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エゾ中村のブログ

「藤圭子」から「現代医学の功罪」まで、思いの丈を綴ります。 ・・・ From 北海道 ・・・

差別・偏見・虐め

2020-05-03 08:31:45 | 旅行・地域

差別 ”・“ 偏見 ”・“ 虐め ”、日本に限らず世界中にあります。 何処にあるのかと言うと、人の心の中に潜んでいるものです。 それは 正義と真逆ですが、全て害悪とも言えません。 家族だったり親族だったり、場合によっては集団で生活を死守する本能に近いものだと思います。 「村八分」(邪魔な存在を 追い払う)は、いつの時代も存在するのです。 仲間意識を共有できない「他民族は、嫌だ・嫌いだ」そんな対立が、態度として現れるのです。 日本は先進国の中で、難民の受け入れ数が最も少ないのも、そんな理由かも知れません! 

私の住む地域(道南)は、昔から “差別”・“偏見”・“虐め” が多いと感じていました。 その原因は、やはり他民族を蔑視する悪しき風潮です。 人口の少ない我が町に、“日本人”・“朝鮮人”・“韓国人”・“中国人”それに先住民の“アイヌ人”が共存してのですから、日常の“トラブル”は避けられません。 日本人が子供(在日)を虐めると、その子は自分より小さい子(日本人)に対し復讐する。 そんな負の連鎖が、町中に蔓延しています。 大人は関わらない顔をしても、本来 可愛いのは我が子(日本人)です。 圧倒的に多い日本人に対し、在日の少数派は生まれながら、不利な立場にいるのは確かです。



私が子供の頃、母に難しい質問をした事があります。(私)「〇〇君が“朝鮮人・朝鮮人”と虐められて泣いてたよ、〇〇君は日本人だよね」 (母)「〇〇君のお父さんもお母さんも、朝鮮で生まれた外国人なのよ」 (私)「なんで、日本で生まれて僕達と同じ顔しているのに外国人なの」・「それなら、違う顔をしたアイヌの◇◇君の親は何処の国から来たの」 母は、答えに苦しんでいた様でした。 この問題は、一家庭や一町村で解決出来るものではありません。 日本で生まれ教育を受け、社会に貢献する在日(他民族)の人々を、どうして外国人と差別するのか、今でも理解出来ません。 その答えは、近代日本“侵略の歴史”に関わりがあるのです!

「蝦夷地(北海道)は、アイヌ民族から日本人が騙し取った」これは、紛れのない事実です。 明治時代、戦いを嫌うアイヌ民族の首長は、蝦夷地の開墾・開拓を条件に日本人を受け入れ、蝦夷地の使用を認めたのです。 しかし、共存共栄の約束は守られないまま、和人(日本人)に易々と奪われた。 土地貸借の見返りは、アイヌ人への“差別”・“偏見”・“虐め” で終わったのです。 今まで日本は、アイヌ人の為に何を遣ったのか? ①“土人保護法”を撤回し “アイヌ新法”に改名しました。 ②“北海道開拓”の文言を改め “北海道命名”とニュアンスを変えました。 ③東京オリンピックを目前に、民族共生空間“ウポポイ”(国立博物館)を建築しました。 確かに“国連”が示唆した「先住民族の権利に関する宣言」を、尊重した様に感じます。 ただし、それらは一時しのぎの“見せ掛け”です。 オリンピックが終われば、国の方針も日本人の意識も元に戻ります!

 

 

“差別”・“偏見”・“虐め”は、永遠になくなりません。 これから、益々世界中に拡散します。 おそらく“新型コロナウイルス”が終息した後、激しい“中国バッシング”が始まる筈です。 パンデミックで被害を受けた200以上の国々が、伝染病の起源である“中国”および“中国人”を、徹底的に責めると思います。 今般の危機に便乗し、世界経済(GDP)のトップに躍り出た場合、嫌悪は更に増長します。 「中国は、17年に二度“パンデミック”を起こし、“生物化学兵器”で世界を“制覇”した」と! 「人の口には戸が立てられない」それが 現実です。


政界の星『徳川 家広』

2020-05-01 08:39:50 | 旅行・地域

2年前、ある人物が 統一地方選・北海道知事選に急遽名乗りを上げました。 その人の名は、19代・徳川宗家『 徳川 家広 』でした。 本人は、「本気で出たいと思った選挙は初めてです」と言いつつ、今回の選挙は出馬する可能性は低いと、慎重な姿勢を見せていました。 当然だと、思います。 北海道民は、江戸時代日本を支配した“徳川家の末裔”を、政治家として受け入れるのか? 私としても、疑問なり戸惑いはありました! しかし、我が北海道に関心を持たれた事に対し、心から敬意を表します。 疲弊する北海道に、光明を齎してくれるかも知れないと、期待・希望が湧きます。 前回の北海道・知事選は無理(元・夕張市長「鈴木 直道」が強すぎる)だとしても、いずれ“徳川家”の目指す政治を拝見したいと思います。



 徳川 家広 』(55歳)東京出身、慶応義塾大学卒(米国ミシガン州立大学院・米国コロンビア大学院で政治学&経済学の修士号を取得) 職業は、翻訳家・著述家&政治・経済の評論家、ほかに大学教授など。 人柄も良し・学歴&経歴も良し、非の打ち所がない人物です。 政治家として経験がないのも、決してマイナスとは言えません。 昨年、静岡5区から立憲民主党の支持を受け、参議院選に出馬するも 惜しいかな落選しています。 次期“北海道知事選”は、出馬し勝利する様に願っています。(現・知事「鈴木 直道」の国政進出は近い)
 
◎ 初代将軍『 徳川 家康 』・・・⇒最後の将軍『徳川 慶喜』 ⇒16代『徳川 家達』 ⇒17代『徳川 家正』 ⇒18代『徳川 恒考』 ⇒19代『 徳川 家広 』 ビックネーム「徳川」のDNAは、受け継がれています。 思えば『徳川 慶喜』は、“戊辰戦争”(函館戦争)で新政府軍に敗れ、明治政府に北海道開拓を嘆願し 家来の行く末を託した経緯があります。 徳川家は 北前船の時代から、蝦夷(北海道)と良好な関係があったと思います。 少なくとも、蝦夷地で散った“新撰組”の副長「土方 歳三」は、函館で手厚く葬られているのですから!

なぜ 政治家 『 徳川 家広 』に期待するのか? 決して、徳川幕府や武家政権を支持する訳ではありません。 徳川幕府が、“蝦夷地”&“琉球王国”に武力侵略しなかったのは、徳川家が他民族との“共存共栄”を望んでいたからだと思います。 しかし 幕府は、大政奉還で終焉しました。 体制が、武家政権を否定したのです。 果たして後の“明治維新” は、理想の国家だったのか? 思うに 明治政府は、“軍国主義”を掲げ戦国時代に逆戻りした様です!  

明治政府は 天皇(現人神)を国権の長と担ぎ、“産業革命”&“軍国主義”に大きく舵を取ったのです。 その結果、蝦夷地&琉球王国を奪還し、近隣諸国に多大な迷惑をかけました。(侵略戦争:ロシア・中国・朝鮮・アジア諸国・・・) そんな中、庶民は幸せだったのか? 軍国主義政治は、人民の自由と文化を奪ったに過ぎません。 正に 第二次世界大戦(敗戦)までは、恐怖の時代としか思えません!  

私は、政治を語る資格も能力も持ち合わせていません。 だから 『 徳川 家広 』に、思いを託すのです。 出来れば 北海道の地で、政治をスタートして欲しいと願っています。 既成の政党にとらわれず、仮に「道民党」の名で旗揚げして頂きたい。 間違っても「自衛隊を軍隊に昇格したい」とか「教育勅語を復活したい」とか、軍国主義を待望する政党とは、手を組まないで欲しい。 北海道が観光立国を目指すのなら、江戸時代の確たる文化を、『 徳川 家広 』の力で継承して貰いたい。

2017年の衆議院選で当選した議員は、自民党 218人中 72人が、“世襲政治家”でした。 ジバン(地盤)・カンバン(看板)・カバン(鞄)を、親から受け継いだ 2世 3世議員達です。 日本には 政治を志す若手に、世襲と言う大きな壁があるのです。 一層の事、19世襲の『 徳川 家広 』を、政治家に取り立てるのは如何でしょうか? 案外 “平和”と“文化”の構築に、“徳川家伝来”の力を発揮すると思います!          

マイ トラウマ

2020-04-29 08:58:38 | 旅行・地域

 

私が初めて死体を見たのは、小学校1年生の時でした。 学校から帰って間もなく、SL(蒸気機関車)の激しい警笛とブレーキ音が聞こえました。 「事故だ」 、急いで50メートル程離れた踏切に向かって走りました。 到着した時は、まだ SL は完全に止まっていませんでした。 多分 私は、2番目に現場に到着したと思います。 最初に見かけたのは、ランドセルを背負った年上の小学生でした。 青い顔をして、線路脇の立ち木の方を見ていました。 そこには、列車に撥ねられた小学生が「頭蓋骨の半分を失い“脳ミソ”がむき出し」になって死んでいました。 見た瞬間、思わず貧血を起こしそうな大きな衝撃を受けました。 7歳にして、トラウマ(精神的外傷)を経験したのです。 しかし あれほどの“ショック”でも、私の中で消すに消せないトラウマにはなりませんでした。 ただ 覚えている程度で、大きな心の傷にはなっていないのです。 個人差はあると思いますが、幼い頃の忘れたい記憶は 本能で消し去る事が出来ると思います!


列車事故から 6年後、何年も消えないトラウマを体験する“出来事”がありました。 毎年 正月は、20キロほど離れた母親の実家に遊びに行くのが恒例でした。 大きな防風林に囲まれた農家で、雪道をバスと徒歩で 2時間以上かけて向かわければならない不便な“僻地”でした。 そこには、同年代の従兄弟が 3人いて何時も訪問を歓迎してくれました。 私のお土産は、決まって‟空気銃の弾”でした。  町の金物屋で100発50円で買った鉛弾を、従兄弟たちも待っていました。(あの頃は、空気銃の弾は自由に買えた) 昔でも 空気銃を扱うのは、許可制で年齢制限がありました。 しかし、僻地ですので誰にも咎められません。 そんな事で、古く真っ直ぐ飛ばない‟空気銃”が、子供達の遊び道具だったのです。 中々、スズメや野鳥を狙っても当たりません。 そんな時、防風林の枝で休んでいた1羽の“フクロウ”を見つけ、打ってしまいました。 「多分当たらないだろう」が、偶々命中してしまいました。 フクロウは枝に摑まった状態で、180度反転して死んだ様でした。 それを見ていた従兄弟たちは、唖然としていました。 屋敷に侵入するネズミや蛇を捕食する、防風林の“守護神”だったのです。 「残酷な事をしてしまった」 その思いが、私のトラウマになりました。 何年も夢の中で、死んだフクロウが “祟り”の様に現れるのです。 フクロウのトラウマを克服したのは、自己反省から‟愛鳥精神”を持つ様になってからです。 今は、野鳥が大好きな存在になっています。


“サッチョン”は 二度泣く

2020-04-25 09:00:20 | 旅行・地域

サッチョン”は、ある時期限定の北海道弁だと思います。 戦後、朝鮮戦争の特需で日本が経済成長する中、立ち遅れた北海道に中央から官庁や企業の精鋭が出向し、国家レベルの地域興しが行われた時期があった様です。 多くの要人は、期間限定の“単身赴任”が多かった。 彼等を 敬意をこめ、道民は“サッチョン”と呼んでいたそうです。 大都会から、開発の遅れた“北海道”に出向するのですから、いわゆる左遷されたと泣き泣き来道したのは理解できます。(僻地に飛ばされたと) そんな彼等が、北海道(主に札幌)の環境に慣れ親しみ、やがて中央からお呼びが掛かると“サッチョン”は、再び泣いたと言われます。 「今度は、帰りたくない」
それを“サッチョンは二度泣く”と、言った様です!


確か、昭和30年~50年の事だと思います。 その頃は、札幌・特に“薄野(すすきの)”の夜は楽しかった筈です。 酒も肴も、美味い。 家族からの束縛もなく、交際費で飲み・食べ放題なら、“サッチョン族”の天国だったと思います?(役得) それから半世紀、札幌市は“200万”都市に近付きました! しかし 北海道経済は、現在 50年前に戻りつつ疲弊の道を辿っています。 思えば 日本全体の経済成長が、右肩上がりを忘れてしまっている様です。 何等かの“カンフル剤”が必要です? ただし、医者が処方する“お薬”では埒が明きません! “企業戦士”すなわち“旧・サッチョン族”を、再び地方に派遣し活力を与えて欲しい!

現在 北海道の“食料自給率”は、カロリー換算で“約180%”の様です。 この状況は、20年前と大きく変わっていません。 思うに 国政が、北海道の農水産物の増産に見切りをつけたと思います。 ある意味で、儲かる自動車の輸出を重要視し、黒字緩和の為に、海外から農産物を買い国内生産を規制した? その結果、北海道の農業も水産業も衰退の一途を辿っています。 特に 農業は深刻で、労力に相当する収入は、公務員の年収に遠く及ばないのです。 その為、将来を担う後継者は少なく、明日の北海道農業に希望はありません!

“新型コロナウイルス”の情報を知って驚きました。 東京の“ラーメン店”や“居酒屋”は 野菜も肉も調味料も、食材の多くが“中国産”だと言う現実です。 「安くて美味い」 それで、満足できるのでしょうか? 「国産(北海道産)の食材は高い」 そんな認識では、この世は闇です!   


桜の花は実は成るか

2020-04-21 08:50:00 | 旅行・地域
今年は 暖冬だったので、“”の開花が早いと思いました。 しかし 春になっても気温が上がらず、北海道の桜は 今だに蕾状態です。 開花は例年と変わらず、“ゴールデンウイーク”に入ってからになると思います。
「桜の花は実は成るか」 北海道の桜は、“エゾヤマザクラ”が多く、開花後に大豆ほどのをつけます。 熟すると、甘い果実になります。(サクランボの原種か) 子供の頃、食べた記憶がありますが、小さ過ぎて興味が湧きませんでした。 ただし 野鳥の餌として、重宝されています。 我が家の茶の間から見えるエゾヤマザクラの実は、毎年つがいの“コムクドリ”が、子育て時の糧として食べ尽してしまいます。 花見後に、コムクドリの演舞(収穫)を楽しんで観察しています。

”(サクラ)の“花和”(ハナワ)“美和”(ミワ)“成香”(ナルカ)は、我が町近郊の集落の地名です。 明治時代、北海道開拓に渡って来た本州の人達(我々の先祖)が、自生する“エゾヤマザクラ”を見て 地名に用いたと思います。 厳しい冬から解放され、穏やかな“春”を“エゾヤマザクラ”の開花で感じた筈です。 河津桜に似た濃いピンク色で、開花後に実をつけるのかと! 
その“花見”が、今年は“外出自粛”で出来ません。 寂しく悲しい“異常事態”です!

◎ 2年前GW、ドライブで訪れた松前公園(約250種・1万本の桜)



現在、“新型コロナウイルス”の影響で 世界中が外出自粛モードです。 残念ですが、今年の花見は諦めます。 正体不明のウイルスは、ごく身近に潜んでいます。 既に、我々の体内に潜伏しているかも知れません。 一体、ウイルスは何処から来たのか? 誰でも知っています。 “中国・武漢”です!
17年前、“SARS”を発症させたのも中国です。 そこに、大きな秘密がありそうです? 偶然が 連続する道理はありません。 武漢市内「武漢ウイルス研究所」に疑いがあります! 2年前、アメリカのウイルス学者の査察で「研究室でコウモリを使い コロナウイルスの遺伝子を研究をしていた」と、研究の危険性を報告しています。 “ウイルスの生物化学兵器転用”を、学者として疑問視した内容だったそうです。 今回の事件は、サンプル(中国ウイルス)が 不満分子(反共)である研究者によって、“武漢市場”にばら蒔かれた?(もしかすると 中国人によるテロかも知れない) 今は 我慢です。 いずれ 世界の研究者によって、真相が解明されると思います!

◎「武漢ウイルス研究所」“ワクチン”と“生物化学兵器”の研究は“表裏一体”
 

* 昨日、ラジオを聞きながらブログを下書きしていると「4月20日 道南(松前公園)で桜の開花が確認されました」と、報道がありました。 偶然でした。