(前日からの続き)
この一番必要なものというのは、イエスも
“なくてかなわぬものは一つだけだ”と
言いましたけれども、あのマルタとマリアの
話の中で、妹のマリアは、イエスが来た時に
じっと座って、イエスの話ばかり聞いていて、
姉のマルタは、一生懸命イエスをもてなそうと
いろいろ用意していて話も聞けない、それで
マルタがイエスに訴える場面がありますが、
そこでイエスが言ったのは、マルタよマルタよ、
そんなに心を騒がせないがいい、なくて
かなわぬものはただ一つだ。
マリアはそのよい方を選んだのだと。
これをそのままにとったらね、マルタは
無駄働きをしているように思うけれど、
そうではなくて、そのせわしく人間が
追い求めてるものが必ずしも全部人間に
必要なものじゃなくて、本当に静かなもの
というのが人間を養う。
その人間を養う静かなるもの、なくてかなわぬ
もの、つまり、神様に向かっての誠心が
私たちの生命を養っているものだということ
なんです。
これこそが、自分たちの生きる元です。
(つづく)
この一番必要なものというのは、イエスも
“なくてかなわぬものは一つだけだ”と
言いましたけれども、あのマルタとマリアの
話の中で、妹のマリアは、イエスが来た時に
じっと座って、イエスの話ばかり聞いていて、
姉のマルタは、一生懸命イエスをもてなそうと
いろいろ用意していて話も聞けない、それで
マルタがイエスに訴える場面がありますが、
そこでイエスが言ったのは、マルタよマルタよ、
そんなに心を騒がせないがいい、なくて
かなわぬものはただ一つだ。
マリアはそのよい方を選んだのだと。
これをそのままにとったらね、マルタは
無駄働きをしているように思うけれど、
そうではなくて、そのせわしく人間が
追い求めてるものが必ずしも全部人間に
必要なものじゃなくて、本当に静かなもの
というのが人間を養う。
その人間を養う静かなるもの、なくてかなわぬ
もの、つまり、神様に向かっての誠心が
私たちの生命を養っているものだということ
なんです。
これこそが、自分たちの生きる元です。
(つづく)