☆日々是好日☆

最凶・最強~荒波乗り越えどっこい生きてる、🐔のひとりごと

1月17日

2024-01-17 12:29:41 | 日々つれづれ
もうあれから29年になるんだな。
1995年1月17日火曜日
午前5時46分。ぼちぼち起きなきゃな、、、と布団から出ようとした時に小さな揺れがあり「ん?地震?」と思った瞬間激震が起こったのです。
阪神淡路大震災
その時私の住まいは神戸の灘区。阪神高速道路がひっくり返った山側に位置しておりました。
経験した事の無い揺れにただひたすら布団の上で頭を抱えて揺れが止まるのを待つしかなかったな。
揺れはほんの15秒。
その15秒で街が一気に破壊されてしまった事を知ったのはそれから数時間してからの事だった。
その当時の家は六甲の山の中腹に有って、窓を開けると暗闇の中にあちこちから火の手が上がっているのも見えて先ず頭の中に走ったのは伯父や従兄弟の事。
幸い親戚は皆無事で、子供の頃にお世話になった方々も無事ではありました。

あの時の状況はこれまでも沢山報道されてきたからここでは敢えて書かないけど、あの時報道されなかった事、怒りに震えたことを少しだけ書いておこうと思います。

あの頃日本の政権を司っていたのは某野党。
とにかく動きは遅かったよね
当時の首相が放った言葉は「何分初めての事でして」と。
「いや、あんたもそうかもしれんけどうちらかて初めてや!なに言うてんねん」声を荒げる人がいても当たり前だよね。

私の祖母はよく言ってた
「神戸は地震も無いしエエとこや」
でも実際は断層だらけだったのを後から知ったのだよ。
被害状況がどんどん明らかになってきて、あちこちから報道陣が押し寄せてくる。空を飛び交う無数のヘリコプターの轟音に「助けて」の声がかき消されていた事をどのくらいの人が知っているんだろうね。
知人が話していたもの。ヘリが飛んでいった後に小さな声が聞こえて、建物の下敷きになっていた人がいるのを見つけて引っ張り出したこと。あの音で声は聞こえなかった事。
身内を亡くした人にマイクを向けて「今のお気持ちは?」と聞くリポーター。
いや、あんた今の気持ちって。鬼かよ。
今はそれは無いよね?有ったとしても画面に出てこないだけ?
無いことを願うよ。

心配して連絡をくれる友人も有難い。けど中には冗談で笑わそうとしたのか何なのか
👧「いやぁ大変でしたね。🐔さんって本当に地震を呼ぶ女ですよね」
って笑えない冗談をぶちかましてきた後輩もいたなぁ(-o-;)
いくら普段私がノリツッコミで冗談言ってるからって、この時ばかりは怒ったよね。
でも彼女は何で私が怒ったのかわからなかったって。怒られる意味が分からないとも言われたよ。
何も無ければ笑い飛ばせる言葉も時と状況によっては悪意にも取れるんだよね。
能天気な私もこの時ばかりは結構参っていたんだと今なら分かる話し。

東京の家に避難した時大学時代の友人に会って、彼女は「無事で良かった!」とそれだけ言ってハグしてくれた。
それがとても温かかったのを覚えてますよ。
支援物資も自衛隊が来る前にいち早く動いてくれたのは神戸を拠点とする某組員さん達。反社の方々の中にある義理人情に複雑ではあるけど感謝の気持ちだけは持たないと!と感じたのは今も鮮明に記憶の中に有りますよ。

能登半島で被災された方々も今はめっちゃ辛いし厳しい状況におられるけど、頑張り過ぎないで頼るところは頼って辛いことは辛いと言って欲しいです。
明けない夜は無い。
神戸も立ち直れました。いつかは絶対に取り戻すことは出来ると信じて。希望だけは捨てないでください。

当時の事、色々思い出して少し感情的になってしまいましたm(_ _)m








コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 入院費損得勘定 | トップ | 簡単に考え過ぎていた脚のコト »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿