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百歳に向かってもう一度歩いて世界一周

平成7年1月1日より歩いて世界一周に挑戦して居ますので引き続き続けますのでご照覧あれ!

慶び重なる体育の日

2013年10月14日 18時15分13秒 | 祝日

 朝はかなり冷え込んで、行き逢う人は皆、【冷え込みましたネ!】と挨拶を交わしたが、陽が上がるに従って体育の日を祝福する爽やかな快晴となる

 朝食の後、思い立って志賀高原の紅葉見物を提案、賛成を得て、そそくさと出発。途中、燃料計を見て心配となり、山ノ内でガソリンを入れる。妻に財布あるかと聞くと、探していたが、「忘れて来た」と言うではないか。財布を見ると、4千円しかない。大声出してガソリンストップ。いくら?と聞くと【4185円】との事。滑り込みセーフといったところ。ガソリン代は払ったが、これから先、買い物は一切出来ない勘定にガッカリ。

 道の駅も素通りして琵琶池の駐車場で一休み。妻が車から降りると、尻の下から財布が出て来た。それからルンルン気分でドライブ。及位(のぞき)で一服。何処の駐車場も満杯。横手に登る「動く道路も隙間なく満杯で動いてる。肝心の紅葉は、ナナカマドの葉は霜にやられたのだろう落ちて赤い実ばかり。赤が少ないせいか、あまり引き立たない風景。食堂で美味い物をと、要望されたが、愛犬のダイちゃんの道連れで入れない。車の洪水を見たまま引き返す。でも妻は久し振りの遠出に満足して呉れた。

            
                      及位(のぞき)

 夕飯の支度をしていると、茅ケ崎から電話が入る。【今日は私の誕生日。60歳になりました!」と。百合ちゃんからだ。【えっ!】と思わず絶叫!我が子が還暦!60歳。これから子供と孫たちに囲まれて誕生日を祝って貰うのだという。娘だ!娘だと思って居たが、いつの間にか「御婆ちゃんに」なってしまった。我が家に居る長女の「真理ちゃん」もそう言えば62歳か。次女の百合ちゃんが60歳。三女の「千里クン」が54歳だという。親バカチャンリン。娘の誕生日を忘れてるんだから。でも御目出度いことには変わりがない。

 6時到着予定で風呂を沸かして待っていたが、3連休の最後の日。大混雑で2時間遅れ。8時到着。パパとママのご帰還と思いきや、孫の「貴ちゃん」が曾孫の【絢音】(絢ね)ちゃんを連れての里帰り。これまた番狂わせなおメデタ。

 目出度、メデタの若松さまヨ!枝も栄えて 葉も茂る!!

     百歳に向かってもう一度歩いて世界一周 10月13日(日) 晴れ

 

日 数「日」

総歩数(歩)

総距離(m)

平均歩数(歩)

今  日

     1   

17,915

12,541

 

今  月

14

261,456

183,019

18,875

今  年

248

4,139,374

2,897,562

16,691

2005年から

3,179

45,458,098

31,820,669

14,299

70歳の誕生日から

6,711

 

127,408,229

 

89,185,760 

 

18,985

 

北大西洋グリーンランド島コィアネホープからカナダ ヘブロンに向かって後 977,515


春分の日

2013年03月20日 11時33分54秒 | 祝日

 歩 い て 世 界 一 周  3月20日 (水) 晴れ 

 

日 数「日」

総歩数(歩)

総距離(m)

平均歩数(歩)

今  日

        1 

17,952

12,566

 

今  月

20

347、918

243,509

17,394

今  年

79

1,329、637

930,746

16,831

2005年から

3,010

42,648,356

29,853,849

14,169

70歳の誕生日から

6,542

124,598,492

87,218,844

19,046

イツ・オランダ、ベルギー.、フランス.イギリスを経てアイスランドのレイキャビックに向かう、後 89,014m

 今日は春分の日。彼岸のお中日だ。昔は春季皇霊祭だった。「暑さ寒さも彼岸まで」と言って、冬の余寒は春分ころまで、夏の残暑は秋分ころまでで、平均気温で言うと、だいたいは当てはまるようだ。

 きょう、太陽は真東から昇り、真西に沈む。、「昼と夜の長さが同じ日」と学校で習った記憶がある。しかしこれは本当なのだろうか?信毎の3月20日の「こよみ」には日の出は5時51分、日の入りは17時59分と記載されているから、昼の長さは12時間08分。昼の方が16分も長い計算だ。

天文門学者はこう言っている。

 これは、太陽の日の入りと日の出の定義によるのだ。
日の出は「太陽の上の縁が地平線に接した瞬間」、日の入りは「太陽の上の縁が地平線に沈んで見えなくなった瞬間」と定義されているからだ。太陽の中心と定義されていないため、日の出の時刻は太陽の半径分だけ早く、日の入りの時刻は太陽の半径分だけ遅い。合わせると太陽1個分だけ昼の方が長くなる。

もう一つは、地球の大気のしわざだ。
地平線付近にある太陽からの光は、大気中を通って私たちの目に届く間に屈折する。実際は地平線よりも下に太陽があるのに、光が曲がって目に届くため、地平線の上に浮き上がっているように見える。つまり、日の出のときは地平線の下にあるときから見かけの太陽が見えていて、日の入りのときは地平線の下に沈んでいるのに見かけの太陽がまだ見えているという現象が起こっているのだ。浮き上がって見えるのはだいたい太陽1個分ほどなので、日の出と日の入りのときを合わせて太陽2個分ほど昼が長くなるというわけだ。

この2つの理由から、春分・秋分の日は、昼の方が夜よりも太陽3個分ほど長くなる。実際に昼と夜の長さが同じになる日は、春分・秋分の日よりもそれぞれ4日ほど冬至側にずれた日になるとのこと。今年の場合は3月17日頃だったらのかも?

◎ 昔、春季皇霊祭と云って居た頃は何処の家にも国旗がはためいていたが、今日街の中で日の丸が出て居たのは1軒しかなかった。また春分の日は真西に陽が沈むことから、彼岸といって墓参りをしたり、牡丹餅を作って仏壇に供えたものだが、わが家では今年はそれも省略された。

 


建国記念の日

2013年02月11日 17時37分00秒 | 祝日

 

 歩 い て 世 界 一 周  2月11(日月) 雪

 

日 数「日」

総歩数(歩)

総距離(m)

平均歩数(歩)

今  日

        1 

16,140

11,298

 

今  月

11

183,855

128,699

16,714

今  年

42

694,400

486,080

16,533

2005年から

2,973

41,013,119

29,407,183

14,132

70歳の誕生日から

6,505

123,963,255

86,774,279

19,057

イツ・オランダ、ベルギー.、フランス.イギリスを経てアイスランドのレイキャビックに向かう、後 533,680m

今日は建国の日、昔は紀元節。昔は小学校で「雲に聳ゆる 高千穂の 高根おろしに草も木も なびきふしけん 大御世を 仰ぐ今日こそ たのしけれ」と歌い紀元節を祝って、紅白の饅頭を貰って帰った。街には何処の家にも日の丸の旗が立てられていて日本に生まれた誇で楽しい一日だった。今は、街中歩いても国旗を掲げている家を見ることは稀だ。ただの休日だ。連休だといって遊びに行くか、朝寝坊でもして一日中リラックスして過ごすのが関の山だ。情けない。落ちぶれたものだ。

 戦後、日本の日本の骨抜きを考えてGHQによって紀元節は廃止された。1951年(昭和26年)ころから復活の動きが出て1857年(昭和32年)以降議案提出・廃案を経て、1996年(昭和41年)やっと国民の祝日に追加された。それも【建国記念日】ではなく「建国記念の日」だ。神武天皇が歴史上確かに居たか?何時即位したか?確たるものが無い以上、建国記念日と言う訳には行かないと云うものだ。

 2月11日を「建国記念の日」とすることについても【内閣の建国記念日審議会】で審議して、神武天皇即位の日が日本書紀に【辛酉年春正月の康辰の朔とあるのを根拠に、逆算すると、神武元年が西暦前660年になり、陰暦の1月1日を太陽暦に換算して2月11日と決めたという。

 西暦前660年で計算すれば、今年は皇紀2673年に当たると云うが、私が15歳の時、紀元2600年の祝展が盛大に行われた記憶がある。その年の8月、私は台君・岡田君と3人で富士山に登頂した。雨に降られて茣蓙を着て登った。ご来光も拝まれず、びしょ濡れになって震えていた思い出があるが、それでも亜細亜から欧米の白人を駆逐して、大日本帝国が亜細亜の盟主として大東亜の新秩序を建設するという夢を持って居た。

 

 

 

 

日本書紀が採用している暦法を知らなくても、干支を利用すると、神武天皇が即位した辛酉年正月の庚辰の朔、太陽暦では紀元前660年2月11日になることが分ります。

 

まず、日本書紀の年表をつくり、逆算すれば、神武元年紀元前660年に当ることが分ります。(年表が作れなければ、それが分からないことを銘記してください。)

 

日本書紀による神武天皇即位の日・紀元前66011日を新暦(グレゴリオ暦)に換算した211日を祝日と定めた。当初は129日だったが、翌年から211日に変更された。戦後、日本国憲法の精神にそぐわないとして廃止されたが、昭和41年に「建国記念の日」として復活した。

 

1873(明治5)1115日、紀元前660年を元年として「皇紀○年」という年の数えかたが作られたが、現在ではほとんど使われていない。

 

この日はかつて「紀元節」という祝日だったが、戦後になってこの祝日は廃止された。1951(昭和26)年頃から復活の動きが見られ、1957(昭和32)年以降9回の議案提出・廃案を経て、1966(昭和41)年に、日附は政令で定めるものとして国民の祝日に追加された。

 

建国記念の日の日附については内閣の建国記念日審議会でも揉めたが、10人の委員のうち7人の賛成により、2月11日にするとの答申が1966(昭和41)年12月8日に提出され、翌日政令が公布された。

 

「建国記念日」ではなく「記念の日」なのは、建国された日とは関係なく、単に建国されたということを記念する日であるという考えによるものである。