ダンケ→ダンク→岡南ギャリ―→県立美術館→めぐりん La Vita è Bella - Abbiamo Vinto
熊谷守一くまがい もりかず
明治13年(1880年)~昭和51年(1977年) 岐阜県恵那郡付知村(現在の岐阜県中津川市付知町)で7人兄弟の末っ子(初代岐阜市長熊谷孫六郎の三男)として生まれる。
明治33年(1900年)東京美術学校西洋画家選科へ入学し長原孝太郎、黒田清輝らの指導をうける。
明治37年(1904年)に卒業し明治38年(1905年)樺太調査団として2年間参加するが、こでアイヌの人々の生活が彼に感動を与え『自然に生きる』姿が彼に大きな影響を与えたとおもわれる。
無欲で物事に執着しない人とか、仙人のような人と言われた守一だが、90歳を超えても人から欲しいものはありますかと問われれば、「いのちが欲しい」と答えた。
自宅の庭には草花を植え、池を掘って魚や蛙を放し、小鳥や虫、猫などたくさんの「いのち」に囲まれた生涯を送った
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