中通島の奈良尾へ渡る、朝8時のフェリーに乗るため、7時頃にゲストハウスを出ました。
ゲストハウスから福江港までは1km程なので、時間は十分にあります。
東へと歩み行く空に、顔を出したばかりの太陽が、今日の天気を約束していました。
市内を流れる福江川の橋から大きな寺が見えました。
確認すると、市の中心部に位置する観音寺です。
潜伏キリシタン関連遺産が世界文化遺産に登録されたので、キリスト教会に目を向けがちですが、目の前に聳える寺の大きさを認識すれば、人里離れた地に建つ教会の意味を、正確に理解できます。
人通りの少ない市街を歩くと、アーケードに植えられたツバキの一株が「玉之浦椿」であることに気付きました。
散り落ちた花の美しさに足を止めてレンズを向け、シャッターを押しました。
中通島へ渡るフェリーは、福江港を定刻通りに出発しました。
船は港を出て、穏やかな海へ進んで行きます。
昨日登った鬼岳が視界から次第に遠ざかります。
蠑螺島(サザエシマ)らしき島を照らして昇る太陽が、印象派の絵のような光景を見せくれました。
ツブラ島や椛島(カバシマ)などが次々と現れ去ってゆきます。
そして約1時間後、航路の先に中通島の奈良尾港が見えてきました。
港に降りると、タラップの先でレンタカー会社の人が出迎えてくれました。
事務所で、ネット予約した通りの手続を終え、ナビに目的地を入力し、車をスタートさせました。
それにしても便利な世の中になったものです。
数千㎞離れた自宅からネット予約すれば、一日4~5千円で自由に車を使えるのです。
私が中学生だった1964年の東京オリンピックの頃、庶民が車を乗り回すことなど、夢のまた夢の話でした。
それを思うと、この先50年、どんな世界が待っているかは想像もできません。
その頃私は、この世には居ない筈ですが、このまま平和が続くことを、ただただ祈るばかりです。
思いもよらぬ新型コロナの蔓延を目の当たりにして、世の中、何が起こるか分からないことを再認識させられました。
車はナビで、奈良尾港裏手のトンネルを抜け、民家が建ち並ぶ細い路地に導かれました。
そして、その路地奥に、奈良尾のアコウが待っていました。
1961年に国の天然記念物に指定された奈良尾のアコウは、樹高25m、幹回り12mの巨木で、西暦2000年時点で、樹齢が650年と推定されます。
昨日、福江島で玉之浦のアコウと樫ノ浦のアコウを見ましたが、奈良尾のアコウも見る者を圧倒するパワーを秘めていました。
この木が生まれたのは室町時代で、ヨーロッパではペストが猛威を振るい、人口が減少した頃のことです。
奈良尾神社の参道をまたぐように聳えるアコウ樹は、今にも動き出しそうな気配を見せていました。
明日をも見通せない人の世と、650年の歳月を経てもなお、旺盛な生命力で生きるアコウ樹。
人の力が及ばないものがあることを想います。
だからこそ、カゲロウのような人生でも、屋久杉のような人生でも、その時々に与えられた場所で精一杯に生きて泣き笑い、謳歌する。
人生とは、ただそれだけのことと思い定めることにしています。
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