けれど(Credo)

I:キリシタン信仰と殉教 II:ファチマと現代世界 III:カトリック典礼、グレゴリオ聖歌 IV:「聖と俗」雑感

ファチマ・クルーセイダー

2014年03月20日 | Weblog

聖マキシミリアノ・コルベ III

The Fatima Crusader, Issue 13: Oct.-Dec. 1993より

ステファノ・マネッリ神父、O.F.M., Conv., S.T.D.

1982年10月10日、聖ペトロ大聖堂で福者マキシミリアノ・マリア・コルベ(Maximilian Mary Kolbe, O.F.M., Conventual)は彼の最も傑出している英雄的徳のために列聖された。マキシミリアノ・コルベ神父が、彼がほとんど知らなかった一人の不当に断罪された仲間の囚人に代わって死ぬために自由に身を捧げた後に、アウシュヴィッツのナチスの監獄キャンプにおいて殉教したのはちょうど41年前であった。教皇ヨハネ・パウロ2世は彼を「われわれの困難な世紀の保護者」と宣言された。われわれは、神がわれわれの時代に深い信仰、英雄的な愛そして特に聖母に対する計り知れない愛の模範としてお上げになった聖マキシミリアノをもっと多くの人々に知ることを可能にするこの論考を公表するのが嬉しい。この聖人の聖性への鍵はわれわれの母なるマリアへの彼のますます大きくなる愛である。聖マキシミリアノは神の御母に対する彼の愛に何の制限も設けなかった。そして実践において、彼はその生涯の間一つの驚くべきマリア使徒職において実を結んだ強烈な祈りの生活によって聖母に対する彼の壮大な献身を示した。そして彼は人々をイエズスとマリアのより大なる知識と愛へと連れて行くためにマス・メディアを用いる彼のマリア使徒職を天国から導き続けている。

ステファノ・マネッリ神父、O.F.M.--彼は最近コンヴェントゥアル・フランシスコ会のナポリ管区総長に選ばれた--は、ステファノ神父が今日われわれの新しい聖人によって立てられた模範に従っているので、特に聖マキシミリアノについて書くのに適している。ステファノ神父と聖マキシミリアノとは両者とも、彼らの各々が院長をしていたそれぞれの修道院へと多くの修道生活の召命を惹きつけた。両者はマリア使徒職を始めた。そして出版とマス・メディアの他の領域において働いた。両者はヨーロッパから遠く離れたアジアにおいて神の御母に対する信心を促進するために宗教共同体を設立した。両者は神学の博士号を持っており、そして両者はコンヴェントゥアル・フランシスコ会の神父である。ステファノ神父は、聖マキシミリアノと同様に、この号の16ページに印刷された「イエズス、われわれの御聖体の愛」という論考からわれわれ読者が知っているように、興味のあるそして非常に読み応えのある論考の著者である。聖マキシミリアノのこの簡潔な伝記は数年前にイタリア語で出版された。そして北アメリカにおいて英語で出版されるのは今回が初めてである。

一人の聖人が大学に出席する

短い時間が過ぎ去っただけである。そしてブラザー・マキシミリアノは注目すべき知性と結合されたその例外的な善性によって国際大学におけるすべての者を啓発した。学長ステフェン・イグヌーディ(Stephen Ignudi)神父は福者マキシミリアノを「聖なる青年」と記述した。そしてこの記述を大学の記録簿に入れた。

彼の仲間のブラザーたちにとって、マキシミリアノは教化の真の模範として傑出していた。「彼は言葉の正確な意味において真に一人の聖人でした」と彼の同僚の学生の一人は報告している。そして彼はこうつけ加えている。「彼はあらゆることについて、そしてあらゆる人に謙遜で柔和でした...彼は会則の最も小さな条項においてさえ、最も厳守する人でした。上長からの最初の合図、あるいは修道院のベルの最初の音で、彼は一つの語の真ん中でさえそれを止めて、すばやく無言になるのでした...信心に関して言えば、祝せられた秘蹟[=御聖体の秘蹟]におけるイエズスに対する彼の愛は彼の心の最も深い奥底にまで達していました。彼は永久聖体礼拝の会に入会していました...かれは毎時間御聖体訪問をするのでした...聖母に対して彼が持っていた信心は心からのものであり、純真なものでした。私たちが散歩に出かけるとき、彼は私を誘ってロザリオを唱え、また彼と共に他の祈りもするのでした...彼は、私たちが大学の中庭にいる自由時間の間にもしばしば同じことをしていました。彼は常にマドンナに「私のママ」(Mamma mia)という甘美な名前を与えていました...現実の生きている人間の中で、私はマキシミリアノ神父以上にマドンナに対する大きな愛情を持った人には誰も会ったことはありませんでした。彼はいとも聖なるマリアの真の子どもでした。」

「聖なる青年」と「いとも聖なるマリアの真の子ども」--それはローマにおけるこの時期の間の福者マキシミリアノをわれわれに美しく示す二つの判断である。

すぐれた学者

平均的な背の高さで黒髪の、澄んだ明るい目と笑顔をもったこの若いブラザーは、また精密科学への特別の傾きをもった著しく鋭い知性をも持っていた。

福者マキシミリアノによって準備された宇宙船プロジェクトは、後にヴァチカン・ラジオのディレクターに任命されたグレゴリアン大学の科学者であり教授であったジャンフランチェスキ(Gianfranceschi)神父に提出された。ジャンフランチェスキ神父はそれを検討し、そしてそれが科学の諸原理に従って正確であると見た。しかし彼はそれを実際に作動させる費用は極端に高くなるだろうと判断した。

思慮深く鋭い精神の持ち主であったブラザー・マキシミリアノは彼が研究しなければならなかったすべての学問的な問題において問題の底にまで達することを望んだ。このことはときには彼の教授たちにはまごつかせるものであった。実際、あるとき、法律の教授はこう意見を述べた:「この青年は私がどう答えるか知らない問題を私に出す。」

彼の教室での勉学においてブラザー・マキシミリアノはまた彼の寛大な性質を示した。彼は教授たちによってなされる講義のノートを容易に作ることができた。そして次に彼よりもうまくできないクラスメートのために彼は喜んでそのノートを、特に試験の時の間、彼らに回した。

1915年10月22日に、ブラザー・マキシミリアノはグレゴリアン大学で哲学博士号を受けた。彼は国際大学の神学部で研究を続けた。

彼の指が奇跡的に癒される

ある日ブラザー・マキシミリアノは右手の人差し指を悪い病菌に冒された。医者は注意深く検査し、なすべき唯一のことはすぐさまそれを切断することだと宣告した。これは翌日行われることになった。

これはブラザー・マキシミリアノにとってショックだった。右人差し指の切断は彼が司祭になることを妨げ得るであろう。なぜなら、この指はミサ聖祭を司式するのに必要とされたからである。彼は、悲しみを感じる一方で、自らを神の御旨に委ねた。学長の神父はその夕べ彼を訪れたが、彼が穏やかなのを見出した。そして彼に、この種の事例が彼が少年であったときにどのように起こったかを告げた。彼の脚の膿瘍が耐えられない苦痛を引き起こした。そして医者は次の朝その切断を命じた。しかし、十分な信仰をもった彼の母親は布きれをルルドの水に浸してそれを膿瘍の上に当てた。翌朝医者はルルドの水が使われたことを知り、宗教的迷信について辛辣に話した。しかし彼が脚の包帯をほどいてそれが癒されているのを見たとき、彼は混乱し、そして謙虚になった。

彼は回心の恵みを受けた。そして後に私財を投じて教会を建てさせた。

「私はもうそれ以上は言わないよ」と学長は言葉を結んだ。彼はポケットからルルドの水の入った小瓶を取り出し、それをテーブルの上に残した。

朝が来たとき、医者が切断手術を執行するために到着した。マキシミリアノは言った。「先生、私は切断手術をしなくても私を癒すことができる薬を見つけたかもしれません。テーブルの上にあの小瓶があります。どうかそれを私の指に塗っていただけないでしょうか?」

その医者はよいキリスト教徒であった。彼は理解した。そしてブラザー・マキシミリアノのこの信仰の行為において彼の役割を果たすことに同意した。彼はガーゼをルルドの水で湿し、それを指に巻き付けた。

翌朝医者はこの普通でない医薬がどうなったか知りたがった。彼は切断の必要がなくなったことを見出して驚いた。指はよくなっていた。汚れなきおとめは一つの明白なそして目に見える仕方でご自分の愛する子どもの必要のために備えてくださったのだ。

フリーメーソンに反対する熱意

ローマにおいてブラザー・マキシミリアノは善いことと悪いことを見た。彼は教皇、諸々のバシリカ、カタコンベ、いくつかのローマ古代遺跡、そして永遠の都に無数にある芸術のすぐれた宝を見た。

彼はまた広く行き渡っている世俗的なものと虚栄をも目撃した。彼はとりわけフリーメーソンたちが教会に反対して、そしてキリストの代理者に反対して支援していた、やかましく要求する、神聖を汚すデモンストレーションを見た。

彼はローマにとって祝福であったもの、とりわけ、教皇の存在を喜んだ。教皇について彼はその手紙の中で人に伝わり易い情熱と尊敬をもって話している。しかしキリストとその教会の敵の不敬な行為は彼に嫌悪感を起こさせ、彼の心をかき乱した。

1917年とう年はフリーメーソンの200周年記念の年を示した。ブラザー・マキシミリアノはローマの街を通り抜け、ヴァチカンの前の聖ペトロ大聖堂広場まで入り込んだフリーメーソンによって教皇に反対して組織された冒涜的なパレードの神なき性格を知った。ルチフェル、あるいはサタンの足下になった大天使聖ミカエルの絵を描いた、そして「サタンはヴァチカンを支配するであろう」という言葉を書いた黒旗が翻った。真のフリーメーソンはサタンに従う者たちである。

悲劇的な光景はブラザー・マキシミリアノの心に血を流させた。彼が次のように書いたのはそのときであった。「われわれの敵が引継ぎの点まで彼らの仕事を遂行しなければならないということ、そしてわれわれが怠惰のままにとどまる、あるいはせいぜい何も行動しなくてただ祈るだけということも可能である。われわれは彼らの武器よりももっと強力な武器--神と汚れなきおとめの保護--を持っていないのか?...あらゆる異端を撃退なさる汚れなき、負けることなき女王はその頭を再びもたげている敵にその戦場を明け渡されないであろう。もし聖母がその御命令に忠実で従順な奉仕者を見出されるならば、聖母はわれわれが想像する以上に大きな新しい勝利を得られるであろう...」

別の機会に、聖アンドレア・デッレ・フラッテ(S. Andrea delle Fratte)教会において祝せられたおとめについてラティスボンが持った幻視と共にユダヤ人アルフォンス・ラティスボン(Alfons Ratisbonne)の回心--それは不思議のメダイによってもたらされた--についての学長の黙想を聴いた後に、ブラザー・マキシミリアノは熱烈な喜びをもって仲間の修道士に打ち明けた:「今や、私たちは悪魔とすべての異端、特にフリーメーソンを追い払うためにただ単純にマドンナに祈らなければなりません...」

つづく

聖マキシミリアノ・コルベ

幸いなことに、キリスト教徒はいたるところで今年、アウシュヴィッツにおけるその英雄的な殉教が単にマリアを通してキリストの支配へと完全に献げられた生活に聖性の最後の封印をした福者マキシミリアノ・コルベの列聖によってマルキシズムに劣らずフリーメーソンと戦う必要について思い起こさせられるであろう。

なぜなら、それについて聖マキシミリアノ・コルベが彼の生涯のあらゆる瞬間に絶えず意識していた一つのことがあったとすれば、それはフリーメーソンの脅威だったからである。

若いブラザー・マキシミリアノはフリーメーソンの目標を次の言葉で分析した:

「神なきこれらの人々は悲劇的な状況のうちに自らを見出す。教会と地上におけるキリストの使者たちに対するそのような執念深い憎しみは個々の人間の能力のうちにあるのではなくて、つまるところフリーメーソンから生じる組織的な活動の能力のうちにある。特に、それはカトリック宗教を滅ぼすことを目標としている。彼らの諸々の欺瞞は、異なった諸々の外観において、しかし同一の古い目標をもって、全世界に広められてきた。すなわち、その目標とは、宗教的無関心と彼らの基本的原理:われわれは議論をもってではなく、むしろ道徳的堕落をもって、カトリック教会を征服するであろうという基本原理に従う道徳的諸力の弱体化である。」


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