エゾ中村のブログ

「藤圭子」から「現代医学の功罪」まで、思いの丈を綴ります。 ・・・ From 北海道 ・・・

「スタンド バイ ミー」風 思い出

2020-07-16 08:50:05 | 日記
30年ほど前、ノスタルジックなアメリカ映画「スタンド バイ ミー」が上映されました。 4人の少年(共に12歳)が、2日間の“冒険旅行”に出て様々な体験をする“青春ドラマ”でした。 案外 似た様な経験は、誰でもあると思います。 実は、私もありました。 その記憶は「スタンド バイミー」の主題歌「STAND BY ME (Ben E King)」を聴くたび 蘇ります。  

◎ 映画「スタンド バイ ミー」 の少年4人
Stand_by_me

それは、60年ほど前の話です。 町の秋祭りが始まる朝、露天商の仕事を近所の子供 5人(私を含め 6人)と眺めていると「お前たち、駄賃を遣るから荷物運びを手伝え」と、半ば強制的に離れた場所に止めていたトラックから、夜店で売る商品が入った箱を運ぶ事になりました。 1時間ほど手伝ったと思います。 約束の小遣いは、確かに貰いました。 当時 私は、小学校 3年(仲間は7~9歳)でした。 偶々 リーダー格の私が お金を預かり、何に使うか皆に尋ねると仲間は「お金を持って旅に出よう」と、余りにも簡単に意見が纏まりました。 あの頃は、皆“好奇心旺盛”でした。 しかし “金銭感覚”は、無かったのです。 それが、苦難の始まりでした!

これからの話は、私一人の思い込みではありません。 幼馴染みが居酒屋で会う度に、何年も酒の肴として 盛り上がる“幻の秋祭り(宵宮)”の話です。 子供の頃の、“小さな冒険”(スタンド バイ ミー)です。 多少の記憶違いはあると思いますが、話の全貌は事実です。  

 何故か 6人は、北へ向かって歩き出しました。 しばらく北上すると、一台のジープが我々の前で止まりました。 「君たち、何処へ行く」と、声を掛けて来たのです。 とっさに、覚えていた地名「三ノ原まで行きます」と、答えました。 すると「送って遣る 乗りなさい」 ジープの運転手が、善意で乗せてくれたのです。 そもそも、ヒッチハイクと言う概念は 無い時代でした。 時折走るのは バスかトラックで、道路そのものが砂利道で凸凹でした。 舗装道路は、殆んどありません。 拾ってくれたジープは、当時活躍していた実用車(4WD)でした。 あっという間にジープは「三ノ原」に到着し、運転手に礼を言って降ろして貰いました。

車から降りた瞬間、全員が不安に駆られました。 農家と畑があるだけの、山の中でした。 「一体、ここは何処なのか」 来た道を少し戻ると、雑木林の間から「洞爺湖」が見えました。 「取り敢えず、洞爺湖へ行こう」 そうして 谷の様な急な坂道を、“湖”目指して下って行きました。 約 2時間、湖畔の町に辿り着きました。 一人が、「洞爺湖温泉だ~」と叫びました。 しかし、対岸の“向洞爺”でした。 ちょうど昼になり、雑貨屋でパンを買う事にしました。 今朝貰った小遣いで パンを買いましたが、残念ながら“アンパン 3個”でした。(大誤算) 一人分がパン半切れでは、腹の足しにはなりません。 幸い 湧水が豊富だったので、空腹を水で補う事にしました。 問題は、向洞爺~洞爺湖温泉まで、洞爺湖温泉~虻田町まで、虻田町~我が町までの距離(約 30キロ)でした。 果たして、我が家に辿りつけるか? バスは通っていたが、肝心な“お金”が無い!

6人の内 一人でも挫折すれば、民家に救いを求めなければ成りません。 そうなれば、“警察沙汰”になるのは子供にも分かります。 そうならない為に、皆は精一杯 頑張りました。 洞爺湖温泉に着いたのは、夕方でした。 そこから 虻田町に向かうには、厳しい上り坂が続きます。 空腹と疲れで、歩くペースも落ちてしまいました。 そんな時、道路わきの畑に“ビート”(グラニュー糖の原料)がありました。 失敬して頂きましたが、硬くて苦い“ビート”です。 不味かった。 それでも、多少は力になった様です。 虻田町に着いた頃には、すっかり夜になっていました。 残り 約 8キロ、そこで皆と打ち合わせをしました。 家に帰れば、親に説教される。 口裏を合わす為「キノコ採りに行って道に迷った」と弁解しよう。 そして 「今日の出来事は、6人の秘密にしよう」と! 半世紀以上前の辛い(空腹の)思い出 「スタンド バイ ミー」でした。 今の親なら、“迷子捜査”を警察に届ける筈です? ただし あの頃は、どの家も“放任主義”で門限など無かった。 我が家では「こんな遅く(10時過ぎ)まで、どこで遊んでいたんだ」親爺の拳骨一発で、“一件落着”でした!