olatissimo

この島で生まれた息子はなんと中学生。ほぼ育児日記です。

中国旅行(10) タバコと筆談でコミュニケーション

2020-06-10 | 旅行

その当時の日中関係や、
一般市民の感情が
どのように報じられていたか
さっぱり記憶に無いのですが、
「日本人です」と言って嫌な顔をされたり、
態度を変えられるようなことは
一切ありませんでした。

どうやら私は
どの国の人に訊いても
「日本人以外には見えない」
と言われる
どんぴしゃ日本人顔」らしいのですが
(ちなみに、同行の弟は「南方中国人顔」、
友人は「純日本人なんだけど
見た目も態度もアジア人的ではない、
人種不詳の人物」
という謎の集団でした・笑)、
日本人だな、と察しているであろう
地元の人からは、
親切にされたことしかない。

北京の人々は外国人に慣れているせいか、
みなさん、自然体でフレンドリーでした。

(偉そうな土産物店以外)

(そういう店員は、
相手が何人であろうと、自国民であろうと、
一貫して不機嫌で偉そうな態度を崩さないので、
それはそれでいいや、みたいな。)


そういう感触に慣れいたため、
フフホト(内モンゴル自治区)で、
道に散在するおじさん達の
胡散臭い外国人を、警戒しながら遠巻きに見る
といった感じの視線に気付いた時は、
うっと息をのみ、ひるんでしまいました。

そして、こういうことに驚いた自分に
また驚くという。

そうか、もしかしたら、
これが普通の反応なのかも。
外国人慣れした北京の人々が
特殊なのかもしれないな、と。


でも、警戒感強めの鋭い視線で
我々を観察する人々も、
ちょっと話してみると
すぐにほころんでくれるんですよね。
そして警戒感より好奇心が表に出てくる。

なぜ、そういうおじさん達と
話す機会が得られたかというと、
それは友人のおかげなんです。

彼女、けっこうヘビースモーカーでね。
街を歩いていても、
定期的にニコチン休憩をとるんです。

私はタバコを吸わないけれど、
体力的に休憩が欲しいので
ちょうど良かったな。

で、彼女が道ばたで
タバコをふかし始めると、
おじさん達が「お?!」という感じで見るわけです。
視線が、明らかに今までとは違う色を帯びる(笑)

で、彼女は、近場のおじさんに
「いる?」
とゼステャーで一本勧めたりする。

おじさん、喜ぶ。
他のおじさんも参加したりする。

そこから火の貸し借りがあり、
何だかんだと
コミュニケーションが始まるんです。

私も友人も、
全く中国語は解さないんですけどね。

でも、我々には漢字という
強い味方があるので
筆談ができるのです!

漢字文化、万歳!!

年配の方ほど簡体ではない
「昔の漢字」を解してくれましたし。
(そして皆さんの達筆ぶりにも驚いた!
さすが漢字の国の人々。)

筆談が始まると、
「なんだなんだ?」って感じで
野次馬が集まり、
更に人の輪が広がるし。
紙と鉛筆は、
素晴らしいコミュニケーションツールでした。

筆談で何とかなると思うから、
中国語を解さない二人だけで行動するのも
別段怖くはなかったな。
その辺、タイや韓国とは違う(笑)


これは、フフホトに限った話では無く、
北京でも同様。
でも、ビフォーアフターの変化が大きい分、
フフホトのおじさん達は印象的だった(笑)


そしてね・・・

これは日本人としては、
非常に申し訳なく、
いたたまれない気持ちになるのですが、
更に年配の方になると
多少、日本語を解してくれるのです。
私たちが驚いた顔をすると、
歌も覚えているよ、と
少し披露してくださったり。

過酷な過去が容易に想像できて、
こちらとしては
伏して謝りたくなる瞬間です。

でも、おじいさん達は、
複雑な表情で言葉を失っていたであろう
私たちを慰めるように、
私もまだ呆けていないようだね
みたいなことを言って微笑み、
終始、穏やかで、優しい態度を変えませんでした。
全てを了解しながら、
全てを胸の内に留め、
目の前の人間を許す、といった感じで。

もしかしたら、
たまたま良い人に出会っただけかもしれない。

でも、二週間弱の旅の間、
そういう人にしか出会っていないという
この高確率は、やはりすごいことだと思う。

そういう小さな出会いの積み重ねは、
確実に、私の中に
かの国に住む人々や文化に対する
尊敬の念を形作っています。


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