株式会社スペックス社員日記

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ピンキー   (ピンチマン)

2008年09月11日 20時50分18秒 | 日記
「モウイチロ ミツメナオシテ ミマレンカ」 
作文の発表会にクラスの代表として選ばれた、彼のあだ名は『ピンキー』
言語障害の為、上手に話すことが出来ない。
小学校低学年の僕は『いじめっ子』そしてピンキーはいじめられっ子。

授業中に先生が誰かをさそうとすれば「せんせぇー!ピンキーが手ぇ挙げてまーす!」と僕が言うと、先生も困りながらもピンキーをさす。
そして言語障害のピンキーが答えるとクラス中が大爆笑!
それでもピンキーは笑顔で周囲を見回す有様で、いじめられている様相などひとっかけらもない。

ある時、僕は友と学校帰りの駄菓子屋で買い食いをしていると、ピンキーが目の前を通り過ぎた。
「なぁみんな!あいつの家までつけてやろうぜ!」と友達を引き連れピンキーの後をつけた‥‥‥

暫く尾行するとピンキーの家に到着した。

僕らが庭先から家の中を覗き込んでいると、背後から「あらっ!こんにちわヒロシのお友達(ピンキーの本名)?」     友人は皆「うわぁー」と言って逃げ出した、どうやら買い物から帰ってきたピンキーのお母さんだ。
逃げるきっかけを完全に失い取り残された僕に、ピンキーのお母さんは「もしかして、あなた輝彦くんでしょ、さぁ上がって上がって!」
なんでピンキーのお母さんは僕の名前を知っているのだろう? もしかしてピンキーのお母さんは僕が彼をいじめているのを知っていて復讐するのでは!
しかし逃げ遅れた僕はピンキーのお母さんに言われるがままにお邪魔した。

居間に通されると、ピンキーが小さな妹にひらがなを教えている(正直、おまえが教えてもらえっ!と思った。)  しかしピンキーはちゃんとしゃべれぬまでも、相手の立場にたった完璧なまでの『ひらがな先生』をこなしていた。

僕も身を乗り出して聞いていたが、そうこうしているウチにピンキーのお母さんがジュースを持ってきてくれた(まさか毒を‥‥)
僕が少しためらっていると、ピンキーのお母さんが話し始めた‥‥  「輝彦くんのことはヒロシから毎日聞かされているのよ」
(ドキっ!やばっ)
「学校に行くのもためらいがちで、勉強もきらいだったヒロシが、となりの席に座った輝彦くんにいわれた言葉がきっかけで急に勉強するようになり、学校にも率先して行くようになったのよ。」
(っていうか俺、何言ったっけ!やばい殺されるかも‥‥)
ピンキーのお母さんは噴出しながら続けた(大笑) 「漢字テストの時間にヒロシの答案をカンニングしてきた輝彦くんは、先生に聞こえないように(おまえそんな問題もわかんねぇーのかよー!カンニングの意味ねぇじゃん!明日から俺様の為にもっと必死で勉強してこいっ!)って言われたって(大笑)そしたらヒロシ必死で勉強するようになったのよ(笑)」
そんなことで変わるなんて少し変だが、ピンキーのお母さんが言うには急にその次の日から、朝も早起きになり元気に登校しだしたそうだ‥‥ 
するとピンキーがようやく僕の存在に気がついた(えぇぇぇぇ気づくの遅っ!)
後で知ったことだが、ピンキーの左耳はまったく聞こえない為、左後ろにいた僕に気がつかなかったのだ。。。。。
僕に気づいたピンキーはありったけのマンガやゲームを出してきた!  そしてヘタクソな言葉で沢山、話しをしてきた。  僕らは何時間も話し晩飯までご馳走になった。     帰り際にピンキーはデカイ声で「遊んれくれてありらとぉー(あそんでくれてありがとー)」といって僕を見送ってくれた。

帰り道‥‥僕はなんだかピンキーに対し申し訳ない気持ちでいっぱいになり、ひとりでいっぱい泣いた。

少しだけピンキーと仲良くなった僕はある日、ピンキーが大きな病院に入院する為に学校も編入することを知った。  そんなことを知った僕は少しピンキーと話しづらくなった。
そんな時ピンキーが作文コンクールのクラス代表に選ばれた、そして学年全体の前で作文を読むこととなった‥‥  題は『もいちど見つめなおしてみませんか』だ。   その内容は、日本は豊かになった事で、食べ物を粗末にすることを自分の周囲から見直そうといったものだった。
案の定、ピンキーはちゃんとしゃべれないので、みんな笑った。
そんな状況を僕はいてもたってもいられなくなり、ステージに上がりピンキーの肩をポンと叩き、マイクをどけてピンキーと一緒に大きな声で作文を呼んだ、みんなはもっと笑ったけど最後には物凄い拍手が起こった
そしたら今まで泣いたことのないピンキーは、沢山の涙を流してないていた‥‥
僕は作文を読み終えたピンキーに向かって「おまえがいないとカンニングできないじゃん、だから早く病気治して戻ってこいよ」そういった僕も涙が沢山出てきた。

余談だがピンキーの作文は市のコンクールで見事優勝した。

そしてピンキーが転校する日、僕はピンキーとお別れをするのが辛いので、午前中は行き着けの駄菓子屋で時間を潰した。
午後に学校に行くと行方不明だった僕は軽く家出人扱いをされていて先生にめちゃくちゃ怒られた。。。

教室に入り席につくと、隣の席にピンキーはもういない‥‥
机の中に教科書をしまおうとすると手紙が入っていた、表面には『ピロシ』と書いてあった(名前とあだ名が混ざっちゃって、可笑しかったのでひとりでクスクス笑った)。
手紙にはこう書いてあった。
「僕は明日から大きな病院に入院をします、そして耳の手術をします。 僕が手術を受けることは何年も前から決まっていて、ずーっとその日が来なければいいなって思ってました。  そんなある日、漢字テストの時間に手術っていう漢字が書いてありました、僕は急に怖くなって体が震えだしました、涙も出そうになりました。 そしたら隣の席から声がしてきました‥‥最初は何を言っているのか解らなかったけど、声は輝彦くんがしゃべっていました、輝彦くんは言いました、(おまえそんな問題もわかんねぇのかよー!カンニングの意味ねぇじゃん!明日から俺様の為に死ぬ気で勉強して来い) なんだか急に怖くなくなりました。カンニングにあんなに必死になっている輝彦くんが可笑しくて、楽しくなりました。 その日から輝彦くんが何をいっても可笑しくて可笑しくて、輝彦くんに意地悪をされても、楽しくなりました。  僕は手術を受けることがいやで、ずーと入院することをやめていました、でも僕は手術を受けます。  僕もみんなと同じにしゃべれるようになったら輝彦くんのように面白いことを言えるようになりたいです。ありがとう」    僕はピンキーの手術はきっと成功したんだと思う、だって手術の恐怖に立ち向かい克服したんだから!

僕はピンキーのお陰で色々なことを学んだ、毎週じゃないけど今僕は手話の勉強をしている、何故ならピンキーの病気が治っていなかったら、こんどは手話で「カンニングさせて」って言おうと思ったからだ。

熊谷ふるさと自慢

2008年09月11日 20時40分33秒 | 日記
やっぱ地元熊谷の自慢と言えば、うちわ祭りかな

熊谷で一番熱い3日間

7月20日から22日 埼玉県熊谷市街地にあるお祭り広場を中心に開かれる「熊谷うちわ祭」。3日間で70万人以上の人が訪れ、関東一の祇園祭と称されるほどにぎやかなお祭りです。熊谷うちわ祭は、京都の八坂神社の祇園祭の流れを汲み、勇壮な12台の山車・屋台がそれぞれのお囃子で祭を盛り上げます。
特に21日と22日は国道17号が歩行者天国となり、熊谷は勿論、埼玉近郊からたくさんの人出で賑わいます

どうぞ、関東一の祇園祭と称される「熊谷うちわ祭」にお越し下さい