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ヤブツバキの段々畑

2020-04-16 10:06:57 | 五島列島の世界遺産と椿

 

 13時半ごろ私は、津和崎灯台と表示された駐車場に車を置いて、赤いヤブツバキの散る散策路を歩き始めていました。

 


 100m程も歩くと、葉を落としたサクラの木の間に白い津和崎灯台が見えてきました。

 


 中通島の最北端を目指したのは、この場所にツバキ園がある情報を得ていたからです。

 

 灯台に近づくと、「現在地 」(赤矢印)が表示された地図が掲げられていました。

 


 海が見える右手の斜面を少し下ってみました。

 


 目の前の野崎島との間に、白い軌跡を残す船を浮かべる青い海峡が横たわっていました。

 


 白い灯台の周囲に、枝に赤い花を飾るヤブツバキが森を成していました。

 

 

 ところで、ツバキ園は何処にあるだろうかと、訝りながらツバキの中を散策すると、

 


 ツバキの茂みの中に「椿園 7ha」と記された表示板を目にしました。

 

 そうでしたか。


 津和崎灯台の周囲を囲むツバキの森こそが、椿園(椿公園)だったのです。


 椿園とは言っても、自生するヤブツバキの森を公園化したようです。

 

 自然公園と同じ主旨ですね。

 


  ところで、前ページに記した、石垣を積んだヤブツバキ畑らしきもの観察結果をまとめておこうと思います。


 津和崎灯台からの帰路、石を積んだ段々畑にヤブツバキが育つ様子に着目した観察を行いました。


 最初に紹介するのは立串郷の小瀬良教会下の斜面の様子で、石を積み上げた斜面にヤブツバキが葉を広げていました。

 


 少し近づいて写した写真では、段々畑のように石垣を積んだ場所にヤブツバキが一列に並ぶ様子が分かります。

 

 この場所をグーグルマップの写真で確認すると、長方形に区切られた場所に、木が一列に並ぶ状況が確認できます。

 


 その少し先の、立串郷の北東向きの斜面の様子です。


 この場所も、横一列にヤブツバキが並ぶ場所は、明らかに人の手によって自然石が積まれた様子を認めました。

 


 そして白草峠を越え、奈摩湾に下る途中で目にした、石垣で整地された畑にヤブツバキが育つ様子です。

 

 

 この光景は、東海道線の窓から見える、熱海辺りのミカン畑の風景そのものです。

 
 上に示した場所以外にも仲知(チュウチ)地区で見た畑は、一番下は道路工事で積んだ石垣ですが、その上は自然石が積まれた階段状になっていました。

 


 以上のように状況証拠だけからの推測ですが、自然石を積んだ、段々畑状のものは、ヤブツバキを育てる為の「畑」の可能性が極めて高いと考えます。


 ミカン畑が転用された可能性を考えた場合、ミカンの主要なマーケットである大阪や東京からの距離は、和歌山や静岡の産地とは競争にならない程の運送費が必要になります。

 

 また、この地区から博多や長崎へ搬出する港にミカンを運ぶことの労力も大きく、そのことを考えれば、ミカンや他の果樹畑を転用した可能性はかなり薄いように思われます。


 他の可能性として、野菜などを育てる為の石積みの段々畑が、人口の減少に伴ってヤブツバキ畑に変化したことが考えられます。


 そのいづれにしても、ヤブツバキを育て得られるツバキ油は、販売価格に占める運送費が軽微ですから、他に有用な換金作物がなければ、実の採集と搾油以外に殆ど人手を必要としないヤブツバキの育成は、多くの労力を掛けて石を積んだ段々畑を活用するに値するはずです。


 以上のことから、ヤブツバキを育てる為に石を積んだ、あるいは転用したかに関し、地区住人の聞き取り調査は必要ですが、殆ど平地がない当該地域の段々畑に育つヤブツバキは、この地域ならではの地理地形に適応した人々の、社会生活の特徴を示す貴重な文化的景観であると考えます。

 

 そして勿論、そのような背景に、潜伏キリシタンが弾圧を逃れ、あえて人里離れた場所に居を構えた、この地域ならではの歴史的経緯が影響しているであろうことは言うまでもありません。

 

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