けれど(Credo)

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ファチマ・クルーセイダー

2014年03月25日 | Weblog

聖マキシミリアノ・コルベ VIII

The Fatima Crusader, Issue 21: Oct.-Nov. 1986より

ステファノ・マネッリ神父、O.F.M., Conv., S.T.D.

1982年10月10日、聖ペトロ大聖堂で福者マキシミリアノ・マリア・コルベ(Maximilian Mary Kolbe, O.F.M., Conventual)は彼の最も傑出している英雄的徳のために列聖された。マキシミリアノ・コルベ神父が、彼がほとんど知らなかった一人の不当に断罪された仲間の囚人に代わって死ぬために自由に身を捧げた後に、アウシュヴィッツのナチスの監獄キャンプにおいて殉教したのはちょうど41年前であった。教皇ヨハネ・パウロ2世は彼を「われわれの困難な世紀の保護者」と宣言された。われわれは、神がわれわれの時代に深い信仰、英雄的な愛そして特に聖母に対する計り知れない愛の模範としてお上げになった聖マキシミリアノをもっと多くの人々に知ることを可能にするこの論考を公表するのが嬉しい。この聖人の聖性への鍵はわれわれの母なるマリアへの彼のますます大きくなる愛である。聖マキシミリアノは神の御母に対する彼の愛に何の制限も設けなかった。そして実践において、彼はその生涯の間一つの驚くべきマリア使徒職において実を結んだ強烈な祈りの生活によって聖母に対する彼の壮大な献身を示した。そして彼は人々をイエズスとマリアのより大なる知識と愛へと連れて行くためにマス・メディアを用いる彼のマリア使徒職を天国から導き続けている。

多くの召命

その間に汚れなきおとめは聖マキシミリアノのためにもう一つのより大きな奇跡を働いておられた。

聖母をすべての人のところへお連れし、聖母を地上における戦闘の教会においてすべての心の女王とする夢は聖母のために完全に奉献された霊魂たちなしには真実のものとなることはできないであろう。もし汚れなき聖母の騎士が繁栄すべきであるならば、エネルギーと愛をもった新しい手と心がその完全な発展へとそれを前進させるために必要である。

実際、この「夢」--彼が始めた他の馬鹿げた冒険と同じと思われた--はすばやいそして際だった仕方で実現へ向かって動いた。

汚れなきおとめに対する聖マキシミリアノの大きな愛は宗教的召命を産み出すようになった。彼はこう言った。「人々にとって汚れなき聖母にふさわしい者であるために、彼らの霊魂は奉献されていなければならない。汚れなき御母の仕事は商業的な企てでははない。それは無限にそのすべてのもの以上である。」

彼らの仕事において完全な沈黙のうちにそして祈りの精神に浸されて印刷機のところで忙しくしている修道士たちを見ることはフランシスコ会修道会の歴史において初めてであったに違いない。聖フランシスコは修道会の女王の栄光のために努力を傾けている彼自身の修道士たちを見て喜ばずにはいられなかったであろう。

さまざまの年齢や条件の男たちが次々にやって来ていた。彼らの到来は一つの新しい問題をもたらした。すなわち、滞在するために彼らのために十分な部屋を見つけることそして彼らの仕事を提供することである。古い修道院には放棄されていたすべての部屋が再びまるまる使われた。しかし召命の数は、雑誌の発行数やミリティアの会員--今や10万人を越えた--と同様に、なお増加した。

それゆえ次に聖マキシミリアノが夢見ていたもう一つの冒険が始まった。それは彼の大きな愛のすべての夢の中でも最も美しい夢であった。それは完全な都市、「汚れなき聖母の都」の創設であった。

都市の場所

聖マキシミリアノは直ちにこのマリアの本拠地を始めるために適当な場所を探し始めた。彼はそれがワルシャワからそう遠くないところであることを望んだ。このことは彼の出版物の輸送や郵送を容易にするであろうから。

彼は探しに出かけた。そしてテレシン(Teresin)に広大な区画の土地を見つけた。それはドゥルッキ-ルベッキ(Drucki-Lubecki)王子の地所だった。マキシミリアノは王子と会う手はずを決め、そして彼がその土地に彼の印刷工場と汚れなき聖母の修道士-騎士のための住居を建てることができるかどうかを尋ねた。王子はその修道士に好印象を持った。そして彼が要求したすべてのことを、一つの条件の下で、すなわち、マキシミリアノが彼に彼、王子の両親のために年に2回のミサを永久的に捧げてくれることを保証するという条件の下に、喜んで許した。

マキシミリアノは彼の上長たちからミサのための取り決めを得ることを約束した。その間に、大いに喜んで彼はテレシンへ行った。そして他の何よりも先に汚れなきおとめの美しい像を建てた。なぜなら、彼がその場所を所有するようになったのは聖母の利益に奉仕するためだったからである。

つづく


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