株式会社スペックス社員日記

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スーザン   (ピンチマン)

2008年09月21日 17時14分08秒 | 日記
小学校4年生の夏休みのことだ。

突然、隣の家に外国人の女の子がやってきた、どうやら隣の家の老夫婦の娘がアメリカ人と結婚をして生まれたその娘が夏休みを利用して日本に遊びにきたようだ。

隣近所という事もあって、隣の家のおじいちゃんとおばあちゃんがその娘を連れて挨拶に来た。
その夜は人を招くのが好きな父の誘いで、お隣さんと一緒にお寿司やさんで大宴会をした。。。彼女の名は『スーザン』お寿司がとても気に入ったようで、ウチに父親を呼び捨てで「カツージ(勝次)サンキュー」といっていた。
うちのお父さんは酔っ払って「オーイェー、ギブミーチョコレート」といって大はしゃぎしていた。

夏休みという事もあってか、特にやることはない。
外にでて自分の家の壁にサッカーボールをぶつけて遊んでいると、スーザンが隣の家からでて来た‥‥
スーザンは全くといっていいほど日本語が話せなないので僕自身、一緒にいることは凄く嬉しいし外人である彼女に興味はあるんだけど、どうしていいか解らない‥‥
そしたら彼女が僕の名前を呼んできた「テルヒコー」多分昨日覚えたんだろう。

僕は呼び捨てにされるのが嫌だったので「テルヒコじゃなくテルヒーコサン」と呼ぶように教えた。
そして夏休みは毎日朝から晩までスーザンと過ごすようになり夜は一緒にスイカを食べたり花火もやった。
一週間もした頃からなんとなくお互いが言っている事が理解できるようになってきた、それと同時に一緒にプールなどに行くと、スーザンは同い年にも関わらず意外と発育のいいことを知り女性として意識するようにもなった。

ある日僕は、家の手伝いをしていた為午前中はスーザンと遊ぶ事が出来なかったので、午後スーザンを呼びに隣の家に向かった。
恥かしいけどスーザンを呼ぶ時は、「ハーイ!スーザン」だ。
スーザンは何故か泣きながら家から出てきた‥‥
当時英語が堪能だった兄を従え再びスーザンの元を訪れ、スーザンに訳を聞いた。

スーザンが一人でヨーヨーで遊んでいたら、3人組の小学生が現われヨーヨーを奪っていったというのだ、しかもあのヨーヨーは僕がお母さんのお財布からお金をくすねて買ったスーザンへのプレゼントだ。
お母さんの財布からお金をくすねるということがどれだけリスクを伴うものかを思うと腹が立ってきた。
早速スーザンからその3人の特徴を聞くと、きっといじめっ子の『トシヤ』達に違いないと思った。
僕はトシヤ達を捜しに空き地へ向かった、案の定トシヤは僕がスーザンにプレゼントをしたヨーヨーを我が物顔で楽しんでいた。
参考までに言っておこう、トシヤは近所のガキ大将で歳は僕より一つ上、体は太っていて大きく、あだ名は『デブリーデン』、勿論あだ名をつけたのは僕!
横暴な性格の為、僕の友人もトシヤにおもちゃなどを取り上げられている。
その都度僕は、トシヤから友人のおもちゃなどを取りかえそうと挑んだが、戦績は5戦5杯の返り討ちにあっている。
「おい!デブリーデン!ヨーヨーを女の子から取り上げたろ!返しやがれ」
僕は猛ダッシュでトシヤに体当たりした!
最初は吹っ飛ばしたものの起き上がったトシヤはやはり強く、じょじょに押され始めた‥‥
ピンチマン(ちくしょう、やはり勝てないのか‥‥)
その時だ後ろからスーザンの声がした「ニンジャボーイ!」
ピンチマン「よしっ!その手があったか!」
僕は地面の砂を握りトシヤの顔めがけ投げつけた、そして落ちている棒きれでトシヤの足のスネを集中的に叩きまくった。
するとトシヤは泣きながら走って逃げていった、数分後に一緒に逃げたトシヤの手下のコウちゃんがヨーヨーを返しにやってきた。
僕がスーザンに教えた忍術をスーザンが覚えていてくれて、スーザンは僕のピンチに「ニンジャボーイ」と叫んでくれたのだ。
砂まみれになった僕はスーザンに片言の英語でお礼を言った。
するとスーザンは僕に抱きつきホッペにチューをしてくれた

家に帰り晩御飯時にトシヤにケンカで勝ったこと、スーザンがホッペにチューをしてくれた事を家族に自慢するとお父さんは、お祝いだといって近所のスナックに連れていってくれた(多分自分が行きたかっただけだと思うけど‥‥)。

そしてスーザンがアメリカへ帰る日が来た、スーザンの事を迎えにきたお父さんに、電話かなにかで話していたらしく片言の日本語で「君がスーザンを守ってくれたニンジャボーイだね。」とスーザンのお父さんは言ってくれた。
そしてスーザンは「ワタシ イツカ テルヒーコサン のオヨメサン ナラセテクダサイ」といってきた、昨晩遅くまで練習したって隣のおじいちゃんは言った。
僕は照れくさくて、何も言えずニタニタしていた。

数年後アメリカではニンジャブームが巻き起こった、僕はこの時思った、きっとスーザンが僕をモチーフに忍者をアメリカ全土に広めてくれたのだと。
その話を家族にすると、みんな「あるわけない」と笑った、友人に話しても相手にされなかった。
でも僕だけが知っていることだけどスーザンのお父さんの仕事はアメリカの有名なテレビ局のディレクターだったのだ。