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百歳に向かってもう一度歩いて世界一周

平成7年1月1日より歩いて世界一周に挑戦して居ますので引き続き続けますのでご照覧あれ!

古本 十八史略新鈔が来た

2013年01月23日 17時03分39秒 | 十八史略

 歩 い て 世 界 一 周  1月23(水) 曇り

 

日 数「日」

総歩数(歩)

総距離(m)

平均歩数(歩)

今  日

 

17,835

12,485

 

今  月

23

375,005

262,504

16,305

今  年

23

375,005

262,504

16,305

2005年から

2,9534

41,693,724

29,185,607

14,114

70歳の誕生日から

6,486

123,643,860

86,550,702

19,063

ドイツ・オランダ、ベルギー.、フランス.イギリスを経てアイスランドのレイキャビックに向かう、後 757,256m

                         
                         
    昔習った十八史略新鈔が来た

 夕方のウォーキングから戻ると十八史略新鈔が来ていた。封を切るのももどかしく、古本を確認した。芝商で勉強したあの懐かしい漢文の教科書だ。背に[1B 14 佐藤和道」とインクで書いてあって、裏表紙には【二甲 佐藤和道」と筆字だ書いてある。若しかすると、戦時中でABCが禁止されて、甲組に変ったのかもしれない。定価金五拾五銭も懐かしい。

 私は高等小学校を卒業して本所の石井TG商会に給仕として勤めて日給65銭の身であったし、神保町のアパート住まいだったから教科書は総べて古本で賄うように努めた。学校から教科書名の入ったガリ版刷りの半紙をもって一軒一軒廻って歩く。「イイ学校へ入ったね!秀才だ。」などと店員さんに煽てられてガリ版刷りを見て貰う。その店にあるものを買い、また隣の店へ行く。一日で揃わなけばまた休みの日に廻って行く。そのうちに大半は間に合ったもんだ。

 古本は判らない字や難しい漢字にはたいてい小さいな字で鉛筆書きがついて一々辞書を引かなくても済むので、初めから新しい教科書を買う手は無い。この古本にも【充】の脇に「アツ」【鞭】の脇に「ムチウチ」などと仮名がふってある。

 三皇の一人を「農伏羲氏」とずっと思って居たのがやはり私の思い違いで、太昊伏羲氏→炎帝農氏→黄帝軒轅氏だと判って納得した。

この教科書には「南宋滅亡」まで134頁まであるが、81頁の【赤壁之戦】辺りにはもう何も書かれて居ない所を見ると、これから先までは学習しなかったようだ。私たちは戦時中でしかも夜学生だったから【西漢】の「漢王伐楚」44頁辺りまでしか教わらなかったように思う。灯火管制の中、電灯に黒い布の筒が被せられているので、教科書は読めるが、黒板の字など全く見えない所での勉強で、「チンプンカンプン」というのが本音だったが、中国の歴史は映画や小説よりも面白くて興味があって力が入った。。

        折を見て思い出の語句を復唱して、ブログにも載せようと思って居る。


鶏鳴狗盗

2013年01月19日 17時39分10秒 | 十八史略

 歩 い て 世 界 一 周  1月19(土) 雪

 

日 数「日」

総歩数(歩)

総距離(m)

平均歩数(歩)

今  日

 

11,480

8,036

 

今  月

19

307,324

215,127

16,175

今  年

19

307,043

215,127

16,175

2005年から

2,950

41,626,563

29,138,230

14,111

70歳の誕生日から

6,482

123,576,179

86,503,325

19,065

ドイツ・オランダ、ベルギー.、フランス.イギリスを経てアイスランドのレイキャビックに向かう、後 804,633m

 十八史略で面白いのは鶏鳴狗盗の話だ。

「芸は身を助く」という諺があるけれど、これは「芸」が「身」を助けたばかりでなく、その主君や朋輩の危険まで救ったという話だから面白い。また「馬鹿と包丁は使いようできれる」という諺もあるが下らん人間がひょんなことで、とんでもない役に立ったという話でもあるし、清濁の食客を数千人も抱えた名君にして成しえた物語だとも言える。

 

 靖郭君田嬰は、斉の宣王の庶弟なり。薛に封ぜらる。子有り文と曰ふ。食客数千人あり。名声諸侯に聞こゆ。号して孟嘗君と為す。秦の昭王其の賢なるを聞き、乃ち先づ質を斉に納れて、以つて見んことを求む。至れば則ち止め囚へ、之を殺さんと欲す。孟嘗君、人をして昭王の幸姫に抵り解かれんことを求めしむ。姫曰はく、「願はくは君の狐白裘を得ん。」と。蓋し孟嘗君嘗て以て昭王に献じ、他の裘無し。客に能く狗盗を為す者有り。秦の蔵中に入り、裘を取りて以つて姫に献ず。姫為に言ひて釈さるるを得たり。即ち馳せ去り、姓名を変じて、夜半に函谷関に至る。関の法、鶏鳴いて方めて客を出だす。秦王の後に悔いて之を追はんことを恐る。客に能く鶏鳴を為す者有り。鶏尽く鳴く。遂に伝を発す。出でて食頃にして、追う者果たして至れども、及ばず。孟嘗君帰りて秦を怨み、韓・魏と与に之を伐ち、函谷関に入る。秦城を割きて以て和す。


鼓腹撃壌

2013年01月18日 17時33分18秒 | 十八史略

 歩 い て 世 界 一 周  1月18(金) 雪

 

日 数「日」

総歩数(歩)

総距離(m)

平均歩数(歩)

今  日

 

16,555

11,589

 

今  月

18

295,844

207,091

16,436

今  年

18

295,844

207,091

16,436

2005年から

2,949

41,614,563

29,130,194

14,111

70歳の誕生日から

6,481

123,564,699

86,495,289

19,066

ドイツ・オランダ、ベルギー.、フランス.イギリスを経てアイスランドのレイキャビックに向かう、後 812,669m

 私が十八史略で最も感動したのは「鼓腹撃壌だ。」

帝尭陶唐氏は、帝嚳の子なり。其の仁は天の如く、其の知は神の如し。之に就けば日の如く、之に望め雲の如し。 平陽に都す。茆茨剪らず、土階三等のみ。

 天下を治むること五十年、天下治まるか、治まらざるか、億兆己を戴くことを願ふか、己を戴くことを願はざるかを知らず。左右に問ふに知らず、外朝に問ふに知らず、在野に問ふに知らず。乃ち微服して康衢に游ぶ。
童謡を聞くに曰はく、「我が烝民を立つるは 爾の極に匪ざる莫し 識らず知らず 帝の則に順ふ」と。老人有り、哺を含み腹を鼓うち、壌を撃ちて歌ひて曰はく、 「日出でて作し 日入りて息ふ 井を鑿ちて飲み 田を耕て食らふ帝力何ぞ我に有らんや」と。

尭立ちて七十年、九年の水有り。鯀をして之を治めしむ。九載績あらず。尭老いて勤めに倦む。四岳舜を挙げて、天下の事を摂行せしむ。尭の子丹朱不肖なり。乃ち舜を天に薦む。尭崩じ、舜位に即く。

日出でて作し  日入りて息ふ  井を鑿ちて飲み  田を耕て食らふ 帝力何ぞ我に有らんや 

 なんと素晴らしい詩歌であろう。

人類とってこんな素晴らしい穏やかな理想の世の中を再び創りだすことが出来るのだろうか?