

札幌「味噌ラーメン」 旭川「醤油ラーメン」 函館「塩ラーメン」 第4の味が、室蘭「カレーラーメン」です。 4番手とは言え、すでに40年以上の実績があります。 本来“カレーラーメン”の先駆けは、“室蘭市”ではなく“苫小牧市”です。 “苫小牧市”にある「味の大王」が発祥で、親元でラーメン修業した二代目が、40年ほど前“室蘭市”で支店を開いたのが始まりです。 人気が出た事で、数軒のラーメン店が「味の大王」に協賛し、“カレーラーメン”を競って広めたのです。 その後、“室蘭名物”と呼ばれ人気になりました。
室蘭には、100年ほど愛される“名物”があります。 それは、日本中どこにでもある“焼き鳥”です。 ただし、昔から鶏肉ではなく豚肉でした。(“焼き豚”は語呂が悪い?) 室蘭は、鉄鋼業で栄えた町で港湾・鉄工労働者が多く、仕事が終わり居酒屋で一杯飲むあてに、ボリームある豚肉の串焼きが好まれた様です。 全国的に精肉(豚肉)の串焼きはあると思いますが、濃い醤油ダレで和辛子をつけて食べるスタイルは、“室蘭焼き鳥”の特徴です。
北海道は、豚肉文化が根付いています。 昔から、味のいい豚を畜産していたからです。 北海道の“すき焼”は、牛肉でなく安い豚肉だと揶揄されます。 それは違います。 元々、豚肉にジャガイモ・白菜・豆腐・ネギを味噌(又は醤油)で煮込んだ“肉鍋”は、寒冷期の栄養補給に重宝されていたのです。 熱々の肉鍋は、北海道の“ソールフード”です!
もう一つ、“カツ丼”が少々変わっています。 昔から、丼の上に出汁と卵でとじたカツがのっているタイプと違い、ステーキ用のプレートにカツとじがのっている“ライス別”の一品です。 いつまでも冷めない様に工夫されたカツ丼が、室蘭では定番です。 観光客は「注文した“カツ丼”と違う」と、クレームをつける方がいる様です。 「郷に入っては郷に従え」 取り敢えず 食べて下さい。 寒い北海道の アイデア“カツ丼”を!
北海道地図を見れば、噴火湾 がどこか直ぐに分かると思います。 イカ飯(駅弁)で有名な森町から、日本屈指の鉄鋼の町・室蘭市に位置する ほぼ円形の湾は面積が 2,485㎢と大きく、東京湾の1,380㎢を遥かに凌ぎます。 1796年、イギリスの軍艦が立ち寄った際、船長・ブロートン海尉は駒ヶ岳や有珠山を見て「噴火によるカルデラ(地盤沈下)に違いない」ゆえに 「噴火湾」 と命名したそうです。 しかし その後の調査では、噴火による“カルデラ”でない事が明らかになっています。 元々、噴火湾は太平洋に面する大きな入江なのなのです。 我々地元の呼び名は、穏やかな湾である事から 「内浦湾」 と呼んでいますが、日本中に同名の湾が4か所あるので、やはり 「噴火湾」 と呼んだ方が良いと思います。
噴火湾は、湾内に多くの漁港(約50ヶ所)が点在します。 戦前 “鰊”(にしん)が獲れた頃は、各漁港に活気があった様ですが、今は“道東”・“道北”に比べ、どこも疲弊しています。 原因は 噴火湾の入り口“室蘭市”が、製鉄業を始めとする工業地帯で、タンカー・大型船舶の往来が多く、自然であるべく“魚道”を妨げている事です。 元々 浅い海が、魚の環境(繁殖)に悪影響していると思います。 残念ながら“噴火湾”自体が、昔ながらの豊かな海ではなくなったのです!
それ以上の問題が、“漁師”の首を締めています。 それは、ホタテの養殖 です。 魚が獲れなくなり苦渋の選択が、漁民の将来に禍根を残してしまったのです。 噴火湾の一部で始まったホタテの養殖は、当初 大金(ホタテ特需)を生んだのが問題です。 その成功を真似しない 漁師はいません。 次から次と、湾内はホタテの養殖で埋め尽くされました。 湾の特徴は、潮の流れが少ない事です。 養殖(*ミミズリ)は外洋に比べ楽ですが、ホタテが成長する過程で排出する糞の量は膨大です。 調査によると、50年程で湾奥部のヘドロ(ホタテの糞)は1メートル以上、海底に蓄積されている様です。 結果的に噴火湾の環境は荒れ放題、一時 羽振りが良かった一部の漁師は、生活保護を受ける羽目に陥りました! (*ミミズリ: 200個ほどのホタテの稚貝を、密閉した籠に入れブイで吊るし大きくなるまで育てる)
私は、噴火湾の港町で生まれ・育ちました。 幼い頃から、港や海辺が遊び場でした。 そんな環境の中で育ちましたが、なぜか魚介類が苦手です。 その理由は、港独特の魚介類が発する鼻を衝く“腐敗臭”がでした。 それが“アレルギー?”となり、魚貝が好きになれませんでした。 そう言えば 漁師の息子(友達)は、船酔いが激しく 跡継ぎを諦めました。 案外 “郷土に勤しむ”(適正・適応)は、個人差が大きいと思います!
噴火湾の“ホタテ養殖”と、日本政府が目指す“観光立国”は、似ていませんか? 中国人のインバウンドを狙ったものの、トラブルが起きた瞬間 全ての計画が頓挫する。 “ホタテ養殖”・“観光立国”、夢破れて・・・ 何事も「一寸先は闇」なのでしょうか?
北海道屈指のリゾートホテル ザ・ウィンザーホテル洞爺 を ご存知でしょうか? 洞爺湖町と豊浦町にまたがる、ポロモイ山(標高625メートル)の頂上に建つ高級ホテルです! 2008年、洞爺湖 G8サミット が開催されたので、覚えている方もいると思います。 しかし、このホテルの複雑な経緯を知る人は、案外 少ないと思います。
昭和38年、北海道で芸能人の興行をプロジュースする「本間 観光」が、当時 東洋一の景観を売りに、ゴルフ場とホテルを建設しました。 開業時は、大変な人気だったと記憶しています。 しかし、数年で経営が傾きました。 その原因は、当地独特の気候にあります。 雪の少ない道南であっても、ゴルフ場の営業期間は決して長くありません。 問題はゴルフシーズン中、最も集客が望める 6~7月に、ポロモイ山に濃い霧が発生するのです。 水温が高い“噴火湾”と 低い“洞爺湖”の水蒸気が、山頂で混じるのが原因と思います。 霧が発生する度にゴルフが出来ないのであれば、営業に支障が出るのは当然です!
その後、ゴルフ場は10年単位で経営者が、次から次と変わりました。 ゴルフコースやクラブハウスを幾らリニューアルしても、霧が発生する状況に変わりはありません。 そんな中、金(ゴールド)の“先物取引詐欺”で名を馳せた「豊田商事」が、ゴルフ場を経営していた時期がありました。 要するに、堅実な経営など望めない(ブラックマネーが行脚する疑惑の)ホテル&ゴルフ場と言う事です。
その最たるものは、バブルの末期 ゼネコン「カブトデコム」が、無謀な改修工事で巨額の負債を招き、護送船団で守られて来たシティーバンク「北海道拓殖銀行」を破綻に追い込んだのが、ここ(当時・ホテルエイペック洞爺)です! このホテルは「霧によって負債を生み 負債によって黒い霧を生んだ」バブルの象徴になった“巨大建造物”です。
G8 サミットの会場を、洞爺湖町の「ザ・ウインザーホテル洞爺」に指名したのは、現・総理大臣「 安倍 晋三 」です。 ただし、2008年のサミットのホストは次期総理 「 福田 康夫 」でした。 その理由は「安倍」が、突然 総理を辞めてしまったからです。 この出来事は、政界のミステリーです。 現に、肉体的にも精神的にも、何ら異常がなかった? ただ、政治が嫌になった!(そんな詭弁はありません) しかし、再び総理大臣に返り咲く強運があったのです。 期せずし、自民党の顔(看板)となった。 その後、安保法制・モリカケ問題・桜を観る会・検察庁法改正(三権分立の危機)・・・ 憲法を歪める“強権”が目立ちます。 怖いのは、“安倍一強”による「平和憲法」と「民主主義」の崩壊です!
果たして「安倍総理」は “清廉潔白”か?
◍ 1998年、 「ホテルエイペックス洞爺」 約 5000億円で再建。 同年、破産。
◍ 2000年、セコムの子会社が破産管財人となる。 約 60億円で「ザ・ウインザーホテル洞爺」に売却。
◍ 2007年、疑惑のホテルが、安倍総理の独断で“サミット”のメイン会場に選ばれる。 同年、総理を辞任。
どうして、巨額債権処理に“セコム(警備保障会社)の子会社”が任命されたのか? なぜ、サミットを目前に「ザ・ウインザーホテル洞爺」を指名した「安倍総理」が、突然 辞任したのか? 答えは、“ザ・ウインザーホテル洞爺” < “カブトデコム” < “セコム” < “ウシオ電機”(安倍総理の親戚筋)の中にある。 「火のない所に煙は立たぬ」当時から、良からぬ噂はありました。 「政府(与党)が絡む、“マネーゲーム”ではないか」と !
確たる証拠はありません。 しかし「コロナ禍」の中、どこの観光地も不況の嵐です。 特に、北海道の片田舎に建つ「ザ・ウインザーホテル洞爺」は、高級リゾートゆえに裕福な外国人(中国人)が頼りです。 インバウンド客が数年望めなければ、経営は成り立ちません。 そこで必要になるのは、政府からの“特別支援”(大型融資)です。 今後の経緯は、数字(金額)で見えて来ます!