けれど(Credo)

I:キリシタン信仰と殉教 II:ファチマと現代世界 III:カトリック典礼、グレゴリオ聖歌 IV:「聖と俗」雑感

ファチマ・クルーセイダー

2012年02月19日 | Weblog

黒が白であるとき

The Fatima Crusader Issue 66, Winter 2001より

クリストファー・A. フェララ, Esq.

君は何を信じようとしているのか?私か、それとも君自身の眼か?
--Groucho Marx in Duck Soup--

ジョージ・オーウェル(George Orwell)の1984年--全体主義的共産主義の諷
喩 --においては、オセアニアの神話的社会はビッグ・ブラザーとして知られ
る偏在する神のごとき独裁者によって支配されている。主人公ウィンストン・
スミス(彼を再プログラムするための体制の努力に反対して戦っている)はチ
ョコレートの割当量がどのようにカットされたかということ、しかし、洗脳さ
れた市民は割当量が増やされたのだと告げられたということを思い起こす。人
々は彼らの幸運に従順に喜び、ビッグ・ブラザーをその気前のよさゆえに賞讃
した。

公会議後の教会における事態は同様にオーウェル的である。われわれは、単純
にそうであることを無視する一方で、そうでないことを喜んで宣言することを
期待されている。ローマ典礼が前例のない新しさの導入によって破壊されたけ
れども、われわれは「典礼の刷新」を喜ぶことを期待されている。エキュメニ
ズムは、真の教会から、そして自然法からさえはるか遠くまで漂流しているプ
ロテスタントと共に、一つの明白な失敗であるけれども、われわれはキリスト
者たちの「増大する一致」を宣言することを期待されている。大多数のカトリ
ック教徒がプロテスタントたち、ユダヤ教徒たちと同じように難なく中絶、避
妊そして離婚を実践しているけれども、われわれは第2ヴァチカン公会議が産
み出した生き生きとした信仰に驚嘆することを期待されている。カトリック教
徒たちが世界中でイスラム原理主義者たちによって虐殺され、地域戦争があら
ゆる大陸で荒れ狂い、そして中絶ホロコーストが神のご覧になっている中でま
すます高く燃え上がっているけれども、われわれは「愛の文明」の到来を歓呼
して迎えることを期待されている。

教会の人間的要素の多くはその活動において衰弱したものとなり、そのメッセ
ージにおいて混乱したものとなった。しかしヴァチカン当局は教会がこれまで
以上に精力旺盛であると宣言している。そのすばらしいニュースを祝うために
聖年を持とう。しかし、みんなのための祝祭はあまり持たないようにしよう:
若い人々のための聖年、娯楽の世界の聖年、ピザ作りの日さえある。群衆、音
楽、一年中のための雷鳴のような拍手を持とう。チョコレートの割当量が増え
たことを喜ぼう。

そして次にファチマのメッセージがある。1984年、まったく奇妙なことに、フ
ァチマの聖母によって要求されたロシアの奉献があったと今や我々が告げられ
ている一つの儀式がヴァチカンで行われた。よく聞き給え、教皇自身はこのこ
とを言っておられない。まったく反対に、1984年の儀式の間そしてその後のど
ちらでも、教皇はその自発的な所見の中で、聖母がロシアの特殊的な奉献を今
もなお待っておられるとはっきり述べておられる。1984年の儀式がロシアの奉
献であったとわれわれに告げているのは、教皇ではなくて、事実上 de facto
教会を支配することを教皇が許しておられる教会当局者たちである。

ビッグ・ブラザー

 ミニ・教皇たちのこのグループ、このヴァチカン当局がわれわれ自身のビッ
グ・ブラザーである。注1)教皇がキリストの社会的王権そしてその祝せられ
た御母の女王権なしの世界平和と兄弟愛のますます後退していく蜃気楼を求め
て地球を忙しく回っておられる間に、彼らは公会議後の教会のオセアニアにお
いてあらゆることを支配している。

 2000年6月26日、第三の秘密に関するヴァチカン記者会見において、ビッグ
・ブラザーは奉献について考えることを止めるようにわれわれに命令した:
「[奉献を求める]いかなるそれ以上の議論あるいは要求も根拠がない」と秘密
に関するヴァチカンの注釈においてモンシニョール・ベルトーネは宣言した。

 しかし、ちょっと待ってほしい。確かに、ビッグ・ブラザーは間違ってい
る。シスター・ルチアが繰り返し繰り返し(少なくとも1946年から、ウィリア
ム・ウォルシュ(William Walsh)のOur Lady of Fatimaを通して、1982年に
はL'Osservatore Romanoにおいてそして1984年以後でさえ雑誌Sol de Fatima
において)聖母が、ロシアは奉献の行為において特殊的に言及されなければな
らない、そして世界の司教たちが教皇と共にその行為に参加しなければならな
いと告げられたということを知らせている、ということをわれわれは記憶して
いないのか?そして、神がロシアの奉献を要求なさるとき、ロシアが奉献の行
為の中のどこかで言及されるべきであるということは完全に明らかではないの
か?にもかかわらず、1984年の儀式においてはロシアの言及はなかったし、ま
た司教たちは参加していなかったのである。

気にするな、とビッグ・ブラザーは言う。モンシニョール・ベルトーネによれ
ば、シスター・ルチアは、彼女がそれと反対のことを言ったすべてにもかかわ
らず、今やロシアが16年前に奉献されたと言っている[らしい]。われわれは
シスター・ルチアが、1984年におけるウィンストン・スミスと同じように、結
局のところ2足す2が5であるということをついに分かるようになったと告げ
られるのである。

ビッグ・ブラザーは、シスター・ルチアに前に出て来させて、公衆に彼女の驚
くべき心変わりを間違いないとはっきりさせることを許さなかった。そうはさ
せなかった。ビッグ・ブラザーは6月26日に、第三の秘密はその全体が公表さ
れた、それは過去に属する、そしてファチマの預言的警告についてそれ以上言
い残されたことは何もないと宣言したのに、ある奇妙な理由で彼女はヴァチカ
ンの許可なしに誰かに話すことを妨げる発言禁止命令の下に今も置かれてい
る。生身のシスター・ルチアを示す代わりに、ビッグ・ブラザーは唯一の生き
残りの証人として、彼女の証言の非常に奇妙な代用品に言及した:すなわち、
それはシスター・ルチアが1989年11月8日--11年以上も前のことであるが--
にある身元不明の受取人に宛てて書いたと言われる1通の手紙なのである。こ
の手紙の中で、シスター・ルチアは「はい、それ[奉献]は1984年5月25日に、
聖母がお求めになった通りになされました」と言った、とわれわれは告げられ
る。

 「私は私の全教会がその(ロシアの)奉献をマリアの汚れなき御心の勝利と
して認め、その結果教会が後にその信心を広め、この汚れなき御心への信心を
私の聖心への信心の側に置くようになることを望んでいる。」

 

しかしビッグ・ブラザーはなぜ6月26日の記者会見でこの手紙のコピーを用意
しそこなったのか?そしてなぜ手紙の受取人は同定できなかったのか?おそら
くそれは、同一の手紙--ネルカー氏(Mr. Noelcker)なる人物に宛てられた--
が数年前カトリック報道機関において公表されたが、そのときそれが捏造され
た手紙であると即座に暴露されたためである。それが最初に公表されたとき
(ビッグ・ブラザーの何人かの友人たちによって)、われわれはネルカー氏宛
の1ページの手紙が、当時82歳の修道女が、彼女の分厚い回想録を含めてす
べてのものを手書きで書いていたその生涯の後に突然切り替えたワープロでタ
イプされていると信じることを求められた。われわれは、それがパウロ6世教
皇が1967年にファチマを訪問されたときに世界の奉献を挙行されたと主張して
いるのに、シスター・ルチア自身がこの手紙を書いたということを信じること
を求められた。パウロ6世がいかなる奉献も--世界の奉献も、あるいは他の何
物かの奉献も--決して行われなかったということを、ビッグ・ブラザーはわれ
われが忘れるように要求する。しかしシスター・ルチア自身はこの不手際を決
してすることはできなかった。なぜなら、彼女は教皇の訪問のために本人自ら
そこに居合わせていたからであり、その機会には世界の奉献はなかったという
ことを誰よりもよく知っていたからである。

無視されたシスター・ルチア

われわれはまた、モンシニョール・ベルトーネも、ソダノ枢機卿(ヴァチカン
国務省)も、ラッツィンガー枢機卿も、他のヴァチカンの代表者たちの誰か
も、彼らが2000年5月13日のヤチンタとフランシスコの列福式のためにファチ
マにいたときに、なぜシスター・ルチアに1984年の儀式の十分さについて訊ね
なかったのか、というような事柄について考えることを止めるように命令され
ている。わずか数日前に証言するために利用できる唯一の生きた証人がいるの
に、ヴァチカンがシスター・ルチア自身決してしなかったであろう見逃すこと
のできない事実上の誤りを含んでいる11年も前の古いコンピュータで産み出
された覚え書きにひたすら頼ることはむしろ異常なことではないか?

ああ、しかしビッグ・ブラザーはわれわれに「いかなるそれ以上の議論あるい
は要求も根拠がない」と告げる--彼はそう告げなかったか?もしビッグ・ブラ
ザーがロシアは汚れなき御心に奉献されたと言うならば、ロシアが言及された
ことは決してないということ、あるいは司教たちが参加しなかったということ
は重要なことではない。ビッグ・ブラザーが問題であるところでは、言うこと
はそうすることなのである。

しかし別の問題がある:もしロシアが16年以上も前にマリアの汚れなき御心
に奉献されていたのならば、その奉献の結果に関するファチマの聖母の御約束
はどうなったのであろうか?

「あなたがたは哀れな罪人たちが行く地獄を見ました。彼らを救うために、神
は世界の中に私の汚れなき御心に対する信心を打ち立てることを望んでおられ
ます。...最後に、私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇は私にロシア
を奉献するでしょう。そしてロシアは回心し、ある期間の平和が世界に与えら
れるでしょう。」

「回心」とは何か?

ウェブスター辞典は「回心」を「宗教の決定的な採用に伴った一つの経験」と
定義している。もしウェブスターでさえ回心を宗教の採用として認めているな
らば、ファチマの聖母がロシアの回心について話されたとき何か別のあるもの
を考えておられたと言うことはほとんどできない。一つの非道徳的な体制から
他のそれへという単なる政治体制の変化は霊魂の救いを保証しないであろう。
しかし新しい宗教の採用は保証するであろう。

ロシアはその回心の結果として何の宗教を採用するであろうか?カトリックの
教皇とカトリックの司教たちのためのメッセージを携えてカトリックの子ども
たちに御出現になったファチマの聖母はただカトリック宗教だけを意味される
ことができたであろう。聖母が正教会の宗教への回心を意味されたとは考える
ことはできないであろう:聖母が御出現になったときに正教会はすでにロシア
において広まっていた。そして正教会は、彼らが今そうしているようにそのと
き、ファチマのメッセージのまさに核心である汚れなき御宿りの教義を拒否し
ていた。

そこで、われわれカトリック教徒はロシアの回心によって聖母が何を意味され
たかを確実に知っている。聖母はロシアがカトリック国になることを意味され
た。このことはロシア正教会が彼らの分離を撤回し、キリストの代理者[ロー
マ教皇]に従属しそして彼らの誤った教義上の教えを断念するということを意
味するであろう。そのことは特に、ロシア正教会がそれなしには汚れなき御心
の信心があの国に確立され得ない汚れなき御宿りのカトリック教義を奉ずると
いうことを意味するであろう。

ところで、もしビッグ・ブラザーが、ロシアは16年以上も前にマリアの汚れ
なき御心に奉献されたとわれわれに告げるならば、そのときロシアは約束され
たカトリシズムへの回心を確かに経験していなければならない。しかしなが
ら、6月26日にビッグ・ブラザーはこの問いについては奇妙にも沈黙してい
た。第三の秘密に関するヴァチカンの注釈の中にはロシアの回心についての議
論はなかった。おそらくこれはビッグ・ブラザーでさえ1984年以来のロシアに
おいて見てきたものが宗教的回心であるとわれわれが信じることを期待できな
いからであろう。

回心しなかったロシア

われわれは真実を知っている。申し立てられた1984年の奉献以来、ロシアは霊
的、道徳的、そして物質的崩壊を経験してきた。ロシア正教会総主教アレクシ
ー2世でさえ、「共産主義崩壊」以来のロシア社会の霊的解体を公然と非難し
てきた。実際、ロシアは正教会宗教にさえ「回心」しなかった:19歳から2
9歳までのロシア人の94%は教会に行っていない。注2)ロシアにおけるカ
トリシズムの状態に関して言えば、ロシアカトリック教徒の総数は11万人--
1億4500万の国家において--である。それは人口の1%の10分の1以下
ということである。全ロシアには総計114人の司祭がいるが、彼らのうちの
たった3人だけがロシアで養成され、叙階された。

1917年にファチマの聖母が御出現になったとき、当時のロシア人口は今日そう
である人口の小部分であったにもかかわらず、現在の4倍も多いロシア・カト
リック教徒がいた。

今ロシアでは一人の出産に対して二つの中絶がある。ロシア人口は1991年の申
し立てられている「ソビエト連邦の崩壊」以来330万人の人々が減少した。
2000年だけでもロシアは55万人以上の人々を失った。状況が非常に絶望的で
あるので、ロシア民族主義者のウラディーミル・ジリノフスキー(Vladimir
Zhirinovsky)はより多くの赤ん坊をつくるために一夫多妻制を主唱している。
アル中と暴力犯罪はロシアに世界最高の若死率を与えている。2000年の最初の
7ヶ月のうちに2万人のロシア人がアルコール中毒で亡くなった--これは昨年
の同時期を43%以上超える数字である--。ロシアにおける退職の計画は葬儀
の予定から成り立っている。男性の平均寿命の予測値は59.9歳--最近10年間
より3年下回っている--である。全国民はひどい貧困のうちに生活しており、
人口の3分の1が1ヶ月当たり60ドル以下しか受け取っていない。

ロシアは回心しつつあるのではない。ロシアは死につつある。そのような証拠
を前にして、ビッグ・ブラザーがロシアの回心について沈黙しているのは何ら
不思議ではない。そのロシアの回心を彼はファチマのメッセージから書いたの
である。しかしビッグ・ブラザーは彼が聞きたいことを彼に告げることによっ
て彼を喜ばせることに熱心な多くの友人を持っている。ビッグ・ブラザーのこ
れらの友人--ネルカー書簡や似たような諸々の偽造品を公表した同じ人々--
は、ファチマの聖母はロシアの宗教的回心については全然語られたことはな
く、ただ1989年以来われわれが見てきた「奇跡的な」政治的諸事件だけを語ら
れたという考え方を広めている。そうだ、「回心」は共産主義から自由への、
戦争のような行動から平和的な協力への変化を意味するのだ、と彼らは言う。
ファチマの聖母はロシアにおける民主主義の先触れだったのであり、そしてこ
れは聖母の汚れなき御心の勝利を表している、と。

われわれはファチマのメッセージのこのばかげた解釈に内在している冒涜を考
えないことにしよう。それは神の全能を今なお神に反対している人間的政治に
奉仕させるものである。議論を進めるために、ファチマの聖母がソビエト連邦
におけるほかならぬ政治的諸変化を預言するために地上に来られたと仮定して
みよう。これはばかげている。しかし、われわれの議論のために、それが真で
あると仮定してみよう。この修正主義者のファチマ・メッセージでさえ経験的
な証拠によって偽りであることが示される。

そしてその証拠はいっぱいある。例えば、リベラルなジャーナリスト、デイヴ
ィッド・フラム(David Frum)はThe National Postにおいて書きながら、
「ロシアにおいは、プーチンが入り--そして民主主義が出る」と宣言してい
る。彼の論考はウラディーミル・プーチンの「1991年に崩壊したソビエト国家
を支配した多かれ少なかれ同じ人々によって支配されたロシアにおける権威主
義的国家の」体系的「再組織」を詳しく論じている。さて、グルーナー神父は
そのことを数年来言って来た、そうではなかったか?フラムはプーチンがロシ
ア唯一の独立メディアの支局の所有者をでっち上げた罪の廉で逮捕し、ロシア
石油産業を再び奪い取る動議を提出し、前KGB高級幹部であり後年の首相であ
るイェフゲニー・プリマコフ(Yevgeny Primakov)に一つの高い段階の内閣の
地位を与える一方で経済的紛争のために最近作られた独立の司法制度を徐々に
廃止し始めた、と述べている。プリマコフは典型的なソビエト時代の悪党であ
る。フラムはプーチンが「危険な人物--世界にとって危険な、長い間苦しみそ
してもう一度失望させられる人々にとって危険な人物--と見なされるべきであ
る」注4)と結論している。

もう一人のネオコン・リベラルであるウィリアム・サファイア(William
Safire)は同じように率直である。そのNew York Timesの記事「KGBはロシア
において企業で采配を振るう裏方である」の中で、サファイアは独立メディア
の重要人物グイジンスキー(Guisinsky)の逮捕とどのようにロシアのメディ
アが「自分たちがどこに行こうともウラディーミル・プーチンのKGBによって
監視下に置かれていることを知っているか」を詳しく述べている。サファイア
--私はあなたに思い起こさせるが彼はリベラルである--はどのようにプーチン
のロシア大統領としての「選出」が実際はプーチン(もう一人のKGB人間)の
当座の指名を許すために引退したエリツィン(Yeltsin)に対する承認の特赦
によって達成された一つの予期せぬ出来事であり、プーチンはそれからクレム
リンにおける権力の座から「立候補する」ことができたのである、と詳しく述
べている。

似たような不安にさせる見出しの例は増やすことができる。

ロシア・メディアは生きるために戦う注5)

ロシアのプーチン小政党に対する抑制のあらましを述べる注6)

反抗する知事、ロシアが暗黒の日々に戻ると語る注7)

合衆国の援助はロシアの兵器の資金源となっている注8)

ロシア人はレーニンを「世紀の人」、スターリンをランナーとして取り上げる

グルーナー神父の使徒職がこれらのような話を公表すると、ビッグ・ブラザー
の友人たちはグルーナー神父を「災厄を予言する人間」そして「ファチマ陰謀
理論家」として嘲笑う。しかしロシアにおいて再びスターリンの国歌(プーチ
ンによって回復された)の不愉快な旋律が聴かれるとき、賢明な人々にとって
はそれはその音楽に耳を傾けるときである。リベラルなデイヴィッド・フラム
でさえ認めることができる:「最善を望むのを止め、最悪のために準備する時
である。」

それはカトリック教徒にとって、特にファチマの観点からロシアを理解する者
にとってよい忠告である。ロシアは--宗教的に、道徳的に、政治的に--回心し
つつあるのではない。反対に、ロシアはどの方面でも衰弱しつつある。ロシア
の現在の状態を神の御母の介入に帰することはカトリック信仰を嘲ることであ
り、祝せられたおとめを侮辱することである。そこでカトリックの観点から
は、ただ一つの結論だけが可能であると思われる:ファチマの聖母が要求なさ
ったことは、モンシニョール・ベルトーネが何と言おうとも、まだなされてい
ない。

ヴァチカン当局がリベラル新聞でさえ嘘であると見ることができる何かあるこ
とを信じるようわれわれに期待しているとき、われわれは非常に悪い場所に来
てしまったのだ。ベルトーネ大司教は「[奉献を求める]それ以上のいかなる議
論あるいは要求も根拠がない」と主張されるであろう。しかし、言うことはそ
のようにすることではない。たぶんオセアニアではそうかもしれない。しか
し、聖なるカトリック教会ではそうではない。

脚注

(1) グルーナー神父とこの出版を非難することを喜んでいる悪意のあるそして
頑固に盲目的な人々に対して、使徒職の見解について彼らが行うなおもう一つ
の意図的な不当な性格づけを拒否させてもらいたい:上述のテキストから明ら
かなように、私はビッグ・ブラザーによって教皇を意味しているのではなく
て、むしろ教皇を取り囲み、教皇を「操っている」ヴァチカン当局を意味して
いるのである。教皇自身は当局によって促進されているファチマの改作に教皇
ご自身の権威を委ねることを拒否された。実際、黙示録第12章において語ら
れた「龍の尾」を避けるように教会に警告なさった2000年5月13日のファチマ
における教皇の説教はファチマの預言的警告が今なお大いに効力を持っている
ということの一つの驚くほどに明確な主張であった。龍の尾は天から諸々の星
を掃き落としていると見られている。天の諸々の星とは、その文言の一般的な
カトリックの解釈に従えば、奉献された霊魂(司祭たち、司教たちそして修道
者)のことである。教皇は列福式のためにまさにご自分がファチマに現れるこ
とを妨害しようとしたと明らかに思われた当局を通り越して一つのメッセージ
を密かに持ち込もうとされたのだろうか?われわれはただあれこれ推測するこ
とができるだけである。
(2) “Russian Church Failing to Reach Youth” The Wanderer, January
11, 2000, p.9.
(3) The data cited in this paragraph were obtained from “Wanted: More
 Russian Babies To Rescue a Fast Dying Nation.” London Observer,
December 31, 2000.
(4) National Post, June 17, 2000.
(5) Washington Post Service, June 28, 2000.
(6) DPA News Agency, December 27, 2000. プーチンはすべての反対党を、彼
らが少なくとも1万人の党員とロシアの89の地域の少なくとも半分の地域に
事務所を持たないかぎり、基本的に非合法化する法律を導入した--これは途方
もなく負担の重い要求である。
(7) Reuters, December 24, 2000.
(8) Insight, January 9, 2000.
(9) “Lenin the Man of the Century,” December 27, 2000, News World
Communications, Inc.