原発再稼動の動きを見ていると、原発に対する根幹の問題をすり替えで誤魔化しているのがよくわかる。
安全性を向上させることで原発を再稼動させることに躍起になっているが、これは自然に対する傲慢でしかない。
安全性をいくら完璧にしても、想定外の事故は必ず起こるからだ。
なぜなら自然界は人類の想定を超えたものであること。人間がやることには必ず人為ミスが伴うからだ。
原発再稼動の問題点をすっかり摩り替えて誤魔化しているのは、まさにこの部分である。
つまり問題点は、安全性は当然のことであり、万が一事故で放射能が漏れ出して福島のようになった場合、放射能にどう対処するかが問題なのだ。
また核燃料廃棄物の処理はどうするのか。
この二つの根幹の問題に、解決策を人類はいまだ持たない。
この状態で見切り発車することは、経済界と原子力科学者達の生命倫理の欠如の証明であり、生存の権利を脅かす犯罪行為でもある。
日本は原発輸出国であるが、世界に原発を広めることは将来の地球に必ず禍根を残す。
世界はいまや再生可能エネルギーに大きく舵を切った。
日本はエコ技術では最新の技術を持っているにもかかわらず、再生可能エネルギーの分野では最も後進国である。
原発再稼動に走る経済界、原子力科学者、政治家の頭はもはや、最も時代遅れのものであり、将来の日本を滅ぼすものであると思われる。
なぜなら世界は再生可能エネルギーに舵を切っているなかで、日本は未だに原発再稼動を急ごうとしているからだ。
経済界と原子力科学者と経産省はグローバルな視点に欠けていて、もはや世界から取り残されているのに気が付かない。
グローバルな視野に欠けて、時代に取り残されているのに気が付かないのは、まったく驚くほどだ。
根本的には経済界、原子力推進科学者、経産省に生命倫理が欠如していること、世界的・地球的エネルギーの将来展望がないこと、哲学がないことなど、ごく根本的なものが決定的に欠如しているからである。
要約すると、エネルギー問題に対して、生命倫理が欠如していることと、世界的な再生可能エネルギーへの動きに対して、すでに時代遅れになってしまっていることだ。
経済界と原子力科学者と政府は生命倫理・哲学とエネルギーの世界的展望を持たないと日本を滅ぼすことになる。
目先の利益、目先の原発再稼動から、早く目を覚まして、世界の流れに目を開くべきだと思う。
このまま進めば、日本は間違いなく、世界のエネルギー後進国になって衰退の一途をたどる。
もう一歩ふみこんでいうと、日本ほど生命倫理に欠けた国は原発を持つ資格が無いのである。