2.今回山口の殉教者として挙げられているのはメルキオール(メルキヨール)熊谷豊前守元直と盲人ダミアンの二人である。前者は1605年(慶長10年)8月16日に萩で、後者は同年8月19日に山口で殉教している。メルキオール熊谷豊前守元直は1587年(天正15年)秀吉の九州平定の際に黒田孝高の指導で大友義統、岐部左近などとともに洗礼を受けた。彼は名門の出で安芸国三入の城主として毛利輝元に仕えた高名の武士であった。主君の毛利輝元は反キリシタンであり、元直が死に処せられた理由は、彼がキリシタンの信仰を捨てなかったからだと言われている。洗礼を受けて十八年後、輝元は千人以上の兵をやって萩城下の元直の邸を包囲させ、人を遣わして人質を要求した。元直は三男フランシスコ猪之助十三歳と長男直貞の子エマヌエル二郎三郎十一歳とを人質に出した。人質はとられたが包囲は解けなかった。元直は殉教の覚悟を固めた。毛利輝元は熊谷元直に切腹を命じた。罪状は十三箇条からなっていたがその第八番目にキリシタンのことが述べられていた。萩城の築城工事のとき盗石事件があり、それによって築城が遅延したことも死罪の理由とされていた。ドン・ルイス・セルケイラ司教の報告は彼の死を光栄ある死(殉教)と述べている。五十歳であった。このとき彼の一族十一人が殉教した。萩の岩国屋敷跡にビリオン神父が建てた熊谷元直の顕彰碑がある。
貧しい盲人のダミアンは利発で賢明な人だった。山口で生まれ、琵琶法師として生計を立て結婚もしていた。二十五歳で洗礼を受けた。雄弁で伝道の効果もあげており、神父たちの有力な助手であった。毛利輝元が領内から神父たちを追放した後を引き受けてキリシタンたちの頭になり、説教をし、非常のときは幼児に洗礼をさずけていた。ダミアンのことが毛利輝元の耳に入り、彼を居なくすれば領内のキリシタンたちは容易に転ぶだろうと考えて、彼はダミアンを呼び出し背教を勧め、従えば楽な生活ができるだけの扶持と立派な屋敷、高い身分を保証すると言った。このことは奉行の下役たちの口からもれ、山口の町の評判になった。もちろんダミアンは拒否し、奉行たちと居合わせた人々に説教しキリシタンの信仰を受け容れるよう勧めた。奉行たちは彼を背教させることはできないと知り死刑に処することにした。そのことが町の人々にわかれば騒動が起こったり、キリシタンたちが他国に逃亡したりするので、死刑の執行は夜まで延ばされた。1605年8月19日ダミアンは町外れの川で祈りの後斬首された。四十五歳であった。彼の死をキリシタンたちに知られたくなかった毛利輝元は、命じて彼の遺体を切り刻ませて川や森に捨てさせた。一キリシタンが丹念に探し回って、ダミアンの首と左腕を見つけ、死の噂は山口にひろまった。彼の首と左腕は長崎に送られ相応しい尊敬が献げられているとセルケイラ司教は報告している。
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主君から、あるいは為政者から背教を勧められあるいは命じられてもそれに従わないことは人よりも神に従う道である。武士であれ、一般人であれ、そのことに違いはない。背教すれば生命、身分、地位が保証され現世の生活を無難に送ることができるという誘惑も彼らには通用しない。それは永遠の生命がそのことにかかっているからである。死を前にしたメルキオール熊谷元直の「キリストの教えこそ永遠の救いの、唯一の道でござる」という言葉をわれわれはもう一度噛みしめるべきであろう。
貧しい盲人のダミアンは利発で賢明な人だった。山口で生まれ、琵琶法師として生計を立て結婚もしていた。二十五歳で洗礼を受けた。雄弁で伝道の効果もあげており、神父たちの有力な助手であった。毛利輝元が領内から神父たちを追放した後を引き受けてキリシタンたちの頭になり、説教をし、非常のときは幼児に洗礼をさずけていた。ダミアンのことが毛利輝元の耳に入り、彼を居なくすれば領内のキリシタンたちは容易に転ぶだろうと考えて、彼はダミアンを呼び出し背教を勧め、従えば楽な生活ができるだけの扶持と立派な屋敷、高い身分を保証すると言った。このことは奉行の下役たちの口からもれ、山口の町の評判になった。もちろんダミアンは拒否し、奉行たちと居合わせた人々に説教しキリシタンの信仰を受け容れるよう勧めた。奉行たちは彼を背教させることはできないと知り死刑に処することにした。そのことが町の人々にわかれば騒動が起こったり、キリシタンたちが他国に逃亡したりするので、死刑の執行は夜まで延ばされた。1605年8月19日ダミアンは町外れの川で祈りの後斬首された。四十五歳であった。彼の死をキリシタンたちに知られたくなかった毛利輝元は、命じて彼の遺体を切り刻ませて川や森に捨てさせた。一キリシタンが丹念に探し回って、ダミアンの首と左腕を見つけ、死の噂は山口にひろまった。彼の首と左腕は長崎に送られ相応しい尊敬が献げられているとセルケイラ司教は報告している。
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主君から、あるいは為政者から背教を勧められあるいは命じられてもそれに従わないことは人よりも神に従う道である。武士であれ、一般人であれ、そのことに違いはない。背教すれば生命、身分、地位が保証され現世の生活を無難に送ることができるという誘惑も彼らには通用しない。それは永遠の生命がそのことにかかっているからである。死を前にしたメルキオール熊谷元直の「キリストの教えこそ永遠の救いの、唯一の道でござる」という言葉をわれわれはもう一度噛みしめるべきであろう。