けれど(Credo)

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ファチマ・クルーセイダー

2013年07月31日 | Weblog

世界の奴隷化か、それとも平和か...それは教皇にかかっている

第 X 部(4)

今日に至るまで:バチカン・モスクワ協定は聖母を沈黙させてきた

Father Paul Leonard 著

ファチマ・クルーセイダー、第20号において、ポール・レオナード神父は「聖母を沈黙させる陰謀」を書いた。* われわれはこの陰謀の暴露を彼に負っている。以下の論考において、ポール神父は諸々の名前を挙げることを選んだ。なぜなら、彼が公衆を誤り導くことに責任を持っている人々に与えた公的な警告の後に、当該の人々がファチマの聖母のメッセージに関する彼らのまさに重大な公表された諸々の誤謬を公的に訂正することを選ばなかったからである。ファチマ・クルーセイダーの、書き込んだ読者の大部分はポール神父の論考に対して彼らの感謝を表明した。しかしながら、何人かの人々は、ファチマの聖母のメッセージを促進していると主張しながら、実際には聖母の完全なメッセージを知られ、従われることから妨げようと努力している人々をいったい何が動機づけているかに関して当惑させられたであろう。

* この書物の p. 368 以下および p. 381 以下を見よ。

ファチマの聖母の完全なメッセージは、バチカン・モスクワ協定の方針にあからさまにコミットし続けている左傾化した共産党好きの教会人たち 注1)や組織によって今もなお抑圧されている。聖母のメッセージは間違えようもなく明白であり、曖昧さがない。

「私は私の汚れなき御心へのロシアの奉献と初土曜日の償いの聖体拝領を求めるために来るでしょう。もし私の要求が聞き届けられるならば、ロシアは回心するでしょう。そして平和が来るでしょう。もしそうでなければ、ロシアは諸々の戦争と教会の迫害を増進しながら、世界中にその諸々の誤謬を広めるでしょう。善人は殉教し、教皇は多く苦しむでしょう。さまざまの民族が絶滅させられるでしょう。」聖母は、1917年7月13日にこれらの言葉を話された時、いくつかの事柄を具体的に挙げられた。

 1)聖母は諸々の要求をするために再び来られるであろう。
 2)もし聖母の要求が従われるならば、ロシアは回心し、平和が来るであろう。
 3)もし聖母の要求が満たされないならば、そのとき:
(a) ロシアはその諸々の誤謬を世界中に広めるであろう。
(b) ロシアは諸々の戦争、教会の迫害、善人の殉教そして教皇に対する苦難すら引き起こすであろう。
(c) さまざまの民族が絶滅させられるであろう。

1917年7月13日の御自分の約束を果たすために、聖母はトゥイでの1929年6月13日の御出現においてシスター・ルチアの所に来られ、こう宣言された。「神が教皇に、世界のすべての司教たちと一致してロシアを私の汚れなき御心に奉献するようにお求めになる時が来ました。神はこの手段によってロシアを救うと約束なさっています。」

これらの言葉において、神の御母は次のことを明らかになさった:
 1)ロシアは奉献の対象として具体的に挙げられなければならない。
 2)その奉献は単に教皇によってだけ行われなければならないのではなく、それは世界のすべての司教たちによって遂行される一つの共同的な行為でなければならない。
 3)「この手段によって」、すなわち、実際の奉献そのものによって、ロシアは回心し、救われるであろう。

ファチマの世界使徒職(別名ブルー・アーミー)の指導部は、ファチマ・メッセージをバチカン・モスクワ協定の路線にもたらす彼らの不敬なキャンペーンにおいて、聖母のメッセージを頑固に、そして悔い改めずに曲げて伝えてきた。

Soul Magazine の1986年3月/4月号、p. 32 は、それが「1984年3月25日に聖ペトロ広場において教皇ヨハネ・パウロ二世によって世界の司教たちと共になされたマリアの汚れなき御心への共同的奉献...そこでは教皇は世界のすべての司教たちと一致してマリアの汚れなき御心への奉献をなさった。それは1929年6月13日の御出現において要求されたように[為された]。」に言及するときに、一つの恥知らずの嘘を述べている。

次に、同じ号の p. 9 で、-- Soul Magazine はこう述べている:「...教皇は、聖母が『私は私の汚れなき御心への世界の奉献を求めるでしょう』と言われたその要求に従って...マリアの汚れなき御心に世界を奉献することへと進まれた...」

ファチマの聖母は決し世界の奉献を求められなかった。聖母は要求なさった奉献の対象としてロシアをはっきり、具体的に示された。ブルー・アーミーの編集者たちはロシアを世界に変えることによって聖母御自身の言葉を変造したのである。

ブルー・アーミーは擁護できない立場に凝り固まった

これは、奉献がすでに為されたという印象を創り出そうとする事実に反したそして誤り導く報道をブルー・アーミーがどのように公表してきたかの多くの例のうちの一つにしか過ぎない。ファチマ・クルーセイダーは Soul Magazine の事実に反した報道を繰り返し正し反駁してきた。それにもかかわらず、ブルー・アーミーの指導者たちは彼らの擁護できない立場に凝り固まることを選んできた -- 彼らは論証され、証明された真実を意図的に無視することを明らかに選んだ:すなわち、カザロリ枢機卿のバチカン・モスクワ協定に反対しない方針に固着するために諸々の誤謬と虚言を促進しているのである。

聖母の要求が単純に果たされてこなかったという事実にもかかわらず、ブルー・アーミー指導部は、奉献は不完全な仕方で為された -- 厳密に神が要求なさっているように完全にではないが、しかしにもかかわらずなされた -- というまったく不合理な主張を永続させているのである。

聖母はロシアの奉献を要求なさった。なされた事柄は世界の奉献であった。それゆえに、祝せられたおとめが要求なさった奉献は単純に為されなかったのである。それは為された、しかしただ不完全な、あるいは部分的な仕方で為されたにすぎないと言うことは、単に偽りであるばかりでなく、黒を白と見えさせる欺瞞的な手段である。このように、ロシアの共同的奉献は不完全な仕方で為されたという Soul Magazine とブルー・アーミー指導部の馬鹿げた主張は、隠された、しかしそれにもかかわらず非常に明確な目的:すなわち、マリアの汚れなき御心へのロシアの共同的奉献を求める公衆のキャンペーンを終わらせるという目的、を達成するために巧妙に考えられた一つの欺瞞的な戦略である。

最も鈍い精神にさえ正真正銘の不合理を単純に呑み込むこませることは単的に言って過大に期待することであろう。それゆえに、明示された要求を正当なやり方で果たさない行為は無効であるという事実をじっくり考えることから精神の注意を逸らすために十分な混乱が事柄の中へ注入されたのである。そしてそれゆえに、ファチマの聖母の命令を果たす部分的あるいは不完全な行為と考えられることはできないのである。

なお、取り除かれ、口に合うものとされるべきもう一つの躓きの石が残っている:すなわち、奉献が為されたと主張されてきたという事実にもかかわらず、ロシアはその戦闘的無神論と教会を迫害する共産主義からまったく明らかに回心しなかったという事実である。さらに、あからさまな欺瞞を知らないうちに呑み込むように公衆を誘引するためにまさに十分な曖昧さと混乱が注入されてきた。

聖母は、共同的奉献はそれによってロシアの回心がもたらされる手段であるでしょうとまったく明白に述べられた。このことから公衆の精神をそらすために、Soul Magazine の編集者たちは、ロシアの奉献は「ロシアの回心の実際的な条件」ではなくて、それはただ「ファチマの聖母の要求が果たされたという一つのしるし」に過ぎないというまったくの嘘を宣伝してきた。

Soul Magazine は聖母に矛盾している

ファチマの聖母はロシアの奉献はその国の回心をもたらすであろうという無条件の約束をなさった:すなわち、神は「この手段によってロシアを救われます」と。Soul Magazine によれば、その約束は条件的である:すなわち、「それは人々の忠誠の多少に依存するであろう...」

これらすべての歪曲、矛盾そして嘘を公表した後に、人は、Soul Magazine が十分以上にその読者たちの知性を侮辱してきたと考えるであろう。しかし Soul Magazine の編集者たちはここに止まらなかった。Soul Magazine は「ロシアの回心はすでに始まった」(!)という騒々しい告知を繰り返し公表してきた。司祭たちそして平信徒たちはソビエトの精神病病棟において精神的に絶滅させられ、グーラグのキャンプで精神的に絶滅させられている。アフガニスタンにおいて戦争が荒れ狂い続けている間に教会はロシアにおいて恐ろしく迫害されている。ロシアの回心がすでに始まったと言うことは、ロシア共産主義とその執行者たちの手で現在苦しんでいる、残虐行為と迫害のすべての犠牲者たちに対する侮辱と裏切りのジェスチャーである。シスター・ルチアは「もし教皇様御自身が、償いとロシアの奉献の荘厳、公的な行為をなさり、...そして世界のすべてのカトリック司教様たちに同じことをするようにお命じになるならば、ロシアにおける迫害は終わるであろうとわれらのよき神は約束なさっています...」と書いている(1930年6月12日の手紙)。ロシアにおける数千人の回心は一つの勇気づける発展である。しかしわれわれはその事実がロシアの回心についてわれわれを誤り導くことを許してはならない。その回心は、聖母が要求なさったロシアの共同的奉献が教皇と司教たちによって遂行された時にのみ起こるであろう。

ファチマ・クルーセイダーは、Soul Magazine が驚くべき規則正しさで公表してきた見逃すことが出来ない諸々の不一致、矛盾そして不条理を繰り返し指摘してきた。ブルー・アーミーの指導部はこの最も非難すべき実践において衰えることなく続ける強固なそして情け容赦のない決心を示しているように思われる。このことを見れば、常識の使用を授けられている理性的存在は、Soul Magazine とブルー・アーミーの指導部の欺瞞と歪曲に対する強い好みが慎重に練り上げられた方針の直接の結果であると結論せざるを得ない。

問題の核心

ここに問題の核心がある:すなわち、ファチマの聖母の真のメッセージは、それがカザロリ枢機卿の裏切りのそして共産党寄りのバチカン・モスクワ東方政策と一致しないがゆえに、抑圧されてきたのである。Soul Magazine(1984年3月/4月、p. 5)が次のように述べているのはこの理由のためである:「もしわれわれがそうしようと望むならば、われわれははっきりとロシアのために祈るかもしれない。しかしわれわれの公的なメッセージにおいては...聖座(すなわち、カザロリ枢機卿)がそのように熱心に支配し指導しようと努力している国際問題のデリケートなバランスを狂わせることを避ける。」われわれは共産主義者たちを怒らせないように、聖母の要求の実現のために働くことを思いとどまらなければならない。なぜなら、「キリスト教徒ではないロシア人でさえ、彼らが回心を必要としているという考えに憤慨することはもっともなことだ」から(同書、p. 5)である。

ブルー・アーミーは、共産主義に譲歩し、妥協し、屈服する近視眼的な政策のためにファチマの聖母の要求の実現を教皇と司教たちに禁じることになるカザロリ枢機卿のバチカン・モスクワ東方政策の道具へと変えられてきたのである。

バチカン・モスクワ協定の理論的根拠は人間的な用心深さに賛成して神の智慧を拒否するということである。Our Sunday Visitor もまたこの信念を持っていると思われる。

1984年2月12日のその新聞において、われわれは「教会はジレンマに直面している:交渉することができないところでは、人々は苦しむ、それが交渉するところでは、それは人々の生活をよりよいものにすることができる。」(p. 9) そして、「教会は、ある国における教会の長期の生き残りを確保するために短期の制限を交渉するであろう」(1984年2月19日、p. 7)。

そのような立場は、もしそのような交渉において、聖母の要求の実現が排除されるならば、神を人間の判断に従属させる。ファチマの聖母はこう言われた:「ただ私だけがあなたたちを救うことができます。」グルーナー神父はこう言っている。「もしわれわれが聖母を無視するならば、誰もわれわれを助けることはできないし、また助けないであろう。神御自身がわれわれをお助けにならないであろう。なぜなら、神は、平和と国際的な安全を手にするためにわれわれがしなければならないことをわれわれに告げるために御自分の御母を送り給うたからである。」

シーディー神父の不当な攻撃は反駁される

彼の Sunday Visitor のコラムにおいて、交渉、妥協そして屈服の東方政策に賛成していると思われるフランク・シーディ神父はその出版物の中で彼自身の誤った情報と歪曲を公表した。1986年9月7日(Our Sunday Visitor, p. 15)[付けの紙面]で、彼は「国際ファチマ・ロザリオ十字軍...はある東側ブロックのカトリック司教がその長をしている」と述べている。これはまったく偽りである。シーディ神父はまたファチマ・クルーセイダーが、シスター・ルチアは沈黙させられてきた、そしてそれが「第三の秘密」の開示を強く迫っていると言うとき、「極端に走っている」と考えている。ファチマ・クルーセイダーのこれらの陳述が「極端」であると言うことによって、シーディ神父はこれらの陳述が偽りであるということを示唆している。それゆえに、シスター・ルチアは聖座の許可を得ていなかったので話すことができなかった、ということを教皇使節ポルタルピ大司教に彼女が読んで聞かせた[予め]準備された陳述において1983年3月19日に明らかにしたのは、シスター・ルチア自身であったということをこの機会にシーディ神父に思い起こさせるのである。さらに、秘密を開き、それを世界に明らかにするためになぜ1960年まで待つ必要があったのかと、カノン・バルタスがシスター・ルチアに尋ねたとき、彼女はファチマのダ・シルヴァ司教のいる前で彼にこう答えた:「なぜなら、祝せられたおとめはそれをそのように望んでおられるからです。」

シーディ神父はファチマ・クルーセイダーが「教皇ヨハネ・パウロ二世によって為された奉献によっては聖母の要求は果たされなかったと信じている」と言っている。教皇は、世界の奉献の行為をなさった(1984年3月25日)後に、聖母に、「その奉献と委任をあなたがわれわれから待っておられる人々」を照らしてくださるように願われた。そしてその日、後になって、教皇はその祈りの中で「あなたが御自身がわれわれの奉献と委任の行為を待っておられるあれらの人々について」語られた。このようにロシアが聖母の汚れなき御心に奉献されるようにという聖母の要求がまだ果たされていなかったと信じているのは、単にファチマ・クルーセイダーだけではなくて、また教皇ヨハネ・パウロ二世もそうである。

シーディ神父は、ファチマ・クルーセイダーが「『バチカンの東方政策』を非難している...」と述べている。それゆえに、私はこの機会を捉えて、共産主義に対して公的に語る際にラッツィンガー枢機卿とヨハネ・パウロ二世は両者とも「バチカンの東方政策」に反対しているということを指摘しておこう。

1986年11月16日の号において、シーディ神父はファチマ・クルーセイダーに対する向こう見ずの、そして名誉毀損とさえ言ってもよい非難を投げつけている。すなわち、彼は「その立場のあるものは正統から逸脱した」と言っているのである。シーディ神父はそのような重大な非難を実証するための何らの試みも絶対にしていない(また他の誰もしていない)で、単にスタニスラス・ブルザナ司教の悪名高い書簡を再現しているに過ぎない。その書簡はどこにもファチマ・クルーセイダーが正統から逸脱しているとは述べていないのである。

このブルザナ書簡について言われなければならない第一の事柄は、それが信徒の精神の中に偽りの印象を意図的に創り出していると思われるほのめかしの傑作であるということである。それはこう言っている:「この出版物(ファチマ・クルーセイダー)において受け容れられた立場のいくつかはカトリック教会の教えを表していない」そしてそれゆえに、彼はそれを読むに際して「注意」を助言しているのである。

ところで、ある人の立場のいくつかが「カトリック教会の教えを表していない」と述べることは正確には何を意味しているのか?まず第一に、それは、彼の立場が間違っている、非正統的である、あるいは何らかの仕方で教会の公式的な教導権と一致していないということを意味しているのではない。この陳述はすべてのカトリック新聞および雑誌、そして諸教皇の書き物や宣言のいくつかにさえ適用され得る。教皇ピオ十二世が被昇天の教義を告知されたとき、教皇はその演説の中で、人々が「カトリック世界のあらゆる場所から」ローマへ来たということに言及された。ところで、被昇天の教義はカトリック教会の公式的な教えを表しているのに対して、「カトリック世界のあらゆる場所から」ローマへ来る人々についての教皇の所見はカトリック教会の教えを表していない。同じように、ある司教が、あるいはある教皇でさえが、一人の私的な博士としてある陳述をするとき、彼はそれによって彼自身の個人的な立場を述べているのである。そしてそうする際に、彼の陳述はカトリック教会の教えを表しているのではない。

その司教の書簡は署名されていない

それゆえに、ある人の立場が教会の教えを表していないという陳述はそれ自身、事実上あらゆる日曜日の説教にも適用され得る無害な常識である。しかしながら、ブルザナ司教がしたように警告の形式においてそのような声明を発することは明らかに、信徒たちの精神の中にファチマ・クルーセイダーはまったく正統的ではないという誤った印象を創り出す一つの陰険な、そして不快な試みであると思われる。おそらく、それはその書簡の意地の悪い意図が非常に明白であるので、その司教はそれに署名する勇気を欠き、そして署名しないままになっているということである。

ブルザナ司教の無署名の書簡に対する返事として書かれたグルーナー神父の書簡(ファチマ・クルーセイダー、第18号、p. 12 を見よ。*)はブルザナ司教に送られた。そしてグルーナー神父は同様にまた個人的に彼を訪問した。しかし司教はなぜ彼がファチマ・クルーセイダーを読む際に「注意」を助言しているのか、を説明することができなかったし、また彼は彼が非正統的であると考えるファチマ・クルーセイダーにおけるいかなる陳述をも敢えて指摘することをしなかった。

* この書物の p. 306 以下を見よ。

最後に、ファチマ・クルーセイダーについて、それが「教会について批判的であると思われる」がゆえに疑いを持つことはまったく滑稽である。シーディ神父は本当に、教会について批判的であることは不忠実なことあるいは罪深いことである、あるいは徳は波風を立てないよいイエス・マンたることに存すると考えているのであろうか?ファチマ・クルーセイダーは、それでもって聖ペトロ・ダミアノが彼の時代の教皇庁の高官たちを批判し非難した猛烈な雄弁に比較されるとき、小教区のブレティンのように穏やかである。彼は教会に対する彼の忠誠と愛のゆえにそのように精力的に教会を批判したのである。もし彼のしたことが悪かったならば、彼は聖人そして教会博士ではなかったであろう。聖アナタシウスは司教たちや教皇について非常に批判的であったので、教皇リベリウスによって破門されさえした。しかし聖人であり教会博士であるのはアタナシウスであって、リベリウスはそうではない。注2)

ファチマ・クルーセイダーがバチカン・モスクワ協定の政治的手段を公然と非難し、遺憾に思うのは教会と教皇に対する忠誠からである。この協定が体現しているなだめ、妥協そして屈服の政治学は神の教会の上にある絞首刑執行人の首吊り縄のようなものである。共産主義への屈服は進行中の東方政策の立案者であるカザロリ枢機卿の常軌を逸して恥ずべき言葉のうちに具体化されている:彼は「キューバ・カトリック教会とその霊的指導は常に社会主義(共産党)政体に対して何の問題も創り出さないように常に配慮している...カトリック教徒とキューバ人民一般は社会主義(共産党)政府とほんの少しの問題も持っていない。」と言っている。これは不誠実な嘘である。私自身、カトリック教徒の迫害と宗教的諸権利の抑制と制限がキューバにおいてどのように生じ続けているかを説明したキューバの司祭たちや高位聖職者たちのいろいろの談話に耳を傾けた。

教皇はわれわれの支持を必要としておられる

教皇はバチカン・モスクワ協定のこのくびきから教会を自由にするための彼の努力においてわれわれの支持を必要としておられる。ロシアを奉献するように教皇に請願を提出することによって、われわれは教皇に、彼がしようと望んでおられないことをするように圧力をかけようとしているのではない。教皇自身、彼がクラクフの司教であったときに、ロシアの奉献を遂行するように教皇パウロ六世に請願を提出された。教皇は教会の残りの司教たちと共にロシアの奉献を遂行することを非常に望んでおられる。

1980年には、Soul Magazine においてさえ、教皇が「十分な[数の]司教たちがそれを要求するときには共同的奉献をする気になっておられる」と報道された。不幸なことに、ブルー・アーミーの指導部は今はロシアを奉献するという教皇の望みが実現されることを妨げるために働いている。ファチマ・メッセージを生き、聖母が要求なさったロシアの奉献の実現のために努力するためにわれわれの力においてあらゆることをすることによって、われわれはバチカン・モスクワ協定の束縛から教会を自由にし、そしてロシアの回心とマリアの汚れなき御心の勝利をもたらす困難な仕事において教皇を援助し支持するわれわれの役割を果たすであろう。


1.すべての司教や枢機卿がバチカン・モスクワ協定に執着しているのではない。例えば、ラッツィンガー枢機卿、ロー枢機卿、オバンド枢機卿など。
2.もっと正確に言えば、教皇リベリウスは司教たちが聖アタナシウスに対して宣告した破門を承認した。


ファチマ・クルーセイダー

2013年07月30日 | Weblog

世界の奴隷化か、それとも平和か...それは教皇にかかっている

第 X 部(3)

聖母を沈黙させるための陰謀 -- 第II部

Father Paul Leonard 著

組織の中傷キャンペーンは悪化している

反「ファチマ・クルーセイダー」キャンペーンは単なるほのめかしで止まらなかった。あの組織のニュースレターの中で、彼らの記者たちの一人にとって、それ以上に文章を推敲することを拒否しながら、「ファチマ・クルーセイダーは過激派である」と書くことでは十分ではない。(おそらく、彼はそれが極端に客観的、信頼に満ちており、そして教導職に忠実であるということを意味しているのであろう。)彼は、そのまさにカトリック的な外見にもかかわらず、なお「あなたはその出版物を信用することができない」ということを強調している。彼はなぜ彼が正確にこの陳述をしているかを書きそこなっている。(おそらく彼は、あの組織の「党路線」を遂行しようとして真理を歪曲するためにはあなたはファチマ・クルーセイダーを信用することができないということを意味しているのであろう。)ある司祭は、あの組織の別の最近のニュースレターの中で、附加されたあの組織の記章と共に、「ファチマ・クルーセイダーは位階に対する叛逆と不信を永続化し、推奨している」という明白に名誉を毀損する主張を出した。

ファチマ・クルーセイダーは教皇と信仰を擁護する

実際は、ファチマ・クルーセイダーはまさにその反対のことを促進している:ファチマ・クルーセイダーは、彼らの教会の高位に関係なしに、教皇、教導職あるいは教会法に対して叛逆するすべての人に対する抵抗を奨励する。聖職者、あるいは司教でさえが教皇、あるいは神の律法あるいは教会に対して叛逆するとき、彼らに反対することは信徒の権利であるばかりでなく、また義務であるということは教会の普遍的かつ永続的な教えである。聖トマス・アクィナスは、司教たちはあらゆる事柄において従われるべきではないと説明している。というのは、司教たちの命令は時には神の律法に反することがあるからである。そしてそのような場合には、「人間たちに従うよりはむしろ神に従うことが必要である。」ある司教の命令は律法に直接に反することがあり得る。そのような場合には、臣下はより大きな権威に従わなければならない。さらに、臣下は「もし彼がそれにおいては臣下ではない事柄において命令を与えられるならば」彼の上長に従う義務はない(神学大全、2-2, 104.5)。

ガニョン枢機卿は誤った司教たちに抵抗するわれわれの権利を支持しておられる

教皇立家庭協議会の長であるガニョン枢機卿は The Wanderer における、よく知られている1983年インタビューの中で誤った司教たちに対する合法的な不同意と反対の主題に関して話された。この主題に関して、ガニョン枢機卿はこう言われた:「戦いの多くは、特定の歪曲が起こった場所、司教区や小教区において平信徒によって戦われてきた」と。そして彼は「小教区と司教区の水準で戦い、そして働く準備ができるように」グループや団体を勇気づけられた。

あの組織によって支持されたバチカン・モスクワ協定の裏切り

あの組織はどういうわけか、修正されるべき教会の諸問題についての筋の通った議論を提示することが悪いことであると示唆してきた。教会史と神学は両者とも、行政の諸問題においては、司教たちや枢機卿たち、そして教皇でさえ、誤りを犯し得るということを証明している。ファチマ・クルーセイダーは教皇ヨハネ・パウロ二世と共に、さらなる研究の下に、バチカン・モスクワ協定が霊魂たちの救いと教会の善に反するものであるということを見出した。

ファチマ・クルーセイダーはこのことを証明してきた。注1)しかしあの組織の編集者はハーミッシュ・フレイザーへの公刊された手紙およびグルーナー神父への手紙の中で、バチカン・モスクワ協定は教会にとってよいものであると述べた。ファチマ・クルーセイダーへのあの編集者の手紙を引用すればこうである:「あなたは、ニコディムとティッセラン枢機卿が最終的に戦闘的無神論にではなく、ファチマの聖母の約束に役立つであろう協定をしたということ、...ロシアが回心するということを確信することができる。」あの出版物の編集者は Approaches の編集者ハーミッシュ・フレイザーへのその手紙の中で、バチカン・モスクワ協定は秘密を保たれるべきであると明らかに暗示している。

盲目の従順は悪魔から来る

何人かの教会の高位聖職者への盲目的な従順という、しばしば言及されるその組織の明白な方針は単に教会の教えに反するばかりではない。それは一つの本質的に共産主義的な原理である。第二バチカン公会議は正当な教会の権威への「筋の通った従順」を規定している。あの組織は、ソビエト連邦の共産党のように、公式的な「党路線」からのいかなる意見の相違 -- その意見の相違がどれほど道理を弁えたものであろうと、権威の乱用がどれほど大きかろうと -- をも許容しない。あなたは重大な誤りに陥っている司教たちに決して反対してはならない、あるいはあなたは「公式的」でないいかなる声をも決して認めてはならないという考え方はそれに対応するものをレーニンの「すべての権力をソビエトへ」-- 他の何者をも認めるな -- という政策のうちに持っている。

マルクス主義の教義への親近性

彼らの知覚した敵対者たちに対して故意の誤報や中傷を広める、その組織の手の込んだそして玄人はだしの方法そして彼ら自身の「党路線」から逸脱するいかなる声をも沈黙させる諸々の企ては国家安全のためのソビエト委員会(K.G.B.)の実践に驚くほど類似している。私はここで、あの言及されている平信徒の団体が左翼の邪悪な勢力によって潜入され、乗っ取られた(そういう趣旨の嫌疑は正当化されるであろうけれども)ということを示唆しているのではないのであって、ただ単に彼らの方針や実践がキリスト教的諸原理のうちに何らかの基礎を示すことからほど遠く、マルクス主義的教義と、その組織をバチカン・モスクワ協定に基づけられた東方政策の効果的な道具へと変えた政治化への親近性を反映しているという事実を指摘しているにすぎない。

ロシアの回心はすでに始まったという一度ならず繰り返された彼らの提案した主張を支持するためにソビエト政府の長を引用し、そのことによってファチマ・メッセージの緊急性を小さくしている彼らをあなたが見出すとき驚いてはいけない。(彼らの出版物 1986年5月/6月号の p. 4 を見よ。)彼らはそのことによって同時に、モスクワが神とカトリック教会に対するその戦争をまさに止めようとしているということを示唆することによって、モスクワと共産党の「党路線」の巨大な欺瞞を永続化することを助けているのである。これは一つの明らかな虚言である。

ファチマの聖母はわれわれに、「ロシアは世界中にその諸々の誤謬を広めるでしょう」と警告なさった。あなたはファチマの聖母の名の下に[上述のことを]広める彼らを期待したであろうか?それは悪魔の絶妙な処置であろう。

共産主義者たちは似たようなグループを乗っ取ろうと試みた

ソビエト連邦においては、ロシア正教の教会は大いに、秘密警察の道具である。G.R.U.(ソビエト軍事諜報局)の大佐であるオレグ・ペンコフスキーは西側に逃亡した多くのK.G.B. 幹部たちがそうであったと同じように、彼の文書においてこの事実を確証した。アメリカ合衆国へ寝返ったソビエト外交官であり K.G.B. スパイであったアレクサンドル・サハロフ(反体制派のアンドレイ・サハロフではない)は、カシュノヴェツキー大司教自身が秘密情報員であったとということを明らかにした。彼の仕事はアフリカにおける聖職者をソビエト寄りの見解へと影響を与え、K.G.B. のために秘密情報員を勧誘することであった。アメリカ合衆国へ寝返ったK.G.B. 秘密情報幹部のセルゲイ・ミャコフ大尉は反共産主義組織および教会の組織の中に、それらを中立化し、それらをソビエト外交政策の道具へと変えるために、潜入するというK.G.B. の目的を単純に述べた秘密文書を作成した。

K.G.B.、ニコディムそしてあの組織

バチカン・モスクワ協定を促進し、擁護することにおいて、その組織は、それをソビエトの外交政策と一致させる方向へとその方針を指示した。すでに1971年に、あの組織はK.G.B. 秘密情報員と交際関係を持っていた。その年に、彼らの組織の国際会議への15人の国家代表のうちのただ1人だけがよく知られたソビエト秘密情報員のニコディムの招待に反対した。ニコディムがソビエト秘密情報員であったことは疑いを容れないところである。クレムリン警備局長を務め、後にウィーンにおけるソビエトスパイを監督した弁務官として務めたペーター・デリアビン少佐は、アメリカ合衆国に寝返った後に、「あらゆる司祭は秘密警察の情報員である。モスクワのロシア正教会における二流の高官でさえ秘密情報員である」ということを証言した。(Chronicle-Telegraph of Elyria. Ohio, July 20, 1961).ニコディムは、ソビエトにおいて、上に言及された二流の教会人であった主座大司教ニコライの助手として一年間務めた。ニコライの跡を継いだのは、助手として一年間務めた終りのニコディム大司教であった。ニコディムはその役職としてはそのとき異例の若さ、わずか31歳であった。彼はその地位にフルチショフによって据えられた。 

ニコライは、アソシエイテッド・プレスが1956年6月6日に報道したように、彼が「共産主義者たちに協力した」ということを否定したけれども、デリアビン少佐は、合衆国上院国内安全小委員会の前で(1959年5月5日)、K.G.B. の命令の下に彼自身が、彼らの秘密情報員ニコライに協力したということ、そしてウィーン平和会議へのソビエト代表団がウィーンへ到着しようとしていた時に、コヴァレフ大佐が彼に「代表団の世話をするように」という命令、そして「首座大司教ニコライは国家安全局の秘密情報員である」という電報を付託したと証言した。

明らかに、ニコライが暴露された後に、彼は交替させられたのである。ニコディムが彼の交代要員であった。ニコライと同様に、ニコディムは彼の代表団が海外で会議に出席した時には、ソビエトの高官たちによって援助された。ロシア正教会がニューデリーにおいて世界教会協議会へと受け容れられた時(1961年11月)、ニコディム代表団は、ロンドンの「デイリー・テレグラフ」の報道によれば(11月22日)、「彼らの快適さと彼らのすべての費用の責任を持つロシア政府秘密情報部員に伴われて」いた。

ニコディムはウクライナ・カトリック教会について嘘を言っている

ニコディムはまた、彼のソビエト政府の助言者たちによって命令された通りに共産主義のプロパガンダのラッパを吹き鳴らした熟達した嘘つきであった。ニューデリーでのある記者会見において、彼は次から次へと一つの嘘 -- ソビエト連邦の共産党の公式的な路線を反映したすべての証明された虚言 -- を繰り返した。その会見の中で、ニコディムはこう言った:「ソビエト社会主義連邦共和国の憲法によって保証された他の市民的諸自由と並んで、宗教的礼拝の完全な自由がU.S.S.R. のすべての人民によて享受されている。」

いわゆる「リュヴィヴの司教会議」が一方的にウクライナ・カトリック教会を廃止し、それをロシア正教会に統合した1946年以来、ウクライナにおけるカトリック教会は最も血なまぐさい迫害を苦しんできた。「あの司教会議にはカトリック司教たちは誰一人列席せず(彼らは全部投獄された)、そして信徒の大部分が反対したからして、ウクライナ・カトリック教会のローマとの一致は決して破られなかった。そしてこの教会の『モスクワの母なる教会』の懐への立ち戻りは決して起こらなかった。」(Alexis Ulysses Floridi S.J., Moscow and the Vatican, Ardis Publishers, 1986, p. 246.)

ニコディムはあの組織の編集者によって称賛されている

これらすべての事実にもかかわらず、しばしば言及される出版物を取り仕切っている編集者は、ハーミッシュ・フレイザーへの署名入りの公表された書簡の中で、こう書いている:「そしてニコディムは彼のソビエトの主人との非常にみごとなそして困難な路線を歩いた。彼らは彼がもう一人のトマス・モアであるかどうかを実際に知ることはできないであろう。しかし、彼はそうであった。」注2)

過度のお世辞を通り越して、あの編集者は、彼がソビエト秘密情報員ニコディムの精神を高揚させるような外見によって、その同じニコディムがあの組織の事務所を訪問した時に、どんなに深い感銘を与えられたかということを表明するところまで進んでいる。

スリピ(Slipyj)枢機卿の報告(1980年7月28日、ファチマ・クルーセイダー, No. 8, p. 24 を見よ)の中で、ウクライナ・カトリック教会の首座大司教は、10人の司教、1,400人以上の司祭、800人の修道女、そして数万人の信徒が「彼らの生命を犠牲にして教皇、使徒座そして普遍教会への彼らの忠誠の印を押した」、と宣言した。これらの事柄はニコディムが首座大司教であった間に起こった。

モスクワ大司教区とニコディムの外交関係部局の公式的な立場は、ソビエト連邦においてはどこでも誰の宗教的自由も侵害されなかったし、今も侵害されていない、そしてウクライナ・カトリック教会の血塗られた抑圧は U.S.S.R. の正教会の厳密に内部的な問題であるというものであった。

左方への漂流

その組織は現在、マーティン・シーンの映画「緊急事態の国」を奨励中である。中央アメリカそして急進左翼の司祭ダニエル・ベリガンについての左翼的なドキュメンタリーの語り手を務めたシーンは、彼の共産主義的な見解から回心しなかった。1985年9月に、シーンはロスアンジェルス、ノースリッジのカリフォルニア州立大学の「ティーチ・イン」において指導的な役割を担った。その中で、「彼は(共産主義的な)サンディニスタの指導者たちのことを称賛すること以外のことをしなかった」。彼らは、シーンに従えば、「人間的で、正しくそして民主的」である。(ロスアンジェルス・タイムズ、1985年9月20日)。それは、教皇ヨハネ・パウロ二世がニカラグアを訪問したときに、教皇を公的に侮辱したその同じ共産党政府である。ニカラグアの司教たちは、シーンが「人間的で、正しくそして民主的」と呼んでいる共産党政府による宗教的、市民的諸権利の抑圧に対して現在抗議しているところである。シーンの映画に対するその組織の職員たちの一般的な反応は、彼ら自身の出版物によれば、「熱狂的」だった。おそらく、クレムリンにいる人々もまた、あの見かけは無害な平信徒団体の着実な左方漂流について熱狂的であろう。

注 1.The Fatima Crusader issue No. 16, p. 9ff, 11, 12ff(see pages 263ff, 329ff, 301ff respectively, of this book); No. 17, p. 7ff, 11ff, 19ff(see pages 279ff, 294ff, 140ff respectively of this book).

2. See Approaches, Issue No. 88 Supplement "Postscript To Rome-Moscow Agreement".

3.Russel P. Moroziuk, Politics of a Church Union, (Church Herald, Chicago) 1983, p. 112.


ファチマ・クルーセイダー

2013年07月29日 | Weblog

世界の奴隷化か、それとも平和か...それは教皇にかかっている

第 X 部(2)

暴露された反ファチマの故意の誤報戦術

Father Paul Leonard 著

(聖母を沈黙させるための陰謀 -- 第I部)

祝せられたおとめがファチマで世界に宛てられたメッセージは、そのまさに本性と起源のゆえに、一つの非常に深刻な問題である。故意の誤報を通じてそれを誤り伝えることによって一つの無責任な仕方でそれを扱う者は誰も、その生き残りが聖母の要求の実現に依存している人類に対して大きな害を与えるばかりではなくて、もっと悪いことには、神の御母御自身に対する真面目さと尊敬の欠如を示すのである。それ自身、公衆に誤った情報を与えている罪がある、そのまさに目的がファチマのメッセージを広めることであり、聖母の要求の実現のために働く組織あるいは出版物は、二つの理由で公的な矯正を必要とする。

1.祝せられたおとめに対して犯された公的な不正を正すために。

2.彼らに宛てられた聖母のメッセージを故意に歪めた無責任な歪曲によって誤った情報を伝えられてきた公衆に知らせるために。

ややうぬぼれた、比較的小さな、しかし影響力を持ったファチマ志向の平信徒のある団体がかなり長い期間にわたってファチマの聖母のメッセージを曲げて伝え、歪める実践に関わってきたということは非常に不幸なことである。彼らはまだ、彼らがその実践を思いとどまる意図があるということを示す何らのことも為していない。特に、私がここで言っているのは、ファチマの聖母によって要求されたものとしてのロシアの奉献に関して、それをすでに為されたものとする彼らの方針である。同様にまた、私は、奉献は実際になされているという印象を造り出すために彼らが採用した破廉恥な手段のことも言っているのである。

ルチアへの無名の1982年インタビュー -- 無礼な悪ふざけ --

あの平信徒の団体 注1)(後には「組織」として言及される)の公式な発表の1982年7月8月号において、編集者は彼の読者たちに「シスター・ルチアとの独占インタビュー」であると偽って称する論考を提供した。それが公表された形式におけるその「インタビュー」の重大な諸欠陥はそれら自身で、その真正性を疑うための積極的な理由を十分に構成している。第一に、インタビューをした人物は身分を明かしていない。そしてその結果として、誰もインタビューをした人物に、彼がどのように、あるいはいつシスター・ルチアと個人的に話すことができたかを問うことができない。換言すれば、そのインタビューの真正性がそれによって検証され得るいかなる手段も絶対的に存在しないのである。そしてそれゆえ、無名のインタビューアーが決して知られなかったゆえに、それはそのままである。

そうだと主張されているインタビューにおいて、無名の質問者はシスター・ルチアに、「世界の司教たちと一致して教皇によってなされたものとしての(1982年5月13日の)この奉献は1929年6月13日に聖母の御出現に従ってわれらの主と聖母が要求なさっているものであったのか?」どうかと尋ねた。シスター・ルチアのそう主張されている答は:「はい、そうです。」さらなる質問:「われわれは、奉献が示唆されたようになされたかどうかを疑っていた。なぜなら、教皇は奉献そのものにおいてロシアに明白に言及されなかったからである。」そうだと主張されている答:「教皇様は全世界を奉献なさいました。そしてロシアは含まれています。そして教皇様はこの奉献を最も必要としている国々に言及なさったときにロシアのことを言っておられたのです。」

陳述はシスター・ルチアと矛盾する

確立されたそして検証された諸事実は疑問の余地なく、その「インタビュー」がまったく偽造のもの -- 無礼な悪ふざけ -- であるということを証明している。このことは、シスター・ルチアがそうだと主張されているインタビューの前に書いたすべてのことがその中で彼女が述べたと主張されていることと直接的に矛盾しているがゆえに、そうである。

シスター・ルチアは1929年6月13日の御出現において聖母が語られた言葉をこう書き留めた:「神が教皇に、世界のすべての司教たちと一致して、この手段によって世界を救うと約束なさりながら、ロシアを私の汚れなき御心に奉献するようにお求めになる時が来ました。」

彼女は1938年にゴンサルヴェス神父に与えたテキストにおいてこう書いた:「善き神は、もし教皇様が、イエズスのいとも聖なる御心とマリアの御心に、償いとロシアの奉献の荘厳かつ公的な行為をなさり、そしてカトリック世界のすべての司教たちによって為されるように命令されるならば、そしてもしこの迫害の終結の引き換えに教皇様が償いの信心(五回の初土曜日)の実践を承認し、推奨することを約束されるならば、ロシアにおける迫害を終わらせると約束なさっています。」

再び彼女は1936年5月18日の日付の手紙の中でこう書いた:「...ロシアの奉献を手にするためにもし強調することが相応しいならば、...私はわれらの主に、教皇が奉献をなさることなく、なぜロシアを回心させられないのですかと尋ねました。(われらの主はこうお答えになりました。)『それは、私の全教会がその奉献をマリアの汚れなき御心の勝利として認めることを私が求めているからである』と...」

1930年6月12日に彼女はこう書いている:「...もし教皇様が御自身で償いとロシアの奉献の荘厳な行為をなさるならば、...同様にカトリック世界のすべての司教様方に同じことをするように命令なさるならば。」

1982年3月21日に、シスター・ルチアはリスボン教皇使節、ポルタルピ大司教、レイリアの司教、そしてラセルダ博士の列席する中で、教皇は全世界の司教たちに、それぞれが彼自身の司教座聖堂で、教皇によって為された行為と同じ時間に、償いとイエズスとマリアのいとも聖なる御心へのロシアの奉献という公的、荘厳な行為をするように命令する日にちを選ばなければならないと断言した。(Fidelite Catholique, April 1983 を見よ。)

このように、1982年5月「インタビュー」以前のシスター・ルチアの陳述と書き物のすべては、(1)ロシアが奉献の特殊的な対象でなければならないということ、そして(2)この奉献は世界のすべての司教たちによって、同じ日に、それぞれの司教がそれを彼自身の司教座聖堂で荘厳、公的な儀式において遂行しながら、為されなければならないということを明白にそして曖昧さなしに述べている。

ルチア自身が後にインチキのインタビューとはっきりと矛盾している...彼女は沈黙の命令の下にあることを明らかにしている

1982年5月13日に続く時期に、さまざまの個人が、5月13日に教皇ヨハネ・パウロ二世によって為された世界の奉献の行為が実際、聖母の要求に一致したものであるかどうかについて彼女から聞くためにシスター・ルチアとの接見を求めた。シスター・ルチアが沈黙の命令の下にあったために、彼女は「勇気づけ、なだめ、希望的に聞こえるであろうありふれた意見」をいくつか述べることができたにすぎない。ピエール・カイヨン神父はこう述べている:「特に、一人のブラジルの弁護士、ブルー・アーミー・ブラジル代表がある日、ファチマにあるカルメル会に現れた...」彼は奉献についての彼女の非陳述の言葉から、至るところで人を誤り導いている、その奉献が為されたということを誤って推測した。

次の年、1983年3月19日に、ポルトガルにおける教皇の公式代理であるポルタルピ大司教は、1982年5月13日の教皇の奉献の行為についてシスター・ルチア自身が考えたことを厳密に確定するために特別にシスター・ルチアに会いに公式の職務としてコインブラに行った。そのインタビューは午後4時から6時半まで2時間半続いた。大司教は二人の有名な証人を伴っていた。ラセルダ博士とメシアス神父である。シスター・ルチアは公式に読まれ、そしてそれについて彼女がコメントした書面の陳述を用意していた。彼女は彼らにそのとき次のように語った:

(1)「ロシアの奉献は聖母が要求なさったようには、為されませんでした。そして(2)「私は聖座の許可を得ていなかったのでそう言うことができませんでした。」すなわち、彼女は沈黙の命令の下にあった(そして今もある)ということである。注2)

この公式の陳述において、彼女の以前の陳述のすべてに一致して、シスター・ルチアは、前に言及したインチキのインタビューにおいて彼女の無名の質問者によってその前の年に彼女に帰せられた言葉とはっきり矛盾している。さらに、彼女は従順の下に彼女に課せられた沈黙の厳格な命令に彼女が違反することなしに、そうだと主張されている陳述が彼女によって為されることはできなかったということにおいて、あのインタビューのいい加減な性格を明らかにしている。

シスター・ルチアのこの公式で、正式で、そして公的な陳述によって、Soul Magazine, July/August 1982 において公表された、そうだと主張されているインタビューがいかなる基礎も持たず、そしてまったく事実に反するものであるということは誰の目にもまったく明らかである。

インチキのインタビューは決して撤回されなかった

シスター・ルチアの上述の公式的な断言にもかかわらず、あの[インチキの]発表は後になってもなお彼らの1982年7月/8月号において公表した彼らの明らかにインチキのインタビューに言及する無分別な大胆さを持っていた。彼らはこのことを1983年5月/6月号、並びに1983年9月/10月号において行った。その組織は彼らの明らかに偽りの立場を擁護するために、少なくとも1984年初めまで、このインチキのインタビューを真正のものとして言及し続けた。その出版物の1983年5月/6月号においてわれわれは「シスター・ルチアは奉献はなされたと言った」と書かれているのを読む。

それに委ねられた霊魂たちを混乱させるために、その出版物は、奉献は為されたと強調し、しかしそれが「不十分」であったと示唆する、という手段を取った。「達成されるべき非常に重要な行為がなお残っている...この『最後の局面』は来ることができるであろう...」そして、「ロシアの奉献の最初のそして最も重要な局面が今やなされた。」「最初の局面」と「最後の局面」についてのこのすべてのナンセンスがその出版物の編集者の発明であることに注意しなさい。これらの概念はシスター・ルチアの言葉とファチマの聖母の言葉に矛盾している。聖母はかなりの長さの時間によって分けられた奉献の連続的な行為についてどこででも語っておられず、同じ日の一つの行為をはっきりと指定なさった:すなわち、それは「教皇」による、そして「それぞれが彼自身の司教座聖堂において、...教皇と同じ時間に[行う]、カトリック世界のすべての司教たちによる」ロシアの奉献の公的、荘厳な行為、である。

問題を明らかにするために

あの組織がこれらの諸々の誤謬と歪曲を広めることによって造り出した混乱を終わらせるために、ファチマ・クルーセイダーは、1983年5月に、なぜ奉献がなされなかったのかを正確に説明するシスター・ルチアの逐語的なテキストを公表した。シスター・ルチアの言葉を含む1982年7月18日の手紙にはこうある:「教皇様によって為された奉献は、聖母がそのように強調して要求なさったものではまだありませんでした。」これは上述の、前に引用した1936年5月18日付け、および1930年6月12日付けのテキストと共に現れた。1983年10月と1984年9月に、ファチマ・クルーセイダーはその中で彼女が奉献は為されなかったと明白に主張しているシスター・ルチアの検証され、真正のものと認められた書簡と公式的な断言とを再現した諸論考を公表した。*

* この書物の p. 159 以下を見よ。

しかしながら、その組織はその誤った立場から一歩も引き下がらなかった。誤りを犯したと認め、自らを正すよりはむしろ、その組織の1983年9月/10月号は p. 14 で、ロシアの奉献に関するその論考(1983年5月/6月号)によって現状のままであると公表した:それはこう言っている。「われわれは申し分のない情報の出所によって、この論考がこの主題に関するシスター・ルチア自身の考えを完全に反映しているということを今や知らされた。」そしてこれは、1982年5月のインチキのインタビューを明白に暴露しているシスター・ルチアの公式的な陳述の後である。彼らが、その1983年9月/10月号において1983年3月18日にシスター・ルチアによって述べられた公式の陳述に明らかに矛盾するこの虚言をそのように愚かにも印刷したことは信じがたいことであるが、しかしにもかかわらず、真である。これが単なる見落としあるいは間違いでないことは、その組織の出版物の1984年1月/3月号によって明らかとされた。p. 8 の論考「共同的奉献、然りか否か」は、「シスター・ルチアは共同的奉献が起こったと述べているものとして記録されている」と言いながら、1982年5月の偽のインタビューを引用している。

欺瞞に加えられた欺瞞

あの組織の出版物の1984年1月/3月号の中で、共同的奉献に関する同じ論考のうちに、われわれは一つの付加的なそして古典的な故意の誤報の一部を読む:「1946年の奉献の後に、彼女は...それはなお神が要求なさったものではなかった。われわれは1982年奉献の後にはシスター・ルチアからそのような陳述を聞かなかった。」これは明らかに事実に反する。シスター・ルチアは1983年3月19日に教皇代理に対して彼女の公式の陳述を提出した。その中で彼女は「ロシアの奉献は聖母が要求なさったようには、為されませんでした」とはっきり述べた。ファチマ・クルーセイダーは、1983年10月に非常に大きな活字で p. 3 にシスター・ルチアのこの陳述を公表するスペースを見出した。確かにあの組織はそれがそのように重要なものであり、そして情報に基づいているという振りをしながら、1984年1月までには1983年3月19日のシスター・ルチアの公式の陳述を受け取っていたのである。(最終的に3年後の1986年3月/4月号において彼らは公式的陳述のニュースを受け取っていたということを認めている。)

他の欺瞞と取り替えられた一つの欺瞞

あの組織は、その1986年3月/4月号の p. 8 において、シスター・ルチアが1983年3月19日に教皇使節(モンシニョール・サンテ・ポルタルピ)に、「1982年5月の教皇ヨハネ・パウロ二世の奉献は聖母の要求に従ったものではなかった」と語ったことを最終的に認めている。この承認がつい二三年前までは強く主張されていたインチキのインタビューを明白に撤回しないのだけれども、この陳述の明白な含意は、例のこの出版物の読者たちはあの当時誤り導かれていたのである。

この欺瞞が放棄されたのは、ただ1984年3月25日に起こったマリアの汚れなき御心への教皇ヨハネ・パウロ二世による世界の奉献のゆえにだけであると思われる。その奉献について、あの出版物は彼らの1986年3月/4月号の p. 22 において、「教皇は、1929年6月13日の御出現において要求されたように、マリアの汚れなき御心への奉献を、世界のすべての司教と一致して、なさった。」と明瞭に述べている。そのメッセージは、1982年の出来事についての以前の主張が事実に反し、そして詐欺の資料に基づいたものであったことは問題ではないということであると思われる。なぜなら、1984年の出来事が奉献を達成したから「というわけである]。

ルチアの公式的な陳述は1984年奉献に対する最新の主張に矛盾する

まず第一に、1984年に用いられた奉献のテキストは1982年5月13日の教皇の以前の奉献のテキストと実質的に同一であった。そのテキストに関して、シスター・ルチアは1983年3月19日に、ロシアの奉献は1982年には達成されなかった、なぜなら、ロシアが明白に奉献の対象ではなかったからであり、また、各々の司教が彼自身の司教座聖堂においてロシアの奉献の公的、荘厳な儀式を行わなかったからだと、公式に述べた。このように、シスター・ルチアの公式の陳述が彼らの以前の主張(1982年5月13日の行為はファチマの聖母の要求を満たしたという主張)は詐欺的なものであるということを認めることによって、あの「例の」出版物の編集者たちは、1984年奉献もまた、聖母の命令を遂行することに失敗したということを必然的に認めなければならないのである。

これは必然的にそうである。なぜなら、ロシアは明らかに、聖母によって要求されたようには、いずれの奉献の対象でもなかったからである。誠意のある一組織がどのようにして、聖母の要求を満たすのに十分でなかった1982年に用いられた同 じ言葉が1984年に繰り返されたとき十分だったと、主張することができるのか?

不幸なことに、あの出版物の編集者たちによって採用された矛盾する「二重思考」の態度は何ら新しいものではない。1972年に、あの出版物は奉献はなされなかったということを明らかにしている。1973年(1973年7月/8月、pp. 9-10)には、彼らはロシアの共同的奉献が第二バチカン公会議で(そこでは、その奉献においてどんなロシアへの言及もなされなかった)果たされたということを提案した。次に、1975年4月に、彼らは「ロシアの」共同的奉献のために教皇に請願を提出する署名キャンペーンを始めている。

「組織」によって採用された編集者たちが何年にもわたって偽りと歪曲の普及によって彼らの信用性を失ったということは十分に悪いことである。しかしその組織はその立場のしばしばの逆転によってその信用性をさらに堀り崩した。あの組織が、首尾一貫した立場を取るに十分な節度を示し、曖昧でない、事実的な態度において真理を普及している何らかのグループあるいは出版社の信用を落としたりあるいは沈黙させたりするあまり良心的でないキャンペーンに乗り出したのは、おそらくそれが根拠薄弱な前提の上に立っているということを理解してであろう。

補遺

ファチマ・クルーセイダーは、これまで単純に欺瞞や歪曲なしに諸事実を公表することによって、この組織の怒りを招いた。この組織は公然たる中傷発言を突然やめて、ファチマ・クルーセイダーがどういうわけか教会法上の合法性を欠いているという印象を創り出そうとしたように思われる。

混乱は西海岸における曖昧なグループに関連させることによって蒔かれた

1985年に二度、その組織は、ワシントン州スポケインに根拠地を持つファチマ・クルーセイダーズの一つの曖昧な、そして実践的に未知の分派的グループについての人目を引く警告を公表した。これらの警告の終りに、一つの後から思いついたこととして、一行の否認が、彼らは「カナダにおけるファチマ・クルーセイダーズ」には言及していないと注記した。しかしながら、「カナダにおけるグループ」は「ファチマ・クルーセイダーズ」と呼ばれていない。-- そのような組織は存在しない。「ファチマ・クルーセイダー」(単数形)、という雑誌は、国際ファチマ・ロザリオ十字軍およびナショナル・ピルグリム・ヴァージンの公式の出版物である。

再び彼らの最近号において、あの組織の出版物はこの種の歪曲の手続きに頼っている。ファチマ・クルーセイダーを非カトリックの諸組織に関係づけるこの欺瞞的な実践は、ファチマ・クルーセイダー(雑誌)がどういうわけか上述のスポケインのグループと関係を持っているという印象を創り出すための意図的な試みであると思われる。このことは、編集者たちが、ワシントン州のスポケインにおける分派的な組織がカナダにおける「ファチマ・クルーセイダーズ」とは区別されるべきであると巧妙にも強調し、一方でファチマ・クルーセイダーとあの分派的なグループとの間にはどんな関連も絶対にないという事実についてのすべての言及を巧妙に欠落させているということにおいて、明らかである。

いかなる「公式の」ファチマ使徒職もない

教会は平信徒あるいは司祭のいずれの団体の教会法上の承認をも要求しないからである。このように、「自己宣言した公式の」ファチマ・メッセージの担い手は、どの組織が合法的なものとして認められるべきかを宣言する法的権限を持っていないのである。

その司教の意見は少なくともその含意において、教会法とは折り合わない。教会法は、私的個人lは「聖職者あるいは平信徒、あるいは聖職者と平信徒が一緒であろうと、団体を構成する権利を持っている」(教会法 298-299)と明白に述べている。

換言すれば、彼らの故意の誤報によって創り出された偽りの印象にもかかわらず、カトリック教会の今日の実際の法律はファチマ・クルーセイダーおよび国際ファチマ・ロザリオ十字軍のために教会法上の承認を必要としないのである。

さらに、彼らの団体もまた教会の承認を必要とないし、また、彼らがそれを持っている振りをしているとしても、一つの「公式的な」教会法上の地位を持ってもいないのである。

彼らの組織がある場所において認められたという単なる事実は彼らに何らかの公式的な教会法上の地位を与えない。彼らは教会の名において語る何らの法的権威も持たない一平信徒団体にとどまる。この事実は、あの司教にあの平信徒の団体の長の地位を引き受ける許可をあたえる文書において適切に証明されている:その文書は1982年2月3日付けのものであり、教皇立平信徒協議会によって発布された。その文書は単に司教に対する許可であり、それはあの組織に何らかの地位を与えるものではない。

注 1.Soul Magazine はファチマの聖母のブルー・アーミーのアメリカ合衆国支部によって発行されている。

2. Approaches Supplement to Issue No. 82 "Fatima May 13, 1982 What Actually Happened". を見よ。また、Fidelite Catholique April 1983, The Fatima Crusader issue No. 13-14, p. 3 および issue No. 16, p. 22 をも見よ。この書物の p. 159 以下を見よ。


ファチマ・クルーセイダー

2013年07月28日 | Weblog

世界の奴隷化か、それとも平和か...それは教皇にかかっている

第 X 部(1)

バチカン・モスクワ協定がファチマの聖母のメッセージに及ぼした不幸な諸結果

ファチマ・メッセージにとって、霊魂たちの救いにとって、そして世界平和の理想にとって最も不幸なことに、バチカン・モスクワ協定はシスター・ルチアとファチマ・メッセージの重要な部分を沈黙させ、聖母が要求なさったロシアの奉献を遂行することから教皇と司教たちを妨害した。この第 X 部において提示された諸論考はこの損害の大きい協定から結果した諸結果を、それらがファチマ・メッセージに関係する限りで、検討している。これらの論考はまた、諸々のグループや個人が、教会においてさえ、どのように奉献をすることから教皇や司教たちを妨げようとしているかを知らしめる。

シスター・ルチアは沈黙させられた!

シスター・ルチアは沈黙させられた。そのことについては疑いはない。25年以上にわたって、シスター・ルチアはファチマの聖母のメッセージ全体を世界に告げることを許されてこなかった。ある人々はこのことをショッキングなことだと思い、他の人々はそれを信じない。彼らはどういうわけか真理を認めることは教会に対して忠実でないと考える。しかし疑いなくシスター・ルチアは沈黙させられている。

それでもなおシスター・ルチアが何人かの「高官たち」によって沈黙させられてきたということを疑う人々のために、われわれはただ次のような諸事実について思い出すだけで十分である。あるアメリカ合衆国の1982年7月・8月号の雑誌において、1982年5月にシスター・ルチアが、ロシアの奉献はファチマの聖母の要求に従ってなされたと述べた、と言い立てられた。この事実に反する話、この粗雑な悪ふざけ、注1)は世界中に報道され、多くの人々によって信じられた。このまったくの虚言を否定するためのシスター・ルチアの最初の公式的な機会は1983年3月19日になってはじめて彼女に与えられた。

その日にポルトガル教皇代理がコインブラへ行った。ポルタルピ大司教閣下がシスター・ルチアに特に会うために行ったのである。彼は二人の証人を一緒に伴った。シスター・ルチアは書面にした陳述を準備していた。シスター・ルチアが申し立てられた1982年5月インタビューの事実に反した上述の報道をそのときそこで否定したのはその歴史的な機会にであった。彼女はこう述べた:
 「ロシアの奉献は聖母が要求なさったようには、為されませんでした。」そして「私は、聖座の許可を得ていませんでしたので、そう言うことができませんでした。」
このように、全世界の平和がそれに依存しているこの重要な問題、すなわちロシアの奉献の問題において、全世界は9ヶ月の間誤り導かれた。なぜなら、シスター・ルチアは1982年8月から1983年3月まで話すことを許されなかったからである。彼女が沈黙させられたことは明らかである。彼女は今日までそのままにとどまっている。

ポルタルピ大司教との1983年3月19日のシスター・ルチアの議論の余地のないインタビューにもかかわらず、1986年5月の今日に至ってもなお、1982年5月の偽のインタビューが今なお善意の人々によって広く信じられている。この事実に反した報道 -- それはそれを公表した人々によって今日までまだ撤回されていない -- の結果として、ファチマの聖母の敵どもはロシアの奉献のために教皇に請願を出すことから信徒を引き留めることに成功してきた。

信徒は、もし彼らがシスター・ルチアが沈黙させられたことによって無知のうちにとどめおかれなかったならば、このこと[教皇への請願提出]をなしたであろう。真理が単純に世界に知らされてさえいれよかったのに。人々が、諸民族の絶滅は、もし教皇と司教たちが、ある特別の日に一緒に、マリアの汚れなき御心にロシアを奉献するときにのみ避けられ得るということを知っていればよかったのに。

信徒は、もし彼らがこれらの事実を知っていたならば、実際立ち上がり、そして教皇と司教たちが適切にロシアを奉献するために彼らの義務を果たすようにうやうやしく要求したであろう。

申し立てられている1982年5月インタビューの公表者たちが今なお彼らの事実に反する話を撤回しないでいることができるのは、シスター・ルチアが沈黙させられている(シスター・ルチアが選ばれた少数の人々に公式的な陳述をすることが許されている稀な機会を除いては)がゆえである。

これらの人々は同時に信用性の外見をファチマ情報の価値のある源泉として主張している。信徒の多くはこのようにしてシスター・ルチアが沈黙させられたことによって無知のうちにとどめられているのである。もっと悪いことは、これらの信徒が、シスター・ルチアが実際に考えていること、そして彼女の稀な公式の陳述において言っていることに関して積極的に誤り導かれ、欺かれていることである。

シスター・ルチアが沈黙させられているという事実による、誤報を広めるというこの実践は何年も前から始まった。それは25年以上も前に遡る。1957年12月26日のフエンテス神父に対してシスター・ルチアによって公式になされた一つの真正のインタビューがあった。

ファチマ・クルーセイダー、第19号 p. 3 において報告されたその真正のインタビューの間に、シスター・ルチアは「善人たち」と「悪人たち」の両方によるファチマ・メッセージの露骨な無視を論じた。彼女は、ファチマの聖母のメッセージを無視する結果として、どのように「多くの民族が地の面から消え去る」かを続けて語った。彼女は聖母の真に緊急の警告を無視するこの態度の結果として地獄に行くであろう数え切れない数の霊魂たちについて語った。

このインタビューの勇敢な公表の結果として、フエンテス神父は、シスター・ルチアが住んでいるコインブラの司教区のある匿名の当局者からのまったく相応しくない、前例のない迫害を受けた。この名無しの、顔のない、存在しない「当局者」は匿名で、その司教区の教区報に、どのようにして彼が知ったかを指摘することなしに、シスター・ルチアはフエンテス神父が報告したようなことは言わなかったと公表した。

法の諸原理と同様に、常識はわれわれに、匿名の当局者によってなされた陳述はいかなる真の権威ある価値も持たない、そしてこれはいくつかの理由でそうであるということを告げる。

まず第一に、もし、実際に、それが真実であり、そして彼がそれをどのようにして知っているのかを尋ねるならば、シスター・ルチアに関するこの上述の情報を持っていると申し立てている人物に尋ねることによってその真正性を確かめること、検証する道が何も存在しない。そのような陳述を検証するいかなる方法も存在しないから、そのような陳述をすることに対する責任を引き受けようとする者が誰もいないから、われわれは、そのような陳述がなされたことは決してないと結論することができるのである。

第二に、ある当局者がそのような陳述をしているという事実はそれを「公式の陳述」とするに十分ではない。なぜなら、もしある当局者が彼の命令あるいは陳述に対して公的に身元を確認されることによって責任を引き受けようとしないならば、そのとき、彼の陳述は実際無効であり、法においていかなる権威も持たないということは、市民法および教会法の両方に当てはまる自然法の原理であるからである。

1971年にファチマの司教のための公式の記録保管係となったアロンゾ神父は最初は、コインブラの司教館の「公式の」立場を採用した。しかしながら、彼もまた、その問題を深く研究した後には、1976年までにはフエンテス神父の擁護にまわった。

彼はそのときこう言った:「正義においてフエンテス神父に唯一帰し得るものである真正のテキストは私の意見ではコインブラの非難の通達を引き起こしたものを何一つ含んでいない。正反対に、それはキリスト教の人々を敬虔に教化するのに非常に適している教説を補強する。」1976年までに、アロンゾ神父はフエンテス神父もシスター・ルチアもこの真正のインタビューの報道によって世界を誤り導かなかったということを知っていた。

あるマリア組織は最近号において、シスター・ルチアの名において話す振りをしながら、彼女が、フエンテス神父に、神父が世界に報じたことを決して話さなかったと述べながら、コインブラの司教区の匿名の当局者に今なお言及する図々しさを持っている。シスター・ルチアに公式に、公的に質問することを、25年以上にわたって許されてこなかったし、次にその問題の真相が何であるかを公表することを許されてこなかった。もしシスター・ルチアが司教区の一人のスポークスマンにこのことを告げたのであれば、なぜ、25年後に、われわれは彼の身分証明を持っていないのであろうか?シスター・ルチアがそのような宣言をするために彼女自身で話すことが許されないのはなぜなのか?

われわれは、フエンテス神父の大司教が自分の司祭を公的に擁護していること、そしてメキシコの枢機卿でさえがシスター・ルチアとのフエンテス神父のインタビューの真実性を公的に擁護したということを知っている。

反対に公衆に押しつけられた誤報キャンペーンにもかかわらず、シスター・ルチアは少なくとも1960年までには第三の秘密を世界に明らかにするように聖母によって求められた。シスター・ルチアは聖母の命令を守ることを十分に望んでいるが、しかし許されなかった。1967年には、あるファチマ専門家に従えば、彼女は個人的に、教皇パウロ六世に、彼が秘密を世界に明らかにするように訴えたが、しかし教皇は拒否された。

悲しいかな、リスボンの大司教が個人的にシスター・ルチアに、1960年には秘密を世界に明らかにすると約束したにもかかわらず、彼はそうすることができなかった。というのは、そのテキストはある人々によってバチカンに移されていたからである。(ファチマ・クルーセイダー、第20号、p. 2 のフレール・ミッシェルの論考を見よ。)

シスター・ルチアが沈黙させられてきたのは、彼女が余りにもはっきりと話すからである。ファチマのメッセージが世界に十分に知られないのは、彼女が沈黙させられてきたからである。われわれの敵ども、そして神の敵どもが地の面を進み続けているのは彼女が沈黙させられ、聖母が従われてこなかったからである。
注 1. この書物の p. 369 以下を見よ。


ファチマ・クルーセイダー

2013年07月27日 | Weblog

世界の奴隷化か、それとも平和か...それは教皇にかかっている

第 IX 部(5)

教皇はバチカン・モスクワ協定から離れることを望んでおられる - しかしそれをなお放棄しないように強制されておられる

親愛なるイエズスとマリアの友人よ、

教会は戦闘状態にある。それは教会によって選ばれた戦争ではない。それはむしろ悪しき人々が教会を挑発するために選んだ戦争である。それは何よりもまずファチマの聖母と聖母に従う人々に対する悪魔とその追随者たちの戦いである。祝せられたおとめマリアは悪魔に勝利されることが定まっており、聖母は蛇の頭を砕かれるであろう。聖母の最終的な勝利は確保されている。「最後には、私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇は私にロシアを奉献するでしょう。ロシアは回心するでしょう。そして平和の一時期が世界に与えられるでしょう。」

共産主義の諸勢力との教会の戦いは教会 -- 新しいエルサレム -- が罪を避けるよう人々を促進し、育て、教えるという事実に基づいている。すなわち、罪、悪魔、悪魔の高慢な振る舞いと仕事、肉の欲望、そして罪の追求に身を捧げた人々との戦いである。教皇ヨハネ・パウロ二世はわれわれがマルキシズム、そして共産主義に対する戦闘状態にいることを知っておられる。彼は1986年に公表された彼の回勅の中ではっきりとそう言われた(適切な節のテキストのためにこの書物の p.350 以下を見よ)。

今日あるいは昨日に出発したのではなく、何年も前に出発した組織化された戦闘的無神論に対するこの戦闘に直面して、教会、すなわち、教皇、司教たち、司祭たちそして平信徒は、異なった選択肢 -- それは本質的に二つの選択肢に分けられる -- すなわち、戦うか、それとも戦うことを放棄するかのいずれか -- に直面する。他の選択肢があるように見えるが、しかしこれはただ見かけ上のことにすぎない。

まず何よりも、教会が一つの強力な敵に直面しているということを思い起こそう。悪魔のすべての諸勢力そして悪魔の追随者たちのすべての勢力が結局は様々の仕方でこの敵に彼らの支援を送っているのである。敵は国内的にもまた国際的にも力、影響力、金銭、政治的力を持っている。それは社会のあらゆる段階に強力な共鳴者たちを持っている。それは軍事力を持っている。それはそれをバックアップするための拷問と秘密警察を持っている。

物理的な力に対して -- 教会は何も持っていない。教会の財政力は共産主義体制が世界中に持っている数千万ドルに比較すれば無である。教会は今なお高く評価されている道徳的な声をもっている。しかし、これに対して、北アメリカにおける、また世界中の戦闘的無神論者たちはメディアの大部分の支配権を持っている。その結果、教会および教皇のメッセージは非常に明瞭には伝わらない。さらに、教会がその地盤を失い続けるようにその道徳的権威に対して隠微な攻撃が為されている。

世俗の権威の役割は神の律法を擁護すること、そして教会の、神から与えられた諸権利を守ることである。無神論者たちがロシアにおいて権力を握って以来、教会は、それをロシアの軍事力から護るために「自由な」西側に依存している。しかし1917年以来、そして特に1945年以後、-- 教会はロシアの鉄のカーテンの背後の羊の群を護るために西側に依存することができなかった。

実際、ソビエト支配の前進はますます続いている。今や、ニカラグア、アフガニスタン等々がある。15億人の人々が捕らわれた民族を解放する準備のある自由国家を持つことなく奴隷化されている。世界のおよそ三分の一がすでにソビエトの支配下にあり、そして世界の残りの部分も安全ではない。実際、われわれは非常に大きな危機に直面しているのである。ソビエトの人間たちがもっと多くの場所を間もなく支配下に置く準備ができているという証拠がある。

例えば、ニカラグアの共産党大臣トマス・ボルヘは、彼らがすべての中央アメリカ諸国を侵略する意図があるということを公的に述べた。そして、メキシコを含むそれらの諸国すべてを奴隷化した後に、彼らは数百万のアメリカ市民を殺すという公言された意図をもってアメリカ合衆国を侵略しようと意図している。そのような見通しに対して、共産主義ロシアは変化しているがゆえに、われわれは心配する必要はないのだという考えをもって自らを、そして彼らの追随者たちを欺いてきた人々がいた。ロシアは回心しつつある。そのようなナンセンスは新しいものではない。1950年代のおそらく敬虔なファチマ・サークルにおいてさえ、ロシアは残りのわれわれの世界的な奴隷化というその目的を放棄したのだと言う少数の無分別な楽観論者がいた。しかし、1960年以来、非常に多くの人々がソビエト・ロシアとその手先どもによって奴隷化され、拷問を受け、殺されてきた。多くの国々が全部奴隷化されてきた。

共産主義ベトナムに留まるよりは、生命を危険にさらして海へ逃げた(数千人もの多くの人々は海で死んだ)1970年代のベトナムのボート・ピープルの例を思い起こしなさい。その国の全人口の半分を殺した共産主義者の主人公たちによって1975年から1978年の3年間に殺された300万人のカンボジア人を思い起こしなさい。明らかにロシアと共産主義者たちは変わらなかった。しかしカトリック教徒やファチマを促進している振りをしている人々さえからのそのような宣伝はソビエトのプロパガンダ機構が当時いかに効果的であったかを示している。

ソビエト・ロシアが今日変化しなかったし、またその宣伝も変化しなかったということは今日もなお真である。この古い嘘を広めることに最近の号の多くのページを捧げているある「カトリック」雑誌が存在するという事実を1987年に観察しよう。にもかかわらず、戦争がアフガニスタンで荒れ狂っている。貧しいアフガニスタンの人々に対する拷問、残酷、殺人が衰えることなく続いている。共産主義ロシアによる主権国家アフガニスタンの軍事侵略は止まなかった。むしろそれは続いている。いかなる弁解も存在しない、ソビエト軍隊のいかなる撤退もない。犠牲者たちや難民のいかなる停止も存在しない。そして "Soul" magazine はロシアが回心しつつある、とわれわれに告げている!注1)ニカラグアにおいては、モスクワはそのサンディニスタの傀儡政権を通じて今なお教会と戦っている。軍事力、財政援助、国営テレビおよび新聞によって、サンディニスタ傀儡政権は新しい大衆教会を「創設する」ことによって教会を攻撃している。この戦略によって、共産主義者たちはカトリック教会を共産主義者たちの道具である傀儡教会と置き換えることによってカトリック教会を滅ぼそうと努力している。そこではサンディニスタは司教たちを怯えさせるために彼らを攻撃している。

サンディニスタは、ニカラグア・カトリック司教会議議長であるニカラグア人ヴェガ司教が1986年7月に強制国外退去させられた後、ニカラグアに戻ることを、1987年3月現在、許さなかった。もし主張されているロシアの回心が本当のものであったならば、そのときヴェガ司教は帰国することを許され、そして「大衆的」サンディニスタ教会は解散させられていたであろう。そのとき、現在ソビエトの刑務所にいるリトゥアニアや他の諸々の場所のカトリック司祭たちは釈放されたであろう。彼らは釈放されなかった。彼らは今も尚不当に刑を宣告され、そして苛酷に取り扱われている。

ウクライナにおいて、そこの東方典礼カトリック教徒はすべてソビエト人たちによる公共政策の問題としてひどい扱いを受けている。1946年リュヴィヴの偽の司教会議(ファチマ・クルーセイダー、第22号、p. 30*を見よ)とK.G.B.によって公式に認められたスパイロシア正教会を押しつけることによって、ロシア共産主義者たちは東方典礼カトリック教徒が彼らの信仰を実践しローマに忠誠であり続けることを非合法化した。

* この書物の p.347 を見よ。

彼らはこの偽の司教会議によって、もしあなたがウクライナにおいて東方典礼ならば、そのときあなたは分派的なロシア正教会へ行かなければならないと決定した。にもかかわらず、ロシア人たちは、ウクライナ人たちは彼らの宗教を実践する自由があると主張している。このことは今日までなお続いている。教皇はこのことを知っておられる。そしてロシア共産主義者たちによって押しつけられたこの偽の司教会議を公然と非難された。

教皇はこのすべての迫害を止めるために彼がファチマの聖母に従うべきであるということを知っておられる。しかし、彼はもっと多くの助けを必要としていることを感じておられる。彼はあなたたちの祈りとあなたたちの道徳的支持を必要としておられる。しかし教会が存在している大きな諸領土に対する共産主義者たちの力のゆえに、教皇はいかにひどく彼があなたの助けを必要としているかをあなたに知らせるために非常に声高に、明白にそして繰り返し声をあげることがおできにならないのである。

彼は今なお(全教会からの -- 特に「自由世界」と呼ばれているところに住んでいる地域における -- 十分な支持を彼が感じるまで)共産主義者たちと交渉することを強いられておられる。なぜなら、彼は鉄のカーテンの背後の人々を助けようとしておられるからである。モスクワとの交渉の諸項目の一つは、教皇と司教たちが共産主義の諸々の誤謬を公然と非難しないということである。

この沈黙は残りの人々を偽の安全において生活させている。なぜなら、見張り番(教皇と司教たち)は沈黙を守ることを強いられてきたからである。このようにして、共産主義者たちはずっとわれわれすべてを奴隷化しようと望んでいる。なぜなら、われわれの指導者たちの大部分は沈黙させられてきたからであり、羊の群はずっと、その沈黙がすべてがうまく行っている指標であると理解しながら、遅すぎるようになるまで彼らが陥っている危険を理解することなしに進んで行くだろうからである。

一方において、ソビエトのプロパガンダは沈黙していない。いわゆる「カトリック」諸新聞と諸雑誌は疑うことを知らない信徒の精神の中へそっと共産主義的諸観念を導入している。ソビエト人たちはプロパガンダ戦争に勝利することを望んでいる。 -- それによって、信徒はいつか目覚め、そして共産主義を歓迎するであろう。なぜなら、彼らは共産主義がキリスト教と両立可能であると信じるように導かれてきたからである、と。司教たちによって反対されない一方で、十分にしばしば繰り返されてきたそのような嘘は、すでに数百万の人々を誤り導いてきたし、またもしそれが続くならば、さらに数百万の人々を誤り導くであろう。

そのことは、アメリカ合衆国やカナダにおいてさえ起こっていることである。司教たちでさえがマルキシズムをあたかもそれが良いものであるかのように、促進しているのが見られる。他の人々はこのことを言わずに、教会の名声と金を共産主義運動に与えることによって共産主義を促進している。このことは教会の中に存在するようになったさまざまのグループを通じて為されている。(ファチマ・クルーセイダー、第19号、p. 7 におけるこのことに関するハーミッシュ・フレイザーの論考を見よ。)*

* この書物の p. 336 を見よ。

教皇と司教たちがロシアを奉献せよというイエズスの命令に従わないならば、もう間もなくわれわれは皆奴隷化されるであろう。そのとき、カトリック司教たちは、1931年にスペイン、リアンジョにおいてシスター・ルチアに与えられた恐るべき預言においてイエズスが指摘なさったように、投獄され、処刑されるであろう。

簡潔に言えば、そのとき、教会は戦うか、共産主義について沈黙を守るか、それとも戦いを放棄し、共産主義を受け容れるかのいずれかが可能である。もし教会が諦めるならば、われわれは皆共産主義者となり、カトリックであることを止めるであろう。

このことは共産主義を受け容れる教会の明白な結果であろう。この明白な結論に対して、教会は時の終わりまでとどまるであろうとイエズスが語られたがゆえに、共産主義ロシアの支配下に落ちる教会について心配する必要はないと暗示する人々がいる。これに対しては、われわれは、イエズスがまた、自分が戻って来る前に信仰からの大きな離脱があるであろうとも告げげられたということを指摘 しなければならない。

聖書は大棄教があるであろうとわれわれに告げている(1テサ2:11)。それゆえ、少数の人々が忠実なまま残り、そしてそれゆえに、最後の審判の日に、教会は実際時の終わりまで残るであろうという真理を証明する一方で、世界的なソビエトの抑圧下での大多数の人々にとっては、彼らは棄教し、そしてそれによって彼らの霊魂を失うであろう。

もし教会が沈黙することを選ぶならば、われわれはそのうちに皆、上に説明したように、共産主義者になるであろう。もし教会が共産主義と戦うならば、単に教会の貧弱な自然的手段でもって共産主義に反対することは十分ではない。教会は神の武具を用いなければならない。教会は神のこの計画に従わなければならない。

モーゼにとって旧約聖書における神の民の選ばれた指導者であることは十分ではなかった。彼と民とがエジプト軍の軍事力を逃れる前にモーゼは神を信じ、神に従わなければならなかった。彼は彼に要求された信仰と従順の単純な行為をしなければならなかった。彼は紅海の上に彼の手を伸べなければならなかった。教皇と司教たちはファチマのメッセージを通じて与えられ、聖母によって表明されたものとしてのイエズスの命令に従わなければならない。注2)

しかし、われわれはわれわれの役目を果たさなければならない。教皇は現在のところ、聖母が求めておられることをしようと望んでおられる。同時に彼はそれをまだできないと感じておられる。そうしているうちに、彼は共産主義と交渉しなければならないと感じ、そしてこのようにして必要なだけ繰り返し声をあげることができないのである。

このようにして、われわれは結局のところ彼の政策が最後には屈服へと導くということを見る。しかし彼は逃れるためのはかない望みを抱く。逃れるための神の摂理における一つの計画があると思われるであろう。

世界を救うその計画は天の平和計画:すなわち、ファチマの聖母のメッセージである。他のいかなる計画も働かないであろう。教皇が、すべての司教たちと一緒に、マリアの汚れなき御心にロシアを奉献されるとき、そのとき(そしてただそのときのみ)神は全世界に平和の一時期を与えられるであろう。絶え間なく祈ろう。そしてバチカン・モスクワ協定の拘束から教会を自由にするために教皇を援助し、ファチマの聖母の要求を満たすための努力を惜しまないようにしよう。

1."Soul Magazine" はこのことをさまざまの号において示唆した。例えば、1987年3月・4月号を見よ。
2.この書物の p. 90 以下を見よ。また第 V 部全体もまたこの点をさらに説明している。


ファチマ・クルーセイダー

2013年07月26日 | Weblog

世界の奴隷化か、それとも平和か...それは教皇にかかっている

第 IX 部(4)

教皇が今なおバチカン・モスクワ協定を守っていない1986年のしるし:
マルキシズムは教会に対して戦争をしかけている

教皇ヨハネ・パウロ二世は1962年バチカン・モスクワ協定が教会にとって悪しきものであるということを理解された。共産主義者たちは今なお教会を迫害し、協定を守ってこなかった。教皇ヨハネ・パウロ二世は1984年2月から3月にかけて繰り返し、リトゥアニア、ロシアおよびアルバニアにおけるカトリック教徒の迫害を非難された。1984年9月には共産主義体制一般を鋭く批判した解放神学に関する文書が教皇ヨハネ・パウロ二世の明白な命令で公表された。1985年には、教皇ヨハネ・パウロ二世はウクライナカトリック司教たちに対する彼の講話の中で、彼らが今なおソビエト・ロシアの下で迫害を受けているという彼らの結論に同意された。1986年5月には、ほとんど25年の間で始めて、教皇は回勅 "Dominum et Vivificantem" の中で共産主義に反対して書かれた。ここに鍵となる節がある:

「不幸なことに、聖パウロが人間の心の中に起こっている内的、主観的次元における緊張、闘争および反逆として強調している聖霊に対する抵抗が歴史のあらゆる時期に、そして特に現代の時期にその外的な次元を見出している。それは文化および文明の内容として、哲学大系、イデオロギー、行動のため、および人間の行動の形成のための計画として具体的な形を取っている。それは、思想体系として、その理論的形式において、そして諸事実を解釈し評価する方法として、また同様にそれに相応する行動の計画として、その実践的形式において、その両方の形式における唯物論のうちにその最も明白な表現に達している。思想、イデオロギーおよび実践のこの形式を最も発展させそしてその極端な実践的諸結果へともたらしたその体系は、今なおマルキシズムの本質的な核として認められている弁証法的歴史的唯物論である。

原理において、そして事実において、唯物論は世界における、そしてとりわけ人間における霊であられる神の現存と行動とを徹底的に排除する。基本的にこのことは、本質的にそして体系的に無神論的である体系であるものとして神の存在を受け入れないがゆえである。これはわれわれの時代の際だった現象である。すなわち、それは無神論であり、第二バチカン公会議はそれにかなりのページを捧げた。(242)。

(マルクス主義者たちの)この解釈に従えば、宗教を社会から、そして人間のまさに心から取り除くためには、宗教は、時と所の諸状況に従った最も適切な手段と方法をもって戦われるべき、一種の『観念論的幻想』としてのみ理解され得るということが帰結する。

それゆえに、唯物論は、聖パウロによって『肉の欲は霊に反する』という言葉で非難されたあの『抵抗』と反対の体系的、論理的な発展であると言い得る。しかし、聖パウロが彼の金言の第二の部分において強調しているように、この対立は相互的である:すなわち、『霊の欲求は肉に反する』。霊の救いの働きを受け入れそれに従って、霊によって生きようと望む者は、反宗教的『唯物論』としてのそのイデオロギー的および歴史的表現においてもまた、『肉』の内的および外的な傾向と主張を拒否せざるを得ないのである。」

編集者注:

バチカン・モスクワ協定が今なお(少なくとも部分的に)効力を持っているということを指摘している記事は1987年にフランスの Arnaud De Lassus によって書かれた一節である。この論考の翻訳 "A Sign in the Heavens, Fatima" は1988年5月に Apropos No. 3 によってスコットランドで公表された。

1984年以来、聖座のいくつかの文書はマルキシズムのイデオロギーを強く批判してきた。特に1984年8月6日に信仰教義聖省によって発行された解放神学のいくつかの局面に関する教えはそうである。しかしそれらのうちのどれ一つ、ピオ十一世およびピオ十二世によってこのことが表明されてきたようには共産主義体制の非難を更新しなかった。両教皇の批判は、1955年のクリスマス・メッセージにおける教皇ピオ十二世の次の陳述によって要約され得る:「われわれはキリストの教えによって社会組織としての共産主義を拒否する。」


ファチマ・クルーセイダー

2013年07月25日 | Weblog

世界の奴隷化か、それとも平和か...それは教皇にかかっている

第 IX 部(3)

ウクライナのカトリック司教たちはロシア共産主義者の迫害に抗議する

1980年11月25日から12月1日までローマにおけるウクライナ・カトリック司教会議の間に、司教会議は1946年のいわゆる「リュヴィヴ司教会議」(1971年にロシア正教会によって正式に裁可された)の教会法上の無効性と違法性を正式に宣言した。ロシア正教会は一方的にウクライナ・カトリック教会を廃止し、そしてそれをロシア正教会へ統合した。司教会議はその宣言を次のように述べた:

神なる救世主は御自分が創設なさった教会に、聖ペトロの後継者、教皇の指導と警戒の下に、使徒たちの後継者、司教たちによって教会に固有のすべての問題が共同的に解決されることを許す一つの組織的な権限を委ねられた。

ウクライナ・カトリック教会はローマの使徒の司教座との一致を更新する決定をした1956年にブレスト・リトヴスクに集まった司教たちの会議においてこの原理に従った。そしてウクライナ・カトリック教会はこの聖なる一致を、すべてのウクライナの司教たちが彼らの主教たちと共にそれに加わった数十年後に完全に達成されるものと考えている。

それゆえに、1946年リュヴィヴ(レオポリ)においてソビエト政府当局からの強制の下に数人のウクライナの司祭たちの発議で召集された会議(司教会議ではない) -- そしてその会議は自らを「司教会議」と宣言した -- はいかなる仕方においてもわれわれの教会の合法的な司教会議であることはできないし、また決してそうではなかったのである。なぜなら、それ(その会議)はウクライナ司教たちがそれに参加することを妨げたからである。聖職者と平信徒の何人かのメンバーの列席はどのキリスト教会においてもそのような「司教会議」の法的正当性のためには十分ではない。さらに、大多数のメンバーはわれわれの教会とわれわれの人民の敵どもによって参加することを強制された。

ローマの聖なる使徒座は、1946年のその回勅 "Orientales Omnes" および同様に1952年12月15日の彼の荘厳な宣言において教皇ピオ十二世から、そして1979年3月19日、および1980年2月5日の文書においてヨハネ・パウロ二世から、ウクライナ・カトリック教会が法と事実において存在するということをすべての人に知らせた。そしてまたウクライナの司祭たちに対して犯された権力の乱用を非難した。そしてこの理由のために、その歴史的偽りを強調しながら、「1946年リュヴィヴ司教会議」の教会法上の正当性 canonicity は無効であると宣言した。

ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世の承認もって召集され、われわれの教会の父であり長であるリュヴィヴ大司教およびキエフ・ハリクの首都大司教ヨゼフと彼の未来の後継者補佐大司教ミロスラフの周りに集まったわれわれ、ウクライナの司教たちは、この宣言と共に、在俗および修道会所属の聖職者のすべてのメンバーたち、ウクライナの信徒および外国に散らばっているすべての信徒に、それによってわれわれの教会がローマの使徒座との聖なる一致を廃止された[とされる]司教会議が決して開催されなかったこと、そして1946年のいわゆる「リュヴィヴの司教会議」なるものは、ペトロの後継者、ローマ教皇、地上におけるキリストのその長であり、代理者たる、キリストの神秘体、普遍的教会の忠実なメンバーであり続けているわれわれウクライナ教会とは何らの共通するものも持たなかったし、また現在も持っていないということを周知させるものである。


「聖と俗」雑感(185)

2013年07月23日 | Weblog

 「聖(sacer,sacra, sacrum; sanctus,a,um)と俗(saecularis,lis,e)」雑感(185)

 2011年06月10日および12日の2回にわたり、「胎児の人権宣言」と「人工妊娠中絶=殺人」に関する記事を載せましたが、そのことを教えてくださった同じ方から今回また刑法第29条「堕胎の罪」について教えていただきました。

   このところ陰惨な殺人事件がニュースになっていますが、そのことに気を取られて、母親の胎内に宿ったまだ生まれない胎児の殺人が見過ごされることのないようにしたいものです。以下に刑法第29条を記します。

刑法

第29章 堕胎の罪


(堕胎)

第212条 妊娠中の女子が薬物を用い、又はその他の方法により、堕胎したときは、1年以下の懲役に処する。

(同意堕胎及び同致死傷)

第213条 女子の嘱託を受け、又はその承諾を得て堕胎させた者は、2年以下の懲役に処する。よって女子を死傷させた者は、3月以上5年以下の懲役に処する。

(業務上堕胎及び同致死傷)

第214条 医師、助産師、薬剤師又は医薬品販売業者が女子の嘱託を受け、又はその承諾を得て堕胎させたときは、3月以上5年以下の懲役に処する。よって女子を死傷させたときは、6月以上7年以下の懲役に処する。

《改正》平13法153

(不同意堕胎)

第215条 女子の嘱託を受けないで、又はその承諾を得ないで堕胎させた者は、6月以上7年以下の懲役に処する。

2 前項の罪の未遂は、罰する。

(不同意堕胎致死傷)

第216条 前条の罪を犯し、よって女子を死傷させた者は、傷害の罪と比較して、重い刑により処断する。


ファチマ・クルーセイダー

2013年07月22日 | Weblog

世界の奴隷化か、それとも平和か...それは教皇にかかっている

第 IX 部(2)

ファチマの聖母が従われていない理由:教皇ヨハネ・パウロ二世は司教たちの公然たる反乱を恐れておられる

Hamish Fraser 著

多くの人々はこう尋ねる、「なぜ教皇ヨハネ・パウロ二世はすべてのカトリック司教たちと一緒に荘厳、公的な仕方でマリアの汚れなき御心にロシアを奉献しなさいというファチマの聖母の非常に緊急のそして本質的な命令に未だに従っておられないのか?」と。雑誌 "Approaches" の編集者であり、カトリック教会における現代の諸問題に関係するものとしての共産主義に関して国際的に認められた専門家であるハーミッシュ・フレイザー氏はこの問いに答えた。フレイザー氏は現代の諸事件および最近の歴史の光に照らしてなぜ教皇がすべてのカトリック司教たちにロシアを奉献するように命令する彼の義務を果たすことができる前に非常に並々ならぬ恩寵を得るためにわれわれの祈りを必要としておられるかを説明している。

多くの司教たちが今や共産党に鼓舞された諸々の運動や集団を支持している現代の状況に導いたのは第二バチカン公会議が共産主義を公然と非難することを怠ったからである。司教たち自身の正義と平和委員会が共産党の諸戦線を積極的に促進している。これらの司教の多くは反共産主義的であるいかなる集団あるいは個人にも反対している。

ファチマの聖母のメッセージはそのような誤り導かれた司教たちのこれらの行動や態度を公然と非難している。

しかしながら、司教たちは逆に、彼らの諸々の誤謬から回心するよりはむしろファチマの聖母に反対するであろう。それゆえ、教皇はほとんど不可能な状況に直面しておられるのである。しかし、教皇とすべてのカトリック司教たちによるロシアの奉献は教会と世界が直面している多くの問題に対する唯一の真の解決である。教皇はこれらの事実に直面して並々ならぬ勇気を必要としておられる。教皇はわれわれの祈りをこれまでよりももっと多く必要としておられる。

シンポジウムにおけるハーミッシュ・フレイザーの演説のテキストが以下に続く。

メッセージの本質

ファチマの聖母のメッセージの本質は1917年7月13日に聖母によってはっきりと説明された。そのとき聖母はこう仰った。「最後に私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇は私にロシアを奉献されるでしょう。ロシアは回心するでしょう。そして平和の一時期が世界に与えられるでしょう」と。

次に1929年6月13日に、シスター・ルチアに従えば、「聖母はそれから私にこう言われました。『神が教皇に、世界の司教たちと一致して私の汚れなき御心へのロシアの奉献をするように命じられる時が来ました。』

さらに、どんな疑いをも取り除くために、1982年5月13日のファチマでの教皇の奉献の行為の後に、二人の有名なポルトガル人神学者に伴われたリスボン教皇使節の列席の中でインタビューを受けたとき、シスター・ルチアはファチマの聖母によって要求された奉献は次のようなものでなければならないとということを強調した:

(1)ロシアの、マリアの汚れなき御心への[奉献]

(2)完全に共同的な[奉献]、それは彼女の説明によれば、各々の司教が彼自身の司教座聖堂においてロシアの奉献の荘厳な儀式を取り決めることが要求されているということを意味する 注1)

教皇の認識

少なくとも一つの事柄に関しては可能的な疑いの余地は何一つ無い。すなわち、それはマリアの汚れなき御心へのロシアの共同的奉献の必要性についての教皇の認識である。なぜなら、(1982年5月13日からそうであるように)すでに2年の間に教皇は三回マリアの汚れなき御心に世界を奉献されたからである。そして三度目の機会(1984年3月25日)に、教皇は奉献の行為を行う際に司教たちに彼と共に共同的に加わるよう要求された。

さらに、それぞれの機会に、教皇は自分が聖母によって要求された奉献がまだ為されていないということを理解していると指摘された。

私はまた、臨時司教会議 *の終わりを特徴づけるために汚れなき御宿りの祝日(1985年12月8日)になおもう一つの奉献の行為が期待されるであろうという情報を得ている。

* 教皇ヨハネ・パウロ二世は1985年12月8日に司教会議の閉幕に当たって再びマリアの汚れなき御心に世界を奉献された。これは彼の三つの同じような奉献の行為と同様に世界のすべての司教たちと共に荘厳、公的な仕方でロシアを特殊的に奉献するようにというファチマの聖母の命令を満たしていなかった。

それゆえに、誰にも、マリアの汚れなき御心へのロシアの共同的奉献は教皇の頭の中にはまったくなかったと言わせてはならないのである。

なぜこれまで奉献がなされなかったのか?

一方においてマリアの汚れなき御心へのロシアの共同的奉献についての教皇の心配、そして他方において1984年3月25日のマリアの汚れなき御心への世界の奉献への司教たちの参加への教皇の要求によって引き起こされた恥ずべき敵意 注2)を考慮に入れると、一つの事柄が特にこれまでマリアの汚れなき御心にロシアを共同的に奉献することにおいて彼に加わるように普遍教会の司教たちに命令することから教皇を妨げてきたということが道徳的な確実さをもって、推論され得る。すなわち、それは、そうすることが形式的な分裂を引き起こすという教皇の恐れ、である。その恐れはもちろん、実質的な司教たちの分裂がすでに世界のさまざまの地域において広まっているという彼の理解に根づいているのである。注3)

そのことについては、より詳しく後に述べよう。同時にわれわれは、司教たちが共同性についての概念に取りつかれているときに、天の元后が、教皇と一緒に彼らがマリアの汚れなき御心にロシアを共同的に奉献することを要求なさったということを思い起こさせられることよりも彼らの多くの者の怒りをかきたてるものは何も無かったという余りに重大な事実に注目した。

なぜ司教たちはファチマを嫌うのか

そのように多くの司教たちが、ファチマのメッセージが言及されるときにいつでもなぜまったく文字通りかっとなるのか、そのいくつかの理由がある。

(1)共産主義は「本質的に悪しきもの」である。

まず第一に、ファチマの聖母が、彼女の要求が聞き入れられないならば、ロシアは世界中にその諸々の誤謬(すなわち、共産主義の諸々の誤謬)を広めるであろうということを明らかになさったという事実がある。教会が「本質的に悪しきもの」であるとして定義したのは、南アフリカのボタ氏の誤謬、フィリピンのマルコス大統領の誤謬、ニカラグアの「コントラ」の誤謬、チリのピノチェト将軍の誤謬、あるいはレーガン大統領の誤謬、正義と平和のための司教委員会の大多数のお化けたちの誤謬ではなくて、共産主義によって支配されたロシアの諸々の誤謬である。

換言すれば、ファチマがなぜそのように多くの司教たちにとって我慢できないか、そしてなぜ彼らがまた強く教皇の権威に憤慨するのか、その第一の理由は第二バチカン公会議以前には諸教皇が首尾一貫して共産主義を「本質的に悪しきもの」として非難してきたのに、第二バチカン公会議以後たいていの司教会議が今や「本質的に悪しきもの」であるのは共産主義ではなくて、いかなる形あるいは形式においてであれ反共産主義であるという仮定において行動しているように見えるからである。

司教たちの態度のこの変化はなぜ第二バチカン公会議から始まったのであろうか?それはなによりもまず、ロシア正教会のオブザーバーたちが第二バチカン公会議に送られるならば、共産主義は公会議において議論されないであろうということをクレムリンに保証したローマ・モスクワ協定のゆえである。またそれは議論されなかった。公会議に出席した教父たちの一角からの要求にもかかわらず、第二バチカン公会議はこれまで諸教皇の一貫した教えであったもの:すなわち、共産主義は「本質的に悪しきもの」であるということを再び断言することさえ許されなかった。

公会議の後に、共産主義が合法のものとなったと言い張ること、そして公会議の名においてそうすることが可能となったのはこの犯罪的な脱落のゆえである。この犯罪的な脱落は、なぜカトリック教徒たちと共産主義者たちの提携を主張すること、そして単純に「キリスト教的」偽装における革命的マルクス主義である「解放神学」を採用することさえ可能とした理由である。

簡単に言えば、もしそのように多くの司教たちがファチマの聖母のメッセージを憎むとすれば、それはロシアの諸々の誤謬へのその論及が実質的にすべての司教団によって承認された「正義と平和委員会」そしてまたCAFOD(イギリス)、SCIAF(スコットランド)、Trocaire(アイルランド)そしてCCFD(フランス)のような諸カトリック「発展局」の政策を非難しているからである。注4)なぜなら、これらの組織は今日、公会議以前の教会の決定された反対に対してそのような苦痛を発生させることになった一種の「国民戦線」のための基礎をもつ「革命」を準備しているからである。キリスト教徒たち、特にカトリック教徒たちを動員することによっていたるところで転覆を促進している「国民戦線」は革命的な運動を支持して、しかし特に、モスクワがその帝国主義的野心を抱くために不安定にしようと決定しているフィリッピン、南アフリカそして中央アメリカのような地域においてそうである。

(2)ファチマは新しいカテキズムを非難している

ファチマがなぜそのように多くの司教たちをかっとさせているか、その第二の理由は、司教たちによって承認された多くのカテキズムのテキストにおいて、地獄がほとんど言及されさえしていず、また確かに非常に重大なものとして考えられていないのに対して、ファチマの聖母は三人の若い幻視者たちに地獄の最も恐るべき幻視を与えることを必要だと考えられたということである。

(3)ファチマは性教育を非難している

同様に、慎みと純潔の必要性並びに避妊の重大な罪を強調している回勅 "Humanae Vitae" および "Familiaris Consortio" の両方を無視しながら、多くの司教たちが、彼らが責任を負っているカトリック学校において、そのあるものがポルノすれすれの、非常に問題の多い形式の「性教育」を課してきたのに対して、ファチマの聖母は、教会の道徳的教説への厳格な忠実の必要性、そして、三人の幻視者たちのうちの最も年下のヤチンタに「大部分の霊魂を地獄に導くのは肉の罪です」注5)と告げられながら、特に慎みと純潔の必要性を強調された。ヤチンタ自身が後に報告したように、「神の御母は貞潔の誓いに縛られたより多くの処女の霊魂を求めておられる。慎みを欠く女性に禍いあれ」注6)。

教皇使節による裏切り、等々

完全にあからさまに言えば、もしこれまで教皇が天の元后の要求を果たすことが可能であると見出されなかったのは、彼が、公会議後の教皇使節や使徒的代表たちによって追求されてきた諸政策の結果として彼が今やただ名においてだけカトリックである近代主義者の司教たちの主人役に満足しなければならないということを理解しているからである。

その理由のために、教皇が今やファチマの聖母の要求を満たすことができるただ一つの手段だけが存在する。彼は、そうすることを彼らが拒否する出来事におて直ちに職を辞するという苦痛においてマリアの汚れなき御心へロシアを共同的に奉献する際に彼に加わるようにすべての司教たちに命令することを要求されるであろう。

最後の決断の必要性

しかしながら、司教たちをファチマの聖母の要求に応じるようにさせることからまったく離れて、反抗的な司教たちに対する何らかのそのような最後的決断は母なる教会におけるカトリック秩序の回復を始めるためにさえ不可欠である。なぜなら、事態がそうであるように、教皇が言われることが何であれ、それは多かれ少なかれ完全に無視されているからである。ある若い司祭(彼はおそらく彼の司教の精神を単に敷衍しているにすぎなかった)の次の言葉において、私はそのことを知っている:「教皇は誰も何の注意も払わない多くの無意味なことを喋りながら世界中を廻っている単に愚かな老人に過ぎない。」と。

そのような司祭たち、そのような司教たちは教皇が単に言っているに過ぎない何事をも真面目に受け取ろうとしないのである。教皇の権威は、ただ教皇が、ちょうど敵の面前で裏切りのために免職にされた将校が彼の連隊の前で公的に名誉を剥奪されるように劇的に、少なくとも一人の名声のある反抗的な高位聖職者の聖職を剥奪する時にのみそのような人々に通じるであろう。

ああ、悲しいかな!今や普遍教会を通じて広まっている不信のムードを考慮に入れると、個人的に名声のある高位聖職者を聖職から辞任させることによって、あるいはマリアの汚れなき御心にロシアを奉献するに際して彼に共同的に加わるように彼らに命令することによってかの何れかで、司教たちとの決着をつけるために、教皇の側でのまったく並はずれた道徳的勇気が要求されるであろう。、

実際、現在、第二バチカン公会議の後に、存在しているほどに教皇の権威の行使に対して偏見を持っているような状況に、かつていずれかの教皇が歴史において、直面したことがあったかどうか、疑わしい。確かに、現在の状況を十分に理解している人は誰でも教皇を非難する、あるいは何らかの仕方で見くびるほどに愚かな者はいないであろう。なぜなら、今までのところ彼はカトリックの秩序を回復するために明らかに必要であることをすることが可能であるとは見なかったからである。

そしてこのことはそのような行動が明らかに必要であるという事実にもかかわらず、そうなのである。それはなさねばならないことである。なぜなら、実質的な分裂が長く許容されればされるほど、それだけ司教たちは手に負えないものとなるからである。というのも、日毎に彼らは彼らの菓子を持って、それを食べることにますます貪欲に習慣づけられるようになっているからである。すなわち、彼らは形式的な分裂の不利を何ら持つことなく、実質的な分裂の有利な点を持っているからである。

さらに、実質的な分裂(重大な問題における教皇への不従順)が長く続けば続くほど、それだけ形式的分裂の出来事において彼らと共に彼らの群れを連れて行くことができる司教たちの見込みは大きくなる。

しかしながら、一つの決断が必要であるという事実はそれを実際に行うことを容易にするものではない。乗組員あるいは乗客の残りの側での明らかな反対なしに、ほとんどすでに船が岩にぶつかろうとしている時に、彼の船をハイジャックした彼の航海士たちの何人かを懲戒する必要に直面した船長の類似した立場を考えてみよ。

そのような状況の下では、船を -- この場合にはペトロの船を -- 敵の手に陥ることから妨げるために必要なことをすることは人間的に見て不可能であろう。

そのような状況下では、ただ神からの並はずれた恩寵だけが、厳密に言って、彼の義務であることをすることをさえ一人の人間に可能とすることができる。またこのことは決してただ教皇についてのみ真であるのはない。そのことは、英雄的行為、英雄的聖性さえ、が唯一卑怯の確信に代わるものである時に、ほとんど確実な死を意味する何かあることをするように命令された下級の兵士たちや警察官のような人間の最も地位の低い者たちにさえしばしば起こるのである。

教皇のために祈る必要性

だからこそ、教皇を批判するのではなくて、彼が人間的には不可能であると思うことをする恩寵を得ることができるように教皇のために祈ることがそのように必要なのである。そのことはまさにファチマの聖母がわれわれにするように望んでおられることである。

なぜなら、シスター・ルチアは、神はマリアの汚れなき御心へのロシアの共同的奉献の恩寵を、ただ十分な数のわれわれが、なかんずく、われわれの生活状態に適切な諸義務を果たすという償いをするということを強調しているファチマのメッセージに応ずる時にのみ、許されるであろうと警告したからである。しかし人の生活状態がどんなものであれ、絶えず教皇のために祈ることなしに、真にカトリック的であることはまったく不可能である。

そしてわれわれ自身のために...

しかしながら、教皇のために祈るわれわれの義務であることからまったく離れて、われわれは、もしわれわれがわれわれの文明の未来について関心があるならば、すなわち、もしわれわれがわれわれの子どもたち、そしてわれわれの子どもたちの子どもたちについて関心があるならば、、そうする以外のいかなる選択肢も持たないのである。なぜなら、ロシアがファチマの聖母によって要求されたようにマリアの汚れなき御心に共同的に奉献されないならば、そしてこのようにして遅すぎない前に[ロシアが]回心しないならば、ファチマの聖母がわれわれに警告なさったように、われわれは人間の歴史において前例のない破壊的な懲罰を経験することを期待することになるであろうからである。その懲罰は、胎児の見境のない大虐殺と現在の不自然のそのように恥ずべき伝染病 -- その両方とも現代の自由放任の社会に由来する -- のゆえに、単に[その懲罰に]値するだけではなく、実際長い間、[その懲罰の]機が熟しているのである。

軍縮討議とサミット会議の空しさ

われわれの司教たちの多くの者によって提案された一方的軍縮を通じて可能である平和、あるいはどれだけ多くの「サミット会議」でのクレムリンとの対話の結果としての平和、についていかなる幻想もあってはならない。なぜなら、共産主義は、全世界がひとたび共産主義によって征服されたときに共産主義が「平和」と呼ぶものが存在するだろうから、「資本主義的帝国主義」から「解放」されなければならないと彼らが主張する非共産主義世界に戦争 -- 階級戦争 -- をすることを誓っているからである。だからこそ、共産主義的展望においては、戦争は平和への道なのであり、共産主義的慣用句においては「平和」は「戦争」を意味するのである。

奉献だけが唯一の救済策

そして、ロシアが回心するまではそのようであり続けるだろう。なぜなら、そのときにのみ、ロシアは破壊と野蛮な攻撃の道具であることを止めるであろうからである。そのときにのみ、キリスト教的使徒職の原動力となることによって、ロシアは、代わりに、世界における平和のための主要な力となるであろうからである。しかしこのことは、ロシアがマリアの汚れなき御心に共同的に奉献されることを前提とする。そのことは、教皇がこれが要求する超自然的な力を持つ時にのみ、可能となるであろう。だからこそ、われわれは教皇のために祈らなければならないのである。

1."Fatima May 13, 1982 What Actually Happened?"  The Fatima Crusader , Issue 16, p. 22. See p. 159 of this book.
2.Cf. "March 25, 1984 Consecration in retrospect", Supplement to Approaches No. 85.
3.Cardinal Gagnon Report,  The Fatima Crusader ,Issue 15, p. 15.
4."Comite Catholique Contre La Faim Et Pour Le Developpement" i.e. The "Catholic Committee Against Hunger and for Development."
5."Fatima: The Great Sign" by Francis Johnston, Tan Books and Publishers, p. 5.
6."Fatima: The Great Sign", p. 84.


ファチマ・クルーセイダー

2013年07月21日 | Weblog

世界の奴隷化か、それとも平和か...それは教皇にかかっている

第 IX 部(1)

数人の教会人たちが教皇に反対している一方で、教皇はバチカン・モスクワ協定から離れておられる

カトリック位階の諸々の地位内部で、そしてローマ教皇庁において進行している闘争がある。カザロリ枢機卿のようなある人々は、教会がバチカン・モスクワ協定を尊重し続けることを欲している。ウォイティラ枢機卿としてかつて、共産主義者たちと交渉することは不可能であると言われた教皇は教会をその協定から逸らそうと試みておられる。ソビエトの人間たちは結局のところレーニン主義者である。そして次のように書いたのはレーニンであった。「嘘は神聖である。そして欺瞞はわれわれの主要な武器であるだろう」また、「必要なのは、敵対者を確信させることではなく、彼の地位を打ち砕くこと、敵対者の誤謬を正すことではなく、彼を破滅させること、地の面から彼の組織を拭い去ることである」と。カザロリ枢機卿は、レーニンの諸原理に従って働いている共産主義諸政府とわれわれは交渉することができるし、また交渉しなければならないという原理に従って教会の政策を命令している。

この第 IX 部において提示された諸論考は教会の政策を、破滅を招くその協定から逸らせる仕事において教皇を助けようと努力している位階の高位にある人々がいるが、一方で同時に教皇に抵抗している高位にいる裏切り者たちも存在するということを示している。

変化のしるし:教皇ヨハネ・パウロ二世はカトリック者を迫害している廉で共産主義政権を公然と非難しておられる

教皇はバチカン・モスクワ協定が悪しきものであるということを理解しておられる。彼は教会を迫害しているゆえに共産主義諸政権を非難することによってこの協定から既に個人的に離れて行き始められた。さらに、信仰教義聖省長官、ラッツィンガー枢機卿は教皇からの命令の下に、解放神学の名の下に偽装した共産主義の諸々の誤謬の公然の非難を公式に発表した。彼は、さらに、同じ公式の文書において15億人の人々のロシア共産主義による奴隷化を公然と非難した。彼はそれを「われわれの時代の恥辱」と呼んだ。

リトゥアニアにおける状況

リトゥアニアは厳しい迫害にもかかわらずその人口の大部分がなおカトリックである一つの国である。全人口がわずか317万8千人であるその国には254万2千人のカトリック教徒がいる。ロシア共産主義による教会の迫害はイエズス・キリストの教会に大きな犠牲を払わせる原因となった。リトゥアニアには共産党政府の前には今よりももっと多くのカトリック教徒がいた。リトゥアニアには1940年にはおよそ287万5千人のカトリック教徒がいた。1965年までに権力の座にある共産主義者たちは875人の司祭を国外追放にし、他の230人以上の司祭がリトゥアニアを離れるよう強いられた。1956年にはすでに、リトゥアニアの共産党支配の始まり以来700人の司祭と700人の修道士や修道女がシベリアへ強制送還された。

リトゥアニアは今日なお厳しい宗教弾圧を経験している。修道院や神学校は共産主義者たちによって閉鎖された。カトリック新聞と宗教教育計画は禁止されている。カトリック教会はイエズス・キリストによって創設されている。そしてその成員たちはカトリック信仰を実践し、信仰告白し、公然と教える神から与えられた、奪うことのできない権利を持っている。にもかかわらず、サタンは、彼の人間的代理者である共産主義者たちを通じて、共産党支配下にあるリトゥアニアおよび他のヨーロッパ諸国におけるわれわれのカトリックの兄弟たちや姉妹たちを迫害しているのである。

教皇ヨハネ・パウロ二世は1984年初めに声をあげておられる

教皇はリトゥアニア、アルバニアおよびロシアにおける教会に関して公的な声明を出された。イタリア南部の港町、バリへの2月26日の訪問に際して、教皇はアルバニアおよびソビエト連邦における教会の状況を公然と非難された。

バリでは、カトリック信仰が迫害にもかかわらずロシアにおいてなお存在していると述べる一方で、教皇はこう言われた:「私の思いは、人間人格の基本的権利である彼らの信仰を公然と表明することができないアルバニアにいるわれわれの兄弟姉妹たちにさえ拡がる」と。

教皇ヨハネ・パウロ二世は3月3日-4日、リトゥアニアおよびポーランドの守護聖人である聖カジミール死去500年記念祭を祝うバチカンの儀式の間にリトゥアニアのために祈られた。

その話の中で、教皇はリトゥアニア系の人々にリトゥアニアにいる人々のために祈り、彼らの宗教的および文化的伝統を「注意深く保つ」ように促された。

聖カジミールの「純粋さと祈りの生活は、あなたの信仰を勇気と熱意をもって実践し、近代の自由放任的な社会の欺瞞的な魅力を拒絶し、恐れのない信頼と喜びをもってあなたの確信を生きるように招いている」と教皇は3月3日にリトゥアニアの千人の人々に言われた。

リトゥアニアにおける宗教的状況は危機的な段階に達しているであろう。最近懲役刑を受けた二人のリトゥアニア人司祭の釈放を要求する13万人以上のカトリック教徒の署名のある請願がソビエト当局に提出された。

バチカン・ラジオは請願署名者たちは罰金刑を受け、そしてソビエト司法大臣は署名を集めた人々を逮捕し起訴すると脅しながら、テレビに出た、と報じた。

その司祭たちは「ソビエト共和国を誹謗した」と宣告された。彼らは、自分たちは宗教の自由を保障しているソビエト憲法およびヘルシンキ協約の違反における乱用、信徒の諸権利に対するソビエト当局による乱用に対して単に声を挙げたに過ぎないと主張した。

教皇は彼らの国が第二次世界大戦の間にソビエト連邦に併合されて以来、宗教的迫害を知ってきたリトゥアニアにおけるカトリック教徒の苦境を思い起こされた。

「あなたたちの祖先がどのように彼らの血を流してさえそれを保ち、守ったかということを思い起こしながら、あなたたちが受けたキリスト教信仰の賜物を述べ伝えることに堅固でありなさい。そして神に熱心な嘆願をし、彼らを聖カジミールの配慮に委ねることによってリトゥアニアに住んでいる人々を援助しなさい。」