奈摩湾を見下ろす斜面に建つ冷水教会は、前回の大曽教会を手掛けた鉄川与助が27歳の時、 1907(明治40)年に、棟梁として初めて設計施工した教会として知られています。
この教会が冷水にできる前は、信者達は対岸の青砂ヶ浦天主堂へ伝馬船を漕いでミサに通っていたそうです。
冷水教会の敷地から奈摩湾を見下ろすと、対岸の青砂ヶ浦までは結構な距離です。
この海を手漕ぎの伝馬船で往復していた信者たちの信仰心が見えてくるような景色でした。
冷水から対岸の青砂ヶ浦までは、通常であれば陸路は4~5㎞程ですから、次の目的地の青砂ヶ浦教会まで車で10分程ですが、途中の県道が土砂崩れで通行止めだったので、一度青方まで下り、県道32号経由で青砂ヶ浦を目指しました。
ナビのガイドのままに走っていると、丸尾教会を案内する標識が見えたので、寄っていくことにしました。
丸尾地区を見下ろす丘の斜面に、青空を背にした白い教会が、尖塔に十字架を掲げていました。
丸尾教会を説明する掲示には「この地区は島内の他地区同様、迫害の嵐を避けて外海地方から移住してきたキリシタンの子孫で1899(明治32)年まで通称「家聖堂」と呼ばれる信徒集会所があり、20戸ほどの信徒の礼拝堂を兼ねていた」と記されていました。
現在の教会は1928年に創建され、1972(昭和47)年に改修されたものだそうです。
周囲に、どこにでも見られるような、ごく普通の住宅街が軒を並べていました。
丸尾教会から数分で青砂ヶ浦(あおさがうら)教会に到着しました。
この教会は、長崎県下で多くの教会建築を手がけた鉄川与助が、1910(明治43)年に設計施工した煉瓦造りの聖堂で、2001(平成13)年に国の重要文化財に指定されています。
1879(明治12)年ごろにあった小さな集会場から、3代目に当たる現教会は、外壁がイギリス煉瓦積(長手と小口を一段置きに積む様式)で、ステンドグラスに飾られた円形のバラ窓や縦長のアーチ窓、そして正面入口左右に、柱頭に葉形装飾を施した円柱などが設けられていました。
私は、旅を終えた後に知ったのですが、何とこの教会が、あの「男はつらいよ」第35作のロケ地となっていたそうです。
第35作では、寅さんが五島に渡り、島で知り合ったクリスチャンのお婆ちゃんが突然亡くなります。
そしてその葬儀に参列した、東京で働く孫娘(樋口可南子)と、彼女に恋焦がれる、司法試験に挑戦する民夫やその周囲の人々が織りなす涙と笑いの寅さんワールドが展開したそうです。
教会の前庭から青砂ヶ浦漁港を見下ろすと、鏡のような奈摩湾の奥に、派生尾根を従えた高熨斗山の寛ぐ姿が見えていました。
青砂ヶ浦教会を出た後、奈摩湾に沿って県道32号を北へ向かいました。
車は、海岸からの高さが100m程もあろうかと思う道を進んで行きます。
その辺りから、奈摩湾の湾口を挟み、さっき通ってきた矢樫崎とその先端のトトロ岩が見えていました。
カメラをズームさせると、岬の中に冷水漁港と冷水教会らしき建物を確認することができました。
ご覧のように、旅人の目から見れば、この辺りは長閑で心休まる景色そのものです。
車は、中通島で標高が最も高い番岳(442m)と小番岳の鞍部を越える白草峠を走り、奈摩湾から、五島灘に面する島の東側に抜けました。
とは言っても、この辺りの島の幅は2㎞にも満たないので、首を数回傾げる程の時間だったのですが。
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