酒飲み掃除日記

掃除用具のレビューや飲んだお酒の感想とかをつれづれなるままに書いてます。

読書感想文「ウイスキー博物館」

2006年11月18日 | 酒類関連本

ウイスキー博物館
監修:梅棹忠夫 開高健
発行所:講談社
昭和54年5月15日第1刷発行

国税庁醸造試験所の所長や東京大学の教授をはじめとする執筆陣が
ウイスキーの歴史やその製法を説き、
小松左京や吉行淳之介などの対談、
横溝正史などのエッセイが載っている豪華な本です。
装丁も図鑑のようでカラー写真が多用されています。
開高健が監修し、サントリー社長だった佐治敬三が
ブレンドについての文章を寄せているなど、サントリー色が強く、
サントリーの広報活動の一環として出版されたのでしょう。
1970年に約13万kLだったウイスキーの課税移出数量が
サントリーの二本箸作戦などで、1975年には約23万kL、
1980年には33万kL強、そして83年には空前絶後の約36万kLまで達した時代に
出版されたものだけあって、景気が良い話が多く載っています。

製法や歴史の話は今読んでも参考になりますし、著名作家のエッセイも面白い。
ただ、サントリーの傲慢としか言いようがない部分があり気になります。
例を挙げますと、

「ウイスゲ・ベーハー序章」(開高健)
スコッチ、アイリッシュ、カナディアン、バーボン、サントリー、
これら五種をひっくるめて、今かりに”ウイスキー”と総称することにする。


「社会史のなかのウイスキー」(渡部昇一 上智大学教授)
鳥井信治郎が三井物産を通じてスコッチ・ウイスキーの製造法に関する
文献を手に入れ、モルト・ウイスキーの蒸留をはじめたのも大震災の年であった。


「ブレンド 鼻の芸術」(佐治敬三 サントリーマスターブレンダー)
昭和のはじめの頃には、工場建設に当たった技師がすでに山崎工場を去って
ウイスキーの製造とは縁が切れていたのであるから、
日本におけるウイスキー造りの労苦は、
サントリー・ホワイト発売の前から父一人の双肩にかかっていたのである。


サントリー(当時の壽屋)がウイスキーの生産を始めるにあたって、
スコットランドでウイスキーの製法を学んできた竹鶴政孝を招いたことぐらい
素人でも知っていることですし、この本にも、それに触れた章もあります。
それに、竹鶴が壽屋を退職したのはサントリーホワイト発売から五年後、
1934年(昭和9年)のことです。
鳥井信治郎を「日本のウイスキーの生みの親」ということに文句はありませんが、
事実を歪めて自社を宣伝するのはいかがなものでしょうか。
せっかくの本が台無しになってしまいます。