通島南端の奈良尾から国道384を北上し、中ノ浦教会を訪ねました。
五島の中通島と若松島の間に複雑に入り組んだ若松瀬戸。
その若松瀬戸の笛吹浦から更に入り込んだ中ノ浦の海辺に白い教会が建てられていました。
冬に西風が吹き荒れる季節であっても、教会が波に洗われることはないのかもしれません。
海岸に接しながらも、汚れの目立たない白壁がそう思わせます。
明治初年に潜伏キリシタンが信者であることが明らかになるまで、信徒に波が及ぶことはなかったかもしれないと、そんな風に思えるほど長閑な景色の中に教会は佇んでいました。
笛吹浦は峰々に周囲を囲まれ、高原の湖のような穏やかな表情を見せています。
青い空に白い雲が浮かび、私は海岸沿いの道をのんびりと走り続けました。
若松瀬戸の北端に位置する道土井湾に面する丘に向かい、国道384から、民家の間の細い道を数100mほども入った場所に、真手の浦教会がありました。
静かな漁村に溶け込む教会に、潜伏キリシタンの不安感を想わせるものは見い出せません。
人々の日々の祈りの場であれば、これが教会としての、本来の姿なのでしょう。
更に国道384を北へ走り、中通島西海岸の中央部に位置する青方港を見下ろす丘で、大曽教会が陽を浴びていました。
現在の建物は、中通島の青方村に生まれ、長崎県下に多くの教会を建設した鉄川与助が1916(大正5)年に設計施工し、平成19(2007)年に県の有形文化財に指定されています。
教会の外壁には、レンガの凹凸や色の違いを装飾に用いる工夫が見られると、掲げられた解説に記されていました。
大曽教会を見学した後、そのまま中通島の西海岸を北へ向かいました。
それにしても、車の窓から見える海の青さが秀逸です。
ですが、道が次第に心細い状況となり始めていました。
ナビの画面右側に、高熨斗山(たかのしやま)の▲印が示されました。
高熨斗山(標高430m)は、番岳(442m)三王山雄岳(440m)に次いで、中通島では三番目に高い山で、高熨斗とは高いのろしを意味するそうです。
山名は、上五島が遣唐使船の寄港地であったことから、この付近で狼煙(のろし)を上げたことに因ると説明されています。
高熨斗山の山麓をのんびりと走り進みました。
もうかれこれ40年程前の記憶ですが、北海道の暑寒別岳の麓を増毛から石狩へ抜けたことがあります。
あの頃、暑寒別岳が日本海に迫る場所の国道231号はこんな景色だったことを想い出していました。
今は日本中どこへ行っても、山が海岸に落ちる場所では、崖の中にトンネルが穿たれ、安全に早く通れますが、味気なさは隠しようもありません。
私はやっぱり、新幹線で移動するより、のんびりとした鈍行列車の旅が性に合っているようです。
高熨斗山の北に伸びる半島を進んで行くと、やがて眼下に矢樫崎のトトロ岩が見えてきました。
次の目的地の冷水教会は、もうすぐのようです。
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