「されば汝ら、かく祈るべし。天にましますわれらの父よ、願わくは、み名の聖とせられんことを、み国の来らんことを、み旨の天に行なわるるごとく地にも
行なわれんことを。われらの日用の糧を今日われらに与え給え。われらが、おのれに負債(おいめ)ある人を許すごとく、われらの負債をも許し給え。われらを
試みに引き給うことなく、かえって悪より救い給え、アーメン。」(マテオ6:9-13)
どちりなきりしたん:御代きたりたまへ。此こころはあくじとつみをのがれ、でうすとその御子ぜずきりしとよりげんぜ(現世)にをひてはがらさ(Graca=聖寵、恩寵)ごしやう(後生)にをひてはごらうりや(Gloria=栄光、光栄)をもてわれらをしんだい(進退)したまへといふぎなり。
Adveniat regnum tuum: み国、御代と言われている regnum tuum は kingdom of heaven 天国のことである。洗者聖ヨハネが荒野で「汝ら改心せよ、天国は近づけり」(マテオ3:2)と叫び、キリストが真福八端の一つとして「幸いなるかな、心の 貧しき人、天国は彼らのものなればなり」(マテオ5:3)と言われた天国である。そのみ国、御代が来ますように祈れとぱあてるのすてるの第二の部分はわれ われに告げているのである。われわれはこの世でさまざまのものを願い求めるが、キリストは「汝らも何をか食い、何をか飲まんと求むることなかれ、また大望 を起こすことなかれ、けだし世の異邦人は、このいっさいのものを求むれども、汝らの父は汝らのこれを要するを知り給えばなり。されは、まず神の国と、その 義とを求めよ、さらばいっさいのものは汝らに加えらるべし」と諭された。
神の国とはこの世にあってわれわれが悪と罪から解放されるために必要ながらさ・恩寵を豊かに受けて神的生命のうちに生きられる世界であり、死して天国において神のごらうりや・光栄が完成される世界である。凱旋の教会 Ecclesia triumphans (天国)に入るためにわれわれはこの地上では悪・罪と戦う教会 Ecclesia militans の一員でなければならい。
どちりなきりしたん:御代きたりたまへ。此こころはあくじとつみをのがれ、でうすとその御子ぜずきりしとよりげんぜ(現世)にをひてはがらさ(Graca=聖寵、恩寵)ごしやう(後生)にをひてはごらうりや(Gloria=栄光、光栄)をもてわれらをしんだい(進退)したまへといふぎなり。
Adveniat regnum tuum: み国、御代と言われている regnum tuum は kingdom of heaven 天国のことである。洗者聖ヨハネが荒野で「汝ら改心せよ、天国は近づけり」(マテオ3:2)と叫び、キリストが真福八端の一つとして「幸いなるかな、心の 貧しき人、天国は彼らのものなればなり」(マテオ5:3)と言われた天国である。そのみ国、御代が来ますように祈れとぱあてるのすてるの第二の部分はわれ われに告げているのである。われわれはこの世でさまざまのものを願い求めるが、キリストは「汝らも何をか食い、何をか飲まんと求むることなかれ、また大望 を起こすことなかれ、けだし世の異邦人は、このいっさいのものを求むれども、汝らの父は汝らのこれを要するを知り給えばなり。されは、まず神の国と、その 義とを求めよ、さらばいっさいのものは汝らに加えらるべし」と諭された。
神の国とはこの世にあってわれわれが悪と罪から解放されるために必要ながらさ・恩寵を豊かに受けて神的生命のうちに生きられる世界であり、死して天国において神のごらうりや・光栄が完成される世界である。凱旋の教会 Ecclesia triumphans (天国)に入るためにわれわれはこの地上では悪・罪と戦う教会 Ecclesia militans の一員でなければならい。