エゾ中村のブログ

「藤圭子」から「現代医学の功罪」まで、思いの丈を綴ります。 ・・・ From 北海道 ・・・

湾岸戦争症候群の怪

2019-12-27 12:48:29 | 心と体
◎イラク&アフガニスタンに派遣された米兵(延べ230万人)は、帰還後に20万人が“湾岸戦争症候群”に罹患し、内 6000人が精神疾患を伴い自殺している!


1991年に勃発した“湾岸戦争”を、覚えている方は多いと思います。 2001年にアフガニスタンへ 2003年にイラクへ、反米テロ集団と確信したアメリカ合衆国大統領「ジョージ・ブッシュ」の号令で、米軍&有志連合が 戦闘を開始しました。 目的は、“アルカイダの「ラビン」”や“イラクの「フセイン」”の一掃作戦でした。 “20世紀最後の戦争” 何とも、不可解な戦争でした! 
イラク・アフガニスタン戦争により、アメリカ軍は 6000人の犠牲者(戦死者)を出しましたが、イラク側は 60万人以上の軍人や民間人(約70%)が亡くなっています。 戦争は 老若男女の区別なく、多くの犠牲者を生むのです。 その結果、イラク軍の残党(フセイン支持派)が、“イスラム国(ISIS)”を結成し“憎しみの連鎖”を繰り広げているのは、周知の事実です。 古今東西、戦争に“円満解決”は 無いのです!
 
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 “湾岸戦争”や“イスラム国”は分かっていても、“湾岸戦争症候群”を知っている方は少ないと思います。 中東で流行する 感染症でも風土病でもありません。 湾岸戦争に派遣された兵士や アメリカで待機していた予備役 約 20万人が、原因不明の疾患(主に精神疾患)で療養を余儀なくされていると言うのです。 徴兵された屈強な若者達が、湾岸戦争の後に精神疾患に悩んでいるのです。 如何してなのでしょうか? その原因は、“未承認ワクチン”です!

アメリカ軍は 湾岸戦争に備え、イラク軍の生物化学兵器による攻撃を想定し、20種類以上のワクチンを 兵士達に接種したのです。 現実に、化学兵器に対応するワクチンなど 存在しません。 勿論、炭疽菌やサリン等から身を守るワクチンなど、科学(医学)的に解明されていないのです。 いわゆる、兵士を利用した“ワクチンの人体実験”です。 数か月単位で接種する必要があるにも拘らず、数日間で投与した事が問題です。 ワクチンを投与された兵士は、全員が薬害で具合が悪くなったそうです。(一応に免疫機能が破壊された?) 湾岸戦争で犠牲になった兵士は約 6000人であっても、湾岸戦争症候群で精神を侵された兵士は、おおよそ 20万人と言うのですから、未承認ワクチンが 如何に恐ろしいものか分かります。 クスリが 命や健康を守るのとは裏腹に、人の心(精神)を蝕むのです! そして、戦死者を上回る(6000人以上)退役軍人が、精神疾患を伴い自殺しているのです!

イギリスの新聞“タイムズ”は、「イラク軍による各種生物化学兵器の使用に備え、兵士に接種した“混合ワクチン”が、湾岸戦争症候群の原因と考えられる」と、調査の上で発表しています。 事実です。 それは、軍人だけでは ありません。 アメリカ軍の指示に従った 領事館に勤務する役人や 軍属(軍職員)も、ワクチンの犠牲になったのです。 その中に、日本人が確実に居ります。  
 
日本において、「2020年までに憲法改正を行う」と、総理談話がありました。 勿論、憲法九条の戦争放棄を改め、“自衛隊”を“国防軍”に昇格するのが主目的です。 日本が軍隊を持つ為には、諜報員を含め 30万~50万人以上の人員が必要になります。 自衛隊員(現在・総数約 16万人)では、屈強な軍隊は絶対に出来ません。 憲法改正と同時に、“徴兵制度”が加筆されるのは、間違いありません!  
安倍総理が掲げる「美しい国・日本」とは、天皇制復活(教育勅語を重視) 徴兵制度なのでしょうか? 明治時代の亡霊(軍国主義)が、今日に蘇った様です! どうして 70数年に渡る平和を、日本政府は否定するのか?

湾岸戦争症候群”を検証し、“戦争の愚かしさ”を 再確認しました!

“冬将軍”由来は「ナポレオン」

2019-12-17 22:27:42 | “現代医学の功罪” 関連
北国に住む我々は、“冬の嵐”を“冬将軍”と言いません。 その理由は、将軍が誰なのか? 「源 頼朝」なのか「足利 尊氏」なのか「徳川 家康」なのか、分からないから使う事に躊躇します! 案外、暖かい地域に住む方々の“厳しい冬のイメージ”かも知れません。

余の辞書に不可能という文字はない」 フランスの英雄「ナポレオンボナパルト」が、ヨーロッパを制覇した時の 勇ましい格言です。 当時のフランス軍は、本当に強かったと思います。 100万を超える兵士と 武器弾薬の数は、他国を圧倒していた様です。 しかし、“軍力で成り上がった将軍”には 終わりがあるものです。
1812年、破竹の勢いでロシアに攻め入るも 広大な土地と寒さに阻まれ、戦闘の前に兵士の疲労と食料不足が、限界に達していたそうです。 それに追い打ちを掛けたのが、ロシア最強の寒波(冬の嵐)でした。 戦地モスクワを目前に、フランス軍は凍死者・餓死者が続発し、戦わずして撤退を余儀なくされたのです。 「行くも地獄・戻るも地獄」 正にナポレオンの権威は、冬の嵐によって挫折したと言っても過言ではありません。 母国に帰還する気力も体力も萎え、食料として軍馬20万頭を食べ尽し、それでも生きて帰れた兵士は、(出発時)80万人から(帰還時)5,000人と、英雄「ナポレオン」の華々しい勇姿はそれまででした! ナポレオンの活躍した期間は24歳から10年弱で、ロシア戦以降は孤島に幽閉(軟禁)され、失意のまま61歳の若さで人生を終えた様です。

◎ 全盛期のナポレオン(肖像画?)

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 誰が名付けたのか、“冬将軍”の由来は“ナポレオンのロシア侵略失敗”を 物語るものです。 冬の嵐は、将軍・ナポレオンより恐ろしいと言う事です。 そんな歴史を忘れ、再びロシア侵略を試みたのが、かの有名な「アドルフ・ヒットラー」(ドイツの総統)です。 軍馬から戦車の時代に替わっても、ロシアの“冬将軍”に敵わず、ドイツ軍が大敗したのは事実です。 
日本でも 1894年、日露戦争を推定し陸軍が青森県の八甲田山で雪中行軍を慣行した最中、突然“冬将軍”に見舞われ 参加者210名中 199名が死亡(凍死)したのは、紛れもない事実です。 何れも、冬の恐ろしさを知らない指揮官の判断ミスが、大勢の死を招いたと思います。 しかし 軍隊・戦争は別にしても、北国の冬(特に冬の嵐)は一歩屋外に出ると、命に係わる危険に満ち満ちています!      

“冬将軍”・“冬の嵐”を強調しましたが、季節が冬に限定される訳ではありません。 2009年7月16日(夏?)大雪山系・トムラウシ山で、登山客とガイドの 9名が、低体温症で亡くなっています。 原因は、ガイドの経験不足と判断ミスだと思います。 よもや 夏山で凍死とは、運が悪かったとしか言い様がありません。 
ところで、「矛盾脱衣」と言う言葉をご存知でしょうか? 体温が下がった時点で 体の“生命維持機能”が働き、体温低下を阻止しようと“熱生産”を高める生体現象です。 その結果 極寒にも拘らず、暑いと錯覚し衣服を脱ぎ捨てようとするのです。 医学的に原因は解明されていませんが、アドレナリンの異常分泌による幻覚作用、又は体温調節中枢の麻痺による異常の様です。 日本では過去に37件の事例があり、服を身に着けない状態で発見される 不可解な事件?事故?があります。(推理小説やテレビドラマで、何度か紹介されている) 勿論 全員が死亡し、真相は闇の中です。  思うに 凍死する間際、常夏の世界にいると錯覚し“夢心地”で天に召されるのでは? あくまで、推測(想像)の域ですが!


アイヌ犬 VS 北海道犬

2019-12-09 10:50:20 | “アイヌ文化”関連

◎ 檻のヒグマに、歯を剥きだして立ち向かうアイヌ犬。

(天然記念物北海道犬保存会・撮影)

アイヌ犬”は、縄文時代からアイヌ民族が飼育して来た優秀な番犬です。 勿論、秋田犬や柴犬と同種の日本犬で 唯一品種改良されていない純血種と言われています。 1937年、日本政府が“北海道犬”と改名したそうですが、本家がアイヌ犬で分家が北海道犬と言うのもでもありません。(名称を変えても、犬種に違いはないのです) 偶々、携帯電話会社のCMに「お父さん」として登場し有名になったので、北海道犬の知名度が上がったと思います。 しかし、CMに出て来る演技が達者な北海道犬のイメージは、私が知る限り全く違います。 ヒグマも恐れず勇敢に立ち向かう気性の荒い犬で、ペットとして簡単に飼える可愛いだけの犬種ではありません。

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親戚の家に、番犬としてハンティングのお供として2頭飼っていましたが、飼い主以外に尻尾を振る事はありませんし、迂闊に近寄れば歯を剥きだして威嚇するし、まるで野犬の様な性格です。 飼い主に頼まれ何回か餌を遣っても、懐くどころか吠え方が増すばかりです。 番犬としては、最高の犬かも知れません。 ただし、管理を怠り逃がした場合は人を噛む恐れがあります。(決して、都会向きの犬ではありません!)

北海道では、アイヌ犬が沢山飼われています。 私は、その中の1頭のアイヌ犬に助けられた?事があります。 20年以上前、友達に誘われて大雪山国立公園のほぼ中央にある“トムラウシ山”に登る計画を立てました。 5月末だったと記憶していますが、大雪山では雪が残る冬山に近い危険な時期でした。 装備を整え、朝8時ころジープ(三菱パジェロ)で出発しました。 昼の1時ころ、大雪山のすそ野の新得町に付き昼食を取りました。 満腹になり食糧を現地調達する事を、同行者共々一瞬忘れました。 トムラウシ山に登る途中に、商店があると信じて走りましたが、食料品を売る店は1軒もありませんでした。 新得町に戻ろうとしたところ、1軒の古びた民宿を発見し一晩泊まり、明朝 山に登る事にしました。(元々車中泊の予定) 民宿の入口から離れた所に、2頭の白い犬がいたのは分かりましたが、犬種までは確認できませんでした。 薄暗くなる6時ころ夕食が始まり、宿の主人が妙な話を始めました。 「最近、ヒグマの気配を感じる・・・」「夜になると、番犬が異様な吠え方をする・・・」、と言うのです。 食事を終えくつろいでいた8時ころ、犬の声が激しくなりました。 すると主人は、「用心の為にアイヌ犬を離して来る」と、外へ出て行きました。 それ以降、犬の声は聞こえなくなり就寝しました。 翌朝 民宿中が騒がしいので、まだ薄暗い5時ころに目が覚めました。 昨夜 主人が離したアイヌ犬の1頭が、血まみれで帰って来たのです。 おそらく、ヒグマと格闘し痛手を負ったものと思います。 当然の如く民宿の家族も、朝食の準備どころではありません。 宿の主人に諭され、トムラウシ山の登山は諦めました。 既に 私も同行者も、血だらけのアイヌ犬を見た時点で、ヒグマの恐怖が頭から離れません。 アイヌ犬の安否も分からないまま、早々に民宿を立ちました。 あの時、アイヌ犬がヒグマの存在を教えてくれなかったらと思うと、身の毛が弥立ちました。

トムラウシ山とは、2009年7月16日 ハイキング同様の軽装で登山し、ツアーガイドを含め9名が低体温症で死亡した危険な山です。 勿論、ヒグマにも注意が必要です! (冬眠から目覚め空腹のクマは人を襲う事もある)

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最近、お父さん犬の“カイ君”が CM に出ていません。 犬は、人間の7倍のスピードで年齢を刻むと言われますから、“カイ君”は肉体的に衰えたと思います。 現在は、二代目の“海斗君”が活躍しています。 思うに “海斗君”は、アイヌ犬の血が お父さんより多少濃い筈です? いい顔をしていますが、CM 製作では調教・躾が“カイ君”より難しい!


回想『藤 圭子』

2019-12-07 10:44:54 | 芸能・アイドル
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ある日、1970年代の音楽が無性に聴きたくなり、YouTube で沢田研二・朱里エイコ・ビリージョエル・スリーディグリーズ・・・ 数々の曲を聴きましたが、概ね古い曲としか聴こえてきませんでした。 そんな中、ある女性歌手のイメージが浮かびました。 しかし、顔や声を微かに覚えていても名前が出てきません。 確か、「40年ほど前に前川清と結婚し1年後に離婚した」・「20代で歌手を引退している」・「2013年に投身自殺した」・・・そう言えば「宇多田ヒカルの母親だ」。 検索により、『 藤 圭子 』の名前を見つけ出すのは簡単でした。 その後、インターネットを駆使し様々な情報を収集しました。

彼女の歌で覚えていたタイトルは、「圭子の夢は夜ひらく」「新宿の女」くらいでしたが、YouTubeの中では200曲近く視聴出来ます。 過去に聞いた事がない楽曲は、自分の耳には全て新鮮でした。 少しかすれた迫力ある歌声は、旭川市から上京し15歳で浅草を中心に女流し(ギターを抱き小さな酒場で酔客のリクエスを受け3曲200円で歌を売る)で、家族5人の生計を担ってきた厳しい生き様(サクセスストーリー)すら感じられます。 そんな『 藤 圭子 』の魅力ある楽曲を厳選し、100曲ほどdownload(mp3)して楽しんでいます。 何故か、彼女の曲を聴きながら晩酌すると、いっそう酒がうまくペースが進みます。(体に悪い事は保証します) 「川は流れる」・「母子船」・「赤ちょうちんブルース」・「国際線に乗る女」・「蛍火(藤 圭似子)」・・・、に響く良い曲ばかりです。(自己満足) 

ここからは、 藤 圭子 』の壮絶な人生について触れたいと思います

2013年8月、新宿の高層マンション付近の路上で、元歌手『 藤 圭子 』が転落による全身打撲で亡くなりました。 元歌手「 松村 和子 」(代表曲・帰ってこいよ)のご子息で、部屋を貸し故人の身の回りのお世話をしていた、彼のマンション(13F)のベランダから転落し、62歳の生涯を閉じられました。(ご冥福をお祈りします) 本来 警察の捜査は、事件と事故の両面から調べ、事件性がないと判断した時点で、事故又は自殺と方針を変えるはずです。 その中で遺書や異常行動があれば、自殺と判断するのが常道です。 しかし、自殺と断定する根拠は希薄です。 過去に自殺未遂や自傷行為を何回か繰り返していたのなら、遺書がなくても衝動的な自殺と考えられます。 何にも無いのであれば、何故に警察は事故と判断しなかったのか? 私は、自殺を大罪(社会に対する裏切り行為)と考えています。 もしも、自殺が事実であれば弁解も擁護もしません。 しかし事故だったら、故人には謂れのない自殺者と言う汚名(レッテル)が永遠に残るのです。 私は、転落した路上で発見された片方のスリッパに注目しました。 もう片方のスリッパがベランダに残され、空のクーラーボックスが倒れた状態で転がっていた点も気に気になります。 クーラーボックスに足をかけベランダを越えた事は、容易に想像出来ます。 ただし、ベランダから路上に向かって飛び降りたと言う自殺説は、納得出来ません。 何故なら、『 藤 圭子 』だからです。

娘「 宇多田 ヒカル 」を産んで、平成の歌姫と言われるまでに育て上げた子育ての天才が、どうして歩道の通行人や道路を走る車に巻き添えを加える可能性がある方向に、自らの意思で身を投げるのでしょうか? 他人に迷惑をかける、危うい選択をする筈がありません!(人に対する細心の気使いが出来たから、歌手としても子育ても大成功したのです) 『 藤 圭子 』の転落は、明らかに事故です。 夏の暑さを凌ぐ為、寝起き直後に短パン・Tシャツ・素足(スリッパ)の軽装でベランダの手摺りに腰掛け涼もうとした際、踏み台替わりに使った空のクーラーボックスがバラスを崩し、ベランダに座った姿勢で仰向けに落下したと考えられます。 これは、あくまで私の仮説で何の証拠もありません。(ただし、自殺の証拠もない) それが、推理・推測の限界ではないでしょうか! 彼女は過去に、吊り橋の手摺り(ワイヤー)に腰掛け、遠くを眺めている画像を「遍歴」のレコードジャケットに残しています。 服装や靴は違っていても、吊り橋の手摺りとベランダの手摺り、何か因縁の様なものを感じます。 警察やマスコミは、こぞって衝動的な自殺を強調しました。 果たして、そんな曖昧な結論でいいのでしょうか? 事故検証が杜撰と考えるのは、私一人ではない筈です!

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『 藤 圭子 』が亡くなり、マスコミは当然の如く動きましたが、何故か芸能界や歌謡界は沈黙していました。 お悔やみのコメントを発表したのは、前夫の「 前川 清 」と娘である「 宇多田 ヒカル 」くらいで、その他 外交辞令的な冷たい対応としか映りませんでした。 単に、過去の流行歌手と言う意味ではなく、“芸能界の異端児”(藤圭子&宇多田ヒカル) と関わりを拒絶したのではないかと思います。 「天は二物を与えた」そんな嫉妬めいた空気が、業界を支配している様です。 昭和の歌姫と平成の歌姫は、芸能界や歌謡界に何の貢献もしていないと考えているのなら残念です。 『 藤 圭子 』は中高年の「 宇多田 ヒカル 」は若者のを、今もこれからも癒してくれるのです!

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『 藤 圭子』は全盛期、「森進一のおふくろさん」・「八代亜紀の舟歌」・「中条きよしのうそ」・「布施明の霧の摩周湖」・「前川清の長崎は今日も雨だった」・・・同年代の歌手の代表曲を、まるで歌唱力を競うように次々とレコード出版しています。 彼女が企画したのではありませんが、当事者達は大いに迷惑した思います。 何故なら、どんな楽曲も“圭子流”の迫力で歌われるからです。(まるで、他人の財産を横取りする如く) また、若い頃 人一倍 苦労したにも関わらず、ワガママな性格が際立った様です。 「 前川 清 」との離婚劇では、ファンや関係者から非難が殺到したと言われます。 私は、それが天才『 藤 圭子 』の気性であり、サクセスストーリーの原点だと思います。 彼女は、「網走番外地」・「兄弟仁義」・「浪曲子守唄」・「唐獅子牡丹」・「傷だらけの人生」・・・渋い男唄の女伝道師で、最初から可愛い声も女の色気も必要としていなかったのです!

「圭子の夢は夜ひらく」は、15・16・17と私の人生暗かった~ 彼女の過去を物語る作品として大ヒットした一曲です。 その歌詞は、紛れない自画像だと思います。 『 藤 圭子 』は、15歳で女流しを職業に旭川市から上京したのではありません。 勿論、流行歌手を目指して苦難の道を選択したのです。 15歳の少女が、酔客の前で歌を披露するのは、苦痛・苦悩を超えて屈辱だったと想像します。 そんな暗い日常の中で、彼女はレコード会社のオーデションを、何度も受けています。 しかし結果は、容貌はいいが声が荒れていると言う理由で不合格の連続だったそうです。(レコード会社が、求めていた歌手のイメージと違っていた) 17歳の冬、北海道・岩見沢市のマイナーな雪祭りで営業していた際、たまたま ステージを観ていた新人作詞家「 石坂 まさお 」に歌手を前程にスカウトされたそうです。(新人作詞家として、冒険を承知で賭けに出た) その後は、トントン拍子に流行歌手の階段を昇り、短期間でトップの座を射止めた様です。 “昭和の歌姫”伝説は、多くの人が証言しているので、ここでは割愛します。 

ここからは、『 藤 圭子 』のプライベートな部分に触れたいと思います

『 藤 圭子 』の人柄や性格を、ネットで調べていると意外な発見がありました。 娘「 宇多田 ヒカル 」が5歳頃から、情緒不安定で躁(明)と鬱(暗)を繰り返していたと、何人かのコメントがありました。 それが本当なら、30年近く精神に障害があったと、誰もが信じてしまいます。 しかし、それは違うと思います。 私の知人で、起伏の激しい性格の人がいます。 その人は遺伝性の“色覚異常”(色盲)で、それを知らない人は彼の性格が優しいのか粗暴なのか理解出来ないと言います。 確かに、独特の個性(二面性)はありますが、精神疾患ではありません。 ただ、目球内部の構造(DNA)が一般人と少々異なるだけです。 

そこで彼女の両親を調べると、二親共に目に障害がある事を知りました。 『 藤 圭子 』が“色覚異常”であったか否か定かではありませんが、遺伝的に何らかの目の異常があったのは事実の様です。 それは、精神病と違うものです。 単純に精神病を疑う人がいたら、あなたは自分の子供を「 宇多田 ヒカル 」の如く秀才・天才と言われるレベルまで完璧に育てられますか?と聞きたい。 そんな親など、世界中探しても誰ひとりいません!(唯一、天国にいます?) 幼い我が子を、芸能界に入れたいと必死になるステージママ達は、『 藤 圭子 』の子育て法を一から十まで学べばいい、例え現実性が無いとしても!

私が感じた彼女の異常は、別なところにあります。 母親に対する過剰なる愛と労わりです。 誰しも、産み育ててくれた母親に対し敬意や恩情はあります。 しかし盲目の母親を労わったのは、むしろ『 藤 圭子 』であって深い愛情を強調する必要は無かったと思います。 彼女の二面的な性格からして、母親に対する偽りの愛情表現だったのかも知れません。 「母が憎い」幼い頃、に傷を残す何か辛い経験があったのではないかと想像しました。 上段で紹介した「遍歴」の歌詞の中にリタが5つの誕生日・リタを見捨てた母でした・やっと覚えたその顔を・その日限りで捨てました~と言うフレーズの中の“リタ”は、『 藤 圭子 』本人で「圭子の夢は夜ひらく」と同様に、幼少期の悲しい体験を詩に反映したのではないかと勘ぐってしまいました。

私は、冒頭で『 藤 圭子 』の名前を忘れていたと言いましたが、何故に今は亡き彼女の情報を集め無意味な答えを求めるのか、そこには個人的な理由があります。 それは、彼女の本名と誕生日が分かった時です。 本名「阿部 純子 」・「昭和26年7月生まれ」・・・、正直言って驚きました。 昔、我が町で出会った“ジュンコ”が『 藤 圭子 』かも知れない? そんな、発見があったのです。 私が6歳頃の事で記憶も定かではありませんが、同姓?同名・同い年の女の子が確かにいたのです。 ただし、彼女が中学生当時に暮らしていた旭川市ではありません。 その場所は、旭川から300キロ以上離れた道南の港町で、老夫婦が営む小さな旅館(現在、ご夫婦も建物も残っていません)の事です。 私は、親戚付き合いしていた事もあって、毎日のよう旅館に入り浸って遊んでいました。 ある日 見知らぬ女の子が、茶の間の隅で寂しそうに座っているのを目の当たりにしました。 初めて見る女の子で、事情が有って何日か預かったのかと思いました。 しかし、何ヶ月経っても親の迎えはありませんでした。 どこか翳りのある、痩せて無口な子でした。 1年後、“ジュンコ”は私と一緒に小学校に入り、連れ立って学校に通ったものです。(思うに、その頃の“ジュンコ”は笑顔を見せても、は孤独のどん底だったのかも知れません) その当時、何を話し何をしたか正直 覚えていません。 小学校3年の時、突然 母親が現れ“ジュンコ”を引き取って行きました。 その頃 “ジュンコ”が何処に行ったのか、旅館のおじさんや担任の先生に聞くチャンスはありました。 しかし 4年ぶりに母親と再会し、今は親兄弟と幸せに暮らしていると思うと、子供心に口をつぐみ忘れようとした記憶があります。 以降、私と“ジュンコ”の交流は途絶えました。

“突然現れて突然去っていった、謎の多い女の子” 今更、あの “ジュンコ”が『 藤 圭子 』であろうと別人であろうと、私には何の関係もありません。 しかし、“ジュンコ”が昭和の歌姫『 藤 圭子 』だったらと思うと、喜んでいいのか悲しんでいいのか複雑な心境です。 ただ言える事は、今後 故『 藤 圭子 』の一ファンとして遺作となった数々の楽曲を、の拠り所として長く愛して行きたいと思うだけです。

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・・・ 有難う & さようなら ・・・

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・・・ 画像はYouTubeから転載 ・・・


“インフルエンザ・ワクチン” について

2019-12-04 09:55:23 | “現代医学の功罪” 関連
マスコミは、「今年もインフルエンザが流行しています。 伝染病を拡散しない為に、早めにワクチンを打ちましょう」と、尤もらしい情報を流します。 本当でしょうか? 私が知る限り、ワクチンがインフルエンザの予防に効果があるとする情報は、聞いた事がありません! マスコミが純粋に、伝染病に対する注意喚起するのであれば、何の問題もありません。 ただし、医療界や医薬界に忖度(癒着)し、インフルエンザの恐怖を煽るのであれば 話は違います。 「何の根拠もなしに、ワクチン投与がインフルエンザ予防の切り札と 吹聴するのは止めて欲しい」 日本中が、ワクチンを崇拝していると勘違いされます!

厚労省はホームページで、「インフルエンザ・ワクチンに関し、感染を予防したり抑制する効果はありません」と 言及しています。 既に30年ほど前、学童向けインフルエンザ・ワクチンの“強制集団接種”を廃止しています。 国の方針として 劇薬であるワクチンは、“自己責任”&“自己負担”で行う様に お願いしているのです。(「国は責任を取らない」 それが本音です) 
余談ですが、国立公衆衛生院の元室長(女医)は、「インフルエンザ・ワクチンは打たないで!」を 出版して話題になりました。 その中で、「ワクチンは、インフルエンザを予防する事も罹患した場合の重症化も防げない」と 言っています。(何一つ効果がないと)  プロ中のプロの意見を、軽視しますか? 無視しますか?

話は100年ほど前(1918年)に遡ります。 世界中を震撼させたパンデミック(大流行)「スペイン風邪」が、猛威を振るいました。 約 6億人が感染し、約 5000万が死んでいます。 日本でも 2300万人が感染し、38万人が死亡しています。 実際はスペインで大流行しましたが、感染源は第一次世界大戦に参戦したアメリカ軍の兵士の様です。 アメリカのインフルエンザが、免疫のなかったヨーロッパで蔓延し、途轍もない犠牲者が出たのです。 原因は、インフルエンザ・ウイルスです。(ただし感染のメカニズムは謎) 目に見えない微生物(病原体)が、人の命を奪うのですから、伝染病&感染症は恐ろしい。 しかし、スペイン風邪がトラウマになって、医療界・医薬界が間違った方向(医療過誤)に暴走するのが、なおさら恐ろしい。 「クスリでインフルエンザは予防できないし 罹患しても治らない」 それを、忘れては困ります! 
ワクチンがだめなら、タミフルやアマンタジンがある。 そんな“いたちごっこ”では、埒が明きません。 100年前の「スペイン風邪」から学んで欲しい。 それは、自然接種です。 過去、同型インフルエンザに罹患した人は、免疫機能が働き重症化を防ぐと言う事です。 ワクチンの発想と同じではないか? 違います。 人はそれぞれ、独自のキャパシティーを持っています。 幼児(小)も成人(大)も、一本のワクチンで事足りる筈がありません! そもそも ワクチン自体、効果がないのですから?

果たして“インフルエンザ”は、<飛沫感染>か? <接触感染>か? <空気感染>か? 高度先進医学にしても、何も分からないと言うのが現実です! 案外、「感染するは 我(自分自身)にあり」 そうかも知れません。            


◎友人『鈴木博詞』作・来年の札幌雪祭り・市民雪像予定雛形
この粘土像は、誰でしょうか?
 

(天皇&皇后)