けれど(Credo)

I:キリシタン信仰と殉教 II:ファチマと現代世界 III:カトリック典礼、グレゴリオ聖歌 IV:「聖と俗」雑感

ファチマ・クルーセイダー

2012年02月02日 | Weblog

なんとも腑に落ちない話
--シスター・ルチアについて最近報道されているニュース--  (続き)

The Fatima Crusader, Issue 70, Spring 2002より

ジョン・ヴェナリ(Cand.)

ロシアの回心?

ラッツィンガー枢機卿とベルトーネ大司教が根拠のないおおげさな言動でもって「これ以上のどんな議論もまたロシアの奉献を求める要求も根拠がない」注42と宣言するとき、わたしたちが彼らを信用しないのは驚くに当たらないのです。シスター・ルチアが突然ベルトーネ大司教の言うすべてのことに同意しているという大司教の孤独な証言をわたしたちが疑問視するのは驚くに当たらないのです。

3)1931年の奉献の結果として、ポルトガルは平和の奇蹟を与えられました:それはスペイン市民戦争と第二次世界大戦の恐怖を免れさせました。それとは著しく違って、1984年の奉献の後には平和がありません。ロシアの適切な奉献に引き続く平和の約束はロシアだけのためになされているのではなく、全世界のためなのです。「平和の一時期が世界に与えられるでしょう」と天から来られた美しい婦人は固く約束されたのです。

平和の払底について長々と説明する必要はありません。特に、9月11日の事件とその余波のことを考えてみれば、そうです。「歴史上最悪のテロ攻撃」は汚れなき御心の勝利の「決定的瞬間」の一つではないでしょう。世界の至るところで戦争のサーベルのがちゃがちゃ鳴る音が聞こえます。聖地における暴力は絶えず第一面のニュースです。アフガニスタンにおける砲声は続いています。インドとパキスタン--核兵器を持ち、それを使用する明白な決意を持った二つの国--は主要な軍事紛争に近づいています。注43 ジョージ・ブッシュ(George W. Bush)大統領は2002年は「戦争の年」注44 となるであろうと宣言しました。聖ペトロ大聖堂における教皇のクリスマス深夜ミサでさえ、テロリストたちによる「可能な攻撃のおそれのために」通常よりも厳しい厳戒態勢の中で行われました。注45

それにもかかわらず、ファチマに反対するヴァチカンのキャンペーンはわたしたちの「どうかロシアを奉献してください」という旗じるしをまとめて家に帰るように期待しているのです。なぜなら、「奉献はなされた」のであり、「ファチマは終わった」のだからです。


Don't Rain on My Charade
それでは、なぜ指導的なカトリック高位聖職者たちはファチマの聖母にそのような意地の悪い扱いをするのでしょうか?ヴァチカンで広まっている態度がなぜ「ファチマ問題」を抑えつけ、聖母の言葉を本当に信じている粗野な民衆を沈黙させようと努力するものなのでしょうか?

与えられる通常の理由はヴァチカン-モスクワ合意--「メッツ協定(Pact of Metz)」--です。その中で教皇ヨハネ二十三世は公会議の前の晩に、第二ヴァチカン公会議はエキュメニズムのために、ロシア正教会の司教たちがオブザーバーとして公会議に参加できるように、共産主義を非難しないことを保証しました。

今なお有効であるこの協定は、それと競合するいかなる見解もカトリック信徒の間で有名にならないように決意しているヴァチカン国務省にとって最高のものなのです。そしてファチマのメッセージは、「ロシアの誤謬」についてのその厳しい警告とともに、「メッツ」協定にとってより不利なものであることができないのでしょう。

その結果、ヴァチカンにおける今日の雰囲気はまるで狂気の状態である「ロシアを怒らせることの恐れ」によって支配されているように思われます。2000年11月の「インサイド・ザ・ヴァチカン」(Inside the Vatican)において、「教皇に最も近い相談相手の一人」と目されているある枢機卿は、教皇がさまざまの奉献や「親任」の儀式においてロシアに言及しないように忠告されていた、なぜなら、それはロシア正教会の聖職者階層を怒らせるからだ、と漏らしました。注46

これはすべて十分に真実です。そしてヴァチカンの東方政策についてわたしたちがここで言ったことを支持する山のような証拠があります。注47 しかし、わたしはなおもう一つ別の要素がここで働いているのではないかと考えています。公会議以来教会内部での新しい方向があるとして、おそらく、多くのヴァチカンの指導者たちがファチマの聖母を撃退することに余念がないように見える理由は彼らが実際「回心」という言葉に当惑させられているからでしょう。特に、ファチマの聖母に従えば、「回心」は単に汎宗教的な「神にイエスという心」ではなくて、その外にはいかなる救いもない唯一の真のキリストの教会、カトリック教会への、非カトリック者の回心だからです。

救いのためのカトリシズムへの回心?なんとおもしろくないことか!なんと偏見に満ちたことか!何たる第二ヴァチカン公会議以前のデキモノであることか!排他的なものの考え方と偏狭な宗派的見解をもったこのファチマの婦人は誰なのか? ヴァチカンにいる人々を含めて、多くのわたしたちの教会指導者たちが、非カトリック者にとって、統一と救いのために、キリストの唯一の真の教会に回心する必要はないという誤った原理に基づいて行動しているということは一つの悲しい現実です。

わたしたちの聖なる歴史においてはじめて、2000年のカトリックの教えを無視して、誤った諸宗教のメンバーを、彼らの諸々の誤謬と戦い、彼らをカトリック教会に改宗させるために働くよりもむしろ、彼らがいまあるままに、受け入れることが、教会の政策なのです。 第二ヴァチカン公会議で生み出されたこの「新しい思考様式」はカトリック新聞からヴァチカンの最高の階層に至るまで、教会の至るところに見出されます。

例えば、ウォルター・カスパー(Walter Kasper)枢機卿の最近の声明を取り上げてみましょう。彼は教会のスター非信者、ハンス・クング(Hans Kung)の元秘書でした。教会中にその近代主義的見解が有名であるカスパーは2001年2月に教皇ヨハネ・パウロ二世によって枢機卿とされました。そして現在キリスト教一致促進のためのヴァチカン教皇庁協議会の長官の地位を享受しています。カスパーはこう言いました。

「...今日わたしたちはもはやエキュメニズムを、それによって他の人々が『回心させられ』『カトリック信徒』であることへ戻るというそういう帰還の意味においては理解していません。これは第二ヴァチカン公会議で明確に放棄されたことです。」注48
多くのカトリック信徒はカスパーのあきれた陳述についてどぎまぎしています。わたしとしては、彼の正直さを評価します。少なくとも、カスパーは今日のたいていの高位聖職者がいずれにせよ信じていると思われるが、肯定も否定もしないことを公然と言っているのです。
実際、「教会の外には救いはない」という三度も[不可謬のものとして=訳者挿入]定義された教義を軽蔑しているカスパーの陳述は現に「第二ヴァチカン公会議の精神」を代表しているのです。ヨーゼフ・ラッツィンガー神父(現枢機卿)はその1966年の著書「第二ヴァチカン公会議の神学的最重要点」(Theological Highlights of Vatican II)において、回心を不要にする、非カトリック者に対する公会議の新しい方向性について自慢しました。ラッツィンガーはこう説明しています。

「カトリック教会は他の諸教会を吸収する権利を持っていません...[一つの]基本的統一--諸教会にとどまるが、にもかかわらず一つの教会となる諸教会の--が回心という観念に取って代わらなければなりません。--たとえ、良心においてそれを求めるように動機づけられた人々にとって回心がその有意義さを保持しているとしても--」注49
ところで、ラッツィンガーはこの書物を公会議の間に書きました。カール・ラーナー(Karl Rahner)の協力者として、彼は諸文書の草案作りに精力的に取り組みました。彼は第二ヴァチカン公会議での建築家たちの本当の意図が何であったかを私たちに告げる立場にあります。そして彼は、第二ヴァチカン公会議の真の教えは、その著者たちに従えば、回心は一つのオプションであり注50、そして非カトリック者は救いあるいは一致のために真の教会へ回心する必要はないということだったと宣言しています。
このことは、もう一人の進歩主義者である公会議の専門家peritus、エドワード・シルレベークス(Edward Schillebeecks)神父と一致しています。彼は「第二ヴァチカン公会議でカトリック教会はキリスト教宗教に対するその独占権を公式に放棄した」注51ことを祝っています。

同じように、ローマに基づいた国際ユダヤ人キリスト者の証拠資料サービスからの「カトリック」ジャーナル(SIDIC)注52は非カトリック者に対する第二ヴァチカン公会議の新しい方向づけについて語りました。1999年にそれは、ルフェーブル(Lefebvre)大司教を含むいわゆる「伝統的なカトリック者」についての「主要な問題」は何かに焦点を当てました。SIDICはこう説明しました。

「...ルフェーブルとその追随者たちによって受け入れられた唯一のエキュメニズムはキリストの唯一の教会、ローマ・カトリック教会への、他の諸教会のメンバーの無条件の帰還のために努力するエキュメニズムである。この硬化した宗派心は教会の本性についての深い省察を通じて、まさに第二ヴァチカン公会議が受け入れることを拒否した種類の論理である...」注53
非カトリック者は、「ある神秘的な仕方で」キリストの教会の一部であるがゆえに、回心する必要がないという新しい主張は、エキュメニカルな運動に関するピオ十二世の1949年の教えに要約されたように、非カトリック者が彼らの誤謬を捨て、イエズス・キリストの唯一の真の教会へと戻る必要性についての教会の永遠の教えを軽蔑するものです:すなわち

「真の再統一はただキリストの唯一の真の教会(カトリック教会)への、意見を異にする人々の帰還によってのみもたらされる。」注55
悲しいことに、教皇ヨハネ・パウロ二世はピオ十二世の方向づけよりもむしろ、第二ヴァチカン公会議の新しい方向づけに加担しているあらゆる兆候を与えておられます。たしかに、ヨハネ・パウロ二世は、非カトリック者は救いのためにカトリシズムへ回心する必要はないと公然と宣言されてはいません。しかし教皇の言葉と行動は他のどんな結論のための余地もほとんど残していないのです。
(多くの)例のうちの最も強力な例の一つは、カトリック、正教そしてプロテスタント諸宗教からの「諸聖人」を含む「共通の聖人学」の創設への教皇ヨハネ・パウロ二世の呼びかけです。注56

ヴァチカンのセルジオ・セバスティアーニ大司教は提案された新しい聖人学についてコメントしながら、「それは完全に新しいこと」であると認め、次のように喜びを表明しました。「正教会とプロテスタント諸教会の殉教者たちを崇敬するという教皇の考えは実際可能的な最も広い意味でエキュメニカルです。」

次いで、2000年5月7日日曜日に、教皇の最も野心的なミレニアム儀式のうちの一つとして、ヨハネ・パウロ二世はローマのコロッセウムで開催された「新しい殉教者たち」のエキュメニカルな記念式典を主催されました。ロサンゼルス・タイムズ(Los Angeles Times)はそれを「ヴァチカンによって上演された最も広い代表的なエキュメニカルな出来事」注58 と呼びました。正教会、英国国教会、プロテスタント各派の19名の代表者が参加したその集会には5千人の人々が出席しました。

その儀式で、教皇ヨハネ・パウロ二世が名をあげたたった二人の「殉教者」は非カトリック者:すなわち、正教会の主教とルーテル派の牧師でした。注59

これらの言葉や行動は教皇エウジェーヌ四世(Eugene IV)の聖座から の次のような宣言にまっこうから反対するものです。すなわち、「カトリック教会の外にある人々は、単に異教徒ばかりでなく、またユダヤ人、異端者、分離派、も、永遠の生命にあずかることはできず、死ぬ前にカトリック教会に加わらないかぎり、『悪魔とその手下たちのために備えられている』(マタ 25:41)永遠の火に入らなければならない...カトリック教会のふところと一致のうちに住まないかぎり、たとえキリストの名のために血を流すとしても、誰も救われることはできない。」注60

いっそう不安にさせられることには、カトリシズムへ回心しようと望む非カトリック者を積極的に落胆させるヴァチカンの枢機卿たちの事例が報告されています。

ファチマ・クルーセイダーは69号において、ルーマニアの正教において育てられたリヌス・ドゥラグ・ポピアン(Linus Dragu Popian)神父の話を公表しました。1975年に彼は生命の危険を冒して、共産主義のルーマニアを脱出し、そして一人の神学生として、カトリックへ回心したいという望みをヴァチカンに申し出ました。当時の国務相長官ヴィヨ(Villot)枢機卿と他のヴァチカンの枢機卿たちは恐れをなしました。彼らは若いポピアンに、共産主義から逃げてはいけないし、またカトリックになってはならない、なぜなら、これは共産主義のルーマニアおよびルーマニア正教会とのヴァチカンの関係に損害を与えることだからだ、と告げました。注61

それ以来、ローマにおいては、事態はほとんど変わりませんでした。

聖ピオ十世協会のフェレイ(Fellay)司教は最近のインタビューの中で、カトリック教会へ改宗することを望んでいた一人の分派的(正教の)司教に出会ったと述べました。フェレイ司教は彼にローマと直接交渉するようにと勧めました。この正教の司教がヴァチカンに自分はカトリックになることを望んでいるのだと告げたとき、「パニックが起こった。翌日、司教聖省長官のネヴェス(Neves)枢機卿はその分派的司教に言った。『閣下、回心する必要はありません。公会議以後、事態は変わったのです!もはや回心する必要はないのです。』」注62 カトリック信仰への回心を強調なさったファチマの聖母のメッセージが「第二ヴァチカン公会議の精神」とは相容れないという証拠を私たちはもっとたくさん必要としているのでしょうか?注63 その第一の忠誠が公会議の汎宗教的な構想に捧げられている人々によって現在支配されている教会においては、あなたたちが現代化(aggiornamento)を言うことができるよりも早く、ファチマの聖母の上に幕がおろされるでしょう。ゴルバチョフ・センターをステージにあげなさい。ダライ・ラマ・センターをステージにあげなさい。盆栽をかざった汎宗教的、平和のための儀式・センターをステージにあげなさい。ファチマの聖母よりもむしろ何であれ、誰であれに照明を当てなさい。かつてスポットライトは青い衣をまとった美しい婦人を照らしました。公会議の戯画はその自然の暗闇の中へと退くでしょう。そして聖母が愛し、代表しておられる2000年にわたるカトリックの伝統でステージ全体が輝くでしょう。


2002/07/31 三上 茂 試訳

脚注:

(1)"Sister Lucy: Secret of Fatima Contains No More Mysteries", Vatican Information Service[VIS], Dec. 20. 2001. このインタビューの報告はまた2002年1月9日の「オッセルヴァトーレ・ロマーノ」(英語版)にも現れた。それは第三の秘密についてシスター・ルチアが述べたと主張されているコメントに関してもう少し多くの情報をもったVISレポートと実質的には同じものであった。「オッセルヴァトーレ・ロマーノ」の報告はわれわれがこの論考において提出した質問には何も答えていない。すなわち、a)世俗の諸新聞でさえ、ラッツィンガーの文書はファチマを「おだやかに正体暴露している」ということを認めたときに、なぜシスター・ルチアはラッツィンガー枢機卿の2000年6月26日の文書「ファチマのメッセージ」という文書に同意すると主張するのか?b)70年間以上の変わらない証言の後に、なぜシスター・ルチアは見たところ、ロシアの奉献に関する彼女の証言を変えたのか?c)もしロシアの奉献が達成されたとするならば、そのときファチマの聖母によって約束されたロシアの回心はどこにあるのか?
(2)"Big Brotherski Goes Too Far for Staid Russians", Mark Franchetti, London Times, November 25, 2001.
(3)"Activist Says Child Porn Prosecutions Will be Difficult in Indonesia, Russia ", Christine Brummitt, Associated Press, Aug. 9, 2001.
(4)Los Angeles Times, "Catholic Church Unveils Third Secret: The Vatican's Top Theologian Gently Debunks a Nun's Account of Her 1917 Vision That Fueled Decades of Speculation", June 27, 2000.
(5)「『秘密』の結論的な部分はルチアが諸々の信心書の中で見たであろう、また長年の信仰の直感からそれらのインスピレーションを引き出したであろうイメージを用いている。」The Message of Fatima, Cardinal Josef Ratzinger, June 26, 2000.
(6)Hebblethwaite, Peter. Paul VI (New York: Paulist Press, 1993), pp.490-91を見よ。
(7)ダニス神父はラッツィンガー枢機卿の6月26日の文書「ファチマのメッセージ」において言及されているただ一人の「ファチマ専門家」である。
(8)われわれは、ついでに、1988年における大きな論争点に言及することができるだけである。すなわち、ヴァチカンはすべてのファチマ使徒職に1984年の奉献がファチマの聖母の要求を満たしたと主張するよう命じた。フレール・フランソワは1988年に「ファチマ当局者、シスター・ルチア、さまざまの教会関係者--メッシアス・コエリョ神父、そして聖母にたいへん献身しているあるフランス人司祭を含む--に宛てられた、すべての者にロシアの奉献で教皇を悩ませることをやめるよう命じる、一通の命令が来た」と書いている。ファチマ帰依者カイヨン(Caillon)神父はこう書いている。「ローマから一通の命令が来たが、それはすべての人に次のように言い、考えるよう強制するものであった。『奉献はなされた。教皇はできることをすべてされたから、天はその姿勢に同意なさったのだ』と。」(「ファチマ:悲劇と勝利」、pp.189-190)ロシアの奉献はなされなかったと言って来た多くのファチマ使徒職が突然、1984年の奉献は天の望みを満たしたと言い始めたのは、1988-1989年のこの時期の頃であった。シスター・ルチアの偽の、タイプ書きされた手紙が出回り始めたのもこの時期であった。悲しいことに、カイヨン神父でさえ、その後間もなくその証言を変更して、1984年の奉献がファチマの要求を満たしたと言い始めた。それ以上のことについては、最近ファチマ・センターによって出版された「もみ消しの年代記」(The Chronology of a Cover-up:1929-2001)Fatima Center, 17000 State Route 30, Constable, NY 12926.を見よ。
(9)Vatican Information Service, December 20, 2001.
(10)Fatima: Tragedy and Triumph、これはFatima: Intimate Joy, World Event,Frere Francois de Marie des Anges,(English translation by Immaculate Heart Publications, Buffalo, NY, 1994)の第4巻 p.134である。
(11)Our Lady of Fatima, William Thomas Walsh, (Image-Doubleday, New York, Imprimatur 1947) p.221.強調は原文どおり。
(12)Il Pellegrinaggio Della Meravigle, p.440. Rome, 1960. イタリア司教団の賛助の下に出版されたこの同じ著作はこのメッセージが6月に教皇ピオ十二世に伝えられたということを肯定している。また、カノン・バルタス(Canon Barthas)も、その御出現を1967年のリスボン・ファチマのマリア学評議員会で言及した。 De Primoridiis cultus mariana, Acta congressus mariologici-mariana in Lusitania anno 1967 celebrati, p. 517. Rome, 1970.を見よ。 Fatima: Tragedy and Triumph, pp.21 and 37 を見よ。
(13)Centre Saint Jean 61500 Sees, (Orne) France.のPierre Caillon神父による論考の中で報告されている。この論考は月刊誌Fidelite Catholique, B.P. 217-56402.Auray Cedex, France.によって出版された。英語訳はThe Fatima Crusader, Issue 13-14(Oct.-Dec., 1983) p.3.
(14)Fatima e o Coracao de Maria, p.101-102.を見よ。
(15)Fatima: Tragedy and Triumph, pp. 172-173.
(16)ibid., pp. 167-168.
(17)La verdad Sobre el Secreto de Fatima, Fatima sin mitos, Father Joaquin Alonso, (2nd edition, Ejercito Azul, Madrid, 1988) p.78. 英語訳はJoseph Cain. スペイン語原文は次のとおり。"...podriamos decir que Lucia ha pensado siempre que la "conversion" de Rusia no se entiende solo de un retorno de los pueblos de Rusia a la religion cristiano-ortodoxa, rechazando el ateismo marxista y ateo de los soviets, sino que se refiere pura y llanmente a la conversion total e integral de un retorno a la unica y verdadera Iglesia, la catolica-romana."
(18)Sol de Fatima, September 1985.
(19)Chretiens-Magazine, March 1987,#8 Fatima: Tragedy and Triumph, p. 189.
から引用。
(20)Father Laurentin, Multiplication des apparitions de la Vierge aujourd'hui, p. 45. Fayard, September, 1988.Fatima: Tragedy and Triumph, p. 189.
から引用。
(21)シスター・ルチアのこの証言はアルゼンチンで出版されたPara Tiの8月初めの版で報じられた。World Enslavement or Peace...It's Up to the Pope,Fr. Nicholas Gruner (Immaculate Heart Publishing, 1989), pp.212-213.
(22)それ以上の証言についてはFatima: Tragedy and Triumphの第四章を見よ。
(23)この「三つの奇蹟」はジョン・ヴェナリによるカセット講義「ポルトガルはなぜ戦争とテロから救われたか」にもっと詳しく説明されている。これはFatima Center, 17000 State Route 30, Constable, NY 12926で入手可能である。
(24)1942年の御出現記念祭のための共同牧会書簡、Merv. XX's, P.382The Whole Truth About Fatima, Vol. II,"The Secret and the Church", Frere Michel de la Sainte Trinite, (English edition, Immaculate Heart Publications, Buffalo, NY, 1989), p. 410 から引用。
(25)ポルトガル政府におけるサラザールの影響は1928年以来大きくなっていた。彼は1933年に評議会議長となった。後に、サラザールは彼の諸努力のために教皇ピオ十二世の称讃と祝福を受けた。ピオは言った。「私は彼を心から祝福する。そして彼が霊的および物質的な国家回復の仕事を成功のうちに完成させることを心から願っている。」The Whole Truth About Fatima, Vol. II," p.412から引用。
(26)ibid. p. 415.(サラザール自身の言葉)。
(27)ibid. p. 421.
(28)ibid. p. 422.
(29)ibid. p. 428.
(30)The Whole Truth About Fatima, Vol. II," pp.369-439を見よ。
(31)ibid. p. 428.
(32)ibid. p. 405.カレイェイラ枢機卿はこれらの言葉を1942年のファチマ御出現記念祭の儀式の間に話した。
(33) わたしはラッツィンガー枢機卿のようなファチマの正体を暴露しようとする人よりもカレイェイラ枢機卿のようなファチマを信じる人の言葉を信用する。
(34) Cardinal Carejeira, Preface to Jacinta(1942), Obras Pastorais,Vol.II, 333.また、彼の1942年5月13日の説教、Merv. XX's,p.339をも見よ。The Whole Truth About Fatima, Vol. II," p.437から引用。
(35) 「この現在の暗闇」"This Present Darkness" Part II, Mark Fellows, Catholic Family News, Sept. 2000.から取られた比喩。
(36)マウラー神父の指摘はCatholic World Report, Feb. 2001におけるインタビューに見られる。このインタビューについての梗概と注釈は「さらけ出された回心したロシアの神話」"The Myth of a Converted Russia Exposed", Martin Horvat, Ph.D., Catholic Family News, March 2001.において公表された。
(37)"Russia Legalized Homosexuality",United Press International, May 28, 1933. この論考の初めの部分を引用すれば、「ロシアの同性愛活動家たちは金曜日、男同士の合意の上での性行為を禁止していたソヴィエト刑法121条の廃止に続くソヴィエト後のロシアにおけるゲイの権利に対する大きな勝利を祝った。『これはロシアにおけるゲイとレスビアンにとって大きなニュースである』と、モスクワのゲイ雑誌 Risk の編集長、ウラディスラフ・オルタノフ(Vladislav Ortanov)は語った。」
(38)「活動家は児童ポルノの告発はインドネシアとロシアでは困難だろうと言っている。」"Activist Says Child Porn Prosecutions Will be Difficult in Indonesia, Russia", Christine Brummitt, Associated Press , Aug. 9, 2001.(Emphasis added)
(39)"High-Tech Crime on the Rise in Moscow",Interfax News Agency, Communications and Electronics Report,October 22, 2001.(Emphasis added)
(40)"Interactiverussia Announces its Own Version of 'Big Brother',"Business Wire , Nov. 8, 2001.
(41)「60台のカメラを据えつけられたフラット(住居)に鍵をかけて閉じこめられて2週間後、二人の競技者、マーゴとマックスは数百万人の疑い深い視聴者が見守っていたときに『姦淫を行った』...先週、彼らは『再び浴室の中で』姦淫しているところを撮影された。」"Big Brotherski goes too far for staid Russians", Mark Franchetti, Sunday Times (London) , November 25, 2001.から引用。
(42)"The Message of Fatima" , Vatican Commentary, June 26, 2000.
(43)"India, Pakistan Prepare for War" , Associated Press,Dec. 26, 2001. "India Vows to Use Military Might" , Leuters, Jan. 3, 2002.
(44)"Bush Predicts 'War Year' in 2002" , Leuters, Dec. 21, 2001.
(45)"No ]war in God's Name, Pope's Christmas Message Says" , Leuters, Dec. 27, 2001.
(46) 同じ枢機卿は愚かな発言をした。「余りにも字義通りの考え方をしないように気をつけましょう。」Inside the Vatican, Nov. 2000.
(47)二三のものだけを挙げれば、"The Vatican-Moscaw Agreement"これはもともとJean Madiranによってフランスで出版されたものである。英語訳は「ファチマ・クルーセイダー」(Sept.-Oct., 1984)において公表された。Father Paul Crane, SJ, の"Communism and the Catholic Church"seriesで、Christian Order, 1977にある。"The Metz Pact", Atila Sinke Guimaraes,Catholic Family News,Sept. 2001.
(48) Adisti, Feb. 26, 2001. "Where Have They Hidden the Body?" by Christopher Ferrara. The Remnant, June 30, 2001.
(49)(Emphasis added)Theological Hightlights of Vatican II, Joseph Ratzinger[Paulist Press, New York, 1966], p.65-66. 書物のこの部分は公会議文書 Lumen Gentium が基づいている慎重なエキュメニカルな基礎に焦点を当てている。ラッツィンガー師の書物のより完全な議論のためには、"Vatican II vs. the Unity Willed by Christ," by J. Vennari, Catholic Family News, Dec. 2000.を見よ。
(50)このことは、たとえラッツィンガー枢機卿が彼自身の個人的見解をより正統的な立場に完全に変えたとしても、真である。公会議のテキストそのものは非カトリック者のカトリシズムへの回心を求めていない、あいまいな、不正確なものであり、非正統的なエキュメニズムへと方向づけられている。
(51)E. Schillebeeckx, OP, Ingreja ou igrejas?,in V.A.Cinco problemas que desafiam a Igreja hoje, pp.26f. Cited from In the Murky Waters of Vatican II, Atila Sinke Guimaraes (Maeta, Metairie, 1997) p. 243.
(52)SIDICはカトリック-ユダヤの「対話」を促進するために、「Nostra Aetateの発布に続く第二ヴァチカン公会議の専門家グループの要求で1965年にローマにおいて設立された」自らをカトリックと見なしている団体である。ローマを根拠地とするSIDICは以下の国々にその地方代表を持っている。オーストラリア、ベルギー、カナダ、イギリス、フランス、オランダ、イスラエル、イタリア、合衆国。
(53)引用全体は次のとおりである。「ルフェーブルのエキュメニズム受け入れの拒否は教権から出されている明白な教えにその源がある。すなわち、レオ十三世の回勅 Satis Cognitum(1896); ピオ十一世の回勅 Mortalium Animos(1928); 1949年12月20日のエキュメニズムに関する聖座の教え。ルフェーブルとその追随者たちによって受け入れられる唯一のエキュメニズムはキリストの唯一の教会、ローマ・カトリック教会への、他の教派のメンバーの無条件的な立ち戻りのために努力するものである。この硬化した分派主義はまさに、教会の本性についての深い省察を通じて、第二ヴァチカン公会議が受け入れることを拒否した種類の論理である。伝統に根ざしているとはいえ[ママ]、公会議の省察の展望はキリスト教の歴史において前例のないものであった。統合主義者たちにとって、エキュメニズムは第二ヴァチカン公会議による基本的な裏切りである。」(Emphasis added)Service International de Documentation Judeo-Chretienne, Rome,[English edition from Washington, D.C.] Vol. XXXII, No. 3, 1999, p. 22.
(54)この誤った考え方をおしすすめるために第二ヴァチカン公会議によって用いられた言葉の曖昧さは Lumen Gentium 8 に見出されるが、そこではこう言われている。”The Church of Christ subsists in the Catholic Church"--The Church of Christ IS the Catholic Church という教皇ピオ十二世の定義[Mystici Corporis, Pope Pius xII]よりもむしろ--と。常に進歩主義者であってきたラッツィンガー枢機卿は最近、キリストの教会は実際にカトリック教会よりも大きいという[誤った]考え方をおしすすめるために、公会議においてsubsistsという語が用いられたのだと認めた。公会議の間に起こったことは、ラッツィンガー神父(当時)が、ドイツのプロテスタント、シュミット(Schmidt)牧師のアドバイスに基づいて行動しながら、”is”という語を”subsists”と置き換え、そしてフリングス(Frings)枢機卿を通じて、この新しい定式を公会議の教父たちに票決するように提案したとうことである。これは公会議文書 Lumen Gentium に一つのエキュメニカルな次元を与え、キリストの教会がともかくもカトリック教会よりも広い実在であるという嘘を提出するための進歩主義的神学者や高位聖職者による陰謀の一部だった。この点に関して、ラッツィンガーが最近次のように語った。「公会議の教父たちが"is"という語を"subsistit"という語と置き換えたとき、彼らは一つの非常に正確な理由のためにそうしたのだ。"is"(to be)によって表現される概念は"to subsist"によって表現される概念よりもはるかに広いのだ。"to subsist"は非常に厳密なway of beingである。すなわち、一つの主体として存在することであり、それはそれ自身において存在するのである。このようにして、公会議の教父たちは、教会の存在はそれ自体として、ローマ・カトリック教会よりも広い一つの実体であると言おうとしたのである。しかし、ローマ・カトリック教会の内部で、それは、ある比較しえない仕方で、一つの真の、適切な主体の性格を獲得するのである。」ドイツの新聞 Frankfurter Allgemeine, Sept. 22,2000. もしあなたがラッツィンガー枢機卿のこの陳述によってまごつくならば、驚いてはいけない。なぜなら、それはあなたを混乱させることを意図しているからである。ラッツィンガー枢機卿は、"is"という語はこの文脈において"to subsist"という語よりも広い意味を持っていると主張するとき、あなたを誤解させている。"subsists"cと"is "は同じことを意味することができる。しかし、ある公会議のテキストを特徴づけるべき正確さのために、もしその文書が"subsists"という語を用いているならば、それは「キリストの教会はただカトリック教会のうちにのみ存在する」と読むべきです。悲しいことに第二ヴァチカン公会議文書における正確さのこの欠如は計画的なものである。公会議におけるラッツィンガーの仲間の進歩主義者であるEdward Schillebeeckx神父は、彼と彼の自由主義の仲間が文書において曖昧な句を用いたことを認めた。そして彼らはそれらを後でどのように解釈するのかを知っていた。何が起こっているかを疑わなかった公会議の教父たちの大部分は、キリストの唯一の教会があり、そしてそれはカトリック教会であるということを、すべてのカトリック者は、魂を救うためには保持しなければならないというカトリック信仰の教義的真理を確言するつもりだったのだということは、指摘されるべきであろう。
(55)Instructio, [The Instruction from the Holy Office on the Ecumenical Movement, Dec. 20, 1949] その全体の英語訳はThe Tablet [London] Mar. 4, 1950.
(56)Ut Unum Sint, Pope John Paul II, 1996, #84. 教皇はまた大聖年の回勅 Tertio Millennio Adveniente [# 37]においても、汎教派的な「殉教者学」に言及しました。
(57)Interview with Vatican Archbishop Sergio Sebastiania, The Catholic World, January, 1966.
(58)"Pope Honors 20th Century Christian Martyrs", Los Angeles Times, May, 8, 2000.
(59)"Blood of Christ's Witnesses Gives Impulse to Ecumenism", Zenit News, May, 7, 2000. "Pope Honors Modern-Day Heroes", Associated Press, May, 8, 2000.
(60)Bull, Cantate Domino, Eugene IV, Feb. 4, 1442, Council Florence.
(61)ポピアン神父の物語の簡単な説明については、"Vatican says, Do Not Convert to Catholicism", John Vennari, The Fatima Crusader, Issue 69, page 24を見よ。"Vatican's Ostpolitik and Ecumenism Tried to Prevent My Conversion to Catholicism" というタイトルのオーディオ・カセットでのポピアン神父の証言は、Fatima Center, 17000 State Route 30, Constable, NY 12926 から入手可能。
(62)"We are a Sign of Contradiction", interview with Bishop Bernard Fellay, SSPX, Latin Mass Magazine, Fall, 2001, p.11.
(63)わたしたちは、ファチマの聖母のメッセージがQuas Primasとどのように共鳴するか、しかしGaudium et Spesの不協和音とどのように衝突するかという大きなトピックを扱うことさえしなかった。ロシアの回心はたしかにイエズス・キリストの社会的王権の勝利であろう。(キリストの社会的王権は数世紀にわたる諸教皇によって教えられてきた。その最も美しい表現はピオ十一世の回勅 Quas Primas のうちに見られる。)


ファチマ・クルーセイダー

2012年02月02日 | Weblog

なんとも腑に落ちない話
--シスター・ルチアについて最近報道されているニュース--  (続き

The Fatima Crusader, Issue 70, Spring 2002より

ジョン・ヴェナリ(Cand.)

ロシアの回心?

ラッツィンガー枢機卿とベルトーネ大司教が根拠のないおおげさな言動でもって「これ以上のどんな議論もまたロシアの奉献を求める要求も根拠がない」注42と宣言するとき、わたしたちが彼らを信用しないのは驚くに当たらないのです。シスター・ルチアが突然ベルトーネ大司教の言うすべてのことに同意しているという大司教の孤独な証言をわたしたちが疑問視するのは驚くに当たらないのです。

3)1931年の奉献の結果として、ポルトガルは平和の奇蹟を与えられました:それはスペイン市民戦争と第二次世界大戦の恐怖を免れさせました。それとは著しく違って、1984年の奉献の後には平和がありません。ロシアの適切な奉献に引き続く平和の約束はロシアだけのためになされているのではなく、全世界のためなのです。「平和の一時期が世界に与えられるでしょう」と天から来られた美しい婦人は固く約束されたのです。

平和の払底について長々と説明する必要はありません。特に、9月11日の事件とその余波のことを考えてみれば、そうです。「歴史上最悪のテロ攻撃」は汚れなき御心の勝利の「決定的瞬間」の一つではないでしょう。世界の至るところで戦争のサーベルのがちゃがちゃ鳴る音が聞こえます。聖地における暴力は絶えず第一面のニュースです。アフガニスタンにおける砲声は続いています。インドとパキスタン--核兵器を持ち、それを使用する明白な決意を持った二つの国--は主要な軍事紛争に近づいています。注43 ジョージ・ブッシュ(George W. Bush)大統領は2002年は「戦争の年」注44 となるであろうと宣言しました。聖ペトロ大聖堂における教皇のクリスマス深夜ミサでさえ、テロリストたちによる「可能な攻撃のおそれのために」通常よりも厳しい厳戒態勢の中で行われました。注45

それにもかかわらず、ファチマに反対するヴァチカンのキャンペーンはわたしたちの「どうかロシアを奉献してください」という旗じるしをまとめて家に帰るように期待しているのです。なぜなら、「奉献はなされた」のであり、「ファチマは終わった」のだからです。


Don't Rain on My Charade
それでは、なぜ指導的なカトリック高位聖職者たちはファチマの聖母にそのような意地の悪い扱いをするのでしょうか?ヴァチカンで広まっている態度がなぜ「ファチマ問題」を抑えつけ、聖母の言葉を本当に信じている粗野な民衆を沈黙させようと努力するものなのでしょうか?

与えられる通常の理由はヴァチカン-モスクワ合意--「メッツ協定(Pact of Metz)」--です。その中で教皇ヨハネ二十三世は公会議の前の晩に、第二ヴァチカン公会議はエキュメニズムのために、ロシア正教会の司教たちがオブザーバーとして公会議に参加できるように、共産主義を非難しないことを保証しました。

今なお有効であるこの協定は、それと競合するいかなる見解もカトリック信徒の間で有名にならないように決意しているヴァチカン国務省にとって最高のものなのです。そしてファチマのメッセージは、「ロシアの誤謬」についてのその厳しい警告とともに、「メッツ」協定にとってより不利なものであることができないのでしょう。

その結果、ヴァチカンにおける今日の雰囲気はまるで狂気の状態である「ロシアを怒らせることの恐れ」によって支配されているように思われます。2000年11月の「インサイド・ザ・ヴァチカン」(Inside the Vatican)において、「教皇に最も近い相談相手の一人」と目されているある枢機卿は、教皇がさまざまの奉献や「親任」の儀式においてロシアに言及しないように忠告されていた、なぜなら、それはロシア正教会の聖職者階層を怒らせるからだ、と漏らしました。注46

これはすべて十分に真実です。そしてヴァチカンの東方政策についてわたしたちがここで言ったことを支持する山のような証拠があります。注47 しかし、わたしはなおもう一つ別の要素がここで働いているのではないかと考えています。公会議以来教会内部での新しい方向があるとして、おそらく、多くのヴァチカンの指導者たちがファチマの聖母を撃退することに余念がないように見える理由は彼らが実際「回心」という言葉に当惑させられているからでしょう。特に、ファチマの聖母に従えば、「回心」は単に汎宗教的な「神にイエスという心」ではなくて、その外にはいかなる救いもない唯一の真のキリストの教会、カトリック教会への、非カトリック者の回心だからです。

救いのためのカトリシズムへの回心?なんとおもしろくないことか!なんと偏見に満ちたことか!何たる第二ヴァチカン公会議以前のデキモノであることか!排他的なものの考え方と偏狭な宗派的見解をもったこのファチマの婦人は誰なのか? ヴァチカンにいる人々を含めて、多くのわたしたちの教会指導者たちが、非カトリック者にとって、統一と救いのために、キリストの唯一の真の教会に回心する必要はないという誤った原理に基づいて行動しているということは一つの悲しい現実です。

わたしたちの聖なる歴史においてはじめて、2000年のカトリックの教えを無視して、誤った諸宗教のメンバーを、彼らの諸々の誤謬と戦い、彼らをカトリック教会に改宗させるために働くよりもむしろ、彼らがいまあるままに、受け入れることが、教会の政策なのです。 第二ヴァチカン公会議で生み出されたこの「新しい思考様式」はカトリック新聞からヴァチカンの最高の階層に至るまで、教会の至るところに見出されます。

例えば、ウォルター・カスパー(Walter Kasper)枢機卿の最近の声明を取り上げてみましょう。彼は教会のスター非信者、ハンス・クング(Hans Kung)の元秘書でした。教会中にその近代主義的見解が有名であるカスパーは2001年2月に教皇ヨハネ・パウロ二世によって枢機卿とされました。そして現在キリスト教一致促進のためのヴァチカン教皇庁協議会の長官の地位を享受しています。カスパーはこう言いました。

「...今日わたしたちはもはやエキュメニズムを、それによって他の人々が『回心させられ』『カトリック信徒』であることへ戻るというそういう帰還の意味においては理解していません。これは第二ヴァチカン公会議で明確に放棄されたことです。」注48
多くのカトリック信徒はカスパーのあきれた陳述についてどぎまぎしています。わたしとしては、彼の正直さを評価します。少なくとも、カスパーは今日のたいていの高位聖職者がいずれにせよ信じていると思われるが、肯定も否定もしないことを公然と言っているのです。
実際、「教会の外には救いはない」という三度も[不可謬のものとして=訳者挿入]定義された教義を軽蔑しているカスパーの陳述は現に「第二ヴァチカン公会議の精神」を代表しているのです。ヨーゼフ・ラッツィンガー神父(現枢機卿)はその1966年の著書「第二ヴァチカン公会議の神学的最重要点」(Theological Highlights of Vatican II)において、回心を不要にする、非カトリック者に対する公会議の新しい方向性について自慢しました。ラッツィンガーはこう説明しています。

「カトリック教会は他の諸教会を吸収する権利を持っていません...[一つの]基本的統一--諸教会にとどまるが、にもかかわらず一つの教会となる諸教会の--が回心という観念に取って代わらなければなりません。--たとえ、良心においてそれを求めるように動機づけられた人々にとって回心がその有意義さを保持しているとしても--」注49
ところで、ラッツィンガーはこの書物を公会議の間に書きました。カール・ラーナー(Karl Rahner)の協力者として、彼は諸文書の草案作りに精力的に取り組みました。彼は第二ヴァチカン公会議での建築家たちの本当の意図が何であったかを私たちに告げる立場にあります。そして彼は、第二ヴァチカン公会議の真の教えは、その著者たちに従えば、回心は一つのオプションであり注50、そして非カトリック者は救いあるいは一致のために真の教会へ回心する必要はないということだったと宣言しています。
このことは、もう一人の進歩主義者である公会議の専門家peritus、エドワード・シルレベークス(Edward Schillebeecks)神父と一致しています。彼は「第二ヴァチカン公会議でカトリック教会はキリスト教宗教に対するその独占権を公式に放棄した」注51ことを祝っています。

同じように、ローマに基づいた国際ユダヤ人キリスト者の証拠資料サービスからの「カトリック」ジャーナル(SIDIC)注52は非カトリック者に対する第二ヴァチカン公会議の新しい方向づけについて語りました。1999年にそれは、ルフェーブル(Lefebvre)大司教を含むいわゆる「伝統的なカトリック者」についての「主要な問題」は何かに焦点を当てました。SIDICはこう説明しました。

「...ルフェーブルとその追随者たちによって受け入れられた唯一のエキュメニズムはキリストの唯一の教会、ローマ・カトリック教会への、他の諸教会のメンバーの無条件の帰還のために努力するエキュメニズムである。この硬化した宗派心は教会の本性についての深い省察を通じて、まさに第二ヴァチカン公会議が受け入れることを拒否した種類の論理である...」注53
非カトリック者は、「ある神秘的な仕方で」キリストの教会の一部であるがゆえに、回心する必要がないという新しい主張は、エキュメニカルな運動に関するピオ十二世の1949年の教えに要約されたように、非カトリック者が彼らの誤謬を捨て、イエズス・キリストの唯一の真の教会へと戻る必要性についての教会の永遠の教えを軽蔑するものです:すなわち

「真の再統一はただキリストの唯一の真の教会(カトリック教会)への、意見を異にする人々の帰還によってのみもたらされる。」注55
悲しいことに、教皇ヨハネ・パウロ二世はピオ十二世の方向づけよりもむしろ、第二ヴァチカン公会議の新しい方向づけに加担しているあらゆる兆候を与えておられます。たしかに、ヨハネ・パウロ二世は、非カトリック者は救いのためにカトリシズムへ回心する必要はないと公然と宣言されてはいません。しかし教皇の言葉と行動は他のどんな結論のための余地もほとんど残していないのです。
(多くの)例のうちの最も強力な例の一つは、カトリック、正教そしてプロテスタント諸宗教からの「諸聖人」を含む「共通の聖人学」の創設への教皇ヨハネ・パウロ二世の呼びかけです。注56

ヴァチカンのセルジオ・セバスティアーニ大司教は提案された新しい聖人学についてコメントしながら、「それは完全に新しいこと」であると認め、次のように喜びを表明しました。「正教会とプロテスタント諸教会の殉教者たちを崇敬するという教皇の考えは実際可能的な最も広い意味でエキュメニカルです。」

次いで、2000年5月7日日曜日に、教皇の最も野心的なミレニアム儀式のうちの一つとして、ヨハネ・パウロ二世はローマのコロッセウムで開催された「新しい殉教者たち」のエキュメニカルな記念式典を主催されました。ロサンゼルス・タイムズ(Los Angeles Times)はそれを「ヴァチカンによって上演された最も広い代表的なエキュメニカルな出来事」注58 と呼びました。正教会、英国国教会、プロテスタント各派の19名の代表者が参加したその集会には5千人の人々が出席しました。

その儀式で、教皇ヨハネ・パウロ二世が名をあげたたった二人の「殉教者」は非カトリック者:すなわち、正教会の主教とルーテル派の牧師でした。注59

これらの言葉や行動は教皇エウジェーヌ四世(Eugene IV)の聖座から の次のような宣言にまっこうから反対するものです。すなわち、「カトリック教会の外にある人々は、単に異教徒ばかりでなく、またユダヤ人、異端者、分離派、も、永遠の生命にあずかることはできず、死ぬ前にカトリック教会に加わらないかぎり、『悪魔とその手下たちのために備えられている』(マタ 25:41)永遠の火に入らなければならない...カトリック教会のふところと一致のうちに住まないかぎり、たとえキリストの名のために血を流すとしても、誰も救われることはできない。」注60

いっそう不安にさせられることには、カトリシズムへ回心しようと望む非カトリック者を積極的に落胆させるヴァチカンの枢機卿たちの事例が報告されています。

ファチマ・クルーセイダーは69号において、ルーマニアの正教において育てられたリヌス・ドゥラグ・ポピアン(Linus Dragu Popian)神父の話を公表しました。1975年に彼は生命の危険を冒して、共産主義のルーマニアを脱出し、そして一人の神学生として、カトリックへ回心したいという望みをヴァチカンに申し出ました。当時の国務相長官ヴィヨ(Villot)枢機卿と他のヴァチカンの枢機卿たちは恐れをなしました。彼らは若いポピアンに、共産主義から逃げてはいけないし、またカトリックになってはならない、なぜなら、これは共産主義のルーマニアおよびルーマニア正教会とのヴァチカンの関係に損害を与えることだからだ、と告げました。注61

それ以来、ローマにおいては、事態はほとんど変わりませんでした。

聖ピオ十世協会のフェレイ(Fellay)司教は最近のインタビューの中で、カトリック教会へ改宗することを望んでいた一人の分派的(正教の)司教に出会ったと述べました。フェレイ司教は彼にローマと直接交渉するようにと勧めました。この正教の司教がヴァチカンに自分はカトリックになることを望んでいるのだと告げたとき、「パニックが起こった。翌日、司教聖省長官のネヴェス(Neves)枢機卿はその分派的司教に言った。『閣下、回心する必要はありません。公会議以後、事態は変わったのです!もはや回心する必要はないのです。』」注62 カトリック信仰への回心を強調なさったファチマの聖母のメッセージが「第二ヴァチカン公会議の精神」とは相容れないという証拠を私たちはもっとたくさん必要としているのでしょうか?注63 その第一の忠誠が公会議の汎宗教的な構想に捧げられている人々によって現在支配されている教会においては、あなたたちが現代化(aggiornamento)を言うことができるよりも早く、ファチマの聖母の上に幕がおろされるでしょう。ゴルバチョフ・センターをステージにあげなさい。ダライ・ラマ・センターをステージにあげなさい。盆栽をかざった汎宗教的、平和のための儀式・センターをステージにあげなさい。ファチマの聖母よりもむしろ何であれ、誰であれに照明を当てなさい。かつてスポットライトは青い衣をまとった美しい婦人を照らしました。公会議の戯画はその自然の暗闇の中へと退くでしょう。そして聖母が愛し、代表しておられる2000年にわたるカトリックの伝統でステージ全体が輝くでしょう。


2002/07/31 三上 茂 試訳

脚注:

(1)"Sister Lucy: Secret of Fatima Contains No More Mysteries", Vatican Information Service[VIS], Dec. 20. 2001. このインタビューの報告はまた2002年1月9日の「オッセルヴァトーレ・ロマーノ」(英語版)にも現れた。それは第三の秘密についてシスター・ルチアが述べたと主張されているコメントに関してもう少し多くの情報をもったVISレポートと実質的には同じものであった。「オッセルヴァトーレ・ロマーノ」の報告はわれわれがこの論考において提出した質問には何も答えていない。すなわち、a)世俗の諸新聞でさえ、ラッツィンガーの文書はファチマを「おだやかに正体暴露している」ということを認めたときに、なぜシスター・ルチアはラッツィンガー枢機卿の2000年6月26日の文書「ファチマのメッセージ」という文書に同意すると主張するのか?b)70年間以上の変わらない証言の後に、なぜシスター・ルチアは見たところ、ロシアの奉献に関する彼女の証言を変えたのか?c)もしロシアの奉献が達成されたとするならば、そのときファチマの聖母によって約束されたロシアの回心はどこにあるのか?
(2)"Big Brotherski Goes Too Far for Staid Russians", Mark Franchetti, London Times, November 25, 2001.
(3)"Activist Says Child Porn Prosecutions Will be Difficult in Indonesia, Russia ", Christine Brummitt, Associated Press, Aug. 9, 2001.
(4)Los Angeles Times, "Catholic Church Unveils Third Secret: The Vatican's Top Theologian Gently Debunks a Nun's Account of Her 1917 Vision That Fueled Decades of Speculation", June 27, 2000.
(5)「『秘密』の結論的な部分はルチアが諸々の信心書の中で見たであろう、また長年の信仰の直感からそれらのインスピレーションを引き出したであろうイメージを用いている。」The Message of Fatima, Cardinal Josef Ratzinger, June 26, 2000.
(6)Hebblethwaite, Peter. Paul VI (New York: Paulist Press, 1993), pp.490-91を見よ。
(7)ダニス神父はラッツィンガー枢機卿の6月26日の文書「ファチマのメッセージ」において言及されているただ一人の「ファチマ専門家」である。
(8)われわれは、ついでに、1988年における大きな論争点に言及することができるだけである。すなわち、ヴァチカンはすべてのファチマ使徒職に1984年の奉献がファチマの聖母の要求を満たしたと主張するよう命じた。フレール・フランソワは1988年に「ファチマ当局者、シスター・ルチア、さまざまの教会関係者--メッシアス・コエリョ神父、そして聖母にたいへん献身しているあるフランス人司祭を含む--に宛てられた、すべての者にロシアの奉献で教皇を悩ませることをやめるよう命じる、一通の命令が来た」と書いている。ファチマ帰依者カイヨン(Caillon)神父はこう書いている。「ローマから一通の命令が来たが、それはすべての人に次のように言い、考えるよう強制するものであった。『奉献はなされた。教皇はできることをすべてされたから、天はその姿勢に同意なさったのだ』と。」(「ファチマ:悲劇と勝利」、pp.189-190)ロシアの奉献はなされなかったと言って来た多くのファチマ使徒職が突然、1984年の奉献は天の望みを満たしたと言い始めたのは、1988-1989年のこの時期の頃であった。シスター・ルチアの偽の、タイプ書きされた手紙が出回り始めたのもこの時期であった。悲しいことに、カイヨン神父でさえ、その後間もなくその証言を変更して、1984年の奉献がファチマの要求を満たしたと言い始めた。それ以上のことについては、最近ファチマ・センターによって出版された「もみ消しの年代記」(The Chronology of a Cover-up:1929-2001)Fatima Center, 17000 State Route 30, Constable, NY 12926.を見よ。
(9)Vatican Information Service, December 20, 2001.
(10)Fatima: Tragedy and Triumph、これはFatima: Intimate Joy, World Event,Frere Francois de Marie des Anges,(English translation by Immaculate Heart Publications, Buffalo, NY, 1994)の第4巻 p.134である。
(11)Our Lady of Fatima, William Thomas Walsh, (Image-Doubleday, New York, Imprimatur 1947) p.221.強調は原文どおり。
(12)Il Pellegrinaggio Della Meravigle, p.440. Rome, 1960. イタリア司教団の賛助の下に出版されたこの同じ著作はこのメッセージが6月に教皇ピオ十二世に伝えられたということを肯定している。また、カノン・バルタス(Canon Barthas)も、その御出現を1967年のリスボン・ファチマのマリア学評議員会で言及した。 De Primoridiis cultus mariana, Acta congressus mariologici-mariana in Lusitania anno 1967 celebrati, p. 517. Rome, 1970.を見よ。 Fatima: Tragedy and Triumph, pp.21 and 37 を見よ。
(13)Centre Saint Jean 61500 Sees, (Orne) France.のPierre Caillon神父による論考の中で報告されている。この論考は月刊誌Fidelite Catholique, B.P. 217-56402.Auray Cedex, France.によって出版された。英語訳はThe Fatima Crusader, Issue 13-14(Oct.-Dec., 1983) p.3.
(14)Fatima e o Coracao de Maria, p.101-102.を見よ。
(15)Fatima: Tragedy and Triumph, pp. 172-173.
(16)ibid., pp. 167-168.
(17)La verdad Sobre el Secreto de Fatima, Fatima sin mitos, Father Joaquin Alonso, (2nd edition, Ejercito Azul, Madrid, 1988) p.78. 英語訳はJoseph Cain. スペイン語原文は次のとおり。"...podriamos decir que Lucia ha pensado siempre que la "conversion" de Rusia no se entiende solo de un retorno de los pueblos de Rusia a la religion cristiano-ortodoxa, rechazando el ateismo marxista y ateo de los soviets, sino que se refiere pura y llanmente a la conversion total e integral de un retorno a la unica y verdadera Iglesia, la catolica-romana."
(18)Sol de Fatima, September 1985.
(19)Chretiens-Magazine, March 1987,#8 Fatima: Tragedy and Triumph, p. 189.
から引用。
(20)Father Laurentin, Multiplication des apparitions de la Vierge aujourd'hui, p. 45. Fayard, September, 1988.Fatima: Tragedy and Triumph, p. 189.
から引用。
(21)シスター・ルチアのこの証言はアルゼンチンで出版されたPara Tiの8月初めの版で報じられた。World Enslavement or Peace...It's Up to the Pope,Fr. Nicholas Gruner (Immaculate Heart Publishing, 1989), pp.212-213.
(22)それ以上の証言についてはFatima: Tragedy and Triumphの第四章を見よ。
(23)この「三つの奇蹟」はジョン・ヴェナリによるカセット講義「ポルトガルはなぜ戦争とテロから救われたか」にもっと詳しく説明されている。これはFatima Center, 17000 State Route 30, Constable, NY 12926で入手可能である。
(24)1942年の御出現記念祭のための共同牧会書簡、Merv. XX's, P.382The Whole Truth About Fatima, Vol. II,"The Secret and the Church", Frere Michel de la Sainte Trinite, (English edition, Immaculate Heart Publications, Buffalo, NY, 1989), p. 410 から引用。
(25)ポルトガル政府におけるサラザールの影響は1928年以来大きくなっていた。彼は1933年に評議会議長となった。後に、サラザールは彼の諸努力のために教皇ピオ十二世の称讃と祝福を受けた。ピオは言った。「私は彼を心から祝福する。そして彼が霊的および物質的な国家回復の仕事を成功のうちに完成させることを心から願っている。」The Whole Truth About Fatima, Vol. II," p.412から引用。
(26)ibid. p. 415.(サラザール自身の言葉)。
(27)ibid. p. 421.
(28)ibid. p. 422.
(29)ibid. p. 428.
(30)The Whole Truth About Fatima, Vol. II," pp.369-439を見よ。
(31)ibid. p. 428.
(32)ibid. p. 405.カレイェイラ枢機卿はこれらの言葉を1942年のファチマ御出現記念祭の儀式の間に話した。
(33) わたしはラッツィンガー枢機卿のようなファチマの正体を暴露しようとする人よりもカレイェイラ枢機卿のようなファチマを信じる人の言葉を信用する。
(34) Cardinal Carejeira, Preface to Jacinta(1942), Obras Pastorais,Vol.II, 333.また、彼の1942年5月13日の説教、Merv. XX's,p.339をも見よ。The Whole Truth About Fatima, Vol. II," p.437から引用。
(35) 「この現在の暗闇」"This Present Darkness" Part II, Mark Fellows, Catholic Family News, Sept. 2000.から取られた比喩。
(36)マウラー神父の指摘はCatholic World Report, Feb. 2001におけるインタビューに見られる。このインタビューについての梗概と注釈は「さらけ出された回心したロシアの神話」"The Myth of a Converted Russia Exposed", Martin Horvat, Ph.D., Catholic Family News, March 2001.において公表された。
(37)"Russia Legalized Homosexuality",United Press International, May 28, 1933. この論考の初めの部分を引用すれば、「ロシアの同性愛活動家たちは金曜日、男同士の合意の上での性行為を禁止していたソヴィエト刑法121条の廃止に続くソヴィエト後のロシアにおけるゲイの権利に対する大きな勝利を祝った。『これはロシアにおけるゲイとレスビアンにとって大きなニュースである』と、モスクワのゲイ雑誌 Risk の編集長、ウラディスラフ・オルタノフ(Vladislav Ortanov)は語った。」
(38)「活動家は児童ポルノの告発はインドネシアとロシアでは困難だろうと言っている。」"Activist Says Child Porn Prosecutions Will be Difficult in Indonesia, Russia", Christine Brummitt, Associated Press , Aug. 9, 2001.(Emphasis added)
(39)"High-Tech Crime on the Rise in Moscow",Interfax News Agency, Communications and Electronics Report,October 22, 2001.(Emphasis added)
(40)"Interactiverussia Announces its Own Version of 'Big Brother',"Business Wire , Nov. 8, 2001.
(41)「60台のカメラを据えつけられたフラット(住居)に鍵をかけて閉じこめられて2週間後、二人の競技者、マーゴとマックスは数百万人の疑い深い視聴者が見守っていたときに『姦淫を行った』...先週、彼らは『再び浴室の中で』姦淫しているところを撮影された。」"Big Brotherski goes too far for staid Russians", Mark Franchetti, Sunday Times (London) , November 25, 2001.から引用。
(42)"The Message of Fatima" , Vatican Commentary, June 26, 2000.
(43)"India, Pakistan Prepare for War" , Associated Press,Dec. 26, 2001. "India Vows to Use Military Might" , Leuters, Jan. 3, 2002.
(44)"Bush Predicts 'War Year' in 2002" , Leuters, Dec. 21, 2001.
(45)"No ]war in God's Name, Pope's Christmas Message Says" , Leuters, Dec. 27, 2001.
(46) 同じ枢機卿は愚かな発言をした。「余りにも字義通りの考え方をしないように気をつけましょう。」Inside the Vatican, Nov. 2000.
(47)二三のものだけを挙げれば、"The Vatican-Moscaw Agreement"これはもともとJean Madiranによってフランスで出版されたものである。英語訳は「ファチマ・クルーセイダー」(Sept.-Oct., 1984)において公表された。Father Paul Crane, SJ, の"Communism and the Catholic Church"seriesで、Christian Order, 1977にある。"The Metz Pact", Atila Sinke Guimaraes,Catholic Family News,Sept. 2001.
(48) Adisti, Feb. 26, 2001. "Where Have They Hidden the Body?" by Christopher Ferrara. The Remnant, June 30, 2001.
(49)(Emphasis added)Theological Hightlights of Vatican II, Joseph Ratzinger[Paulist Press, New York, 1966], p.65-66. 書物のこの部分は公会議文書 Lumen Gentium が基づいている慎重なエキュメニカルな基礎に焦点を当てている。ラッツィンガー師の書物のより完全な議論のためには、"Vatican II vs. the Unity Willed by Christ," by J. Vennari, Catholic Family News, Dec. 2000.を見よ。
(50)このことは、たとえラッツィンガー枢機卿が彼自身の個人的見解をより正統的な立場に完全に変えたとしても、真である。公会議のテキストそのものは非カトリック者のカトリシズムへの回心を求めていない、あいまいな、不正確なものであり、非正統的なエキュメニズムへと方向づけられている。
(51)E. Schillebeeckx, OP, Ingreja ou igrejas?,in V.A.Cinco problemas que desafiam a Igreja hoje, pp.26f. Cited from In the Murky Waters of Vatican II, Atila Sinke Guimaraes (Maeta, Metairie, 1997) p. 243.
(52)SIDICはカトリック-ユダヤの「対話」を促進するために、「Nostra Aetateの発布に続く第二ヴァチカン公会議の専門家グループの要求で1965年にローマにおいて設立された」自らをカトリックと見なしている団体である。ローマを根拠地とするSIDICは以下の国々にその地方代表を持っている。オーストラリア、ベルギー、カナダ、イギリス、フランス、オランダ、イスラエル、イタリア、合衆国。
(53)引用全体は次のとおりである。「ルフェーブルのエキュメニズム受け入れの拒否は教権から出されている明白な教えにその源がある。すなわち、レオ十三世の回勅 Satis Cognitum(1896); ピオ十一世の回勅 Mortalium Animos(1928); 1949年12月20日のエキュメニズムに関する聖座の教え。ルフェーブルとその追随者たちによって受け入れられる唯一のエキュメニズムはキリストの唯一の教会、ローマ・カトリック教会への、他の教派のメンバーの無条件的な立ち戻りのために努力するものである。この硬化した分派主義はまさに、教会の本性についての深い省察を通じて、第二ヴァチカン公会議が受け入れることを拒否した種類の論理である。伝統に根ざしているとはいえ[ママ]、公会議の省察の展望はキリスト教の歴史において前例のないものであった。統合主義者たちにとって、エキュメニズムは第二ヴァチカン公会議による基本的な裏切りである。」(Emphasis added)Service International de Documentation Judeo-Chretienne, Rome,[English edition from Washington, D.C.] Vol. XXXII, No. 3, 1999, p. 22.
(54)この誤った考え方をおしすすめるために第二ヴァチカン公会議によって用いられた言葉の曖昧さは Lumen Gentium 8 に見出されるが、そこではこう言われている。”The Church of Christ subsists in the Catholic Church"--The Church of Christ IS the Catholic Church という教皇ピオ十二世の定義[Mystici Corporis, Pope Pius xII]よりもむしろ--と。常に進歩主義者であってきたラッツィンガー枢機卿は最近、キリストの教会は実際にカトリック教会よりも大きいという[誤った]考え方をおしすすめるために、公会議においてsubsistsという語が用いられたのだと認めた。公会議の間に起こったことは、ラッツィンガー神父(当時)が、ドイツのプロテスタント、シュミット(Schmidt)牧師のアドバイスに基づいて行動しながら、”is”という語を”subsists”と置き換え、そしてフリングス(Frings)枢機卿を通じて、この新しい定式を公会議の教父たちに票決するように提案したとうことである。これは公会議文書 Lumen Gentium に一つのエキュメニカルな次元を与え、キリストの教会がともかくもカトリック教会よりも広い実在であるという嘘を提出するための進歩主義的神学者や高位聖職者による陰謀の一部だった。この点に関して、ラッツィンガーが最近次のように語った。「公会議の教父たちが"is"という語を"subsistit"という語と置き換えたとき、彼らは一つの非常に正確な理由のためにそうしたのだ。"is"(to be)によって表現される概念は"to subsist"によって表現される概念よりもはるかに広いのだ。"to subsist"は非常に厳密なway of beingである。すなわち、一つの主体として存在することであり、それはそれ自身において存在するのである。このようにして、公会議の教父たちは、教会の存在はそれ自体として、ローマ・カトリック教会よりも広い一つの実体であると言おうとしたのである。しかし、ローマ・カトリック教会の内部で、それは、ある比較しえない仕方で、一つの真の、適切な主体の性格を獲得するのである。」ドイツの新聞 Frankfurter Allgemeine, Sept. 22,2000. <編集者の注記>もしあなたがラッツィンガー枢機卿のこの陳述によってまごつくならば、驚いてはいけない。なぜなら、それはあなたを混乱させることを意図しているからである。ラッツィンガー枢機卿は、"is"という語はこの文脈において"to subsist"という語よりも広い意味を持っていると主張するとき、あなたを誤解させている。"subsists"cと"is "は同じことを意味することができる。しかし、ある公会議のテキストを特徴づけるべき正確さのために、もしその文書が"subsists"という語を用いているならば、それは「キリストの教会はただカトリック教会のうちにのみ存在する」と読むべきです。悲しいことに第二ヴァチカン公会議文書における正確さのこの欠如は計画的なものである。公会議におけるラッツィンガーの仲間の進歩主義者であるEdward Schillebeeckx神父は、彼と彼の自由主義の仲間が文書において曖昧な句を用いたことを認めた。そして彼らはそれらを後でどのように解釈するのかを知っていた。何が起こっているかを疑わなかった公会議の教父たちの大部分は、キリストの唯一の教会があり、そしてそれはカトリック教会であるということを、すべてのカトリック者は、魂を救うためには保持しなければならないというカトリック信仰の教義的真理を確言するつもりだったのだということは、指摘されるべきであろう。
(55)Instructio, [The Instruction from the Holy Office on the Ecumenical Movement, Dec. 20, 1949] その全体の英語訳はThe Tablet [London] Mar. 4, 1950.
(56)Ut Unum Sint, Pope John Paul II, 1996, #84. 教皇はまた大聖年の回勅 Tertio Millennio Adveniente [# 37]においても、汎教派的な「殉教者学」に言及しました。
(57)Interview with Vatican Archbishop Sergio Sebastiania, The Catholic World, January, 1966.
(58)"Pope Honors 20th Century Christian Martyrs", Los Angeles Times, May, 8, 2000.
(59)"Blood of Christ's Witnesses Gives Impulse to Ecumenism", Zenit News, May, 7, 2000. "Pope Honors Modern-Day Heroes", Associated Press, May, 8, 2000.
(60)Bull, Cantate Domino, Eugene IV, Feb. 4, 1442, Council Florence.
(61)ポピアン神父の物語の簡単な説明については、"Vatican says, Do Not Convert to Catholicism", John Vennari, The Fatima Crusader, Issue 69, page 24を見よ。"Vatican's Ostpolitik and Ecumenism Tried to Prevent My Conversion to Catholicism" というタイトルのオーディオ・カセットでのポピアン神父の証言は、Fatima Center, 17000 State Route 30, Constable, NY 12926 から入手可能。
(62)"We are a Sign of Contradiction", interview with Bishop Bernard Fellay, SSPX, Latin Mass Magazine, Fall, 2001, p.11.
(63)わたしたちは、ファチマの聖母のメッセージがQuas Primasとどのように共鳴するか、しかしGaudium et Spesの不協和音とどのように衝突するかという大きなトピックを扱うことさえしなかった。ロシアの回心はたしかにイエズス・キリストの社会的王権の勝利であろう。(キリストの社会的王権は数世紀にわたる諸教皇によって教えられてきた。その最も美しい表現はピオ十一世の回勅 Quas Primas のうちに見られる。)