けれど(Credo)

I:キリシタン信仰と殉教 II:ファチマと現代世界 III:カトリック典礼、グレゴリオ聖歌 IV:「聖と俗」雑感

聖と俗」雑感(66)

2010年01月31日 | Weblog
「聖(sacer,sacra, sacrum; sanctus,a,um)と俗(saecularis,lis,e)」雑感(66)

 日本は世界にも稀な、連綿と続いている皇室を戴いている国である。現在世界には多くの王国があるが、しかし日本のように途切れることなく続いて現在百二十五代目の天皇を戴いている国はない。

 シナは四千年の歴史を誇ると自負しているが、王朝が日本のように今日まで連綿と続いているわけではなくて、易姓革命によってさまざまの民族の王朝を交替させてきた武力革命の国である。王朝の交替にもかかわらず、シナは華夷秩序(すなわち、おのれを中華として中心に置き、四囲の国々を東夷、西戎、南蛮、北狄として従属させようとしてきた)の国である。シナにとって日本は東夷というわけである。シナには天子、皇帝が存在するが、四囲の夷狄の国々には天子・皇帝の存在を許さず、ただ王という称号を許して朝貢させようとした。

 王の王たるキリストは王を敬うことをよしとなさる。キリストは革命をよしとなさらない。フランス革命は王制を倒して王の一族を断頭台に送った。ロシア革命によってもロマノフ王朝最後の皇帝一家は惨殺された。革命はどこでも血なまぐさい。シナやロシアが日本に対して敵意をむき出しにするのは、皇室が連綿と続いているからであろう。彼らは逆立ちしても日本とたちうちできない。共産党や左翼は「天皇制」という言葉を作りだし、それにファシズムを結びつけて天皇制ファシズムが近代日本に害を及ぼしたと主張し、現憲法に規定されている象徴天皇をさえ否定する。これはシナを喜ばせる理屈である。日本を人民民主主義国家にすれば、日本を華夷秩序のうちに押し込めることができるからである。

 小沢一郎民主党幹事長がシナ北京に国会議員140数名を含む総勢600人以上の日本人を引き連れて行き、日本人民解放のための野戦軍司令官として働くと胡錦濤国家主席に述べたことにわれわれは注意しなければならない。北京訪問の見返りに、習近平国家副主席を天皇に強引に引見させたことと結びつけて考えると、小沢民主党がこれからしようとしていることの恐ろしさが分かる。東アジア共同体構想、外国人地方参政権付与法案、等々、ひょっとすると、憲法の第一章の廃止も?



聖と俗」雑感(65)

2010年01月29日 | Weblog
「聖(sacer,sacra, sacrum; sanctus,a,um)と俗(saecularis,lis,e)」雑感(65)

 ロシアはそれまでどの国からも敗れたことがないのに、日露戦争(1904-1905 明治37-38)によって、非白人国の日本に敗れ、ポーツマス講和条約を結んだ。この悔しさ、恨みは帝政ロシアが崩壊してソビエト共産主義政権が生まれてからも消えることなくロシア人の胸の奥底深くに残ったと云われる。

 1919年(大正8年)レーニンはモスクワにコミンテルン(共産主義インターナショナル)を組織したが、これは国際組織というよりはソ連共産党の下部組織を世界各国に置いたというのが実情であった。コミンテルンが1932年(昭和7年)に日本に与えたいわゆる「三十二年テーゼ」は、日本人に日本国を貶め、蔑ませるために日本共産党に与えた、世界各国の共産党への指令書には見られない特殊な指令書である。元共産党員であった谷沢永一氏は「世界の共産主義者は階級闘争の敵を憎みますけれども、祖国に対しては愛国者であるのが常例です。....わが国の共産主義者だけが、祖国を憎み、祖国の歴史を悪しざまに罵り、国民に軽侮の眼を向け、反日的日本人になるのです」と云っておられる。

 このことは、谷沢氏によれば、「三十二年テーゼ」(正式には「日本における情勢と日本共産党の任務についてのテーゼ」)を日本共産党が絶対的に正しい、一つの聖典のようなものとして無批判に受け取ったことに起因している。日本の共産党ばかりでなく、すべての左翼人はコミンテルンに無批判に平伏し、三十二年テーゼを絶対の真理と考えているそうである。

 三十二年テーゼにはさまざまのことが云われているが、そのひとつの点は「日本は強盗的帝国主義であり、現に帝国主義的強盗戦争をおこなっている」ということである。このことが現在も続いている「日本悪しかれ史観」の根底になっている、コミンテルン史観への拝跪なのだ。日本の左翼はコミンテルンのこのマインド・コントロールに現在もかかったままなのだ。

参考文献:谷沢永一「悪魔の思想 『進歩的文化人』という名の国賊12人」クレスト社、平成8年


聖と俗」雑感(64)

2010年01月26日 | Weblog
「聖(sacer,sacra, sacrum; sanctus,a,um)と俗(saecularis,lis,e)」雑感(64)

「大東亜戦争への第二の流れ」として、中村粲氏は次のように述べておられる:

 「それはロシア革命以後の共産主義防遏(ぼうあつ=ふせぎとめること:引用者注)の戦ひであった。

 大正中期以降の歴史を思ひ返さう。シベリア出兵、満州事変は何れも、いかにして共産主義の危険から東亜と日本を守るかの問題意識と深く関はってゐた。支那事変発生の背景にコミンテルンの謀略があったことも本書で指摘した。更に、日米交渉の最大争点が支那に於ける防共駐兵の問題であったことは、我が国策が最後まで防共と不可分のものであったことを物語ってゐよう。

 惜しむらくは、米国に、我国の防共努力に対する理解の欠けてゐたことである。東亜に於ける共産主義の防波堤たらんとする我が日本の立場に対する正当な認識が米国にあったならば、日米関係と東亜に於ける全事態は、全く別の展開を遂げたのではあるまいか。

 所で昨今、東欧、バルト三国その他世界各地で、共産主義の思想と体制が人間の自由を抑圧するものとして、その権威を否認され、その罪過が民衆によって問はれるといふ注目すべき現象が連鎖的に生起しつつある。ロシア革命以来、共産主義七十有余年の政治犯罪史の告発と断罪が始ったのだ。の澎湃(ほうはい)たる反共機運を歴史の光の中に置いて見るならば、決定的に重大な問題が浮かび上がってくるのに気がつく。

 即ち、共産主義が邪悪な反人道的イデオロギーであり、政治体制であるならば、その共産主義と一貫して戦った日本は先見の明があり、基本的には人道の側に立ってゐたとの結論になるのではないか、といふことだ。共産主義の否定が人間回復への道であり、歴史の正しい方向であるならば、防共への第一線を戦ってきた日本は、少なくとも歴史の正しい流れに沿って歩んでゐたと結論できるのではないか。『軍国主義』日本は、人類救済の先導者であったことにはならないか。もしさうならば、当時は他国侵略と見えた行動も、大局的には防共といふ大義のための一時的な方便であったといふことにならう。

 してみれば、共産主義を民主主義と同一視し、善なる体制と前提した上で日本の行動を断罪した東京裁判史観は、その前提が崩れた今日、完全に成立しなくなる。逆に共産主義の防波堤たらんとして戦った日本は、基本的には侵略戦争ではなく、正義と人類救済の戦争を遂行してゐたことになり、マクロ的には、正しい歴史の流れに従ってゐたことになる。防共戦としての性格をもつ大東亜戦争は、いまその正当性を事実を以て立証されつつあると云へよう。

 共産主義社会の実現を最高善とし、そのための破壊工作や戦争を民族解放戦争と美化し、斯かる共産破壊活動から自らを守らんとする陣営を反動、帝国主義、侵略の道をゆく者として歴史を記述してきた左翼史家達は、いまや決定的な歴史評価の転換を、世界の人民大衆によって迫られてゐると云へよう。マルキストおよびその同調者達に、彼等の歴史観の誤りを率直に認め、訂正する良心と勇気があるかどうか、厳しく見守ってゆかねばなるまい。」(「大東亜戦争への道」pp.658-659)

(引用終わり)

 まことに中村氏の云われる通りであると思う。アメリカは戦前にソビエト共産主義と共同して日本を打倒し、戦後日本に共産主義を跋扈させたことで、日本の左翼的な土壌を育ててしまったと思う。世界の他の国々で共産主義がもはや力を持ち得ない今日、日本にだけは左翼思想が幅を利かせているのは、日本人の大部分が東京裁判史観によって洗脳されてしまったからであろう。われわれはこのような日本悪しかれ史観から早く脱却しなければならないと思う。

「聖と俗」雑感(63)

2010年01月25日 | Weblog
「聖(sacer,sacra, sacrum; sanctus,a,um)と俗(saecularis,lis,e)」雑感(63)

 大東亜戦争は自衛のためのやむを得ぬ戦争であっただけではなく、白人欧米諸国家(イギリス、フランス、オランダ、アメリカなど)のアジア植民地支配からのアジアの解放を結果としてもたらした。大東亜戦争の日本による最初のうちの勝利によって、植民地とされたアジア諸国が独立への希望を抱き、日本の敗戦によっても、もはや再植民地化の道を辿らなかったことは歴史的な事実である。

 中村粲氏は「大東亜戦争への道」で次のように述べておられる:

「...近代に於ける我国の対外行動は殆どの場合、国家民族としてのぎりぎり一杯の必要を理由としてゐたのであり、それを顧慮せず簡単に"侵略"と呼ぶことは事実に反し、歴史を歪めることになる。

 第二次大戦以前、四千万の英国民はアジアとアフリカで四億五千万人の人々を支配してゐたが、この植民地支配は英国の安全と生存の上から絶対不可欠のものであったと云へるであらうか。英国は現在なほ香港を租借し続けてゐるが香港に対する英国の必要度は南満州に対する日本の必要度に比較し得るであらうか。香港を失っても英国の安全も生存も脅かされることはない。だが、南満州を失ふ時、日本の安全も生存も忽ち危機に陥るのであった。いみじくもグレー卿が述べた如く、日本は満州の地に「鮮血を植ゑた」のであった。因に中国は、日本の満州進出を侵略として、そのために日本と戦争までしながら、英国の香港支配は阿片戦争以来百五十年の今日に至るも、これを承認し続けてきてゐるではないか。

 米国はどうか。西海岸から四千キロ以上もの海濤を隔てたハワイを併合するのに、国防または生存上の絶対的な正当理由があっただらうか。明らかに否だ。いはんや、一万三千キロもの遠隔にあるフィリピンを領有する如何なる切実な国家的要請もなかった筈である。

 フランスの印度支那植民支配然り、オランダのジャワ、スマトラ支配も同断である。広大な欧亜大陸を征服し侵略した帝政ロシアとソヴィエト・ロシアに至っては、正に領土欲の権化と評する他ないではないか。

 風濤万里の他国領土に兵を進め、これを植民地として支配し搾取したこれら欧米列強の対外行動と比べる時、我国の対外進出たるや、実に緊切の必要に迫られた行動であったと云はねばならない。

 国際社会に於て『自存権』は全ての義務に優先すると説く学者もゐる(Rivier)。『自存権』は他国の権利を尊重する義務さへ無効にすると...

かく見てくる時、近代日本の対外行動を簡単に『侵略』と呼び捨てることのいかに当らざるかを改めて痛感する。」

(引用終わり)

「聖と俗」雑感(62)

2010年01月23日 | Weblog
「聖(sacer,sacra, sacrum; sanctus,a,um)と俗(saecularis,lis,e)」雑感(62)

 愛国と言えば反動だと理解するのは異常である。何度も言ってきたが、聖と俗という二つ秩序のうち、俗の秩序において各人が生まれた国家を愛することは天主の思し召しである。天主は世界国家をつくられなかった。人種・民族・皮膚の色の違いも含めて、地球上のそれぞれの国が言語・習俗・文化を異にしながら、それぞれの独自性を発揮し、伝統を重んじ、よき習俗・道徳、健全な歴史観を保持していくことが天主の御旨である。

 戦後の日本は、占領政策と左翼の宣伝・教育によって、戦前の日本のすべての在り方を否定する「日本悪しかれ史観」を骨の髄まで浸透させられた。村山談話や河野談話に見られるように、政府自体がこの「日本悪しかれ史観」を引きずってきた。民主党政権は村山談話を踏襲するのみならず、「行動で示さなければならない」と言っている。

 政府だけでなく、朝日や毎日のような大新聞、公共放送を看板に掲げているNHKもまったく左翼的である。国際法に則らない極東軍事裁判によって大東亜戦争が日本の一方的な侵略戦争だと断罪され、大量の左翼知識人が教育や政治や官僚制度の中に入り込み、日本人を左翼的な考え方に馴染ませてきた。言論の自由がないときに作られた憲法が未だに大切にされ、その中でも第九条が、日本の国防をも十分に果たせないような現実を作り出している。平和憲法によって日本は守られてきたというのは幻想である。アメリカの核の傘の下にいたから、旧ソ連や中国・北朝鮮などの共産主義国の侵略から守られてきたのである。

大東亜戦争が日本の一方的な侵略戦争ではなかったことは、1951年5月3日に、アメリカの上院軍事外交合同委員会が行ったアメリカの極東政策に関する公聴会の席でのマッカーサーの以下のような証言が明らかにしている:

 「日本は絹産業以外には固有の産業はほとんどない。(中略)綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、錫がない、ゴムがない、その他実に多くの原料が欠如している。もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生することを彼ら(日本)は恐れていました。したがって、彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです」(小堀桂一郎訳、太字は引用者)。マッカーサーのこの証言は東京裁判の無効宣言ともいうべきものである。



「聖と俗」雑感(61)

2010年01月20日 | Weblog
「聖(sacer,sacra, sacrum; sanctus,a,um)と俗(saecularis,lis,e)」雑感(61)

  外国人地方参政権付与法案に関して以下の動画をご覧ください。われわれは、民主党の「子ども手当」や「高校無償化」に騙されずに、危険な法律案が目白押しになっている通常国会の行方に注目しなければならない。



【江崎道朗】日本解体法案にどう立ち向かうか?[桜H21/11/24]



元のURL:http://www.youtube.com/watch?v=C0ZQdqasBAk



  ところで、先日の民主党大会での小沢幹事長のあいさつと鳩山首相の激励には驚きであるが、このことに関して元衆議院議員の西村眞吾氏は「眞吾の時事通信」で次のように述べておられる。(一部抜粋)

「 十六日の日比谷における民主党大会は、馬鹿らしくて注目した訳ではないが、かいつまんだ感想を言えば、追い詰められた
左翼の会だ。このような集会は、かつて大学紛争中の民青主導の集会によくあった。
 「外部の大きな弾圧勢力」を想定し、その共同幻想のもとに一致団結して「断固戦う」と誓い合う。全く馬鹿らしい民青的手法である。
 小沢氏の「側近」と会議運営手法には、民青の臭いがするので、かつて、その「知恵袋」に、「貴方は、学生時代、民青にいなかったか」と聞いたことがある。答えは、「そうです」だった。
 小沢氏も、鳩山総理大臣も、「検察の横暴と戦う」だと。
 政府与党が、つまり、行政の長と立法の多数集団が、司法検察と戦うというのか。言うまでもなく、逮捕状は、裁判所が発布して検察が執行しているのだ。
 貴君らは、三権分立を如何に解しているのか。
 この個別的事件に関して、行政と立法を盾にして戦うと党大会で合唱するとは、小沢氏と鳩山氏の頭は、国家の体制も分からない「錯乱」であると言うしかない。小沢・鳩山コンビは、亡国の錯乱か。
 小沢さん、鳩山さん、戦うなら、法を武器として一人で戦え。国家の公職を利用するな。事件は極めて個別的ではないか。法治国家の日本では、国民は総理大臣であろうが、ホームレスであろうが、等しく、法を武器として戦える。反対に、小沢だから、総理だから、特別に戦える手段は用意されていない。これが、法治国家なのだ。
 (不肖、西村はそうした。「国策捜査」だとか、検察の横暴だとか言わなかった。一人で戦った。そして、検察が国会議員の首を取るために用意した訴因において、「無罪」をいただき、検察はこの無罪に対して控訴をしなかった。現職国会議員を起訴した訴因において一審で無罪が出て検察が控訴しないのは希有である)
 それを、この十六日の両名は、大学紛争時の共産党民青のように「国家権力の横暴」にすり替えた。そして、大勢の国会議員の同調のヤジを演出した。民青的手法に従うなんと惨めな国会議員の姿か。両名は卑怯だ。
 民主党の大会は、最も精神的に脆弱で、それ故に卑怯な者達に、日本がハイジャックされていることを示したものである。」

  衆議院議員西田昌司氏も次のように言っておられる。


西田昌司showyouビデオレター(2010.1.17)検察と戦えとは何事だ



元のURL:http://www.youtube.com/watch?v=0-ssX0kDAyY


「聖と俗」雑感(60)

2010年01月19日 | Weblog
「聖(sacer,sacra, sacrum; sanctus,a,um)と俗(saecularis,lis,e)」雑感(60)


1月14日の産経ニュース:政治欄での桜井よしこ氏の以下の提言を読んでください。日米安保改定条約調印記念に関する日米両国の声明の出し方、沖縄普天間飛行場の移設問題、永住外国人への地方参政権付与の問題などに関して鳩山首相の無定見なあり方を厳しく追及し、「国家としての理念と国益の問題」を「共生や友愛」の問題にすり替えている鳩山首相に対して「日米保と参政権、それらが国益に及ぼす影響について考え、その正しい仕分けもできない鳩山氏であれば、もはや首相をお辞めいただくしかないだろう」と結んでおられる。


【櫻井よしこ 鳩山首相に申す】国益への悪影響考えよ



花岡信昭氏の花岡信昭メールマガジン766号[2010・1・17]をも合わせてご覧下さい。秘書3人が逮捕された民主党小沢一郎幹事長が「検察と戦う」と公開の席で述べ、首相が「どうぞ戦ってください」と激励するというようなことは前代未聞のことである。このような政権を出現させてしまった国民の責任は重いと思う。




以下の動画も合わせてご覧下さい。

1/2【1.16民主党大会】外国人地方参政権阻止緊急国民行動 報告[桜H22/1/18]



元のURL:http://www.youtube.com/watch?v=xcAa1j7GlHY


2/2【1.16民主党大会】外国人地方参政権阻止緊急国民行動 報告[桜H22/1/18]



元のURL:http://www.youtube.com/watch?v=iRlxVLEewfE



「聖と俗」雑感(59)

2010年01月18日 | Weblog
「聖(sacer,sacra, sacrum; sanctus,a,um)と俗(saecularis,lis,e)」雑感(59)

  今日から通常国会が始まりました。昨日に引き続き外国人地方参政権付与に関する問題についてYOUYUBEからいくつかの動画をご覧ください。

  この問題は外国人排斥ということではなくて、日本という国の国益、日本国家の独立の問題です。NHKなどのマスコミはこの問題についてまったく沈黙を守っていますが、それには何か意図的なものもあると思わざるを得ません。鳩山首相の「日本列島は日本人だけの所有物ではない」という考えを実現させようとしているのでしょうか?


【草莽崛起】1.11 売国議員を落選させよう![桜H22/1/12]



元のURL:http://www.youtube.com/watch?v=fTw3L-ClNtI


【断舌一歩手前】外国人参政権を先送りにするには[桜H22/1/12]



元のURL:http://www.youtube.com/watch?v=2ZW_eFhYxOw


【ニュース Pick UP】民団と外国人参政権 ほか[桜H22/1/13]



元のURL:http://www.youtube.com/watch?v=DkfP_B-Oph8


【勝岡寛次】再検証・日韓併合100年[桜H22/1/13]



元のURL:http://www.youtube.com/watch?v=QYV91bFaTz0


  鳩山首相が民主党幹事長であったときにニコニコ生放送で「日本列島は日本人だけの所有物ではない」と語った動画を見つけました。


【民主党】鳩山由紀夫、売国行為を平然と賛美する



元のURL:http://www.youtube.com/watch?v=ZkpEvS654hg

   この元鳩山幹事長の発言に対して三輪和雄氏はこう反論しています。

【断舌一歩手前】日本列島は日本人だけの所有物じゃない??



元のURL:http://www.youtube.com/watch?v=jdvoDMQKP_I





「聖と俗」雑感(58)

2010年01月17日 | Weblog
「聖(sacer,sacra, sacrum; sanctus,a,um)と俗(saecularis,lis,e)」雑感(58)

 民主党はマニフェストにも載せていない外国人地方参政権付与法案を明日からの通常国会に提出しようとしている。小沢一郎民主党幹事長は韓国の李明博大統領の兄である李相得氏に外国人地方参政権付与を約束した。しかし問題なのは在日韓国人だけではなくて、年々増加しつつあるシナ人である。昨年から出されている動画を参考にして、外国人地方参政権付与法案がもっている国益を損なう危険な面に注目してください。

小沢民主党が、外国人参政権を急ぐ理由



元のURL:http://www.youtube.com/watch?v=9QxuJY0N8f0



【ニュースの読み方】外国人地方参政権への暗流[桜H21/11/20]



元のURL:http://www.youtube.com/watch?v=ebpUt__mEeo



【ニュース Pick Up】外国人参政権・浸透を図る中国と一蹴したフランス[桜H22/1/15]




元のURL:http://www.youtube.com/watch?v=pPziFCOiqNg


「聖と俗」雑感(57)

2010年01月16日 | Weblog
「聖(sacer,sacra, sacrum; sanctus,a,um)と俗(saecularis,lis,e)」雑感(57)

 シナという言い方をマスコミはしない。中国が一般的である。しかし、英語はChina, フランス語はChineである。もともと中国とか中華という言い方はおのれを中心に置き、東夷・西戎・北狄・南蛮つまり野蛮人が周りを取り巻いているとう尊大な呼称である。東夷・西戎・北狄・南蛮は中国に朝貢すべき存在だというわけである。

 つい最近、政権与党の幹事長は国会議員140数名他総勢600人以上を引き連れて朝貢外交を行い、日本を属国だと認めるような媚態を示した。シナが未だに共産党によって独裁的に支配され、人権も民主主義もないのに、なぜ朝貢のような振る舞いをするのか?政権与党民主党は東アジア共同体構想を打ち出してシナにすり寄ろうとしている。外国人地方参政権を実現してシナ人に国籍を与えようとしている。人口減少傾向が続いているので、経済界も外国人地方参政権や外国人住民基本法などを歓迎しシナ人大量流入を容認しているかに見える。しかし「聖と俗」雑感(53)で述べたように、シナ人を大量に受け入れれば、日本は亡国の道をたどる。

 亡国・売国の道ではなく、天主が与え給うた俗の世界における国家の存立・愛国の道を進むべきである。シナが共産主義をすでに放棄しながら、共産党独裁を続けているのは欺瞞そのものにほかならない。シナに近づくことの危険・シナ人をただ経済的な観点からだけ受け入れることの危険をもっと敏感に察知すべきではなかろうか。