5月5日に、佐用町南光地区の奥多賀村に出かけた。
数年前から気になっていた「雪花姫の墓」を見てみたかったからだ。
国道179号線を北上すると、新宮あたりから田んぼと山が開けた、のどかな田舎の風景になる。
新宮町を抜けると、三日月町。さらに峠を越えると旧南光町。
川沿いを走り、徳久を超えて、千種川にかかる多賀橋を渡って、山奥の最奥が奥多賀村。
この地に「雪花姫」の伝説が伝わり、現在も墓が残っている。
今から1100年あまり前、宇多天皇には美しい姫がおられた。
肌は雪のように白く、花のように可憐な、雪花姫という美しい姫だった。
雪花姫を我が妻に、という者も多く、中でも大納言頼勝はしばしば言い寄ったが、よく思わない姫は断り続けていた。
やがて力ずくで姫を我が物にしようとする陰謀に気づき、身の危険を感じた姫は、わずかな共をつれて都を逃れる。
都をはなれ、遥かに人里を離れてたどり着いたのが、奥多賀の地。
この人里はなれた、ひっそりとした農村で四季を過ごし、やがて村の若者と結婚した姫は、奥多賀の地を終生の住処と決める。
そして、この地で幸せな日々を送り生涯を閉じた、と言い伝えられている。
雪花姫の墓は村のはずれの山裾にひっそりとあった。
石積みの塚の上に、高貴な人を思わせる、墓があった。
古びてはいるが、普通の墓とは違う高貴さを持った墓だった。
すみれ、れんげ、白、黄、紫、赤・・の野の花を摘んで、お墓に手向けた。
しばらく、雪花姫を偲んで、しの笛を吹いた。
さぞ美しい姫だったことだろう。
華美、華麗な都を離れ、こんなにも山奥にひっそりと生涯を送った雪花姫。
しかし、清水は豊かで、野山の幸は多く、権力闘争と陰謀に明け暮れる都の暮らしより、はるかに平穏で幸せだっただろう、と思えた。
墓の近くには宇多さん、と言う名の家が三軒ある。
あるいは、宇多天皇から賜った姓なのかもしれない。
この雪花姫の伝説は、現代人にそのまま通じるところがある。
喧騒で慌しい都会生活から自分を取り戻すために、田舎に暮らしの場を移す人達も多い。
ほんとの幸せというのは、ひっそりと穏やかな自然の中での暮らしにあるのだろうと思う。
現代人が忘れている幸せ、それを思い出させてくれるような伝説。
・・・それが雪花姫伝説だ。
雪花姫の墓を後にして、近くの藤の花を前に一興にと、しの笛を吹いていた。
そこへ鹿が突然現れた。藤の花の下のせせらぎにいて、目の前で、長い間、しの笛に耳を傾けていた。
大人の鹿ではない、可愛い小鹿で、いつまでも立ち去ろうとしない。
しの笛を吹き終えたら、せせらぎに沿って消えていった。