライナ・カトリック教会の位置と意義を考察するとき、私たちはすべてのキリスト者の再統合について話さなければなりません。キリストにおける一致は回復され、神秘体における分離の深い傷は癒されなければなりません。第2ヴァチカン公会議は私たちにこの任務を与えました。東ヨーロッパにおいては人々は数世紀にわたってこの任務のために働いて来ました。

今日いわゆるエキュメニカルな対話が最大の熱意をもって遂行されていますけれども、それは不幸なことに高位聖職階級や専門家たちの小さなサークルに限られています。西欧においては人々は非常にわずかしかそれに参加していませんし、ソビエト連邦においては全然参加していません。しかしソビエト連邦においては、一緒に生まれた迫害の十字架が一つの真のエキュメニズムを生じさせました。その真のエキュメニズムは妥協のない信仰告白と殉教者たちの血によって純化され、福音の最も基本的な原理:神に関わることを求め、人間たちに関わることを求めないという原理、にまで達しています。なぜなら、カトリック教徒と正教会信徒、バプテスト派の人々そして他の教派の人々はキリストのために同じ仕方で苦しんでいるからです。この苦しみは彼らすべてを同様な仕方で神とその教会の子どもとします。このことは計り知れない価値を持ちます。現代のエキュメニズム推進派はこの新しい事態から目を背けないほうがよいでしょう。

そして共産主義体制は?

私たちはまた私たちのウクライナ教会が共産主義体制から何かを期待することができるかという問を出してもよいでしょう。絶対に何もありません!

共産主義体制の中には教会のための余地はありません。教会が何らかの仕方で許容されているとしても、これは教会とは何の関係もないか、あるいは教会に反するかのいずれかの目的を達成するという唯一のそして排他的な目的のためです。そしてもし私たちがソビエト国家によって許容された教会組織における肯定的なキリスト教的要素を発見するならば、これらの要素は支配している共産主義者たちの意志によってではなく、神の御意志によって決定されたのです。教会の真の福祉はその悪魔的な性格のために原理的に神、教会そしてあらゆる宗教に反対して戦わなければならない一つの体制からは希望されることはできません。

ウクライナにおける私たちの兄弟姉妹たちはそれゆえにただ神だけを頼りにします。神はその御摂理の奇跡によってその憐れみに満ちた愛の道具となるために数千マイルの距離にあってさえ人々を奮い立たせることができる御方です。私の殉教した人々を援助するこの愛の仕事は多年にわたってヴェレンフリード(Werenfried)神父の「難局にある教会への援助」(Aid to the Church in Need)によって高貴な仕方で遂行されて来ました。私の忘れられ、知られていないウクライナ教会のために私は、教会があなたたちから受けた計り知れない援助に対して彼とあなたたちすべてに感謝します。私たちの感謝はあなたたちが単に金銭だけでなくまたあなたの心の一部をも私たちに与えておられるということを感じるときますます大きなものです。

あなたの援助の任務

物質的な援助よりももっと大切なのはあなたたちが与えることができる霊的および道徳的な援助です。あなたの迫害されている兄弟たちを決して忘れないことはあなたの任務でありあなたの義務です。ルヴィヴにおける私たちの神学校の前教授および校長であり、35年間のカルワリオの後に1980年1月26日その聖人のような死を迎えたイヴァン・ツォルニアク(Ivan Czorniak)博士は彼の最後の手紙の中で私に、世論に影響を与えることができるあらゆる可能なことをし、世界の良心を揺り起こし、ソビエト連邦におけるすべての抑圧された人々のために宗教の自由の基本的権利を要求し、そしてよく話すことができる人々によって沈黙の教会が死まで沈黙させられることを止めさせるように求めました。今や神がこの生活から私をお呼びになる日がだんだん近づいているので、私はおそらく最後になるであろうこの機会を利用して、私の殉教した兄弟の最後の望みを申し述べます。

しかし単に話すだけでは十分ではありません。あなたは祈りそして働かなければなりません。そしてとりわけあなたはいつもキリスト教的生活を送らなければなりません。私たちの迫害されている兄弟たちが再び自由世界の教会において道徳的な強さ、揺るぎない信仰そしてすべての人権の擁護を賞讃するその日がついに来るとき、その日彼らは彼らの闘争を続ける新鮮な勇気を引き出すでしょう。そのとき彼らの心はより大きな信頼で満たされるでしょう。そのとき彼らのくびきは容易なもとなり、彼らの重荷は軽いものとなるでしょう(マテオ11:30)。アーメン。

ヨシプ・スリピー枢機卿
ローマ、1980年7月28日


ファチマ・クルーセイダー

2012年02月19日 | Weblog

黒が白であるとき

The Fatima Crusader Issue 66, Winter 2001より

クリストファー・A. フェララ, Esq.

君は何を信じようとしているのか?私か、それとも君自身の眼か?
--Groucho Marx in Duck Soup--

ジョージ・オーウェル(George Orwell)の1984年--全体主義的共産主義の諷
喩 --においては、オセアニアの神話的社会はビッグ・ブラザーとして知られ
る偏在する神のごとき独裁者によって支配されている。主人公ウィンストン・
スミス(彼を再プログラムするための体制の努力に反対して戦っている)はチ
ョコレートの割当量がどのようにカットされたかということ、しかし、洗脳さ
れた市民は割当量が増やされたのだと告げられたということを思い起こす。人
々は彼らの幸運に従順に喜び、ビッグ・ブラザーをその気前のよさゆえに賞讃
した。

公会議後の教会における事態は同様にオーウェル的である。われわれは、単純
にそうであることを無視する一方で、そうでないことを喜んで宣言することを
期待されている。ローマ典礼が前例のない新しさの導入によって破壊されたけ
れども、われわれは「典礼の刷新」を喜ぶことを期待されている。エキュメニ
ズムは、真の教会から、そして自然法からさえはるか遠くまで漂流しているプ
ロテスタントと共に、一つの明白な失敗であるけれども、われわれはキリスト
者たちの「増大する一致」を宣言することを期待されている。大多数のカトリ
ック教徒がプロテスタントたち、ユダヤ教徒たちと同じように難なく中絶、避
妊そして離婚を実践しているけれども、われわれは第2ヴァチカン公会議が産
み出した生き生きとした信仰に驚嘆することを期待されている。カトリック教
徒たちが世界中でイスラム原理主義者たちによって虐殺され、地域戦争があら
ゆる大陸で荒れ狂い、そして中絶ホロコーストが神のご覧になっている中でま
すます高く燃え上がっているけれども、われわれは「愛の文明」の到来を歓呼
して迎えることを期待されている。

教会の人間的要素の多くはその活動において衰弱したものとなり、そのメッセ
ージにおいて混乱したものとなった。しかしヴァチカン当局は教会がこれまで
以上に精力旺盛であると宣言している。そのすばらしいニュースを祝うために
聖年を持とう。しかし、みんなのための祝祭はあまり持たないようにしよう:
若い人々のための聖年、娯楽の世界の聖年、ピザ作りの日さえある。群衆、音
楽、一年中のための雷鳴のような拍手を持とう。チョコレートの割当量が増え
たことを喜ぼう。

そして次にファチマのメッセージがある。1984年、まったく奇妙なことに、フ
ァチマの聖母によって要求されたロシアの奉献があったと今や我々が告げられ
ている一つの儀式がヴァチカンで行われた。よく聞き給え、教皇自身はこのこ
とを言っておられない。まったく反対に、1984年の儀式の間そしてその後のど
ちらでも、教皇はその自発的な所見の中で、聖母がロシアの特殊的な奉献を今
もなお待っておられるとはっきり述べておられる。1984年の儀式がロシアの奉
献であったとわれわれに告げているのは、教皇ではなくて、事実上 de facto
教会を支配することを教皇が許しておられる教会当局者たちである。

ビッグ・ブラザー

 ミニ・教皇たちのこのグループ、このヴァチカン当局がわれわれ自身のビッ
グ・ブラザーである。注1)教皇がキリストの社会的王権そしてその祝せられ
た御母の女王権なしの世界平和と兄弟愛のますます後退していく蜃気楼を求め
て地球を忙しく回っておられる間に、彼らは公会議後の教会のオセアニアにお
いてあらゆることを支配している。

 2000年6月26日、第三の秘密に関するヴァチカン記者会見において、ビッグ
・ブラザーは奉献について考えることを止めるようにわれわれに命令した:
「[奉献を求める]いかなるそれ以上の議論あるいは要求も根拠がない」と秘密
に関するヴァチカンの注釈においてモンシニョール・ベルトーネは宣言した。

 しかし、ちょっと待ってほしい。確かに、ビッグ・ブラザーは間違ってい
る。シスター・ルチアが繰り返し繰り返し(少なくとも1946年から、ウィリア
ム・ウォルシュ(William Walsh)のOur Lady of Fatimaを通して、1982年に
はL'Osservatore Romanoにおいてそして1984年以後でさえ雑誌Sol de Fatima
において)聖母が、ロシアは奉献の行為において特殊的に言及されなければな
らない、そして世界の司教たちが教皇と共にその行為に参加しなければならな
いと告げられたということを知らせている、ということをわれわれは記憶して
いないのか?そして、神がロシアの奉献を要求なさるとき、ロシアが奉献の行
為の中のどこかで言及されるべきであるということは完全に明らかではないの
か?にもかかわらず、1984年の儀式においてはロシアの言及はなかったし、ま
た司教たちは参加していなかったのである。

気にするな、とビッグ・ブラザーは言う。モンシニョール・ベルトーネによれ
ば、シスター・ルチアは、彼女がそれと反対のことを言ったすべてにもかかわ
らず、今やロシアが16年前に奉献されたと言っている[らしい]。われわれは
シスター・ルチアが、1984年におけるウィンストン・スミスと同じように、結
局のところ2足す2が5であるということをついに分かるようになったと告げ
られるのである。

ビッグ・ブラザーは、シスター・ルチアに前に出て来させて、公衆に彼女の驚
くべき心変わりを間違いないとはっきりさせることを許さなかった。そうはさ
せなかった。ビッグ・ブラザーは6月26日に、第三の秘密はその全体が公表さ
れた、それは過去に属する、そしてファチマの預言的警告についてそれ以上言
い残されたことは何もないと宣言したのに、ある奇妙な理由で彼女はヴァチカ
ンの許可なしに誰かに話すことを妨げる発言禁止命令の下に今も置かれてい
る。生身のシスター・ルチアを示す代わりに、ビッグ・ブラザーは唯一の生き
残りの証人として、彼女の証言の非常に奇妙な代用品に言及した:すなわち、
それはシスター・ルチアが1989年11月8日--11年以上も前のことであるが--
にある身元不明の受取人に宛てて書いたと言われる1通の手紙なのである。こ
の手紙の中で、シスター・ルチアは「はい、それ[奉献]は1984年5月25日に、
聖母がお求めになった通りになされました」と言った、とわれわれは告げられ
る。

 「私は私の全教会がその(ロシアの)奉献をマリアの汚れなき御心の勝利と
して認め、その結果教会が後にその信心を広め、この汚れなき御心への信心を
私の聖心への信心の側に置くようになることを望んでいる。」

 

しかしビッグ・ブラザーはなぜ6月26日の記者会見でこの手紙のコピーを用意
しそこなったのか?そしてなぜ手紙の受取人は同定できなかったのか?おそら
くそれは、同一の手紙--ネルカー氏(Mr. Noelcker)なる人物に宛てられた--
が数年前カトリック報道機関において公表されたが、そのときそれが捏造され
た手紙であると即座に暴露されたためである。それが最初に公表されたとき
(ビッグ・ブラザーの何人かの友人たちによって)、われわれはネルカー氏宛
の1ページの手紙が、当時82歳の修道女が、彼女の分厚い回想録を含めてす
べてのものを手書きで書いていたその生涯の後に突然切り替えたワープロでタ
イプされていると信じることを求められた。われわれは、それがパウロ6世教
皇が1967年にファチマを訪問されたときに世界の奉献を挙行されたと主張して
いるのに、シスター・ルチア自身がこの手紙を書いたということを信じること
を求められた。パウロ6世がいかなる奉献も--世界の奉献も、あるいは他の何
物かの奉献も--決して行われなかったということを、ビッグ・ブラザーはわれ
われが忘れるように要求する。しかしシスター・ルチア自身はこの不手際を決
してすることはできなかった。なぜなら、彼女は教皇の訪問のために本人自ら
そこに居合わせていたからであり、その機会には世界の奉献はなかったという
ことを誰よりもよく知っていたからである。

無視されたシスター・ルチア

われわれはまた、モンシニョール・ベルトーネも、ソダノ枢機卿(ヴァチカン
国務省)も、ラッツィンガー枢機卿も、他のヴァチカンの代表者たちの誰か
も、彼らが2000年5月13日のヤチンタとフランシスコの列福式のためにファチ
マにいたときに、なぜシスター・ルチアに1984年の儀式の十分さについて訊ね
なかったのか、というような事柄について考えることを止めるように命令され
ている。わずか数日前に証言するために利用できる唯一の生きた証人がいるの
に、ヴァチカンがシスター・ルチア自身決してしなかったであろう見逃すこと
のできない事実上の誤りを含んでいる11年も前の古いコンピュータで産み出
された覚え書きにひたすら頼ることはむしろ異常なことではないか?

ああ、しかしビッグ・ブラザーはわれわれに「いかなるそれ以上の議論あるい
は要求も根拠がない」と告げる--彼はそう告げなかったか?もしビッグ・ブラ
ザーがロシアは汚れなき御心に奉献されたと言うならば、ロシアが言及された
ことは決してないということ、あるいは司教たちが参加しなかったということ
は重要なことではない。ビッグ・ブラザーが問題であるところでは、言うこと
はそうすることなのである。

しかし別の問題がある:もしロシアが16年以上も前にマリアの汚れなき御心
に奉献されていたのならば、その奉献の結果に関するファチマの聖母の御約束
はどうなったのであろうか?

「あなたがたは哀れな罪人たちが行く地獄を見ました。彼らを救うために、神
は世界の中に私の汚れなき御心に対する信心を打ち立てることを望んでおられ
ます。...最後に、私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇は私にロシア
を奉献するでしょう。そしてロシアは回心し、ある期間の平和が世界に与えら
れるでしょう。」

「回心」とは何か?

ウェブスター辞典は「回心」を「宗教の決定的な採用に伴った一つの経験」と
定義している。もしウェブスターでさえ回心を宗教の採用として認めているな
らば、ファチマの聖母がロシアの回心について話されたとき何か別のあるもの
を考えておられたと言うことはほとんどできない。一つの非道徳的な体制から
他のそれへという単なる政治体制の変化は霊魂の救いを保証しないであろう。
しかし新しい宗教の採用は保証するであろう。

ロシアはその回心の結果として何の宗教を採用するであろうか?カトリックの
教皇とカトリックの司教たちのためのメッセージを携えてカトリックの子ども
たちに御出現になったファチマの聖母はただカトリック宗教だけを意味される
ことができたであろう。聖母が正教会の宗教への回心を意味されたとは考える
ことはできないであろう:聖母が御出現になったときに正教会はすでにロシア
において広まっていた。そして正教会は、彼らが今そうしているようにそのと
き、ファチマのメッセージのまさに核心である汚れなき御宿りの教義を拒否し
ていた。

そこで、われわれカトリック教徒はロシアの回心によって聖母が何を意味され
たかを確実に知っている。聖母はロシアがカトリック国になることを意味され
た。このことはロシア正教会が彼らの分離を撤回し、キリストの代理者[ロー
マ教皇]に従属しそして彼らの誤った教義上の教えを断念するということを意
味するであろう。そのことは特に、ロシア正教会がそれなしには汚れなき御心
の信心があの国に確立され得ない汚れなき御宿りのカトリック教義を奉ずると
いうことを意味するであろう。

ところで、もしビッグ・ブラザーが、ロシアは16年以上も前にマリアの汚れ
なき御心に奉献されたとわれわれに告げるならば、そのときロシアは約束され
たカトリシズムへの回心を確かに経験していなければならない。しかしなが
ら、6月26日にビッグ・ブラザーはこの問いについては奇妙にも沈黙してい
た。第三の秘密に関するヴァチカンの注釈の中にはロシアの回心についての議
論はなかった。おそらくこれはビッグ・ブラザーでさえ1984年以来のロシアに
おいて見てきたものが宗教的回心であるとわれわれが信じることを期待できな
いからであろう。

回心しなかったロシア

われわれは真実を知っている。申し立てられた1984年の奉献以来、ロシアは霊
的、道徳的、そして物質的崩壊を経験してきた。ロシア正教会総主教アレクシ
ー2世でさえ、「共産主義崩壊」以来のロシア社会の霊的解体を公然と非難し
てきた。実際、ロシアは正教会宗教にさえ「回心」しなかった:19歳から2
9歳までのロシア人の94%は教会に行っていない。注2)ロシアにおけるカ
トリシズムの状態に関して言えば、ロシアカトリック教徒の総数は11万人--
1億4500万の国家において--である。それは人口の1%の10分の1以下
ということである。全ロシアには総計114人の司祭がいるが、彼らのうちの
たった3人だけがロシアで養成され、叙階された。

1917年にファチマの聖母が御出現になったとき、当時のロシア人口は今日そう
である人口の小部分であったにもかかわらず、現在の4倍も多いロシア・カト
リック教徒がいた。

今ロシアでは一人の出産に対して二つの中絶がある。ロシア人口は1991年の申
し立てられている「ソビエト連邦の崩壊」以来330万人の人々が減少した。
2000年だけでもロシアは55万人以上の人々を失った。状況が非常に絶望的で
あるので、ロシア民族主義者のウラディーミル・ジリノフスキー(Vladimir
Zhirinovsky)はより多くの赤ん坊をつくるために一夫多妻制を主唱している。
アル中と暴力犯罪はロシアに世界最高の若死率を与えている。2000年の最初の
7ヶ月のうちに2万人のロシア人がアルコール中毒で亡くなった--これは昨年
の同時期を43%以上超える数字である--。ロシアにおける退職の計画は葬儀
の予定から成り立っている。男性の平均寿命の予測値は59.9歳--最近10年間
より3年下回っている--である。全国民はひどい貧困のうちに生活しており、
人口の3分の1が1ヶ月当たり60ドル以下しか受け取っていない。

ロシアは回心しつつあるのではない。ロシアは死につつある。そのような証拠
を前にして、ビッグ・ブラザーがロシアの回心について沈黙しているのは何ら
不思議ではない。そのロシアの回心を彼はファチマのメッセージから書いたの
である。しかしビッグ・ブラザーは彼が聞きたいことを彼に告げることによっ
て彼を喜ばせることに熱心な多くの友人を持っている。ビッグ・ブラザーのこ
れらの友人--ネルカー書簡や似たような諸々の偽造品を公表した同じ人々--
は、ファチマの聖母はロシアの宗教的回心については全然語られたことはな
く、ただ1989年以来われわれが見てきた「奇跡的な」政治的諸事件だけを語ら
れたという考え方を広めている。そうだ、「回心」は共産主義から自由への、
戦争のような行動から平和的な協力への変化を意味するのだ、と彼らは言う。
ファチマの聖母はロシアにおける民主主義の先触れだったのであり、そしてこ
れは聖母の汚れなき御心の勝利を表している、と。

われわれはファチマのメッセージのこのばかげた解釈に内在している冒涜を考
えないことにしよう。それは神の全能を今なお神に反対している人間的政治に
奉仕させるものである。議論を進めるために、ファチマの聖母がソビエト連邦
におけるほかならぬ政治的諸変化を預言するために地上に来られたと仮定して
みよう。これはばかげている。しかし、われわれの議論のために、それが真で
あると仮定してみよう。この修正主義者のファチマ・メッセージでさえ経験的
な証拠によって偽りであることが示される。

そしてその証拠はいっぱいある。例えば、リベラルなジャーナリスト、デイヴ
ィッド・フラム(David Frum)はThe National Postにおいて書きながら、
「ロシアにおいは、プーチンが入り--そして民主主義が出る」と宣言してい
る。彼の論考はウラディーミル・プーチンの「1991年に崩壊したソビエト国家
を支配した多かれ少なかれ同じ人々によって支配されたロシアにおける権威主
義的国家の」体系的「再組織」を詳しく論じている。さて、グルーナー神父は
そのことを数年来言って来た、そうではなかったか?フラムはプーチンがロシ
ア唯一の独立メディアの支局の所有者をでっち上げた罪の廉で逮捕し、ロシア
石油産業を再び奪い取る動議を提出し、前KGB高級幹部であり後年の首相であ
るイェフゲニー・プリマコフ(Yevgeny Primakov)に一つの高い段階の内閣の
地位を与える一方で経済的紛争のために最近作られた独立の司法制度を徐々に
廃止し始めた、と述べている。プリマコフは典型的なソビエト時代の悪党であ
る。フラムはプーチンが「危険な人物--世界にとって危険な、長い間苦しみそ
してもう一度失望させられる人々にとって危険な人物--と見なされるべきであ
る」注4)と結論している。

もう一人のネオコン・リベラルであるウィリアム・サファイア(William
Safire)は同じように率直である。そのNew York Timesの記事「KGBはロシア
において企業で采配を振るう裏方である」の中で、サファイアは独立メディア
の重要人物グイジンスキー(Guisinsky)の逮捕とどのようにロシアのメディ
アが「自分たちがどこに行こうともウラディーミル・プーチンのKGBによって
監視下に置かれていることを知っているか」を詳しく述べている。サファイア
--私はあなたに思い起こさせるが彼はリベラルである--はどのようにプーチン
のロシア大統領としての「選出」が実際はプーチン(もう一人のKGB人間)の
当座の指名を許すために引退したエリツィン(Yeltsin)に対する承認の特赦
によって達成された一つの予期せぬ出来事であり、プーチンはそれからクレム
リンにおける権力の座から「立候補する」ことができたのである、と詳しく述
べている。

似たような不安にさせる見出しの例は増やすことができる。

ロシア・メディアは生きるために戦う注5)

ロシアのプーチン小政党に対する抑制のあらましを述べる注6)

反抗する知事、ロシアが暗黒の日々に戻ると語る注7)

合衆国の援助はロシアの兵器の資金源となっている注8)

ロシア人はレーニンを「世紀の人」、スターリンをランナーとして取り上げる

グルーナー神父の使徒職がこれらのような話を公表すると、ビッグ・ブラザー
の友人たちはグルーナー神父を「災厄を予言する人間」そして「ファチマ陰謀
理論家」として嘲笑う。しかしロシアにおいて再びスターリンの国歌(プーチ
ンによって回復された)の不愉快な旋律が聴かれるとき、賢明な人々にとって
はそれはその音楽に耳を傾けるときである。リベラルなデイヴィッド・フラム
でさえ認めることができる:「最善を望むのを止め、最悪のために準備する時
である。」

それはカトリック教徒にとって、特にファチマの観点からロシアを理解する者
にとってよい忠告である。ロシアは--宗教的に、道徳的に、政治的に--回心し
つつあるのではない。反対に、ロシアはどの方面でも衰弱しつつある。ロシア
の現在の状態を神の御母の介入に帰することはカトリック信仰を嘲ることであ
り、祝せられたおとめを侮辱することである。そこでカトリックの観点から
は、ただ一つの結論だけが可能であると思われる:ファチマの聖母が要求なさ
ったことは、モンシニョール・ベルトーネが何と言おうとも、まだなされてい
ない。

ヴァチカン当局がリベラル新聞でさえ嘘であると見ることができる何かあるこ
とを信じるようわれわれに期待しているとき、われわれは非常に悪い場所に来
てしまったのだ。ベルトーネ大司教は「[奉献を求める]それ以上のいかなる議
論あるいは要求も根拠がない」と主張されるであろう。しかし、言うことはそ
のようにすることではない。たぶんオセアニアではそうかもしれない。しか
し、聖なるカトリック教会ではそうではない。

脚注

(1) グルーナー神父とこの出版を非難することを喜んでいる悪意のあるそして
頑固に盲目的な人々に対して、使徒職の見解について彼らが行うなおもう一つ
の意図的な不当な性格づけを拒否させてもらいたい:上述のテキストから明ら
かなように、私はビッグ・ブラザーによって教皇を意味しているのではなく
て、むしろ教皇を取り囲み、教皇を「操っている」ヴァチカン当局を意味して
いるのである。教皇自身は当局によって促進されているファチマの改作に教皇
ご自身の権威を委ねることを拒否された。実際、黙示録第12章において語ら
れた「龍の尾」を避けるように教会に警告なさった2000年5月13日のファチマ
における教皇の説教はファチマの預言的警告が今なお大いに効力を持っている
ということの一つの驚くほどに明確な主張であった。龍の尾は天から諸々の星
を掃き落としていると見られている。天の諸々の星とは、その文言の一般的な
カトリックの解釈に従えば、奉献された霊魂(司祭たち、司教たちそして修道
者)のことである。教皇は列福式のためにまさにご自分がファチマに現れるこ
とを妨害しようとしたと明らかに思われた当局を通り越して一つのメッセージ
を密かに持ち込もうとされたのだろうか?われわれはただあれこれ推測するこ
とができるだけである。
(2) “Russian Church Failing to Reach Youth” The Wanderer, January
11, 2000, p.9.
(3) The data cited in this paragraph were obtained from “Wanted: More
 Russian Babies To Rescue a Fast Dying Nation.” London Observer,
December 31, 2000.
(4) National Post, June 17, 2000.
(5) Washington Post Service, June 28, 2000.
(6) DPA News Agency, December 27, 2000. プーチンはすべての反対党を、彼
らが少なくとも1万人の党員とロシアの89の地域の少なくとも半分の地域に
事務所を持たないかぎり、基本的に非合法化する法律を導入した--これは途方
もなく負担の重い要求である。
(7) Reuters, December 24, 2000.
(8) Insight, January 9, 2000.
(9) “Lenin the Man of the Century,” December 27, 2000, News World
Communications, Inc.


ファチマ・クルーセイダー

2012年02月18日 | Weblog

「大きな記憶喪失II」

The Fatima Crusader, Issue 61, Autumn 1999より

フランシス・アルバンおよびクリストファー・A. フェララ

『ファチマの司祭』(Fatima Priest)の第3版がたった今発売された。新しい章の一つは今日多くの人々が罹っている大きな記憶喪失について述べている。この霊的な健忘症の根源がこの章で検討されている。

(注記:説明題はファチマ・クルーセイダーの編集者によって加えられた。)

「大きな記憶喪失」の続き

今世紀の諸々の記録は「人権」--比較にならないほどに増長した「現代世界」の発起人たちや揺さぶる人々によって無数の論文、憲章、宣言そして演説の中で宣言されたこれへの権利そしてあれへの権利--についてのおしゃべりで溢れている。聖母が1917年にファチマで御出現になって以来、聖母の天のメッセージを無視する人間たちは「人権」の地上的な交響曲で自らを楽しませて来た。その交響曲は耳を聾するクレッシェンドにまで高まった。だが一方でオーケストラ・ピットからの騒音は比類なき人間的堕落のこの時代の記念碑であるグーラーグ[ソビエト・ロシアの強制収容所]や胎児殺人を行う場所[abortuaries 母胎のことか=訳者]において大量殺戮へと導かれた数千万の犠牲者たちの叫び声や押し殺された金切り声を消してしまった。

第2ヴァチカン公会議の教父たちでさえ、Gaudium et spesにおいて「人間は彼の人格のより完全な発展への途上、そして彼自身の諸権利の増大して行く弁護の途上にある...」注27)と宣言して、「人権」についてのこのすべての現代的騒音によって感銘を受けたのである。気の狂ったオーケストラは演奏を続け、音楽家たちは彼らの大きな音のしかし生命のない音楽を楽しむ。そして教会のメンバーたちさえ拍手するのである。

「人権」

人々が、「人権」はそれが全能のそして復讐をなさる神--人間は永遠の断罪の苦痛の下に神に従わなければならない--にその源があるのでないならば、何ら意味を持たないということを普通に理解していたのはそれほど昔のことではない。なぜなら、ひとたび「人権」の概念が生命の創造者、すべての悪の最終的な審判者であられる神から離れたものとなるならば、何かあるものへの「権利」--生命への権利でさえ--があるといかなる根拠に基づいて言う立場に立つことができるのか?人は「人間人格の尊厳」の上に立つことができるのか?神なしに「人間の尊厳」は何を意味するのか?人々がそれが意味していると同意するもの以上のものは何もない。神なしにはいかなる真の権利もない。ただ同意があるだけである。そして同意が都合の悪いものとなるときはいつでも諸々のグーラーグや胎児殺人所のドアがさっと開くのだ。

われわれにわれわれの諸権利を与え、その神的な権威でそれらの権利を保障なさるこの神とは誰なのか?それは十字架にかかり、われわれの罪のために死なれた神である。その方は王たるキリストである:

「死ぬまで、十字架上に死ぬまで、自分を卑しくして従われた。そこで神はキリストを称揚し、すべての名にまさる名を与えられた。それはイエズスのみ名の前に、天にあるものも、地にあるものも、地の下にあるものもみなひざをかがめ、すべての舌が父なる神の光栄をあがめ『イエズス・キリストは主である』と宣言するためである。」(フィリッピ2:8-11)

王たるキリスト

ここで人は大きな記憶喪失のなお別の部門:イエズス・キリストの社会的王権に関する公会議以前の教会の不変の教えに出会う。グルーナー神父は、1925年11月11日にピオ11世教皇聖下が回勅Quas Primasにおいて王たるキリストの祝日を宣言されたことを今でも記憶している、だんだん数が減っている信徒のうちの一人である。その日付はファチマでの聖母の最後の御出現のたった8年後であった。また、その日はわれらの主がその御母の汚れなき御心に対する数々の冒涜の償いのための5回の初土曜日を求めるためにポンテヴェドラに来られた文字通り1日後であった。それはまた、第2ヴァチカン公会議の第1会期のわずか37年前であった。しかし、この偉大な20世紀の回勅は公会議後の時期の驚くべき時のひずみにおいて数世紀も距たったと思われるであろう。

Quas Primasの中でピオ11世は、人間社会がすべての人間とすべての国家に君臨するキリストの社会的王権を拒否したがゆえに「人間社会はその没落へ向かってよろめいて行った」と世界に警告された。教皇聖下は世界の支配者たちに、もし彼らが「彼らの権威を保持し、彼らの人民の繁栄を促進し増大させようと望む」ならば、「キリストの支配に対する尊敬と従順の公的な義務を無視しないであろう」注28)と宣言された。教皇聖下は彼のすべての前任者たちの教えを確認なさったのであり注29)、彼らは同様にわれらの主御自身がその御昇天のすぐ前に宣言なさったことを確認したのである:

私には天と地のいっさいの権威が与えられている。行け、諸国の民に教え、聖父と聖子を聖霊の名によって洗礼を授け、私が命じたことをすべて守るように教えよ...」(マテオ28:18-20)

教会がキリストの社会的王権について常に教えてきたことは、教会の他のすべての教えと同様に、完全に常識と一致する。なぜなら、もしキリストが神であるならば、そのとき理性それ自身が、単に個人だけでなく個人が形成する社会が王たるキリストに諸々の義務を負うということを論証するからである。個々人はカトリックであるべきであるが、しかしその社会はそうではないと主張することは人間と社会の両方の創り主である神に対する侮辱にほかならない。これが、レオ13世教皇が「現代世界」に対して、教会が社会秩序におけるその正しい場所について常に信じてきたことを宣言するのに躊躇されなかった理由である:

そこで、国家において一つの宗教の信仰告白が必要であるから唯一真である宗教が信仰告白されなければならない、そしてそれは困難なしに、特にカトリック諸国においては、認められ得る。なぜなら、いわば、真理のしるしがその上に刻印されているからである。注30)

ピオ11世が、それがローマ・ミサ典書に含まれるよう、そして新しい祝日に毎年すべての小教区教会において挙行されるように命令して、全人類の聖心への奉献の規定を作られたのはすべての国々にキリストに従い、キリストを尊敬する彼らの公的義務を思い起こさせるためであった。その奉献の言葉は公会議以前のヴァチカンの恐れを知らないカトリック精神のすべてを明らかにしている:

おお、主よ、決して御身を見捨てざりし信徒の王たるばかりでなく、また御身を棄てたる放蕩息子たちの王たり給え...御身、偶像崇拝とイスラム教の暗闇に巻き込まれたるすべての者たちの王たり給え。しかして彼らを神の光と王国へと引き入れることを拒み給うなかれ。かつて御身の選民たりしかの種族の子らに対して御身の憐れみの御眼を向け給え。いにしえ、彼ら救い主の御血を自らに呼びおろしたれど、今救いと生命の水盤として彼らの上に降らんことを。注31)

新世界秩序

しかし「現代世界」は第2ヴァチカン公会議において青銅の扉が閉じられて以来ますます現代的となった。Quas Primas公布の73年後、世界中の人々は新世界秩序として知られる大きな地球的蟻の山を完成させようとしている。それが終わるとき、それは現代人の最も偉大な成果となるであろう:いかなる国境も知らない一つのグローバルな政府によってコントロールされる一つのグローバルな経済。もちろん、その新秩序はカトリック的なものではないであろう。あるいは名目の上でもキリスト教的なものでさえないであろう。それはその法律や制度において完全に神なき秩序であろう。

グルーナー神父が何人かのヴァチカンの当局者たちと長い間戦ってきた理由の一つは、[彼の]使徒職が(無力にされたブルー・アーミーとは違って)新世界秩序の出現に対するヴァチカンの反応について真実を喜んで公表して来たということである。そしてその恐るべき真実とはこれである:すなわち、ヴァチカンはそれ[新世界秩序]を原則的に支持している。そして公会議以後それを支持して来た。確かに、ときどき新秩序の中絶と避妊の世界的体制を非難し、新しいグローバル経済における「不平等」の創出に対して警告するヴァチカンの声明はある。しかし新世界秩序の観念--一つの世界政府、経済、そして裁判制度--は公会議後のヴァチカンからのいかなる反対にも出会わない。反対に、ヴァチカン当局者たちはその設立において援助している。

このことはGaudium et spesと公会議後の教皇たちの関連する諸宣言を研究した者にとっては驚くことではない。Gaudium et spesは実際出現しつつある世界政府について教会の支持を表明する一つの実際的な憲章である。信仰と道徳の領域以外のその多くの意見の一つにおいて、文書は次のように宣言している:戦争の「非合法化」は

「疑いもなくある世界的な公的権威の確立を必要とする....それは、すべてのものに代わって、安全、正義への尊重、そして諸権利の尊重を保証する一つの効果的な権力を与えられたものである。」注32)

何らかのそのような「世界的公的な権威」がその諸原理においてカトリック的ではないであろうが、しかしその鍵になるすべての点においてキリストとその教会を拒否する無神論者あるいは非カトリック者によって統制されるであろうということは公会議には関係がないと思われた。

1965年10月4日、公会議の第1会期の間にパウロ教皇はそのまさに中心:国連で、出現しつつある「世界的公的権威」に賛辞を送るためにニューヨーク・シティへ出かけられた。国連代表たちにとって嬉しいことには、キリストの代理者は彼らの20世紀バベルの塔を「この高尚な制度」そして「親善関係と平和のための最後の大きな希望」として賞讃された。注33)最後の大きな希望?それでは、善意の人々に地上での平和をもたらすために、ほかならぬ平和の君御自身によって設立された聖なるカトリック教会についてはどうなのだろうか?そしてパウロ6世の生きている間に神の御母によって個人的に世界に伝えられた、この時代における平和のための神御自身の計画であるファチマのメッセージについてはどうなのだろうか?パウロ6世はその日国連でファチマについて語られなかった。その代わりに、教皇は[国連]総会の雷鳴のような拍手に対して、新世界秩序のガラスと鋼鉄の寺院から執行される神なき世界政府の上にヴァチカンの承認のシールを貼られた:

「この制度において満場一致の信頼が成長しまうように。その権威が増大しますように...」注34)

そしてそのようになっている。公会議以後ずっと、ヴァチカンは国連の常任オブザーバーであった。オストポリティーク[東方政策=共産主義諸国に対する宥和政策(訳者)]を行っている同じヴァチカン当局者たちは、嘆かわしい北京会議同意や生まれるべき子ども[胎児]の権利に言及しない「国連児童憲章」を含む多くの国連諸条約に対するヴァチカンの署名を話し合った。ヴァチカンはこれらの人道的宣言書にある「留保」をつけて署名する。しかし、そのことによって、国連が人類全体に対して権威を行使すべきである一つの妥当な道徳的団体であるという恐るべき考え方の正当性を認めて、それらに署名するのである。

ファチマでの聖母の警告がヴァチカンの記憶から遠のけば遠のくほど、それだけ新世界秩序の(諸々の道徳的乱行ではないとしても)構造のヴァチカンの抱擁は堅くなる。パウロ6世が国連に敬意を表された30年後、ヨハネ・パウロ2世教皇はご自分の順番をやられた。1995年10月5日、国連総会に向けて、教皇は「この制度に対する聖座およびカトリック教会の尊敬」を宣言された。そして国連--中絶、避妊そして神なきヒューマニズムの世界的な促進者--を「国際的生活を調和させ、そして調整する(!)ための偉大な道具」注35)だと宣告された。それに対して信徒の平均的なメンバーは本能的にこう答えるであろう:「そういうことが絶対ないように!」

生命の聖性に対する最大の脅威、国連

グルーナー神父の使徒職が述べたように、国連は「国際生活における質的向上」を促進するよりはむしろ、ボリヴィアやフィリッピンのカトリックの人々に対してさえ人口抑制計画を押しつけながら中絶と避妊の世界的な体制を助成している。ヒューマン・ライフ・インターナショナルの設立者ポール・マークス(Paul Marx)神父もまた彼の国連非難において恐れを知らない人であった:「--サタン自身を唯一の例外として--人間生命の聖性と今日の家族にとっての最大の脅威は、断然、国連/世界政府の出現しつつある行動指針である...国連は常に何らかの可能な手段を通じて世界的な人口抑制のための土台を敷きつつある。」注36)ラッツィンガー枢機卿でさえ、彼の生涯の黄昏時になって、彼のヴァチカンの同僚とは隊列を乱すであろう。そしてグルーナー神父とその使徒職がずっと以前から公表してきた単純な真理を公に認めるであろう:国連は悪しき行動指針をもつ悪しき組織である。The Gospel in the Face of World Disorder(「世界の無秩序に直面する福音」)と題された書物の序言の中でラッツィンガーは国連が「新しい世界秩序」、「新しい人間」、「新しい世界」そして「新しい人間学」を促進していることに警告を発している。そして国連に関して非常に危険なことは、その行動指針が何かあるユートピア的な夢ではなくて、容易に現実になり得る悪夢であるということである、とラッツィンガーは述べる。「マルキストの夢はユートピア的であった。(国連の)この哲学は反対に非常に現実主義的である。」注37)

二人の教皇が母胎における世界的な大量殺戮を促進している一つの制度に対するそのように高い評価をなぜ表明されたのかということは注目に値する神秘--使徒職が詳しく調べる気がしなかった一つの神秘--の問題であり続ける。おそらく、公会議の教皇たちは、ヴァチカン国務省における彼らの助言者たちが、教皇の影響が悪しき制度をいくぶん善へ変えることができるであろうと教皇たちに確信させたために、国連を支持されたのであろう。

共産主義によって欺かれてはならない

同じようにして、カザロリ枢機卿は、パウロ教皇が伝えられるところによるとその決定で心をかき乱されたのに、オスト・ポリティークの利益となるように、教会の共産主義に対する猛烈な反対を放棄すべきであるとパウロ教皇に確信させた。注38)教会の成員たちは諸々の悪しき組織にそれらを「よりよいもの」にするために参加すべきであるという考え方はピオ11世教皇によって、その回勅デヴィニ・レデンプトーリスにおいて断罪されたまさにその考え方である。悪しき木は決してよき実を結ばず、その実を食べる者をただ毒するだけであるということを認められて、教皇聖下は共産主義者たちによって産み出されたうわべは良性の諸々の社会運動にカトリック教徒が参加することを禁じられたのである:

「共産主義を暗示しないさまざまの名称の下に...彼らはいわゆる人道主義や慈善の領域において彼らと共に協力するようカトリック教徒を招く。そして時にはキリスト教精神や教会の教えに完全に一致する諸提案をする...尊敬する兄弟たちよ、信徒は欺かれることを自らに許してはならないということに気をつけなさい!共産主義は本質的に悪しきものである。そしてキリスト教文明を救おうとする者はどんなものであれいかなる企てにおいてもそれと協力することは許されないのである。」注39)

共産主義と同じように、国連は20世紀文明の世俗的なヒューマニズムの土地に取り除けない仕方で根付いた一つの比類のない悪しき木である。アルジャー・ヒス(Algar Hiss)を含むその憲章の主たる作成者たちはマルキストであった。にもかかわらず、その諸部門の下でのヴァチカンの「愛の文明」の追求は間断のないものとなったと思われる。ヴァチカン代表者たちは単に国連においてだけでなく、それが今や「世界の諸宗教の尊敬すべき指導者たち」と呼んでいる者たちとの無数のヴァチカン主催の会議や祈りの集会においてその幻想を追っている。注40)

グルーナー神父は公会議後のヴァチカンが、イスラム教徒やユダヤ人を含む全人類に対するキリストの社会的王権についてもはや世界に話さないということを述べたただ一人の人ではない。ピオ11世がイスラム教をキリストの光によってそこから霊魂たちが救い出される必要がある暗闇だと公然と非難したのに対して、およそ72年後に、「諸宗教間対話に関する教皇立委員会」は1997年、カトリック教徒とイスラム教徒は「彼らの信仰を分かち合」わなければならない、そして「イスラムへの呼びかけ」と「キリスト教の宣教」は「協力の精神において」(!)そして人類に対する一つの奉仕として、遂行されるべきであると宣言するであろう。13世紀もの間教会がその諸々の誤謬と戦ってきた一つの暗闇の宗教がどのようにして突然、カトリック教徒が今や協力しなければならない「人類に対する一つの奉仕」となったのかを問うことを信徒は許され得るであろう。

人権対話によって取って替わられたイエズスとマリアへの奉献

グルーナー神父と使徒職はイエズスの聖心への人類の奉献が、マリアの汚れなき御心へのロシアの奉献と一緒に、ヴァチカンの行動指針から消え去ったという不安にさせる展開を指摘することを躊躇しなかった。イエズスとマリアのみこころは新世界秩序の輝く脇道を通い、国連の諸々の広間を歩くヴァチカン特使たちから消失していた。今日議論の主要項目は「人権」、「対話」そして「愛の文明」と呼ばれる何かである。

世界に対するヴァチカンの新しいアプローチはヴァチカン・インターネット・アーカイブの検索キーワードのうちに際だって明らかである:「対話」に関して52,000以上、「人権」に関して2,000そして「愛の文明」に関して1,000の項目を見つけることができるであろう。--しかし、キリストの王権、あるいは、そのことなら汚れなき御心へのロシアの奉献もやはり、それらに関するたった一つの項目もないのである。注41)「イエズスのみ名の前に、天にあるものも、地にあるものも、地の下にあるものもみなひざをかがめ、すべての舌が父なる神の光栄をあがめ」よという神の命令についてはヴァチカンの宣言のうちにはもはやいかなる言及も存在しない。その教えは痕跡を残さず消失した。新しい語彙が古い語彙を完全に消したのである。

愛の文明

「愛の文明」は評判によればパウロ6世によって造り出された文言である。実際問題として、この概念はそこにおいてすべての諸宗教の人々、そしていかなる宗教も全然持たない人々が「諸々の人権」と「人間人格の尊厳」を尊重するために「対話」を通じてなぜか同意に達するという国連によって管理されたユートピアを意味するために現れる。無私の人道主義のこの世界的な開花は明らかにカトリック信仰への回心という超自然的恩寵なしに、あるいは王たるキリストの支配の諸社会によるいかなる認知もなしに、起こると想定されている。ヨハネ・パウロ2世教皇はその新しい概念を1995年国連への挨拶において次のように要約された:

「国連は連帯の諸価値、態度および具体的なイニシャティブを涵養することによって...国際生活におけるこの質的な飛躍を促進する歴史的な、記念碑的でさえある役割を持っている...20世紀の終わりに人間存在を暗くする恐れに対する答えは平和、連帯、正義そして自由の普遍的価値に基づいた愛の文明を建設する共通の努力である...」注42)

偽りの諸宗教との「一致」

1986年のアッシジの「平和のための世界祈りの日」において、カトリック教徒は、神秘的な体[カトリック教会]の成員たちと偽りの諸宗教--ピオ11世がイエズスの聖心への世界の奉献に際して非難された同じ諸宗教--の信奉者たちとの間の存在しない「一致」を明らかにするための、ヴァチカンの公会議後の諸々の試みのなかでもおそらく最も野心的な試みを目撃した。ヴァチカンの新しい行動指針に完全に従いながら、ヴァチカン非キリスト教諸宗教委員会(Vatican Secretariat for Non-Christian Religions)委員長アリンゼ(Arinze)枢機卿は「世界平和を建設するために、われわれは国連を必要とする」と宣言した。アリンゼ枢機卿は「世界における平和のために祈るために、キリスト者とそれ以外の、世界のすべての諸宗教の指導者たち」を招集することにおける教皇の「前例のない一歩」を賞讃した。注43)枢機卿は世界に神の怒りを降らせるまさにその罪を大目に見る「諸宗教」の祈りを通じていかなる種類の「平和」を彼が得ようと希望しているかを説明しなかった。戦争は罪に対する一つの罰です、と聖母はファチマで3人の子どもたちに告げられた。しかし、新世界秩序はそれが平和のためであると主張している一方で罪を促進している。今日、ヴァチカンによって「世界諸宗教」のこれらの「指導者たち」が神のご覧になっている前で、中絶、避妊、離婚、一夫多妻、女性の「司祭」任命、人間の動物への輪廻、偶像礼拝、他の無数の嘘、迷信そして嫌悪を催すさまざまのものを説いている偽りの牧者たちであるということはもはや暗示されさえしない。人々に偽りの牧者たちから逃れるようにと警告する代わりに、ヴァチカンは見つけ出すことがきる限り多くの彼らをアッシジで「平和のために祈る」ために招待したのである。

「世界平和のための祈りの日」での諸々の恥ずべき出来事の終りの方で、教皇は鉢に入れた植物を持たれ、プロテスタント、イスラム教徒、ユダヤ教徒、仏教徒、ヒンドゥー教徒、アニミズム信奉者、アメリカインディアン、儒教徒、神道信奉者、ゾロアスター教徒たちと共に、聖フランシスコ大聖堂の外で大きな半円形を作って皆が並び、一種のコーラス・ラインの形で立たれた。キリストの代理者はカメラの放列のために、「平和を求め」て神の前で等しい立場に立つ、多くの「世界諸宗教の尊敬すべき代表者たち」のほんの一人として描写された。11年後その大聖堂は三つの地震によって揺さぶられた。地震はバシリカのドームを崩壊させ、その祭壇を押し潰した。大きな記憶喪失に罹っていない人々にとって、その押し潰された祭壇は容易に理解される一つのしるしであった。

アッシジの空虚なジェスチャが終わったとき、「世界諸宗教の尊敬すべき代表者たち」は彼ら自身の国へ戻った。そして即座に王たるキリストの支配に対する彼らの昔からの反対を再び始めた。インドにおいてヒンドゥー教狂信者たちは「世界平和のための祈りの日」以来ほとんど毎年司祭たちや修道女たちを殺してきた。一方パキスタンのイスラム教戦士たちはキリスト教徒を見ると即座に撃ち殺した。インドのヒンドゥー民族主義政府が三つの地下核実験を実施したとき、ニューデリーにおいて人々は彼らのヒンドゥーの神々への讃美を叫びながら、通りで踊った。注44)(おそらく、アッシジでヒンドゥー宗教の「尊敬すべき代表者たち」はヒンドゥーの破壊の神シヴァに祈っていたのであろう。)数週間後、パキスタンはインドとの軍備競争を告知しながら、彼ら自身の原爆を爆発させた。一方で、イスラエルにおいてはユダヤ人たちはキリスト教徒になった「罪」のために今なおいつものように彼らの市民権を剥奪し続けている。

王たるキリストへの無関心

「愛の文明」はかくのごとくである。しかしそのような概念に関する聖ピオ10世教皇の教えを記憶している者は誰も、キリストの王権に代わるこの惨めな現代的代用品の失敗を予告できたであろう。異なった諸宗教の兄弟愛というまさにその観念を、それを「一つの世界教会の確立のためにあらゆる国に組織される背教の大きな運動の惨めな流出物」と呼びながら、激しい使徒的書簡において断罪されたのは聖ピオ10世であった。また、今日のヴァチカンが忘却してしまったと思われる歴史の一つの本質的な事実:すなわち、世界がこれから知るであろう唯一の「愛の文明」は「キリスト教的文明であり、それはカトリック的都市である」ということ、について世界に力強く思い起こさせられたのは、過去450年で列聖された唯一人の教皇、その身体が聖ペトロ大聖堂の中で腐敗しないまま横たわっている、ピオ10世であった。注45)

それ以外でどうしてあり得たであろうか?なぜなら、われわれに、平和をもたらすためではなく、剣をもたらすために来た、と告げられたのはわれらの主御自身だったからである。キリスト教の剣はキリストに従う人々とそうでない人々との間に世界を横切ってそして時代を降って走っている一つの消すことのできない分割線を特徴づけるであろう。聖なる洗礼の恩寵を奪われて(あるいはひとたび受けた恩寵を拒否して)キリストに従おうとはしない人々は彼らの悪意あるいは王たるキリストへの無関心を通じて世界の平和を不可避的に破壊する:「私と共にいない者は私に反対する者である。そして私に反対する者は散らすのである」これが、ピオ11世がその回勅Ubi Arcano Deiにおいて次のように宣言なさった理由である:「人々が神とイエズス・キリストを見捨てたために、彼らは悪の深みに沈んだ...そのような事態に対する唯一の救済策はキリストの平和である。なぜなら、キリストの平和は神の平和だからであり、それはもしそれが法律、秩序そして権威の諸権利に対する尊敬を命じなかったならば、存在し得ないであろうからである。」

ファチマそして公会議前の教会の不変の教えの光に照らせば、今日のヴァチカンのプログラムを熟考するどのカトリック教徒にもいくつかの明白な疑問が提示されるであろう:キリストの社会的王権そしてキリストの教会の教える権威への従順なしにどのようにして「愛の文明」が存在し得るのであろうか?トレント公会議が不可謬的に決定したように:「もし誰かが、イエズス・キリストは信じるべき救世主として、しかし従うべき立法者としてでなく、神によって人々に与えられたと言うならば、その人は破門されるべし。」注46)そしてこの文明はマリアの汚れなき御心の勝利とロシアの回心なしにどのようにして起こるこができるであろうか?洗礼の恩寵、そしてキリストの聖なる教会を通じてのキリストの諸々の賜物である信仰、希望、愛の超自然的諸徳なしに、人々はどのようにしてある時の長さの間善き者であり得るであろうか、いわんや「愛の文明」を建設するのに十分なほど長く善き者であり得ようか?結局のところ、もし人々がキリストの恩寵なしに、そしてその教会における一員であることなしに「愛の文明」を建設することができるのであれば、そのときキリストがあの悲惨な十字架にかかる必要が何かあったであろうか?

しかし人々は、十字架の上でのキリストの死によってカルワリオでわれわれのために獲得された神の恩寵を通じて以外には真の正義や平和のうちに生きることはできない。キリストの恩寵なしの善という半ペラギウス的異端に反対してトレント公会議は不可謬的に次のように宣言した:「もし誰かが、イエズス・キリストを通じて神の恩寵は、人間があたかも自由意志によって恩寵なしに、実際困難であろうとも、そして困難を伴っても、その両方でそうすることができるかのように、もっと容易に正しく生活できるし、また永遠の生命に値することができるということのために、与えられていると言うならば、その者は破門されるべし。」

死の文化

新しい行動指針の提案者たちにとって初めから明らかであるべきであったことはキリストとキリストの教会なしには「愛の文明」は教皇によって公然と非難されたまさに「死の文化」へとただ退化することができるだけであるということである。「愛の文明」と「死の文化」はヨハネ・パウロ2世教皇がどれほど強くそれらを分離しようと努力されたとしても、実際、同じ一つのものである。キリストと教会に服従することを拒否する文明はそれ自身の死を請け合った文明である。

私的な文通においてこれらの点をヴァチカンに対して提出するカトリック教徒は何の返事も受け取らない。彼らの問い合わせは丁重な受け取りの認めと共に棚上げされ、異なったヴァチカン事務局へ先送りされ、あるいは単純に無視される。ヴァチカンの一枚岩的な沈黙に直面して、グルーナー神父と使徒職は同じ質問を公的に提出した。彼らもまたいかなる直接的な回答も受け取っていない。しかしグルーナー神父と彼の仕事に反対するヴァチカン当局者たちの暗黙の回答はこれである:あなたとあなたの使徒職は沈黙させられるであろう。

現代的な司教たちはファチマを恥じているのか?

キリストの王権が「愛の文明」によって取って代わられた37年後にいくつかの結論が示唆される:公会議後のヴァチカン当局は、マリアの汚れなき御心の取り次ぎによって哀れな霊魂たちが地獄から救われる、そして聖母の取りなしがなければ霊魂たちは永遠に滅びると世界に告げることに戸惑っているのか?ヴァチカンはそのすべての真のカトリック精神におけるファチマのメッセージの子どもじみた信心を恥じるようになったのか?ファチマの物語は、われわれの現代的教会人たちがばかばかしい者と見えないために、それが正確に書かれたものとして、「現代世界」の成人たちにもはや声を出して読まれるべきではなくて、子どもの寝る時間の書物のように本棚に片づけておくべきであるのか?

「現代世界」にとって、そしてそれに人間的尊敬を払う教会人たちにとって、ファチマは実際子どもたちのためのものと思われるのであろう。そしてその通りなのである。なぜなら、あらゆる人間は神の前で子どもであるからである。そして救いの歴史のすべては神の子どもたちが自分たち自身を成人だと考え始めるときにはいつでも--「現代世界」においては特に--悲惨な結果を蒙っているということをわれわれに告げている。この理由でわれらの主は、天国は、彼らが子どもの謙遜さをもって天国の単純な変わらない言語を受け入れなければならない子どもたちであるということを正確に理解する人々に取って置かれた場所であるとわれわれに教えられたのである:「まことに私は言う。子どものように神の国を受け入れぬとそこには入れぬ。」(マルコ10:15)この理由でまた、ファチマのメッセージは成人たちの啓発のために子どもたちに打ち明けられたのである。

第2ヴァチカン公会議のそれほど以前ではないある夏にコヴァ・ダ・イリアのときわがしの木の側で跪いていた3人の小さな子どもたちは汚れなきマリアから汚れのない単純さにほかならないもの--その特徴が一つの偽りのそして致命的な詭弁である時代において間もなく覆い隠されてしまうであろうと聖母が知っておられた信仰の単純さ--を受け取った。われわれの時代の最大の皮肉な事態は自らが人類の成人であることを達成したと信じながら、詭弁を弄する人々のその軍団が子どもでさえなく、聖なる母である教会の霊的な栄養を押しのけた単なる金切り声を上げる乳児でしかなかったということであろう。

ニコラス・グルーナー神父は常にファチマについてこのことを多く理解していた。その天上的な言葉の節約においてファチマ・メッセージは大きな記憶喪失において忘却されてしまったあらゆる事柄の総括である:初土曜日に捧げられるミサの償いの犠牲を祭るローマ典礼、彼らの永遠の運命を人々に思い起こさせる四終、神御自身の有無を言わさぬ権威をもって世界に教える教会の神的権利、キリストの社会的王権、カトリック文明におけるマリアの汚れなき御心の勝利。

数百万の犠牲者

ファチマの喪失と共に失われたものを理解することにおいてグルーナー神父は独りではない。世界中には支配的な詭弁に署名しなかった、大きな記憶喪失に倒れなかった司教たち、司祭たち、平信徒たちが残っている。しかし彼らの数は驚くほどに少ない。なぜなら、公会議後の革命は数百万という多くの犠牲者を要求したからである。1998年には、世界人口の巨大な増加にもかかわらず、世界における司祭たちの数は39年前にそうであったよりも5万人少ない。神学校や修道院はほとんど空になった。注47)自らを今なおカトリックと呼んでいる人々の大多数にとって、結婚と出産に関する教導職の教えは今や「教皇の見解」以外の何物でもないものと見なされている。そして名目的なカトリック教徒の中絶と離婚の率はプロテスタントおよびユダヤ人のそれと同じである。

無視されている地獄

人々は、教会における多くの者がもはや言及しない地獄の火をもはや恐れていないように思われる。しかし、ルチア、ヤチンタそしてフランシスコはファチマでほんのわずかの瞬間地獄の火を見た。--それは彼らを聖人に変えた聖なる恐怖の瞬間であった--。そして今、地獄を無視する世界--ヴァチカン自身によってさえもはや地獄について思い起こされない世界--は明らかにそれ自身の滅亡のための最終的調整へと入って行っている。

ファチマのシスター・ルチアが言ったように:「神父様...私の使命は、もし私たちが罪のうちに頑固にとどまるならば、私たちは自分たちの霊魂を全永遠にわたって失うという差し迫った危険をすべての人に示すことです。神父様、私たちは償いをするように、教皇様の側でのローマからの世界に来る訴えを待つべきではありません。また私たちは司教区において司教様たちから、あるいは修道会から来る償いへの呼びかけを待つべきでもありません。そうではないのです!私たちの主はすでにこれらの手段を非常にしばしばお用いになりました。そして世界は注意を払わなかったのです。

ですからいま、私たち一人一人にとって自分自身を霊的に改革し始めることが必要です。各人は自分自身の霊魂ばかりでなく、また神が私たちの道に置かれた霊魂たちをも救わなければなりません。」注48)

これらはグルーナー神父をして、果てしない迫害を彼と彼の仕事を支援するための強健さを持っている人々にもたらした使徒職を担い続けることを強いている事実である。彼は記憶している。そして彼が記憶しているがゆえに、彼は、その目的が記憶の忘却であり、一つの新しい未来--過去の実体によって知らされていない一つの未来--を作ることである革命の敵である。ファチマなしの一つの未来。

[これはFatima Priest第3版の第19章の結末をつける[部分である]。第20章Cort of Mirrorsはこの号の11ページから始まる。]

脚注

27. Gaudium et spes n. 41.
28. Quas Primas, n. 18.
29. Leo XIII, Annum Sacrum, Libertas Humana, Immortale Dei; St. Pius X, Vehementer Nos; Gregory XVI, Mirari Vos; Pius X, Adeo Nota, and many others.
30. Libertas Humana.
31. Quas Primas, appended act of Consecration.
32. Gaudium et spes, n. 82.
33. Address of Paul VI to the United Nations, October 4, 1965.
34. Ibid.
35. Address of John Paul 11 to United Nations, October 5, 1995.
36. L'Osservatore Romano, May 28,1997, pg. 11.
37. See Vatican Web site at http://www.vatican.va
38. Catholic World News Report, November 24, 1997, http.//www.cwnews.com/news/viewrec.cfm? RefNum=6363.
39. Divini Redemptoris.
40. The Wanderer, June 18, 1998, pg. 3.
41. See Vatican Web site at http://www vatican.va.
42. Address of John Paul II to United Nations, October 5,1995.
43. Assisi: World Day of Prayer for Peace. Pontifical Commission, Justitia et Pax. Vatican City: 1987, pg. 137.
44. Ibid, pg. 39.
45. Our Apostolic Mandate Against the Sillon, Section II, Pope St. Pius X, 1910.
46. Council of Trent, Canons on justification, Session 6, Canon 21.
47. NY Times, May 17,1998, Sec. 4,pg.1.
48. For text of this interview of Sister Lucy with Father Fuentes at Coimbra, see La Verdad Sobre el Secreto de Fatima, page 107. Most Reverend Sanchez, Archbishop of Vera Cruz, gave the imprimatur for the above interview of Dec. 26, 1957.
Also, see Frére Francois de Marie des Anges, Fatima: Tragedy and Triumph. pg. 26-32; also, Frére Michel de la Sainte Trinité, The Whole Truth About Fatima Vol. III pp. 504-509.