7月12日、“ウポポイ”(民族共生象徴空間)が、北海道・白老町に“オープン”しました。 アイヌ民族の悲願が、120年の時を経て達成されたと思います。 『おめでとうございます』 「土人保護法」から「アイヌ新法」と、一歩前進しました。 しかし 手放しで喜べるのか、今後の政府対応を注視する必要があります。 オリンピック・パラリンピック開催を前提に、国連や世界に対する“一時しのぎ”の対策であれば“ウポポイ”も“アイヌ新法”も、一時の“宴”に過ぎません!
そこで 偏見・差別・虐めが 30万人ものアイヌ民族を、他県や国外に移住を強いたのです。 僅かに残ったアイヌ人は、生きる為に止む無く日本人と結婚し、血筋を繋いで来た。 それを「北海道に純粋なアイヌ人は少ない」とする政治家の“穿った神経”が問われます。 我々“北海道民”も、歴史の真実を見極める必要があります!
・・・ アイヌ新法 ・・・
尊重し合いながら、共生する社会に資することを目的とする。
してはならない。
深めるよう努める。
も可能。
(国有林の林産物採取の規制緩和、サケ捕獲に関する都道府県知事の配慮、
商標登録の手数料の軽減)
私は港町に生まれ育ったので、食卓に上る“魚”は昔から豊富にあったと思います。 しかし、魚に関して良いイメージはありません。 近くの港から漂う魚の腐敗臭は、子供の頃から嫌いでした。 また、祖母が作る煮干(イリコ)を山ほど使った味噌汁は、苦くて飲めませんでした。 そんな事で、今でも魚は好物ではありません。 私の栄養源は、昔から“肉”でした。 北海道と言えば、勿論 “ジンギスカン”です。 小学生から中学生までの成長期、羊さんには申し訳ありませんが何頭も食べてしまいました。(合掌)
昔は、町の肉屋で週に一度 新鮮な“マトン”を販売していました。 その日は、決まって“ジンギスカン・パーティー”です。 今なら、モヤシやタマネギなどの野菜を添えるのですが、当時は“肉のみ”・タレも“醤油のみ”でした。 それと“丼飯”、飲み物は“水”。 シンプルが良かった!
茶の間に新聞紙を敷き詰め、七輪の上にジンギスカン鍋を置いてマトンを焼くのですから、家中が煙に包まれます。 その中で、父と弟と私がジンギスカンを貪る様に食べるのですから、匂いを嫌う母と祖母は堪りません。 いつも、二階で焼肉パーティーが終わるのを待っていた様です。 そんなジンギスカンを、週一で何年も続けてきたのですから、家の中は油まみれでした。
また、豚にも思い出があります。 昔から 漁業にしろ農業にしろ、組合を通さない売買(闇取引)は禁止されていました。 しかし、米や魚など知り合いに安く売ってあげたいと言う人情が、田舎では色濃くあった様です。 私が小学校(低学年)の頃、正月が近づくと家から10キロ程の養豚場に、最終バスで手押しのソリを積み母と向かったものです。 目的は、闇で豚肉を買う為です。 警察の目を盗んでやるですから、解体した豚肉を買って帰ると言う訳には行きません。 真っ暗になるのを待って、解体作業が始まります。 その間、私と母はストーブのある作業員の休憩所で待機しなければなりません。 そこでは、豚の断末魔の悲鳴が聞こえてくるので、平常心ではいられません。 間もなく入口が開いて、家主が豚の頭を持って「これが今潰した(解体した)豚だ」と、私の前に置いていくのですから堪りません。 大人の悪ふざけにしても、度が過ぎます。 気の弱い子供なら、卒倒します。(笑)
豚の解体が終わり、厚い紙に包まれた豚肉を手押しのソリに乗せ家路を急ぐ訳ですが、やはり人の目が気になります。 人が来たら豚肉の上に乗る様に、母から言い渡されていたのですが、生暖かい肉にまたがるのは気持ちが悪いものです。 あの生首を思い出します。 そんな経験が、一学年下の弟と交代で何回かありました。 危険を冒して買ってきた30キロほどの豚肉は、全て我が家で食べる訳ではありません。 近所の方に量り売り(小売)し、僅かながら家計の足しにしていた様です。
「最先端医療機器(CT・3Dスキャナー)を駆使し、“小腸”および“大腸”の画像を仮想展開して長さを測った結果、日本人の腸は他民族と同比率だった事が判明した」 この事実は、21世紀になってから分かったと言うのですから驚きです!
「医学が栄えた」とか「科学が進歩した」そんな“レベル”ではありません。 何の為の医学なのか、誰の為の医療なのか、首を傾げたくなる“文明社会”の矛盾です!
「農耕民族である日本人の“腸”は、欧米人に比べて長い」 つい最近まで、医療遂行上の指針として「日本人の腸は長い」と 語られて来た様です。 その理由として 草食動物(ウシ・ヒツジ)の腸は、肉食動物(ライオン・トラ)の数倍ある事を、農耕民族(日本人)に当て嵌め 医学者が推測したものです。 しかし、人間は肉食動物でも草食動物でもなく、雑食動物 です。 こんな初歩的な問題ですら、今まで分からずに医療を続けて来たのですから、現代医学の信憑性が問われます!
戦後75年 日本の医療界は、国の支援により繁栄して来ました。 国民皆保険の下に、気軽に医療を受ける事が可能になり、人々の命や健康が守られて来たと思います。 人の安全と安心が確約されたのならば、何の問題もありません。 例え、国家予算の半分近く、医療に費やされても文句は言いません。 しかし、“腸”の問題一つ解明されない医療に、いささか不信感を覚えます。 「何も分からず、患者の求めるまま、場当たり的な治療を続けている」 問題は、他にもあります。
最大の疑問は、医学界が“腸造血論”を認めない事です。 相変わらず、17世紀の遺物である“骨髄造血説”を、論理も倫理も無視し医療の指針として信仰している事です。 大腿骨や扁平骨から、全身を満たす血液(約 4リットル)を生産すると主張する根拠が理解できません。 「骨で血液が生産される事実を、医学的・科学的に証明して下さい」・「昔、偉いな学者が言っていました」では、現代に通用する筈がありません!
つい最近、米国・コロンビア大学医学部で“腸造血”を研究し、生体メカニズムを確認した様です。 そこでは “腸造血”と“骨髄造血”を、同時に承認しています。 おかしな話です。 “腸”で50% “骨髄”で50% ? そんな判断は、常識では有り得ません。 「“骨髄造血”は医学的に認められない」と、言って欲しかった! さもなければ、根拠のない“骨髄移植”や“臍帯血移植”が正当化されます?
他にも、“腸内フローラ”の問題があります。 高度な医療機器を使い、善玉菌(20%)悪玉菌(10%)日和見菌(70%)を発見したと言うのです。 学術研究により 日和見菌(0~70%)は、常に善玉菌にも悪玉菌にも変わると言及しています。 まるで 日和見菌・悪玉菌が、諸悪の根源と言っている様です。 「日和見菌・悪玉菌を排除すれば、善玉菌で満たされ健康になる」こんな数学的な発想は、医学でも科学でもなく 只の妄想です。 研究者は「腸内フローラについて、何も分かりませんでした」と、正直に言う冪です!
「腸の長さ」しかり「腸造血論」しかり「腸内フローラ」しかり、「肺」・「腎臓」・「肝臓」・「小腸」・「大腸」、現代医学は全臓器の機能を把握しないまま、診療・治療・投薬を臆する事なく行っています。 杜撰の極みです。 それが“医療の限界”と妥協しながら、患者は医者やクスリに依存するのならば、問題はありません。 少なくても 医療を受ける事は、“伝染病”・“感染症”以外“自己”責任なのですから? 案外「信じる者は救われる」医学・医療は、そんな世界かも知れません!
“新型コロナウイルス”のワクチンや治療薬の登場を、世界中が期待しています? 米国・中国・英国・日本などでワクチンの研究を始めましたので、おそらく年内に〇〇擬きは出来ると思います。 “ウイルス”の実態も分からないまま始めた研究です。 1%程度の成果は期待できます。 しかし、99%の“空振り”を お忘れなく。 現実に、“SARS”も“MARS”も“新型インフルエンザ”も“研究倒れ”で、芳しい成果は出ていないのです。 それを「ワクチン神話」と言うと、過言でしょうか?
北海道には、駒ヶ岳・大沼エリア“森町”の郊外に「森地熱発電所」があり「濁川温泉」地区に建設され40年過ぎました。 場所は、海岸線から5キロほど入りますが、無人の山間ではありません。 硫黄の臭いが漂う“温泉郷”であり、発電所の排熱を利用した野菜畑(ビニールハウス)が広がるのどかな“農村部”です。 発電能力は、5万KWと原発の10分の一程度ですが、地域の電力を補う事は可能です。 日本中の地下には、地域をカバーする地熱が、何時でも使える状態にあります。 あえて、危険な“原発”に依存する必要はないと思います!