とにかく日記

とにかく何でもいいから書く日記。3人の子へは仕送り、更新頻度は下がり、書き続けられるのか?(コメント等は承認制です)

余計な仕事・・・

2005-09-28 12:49:34 | ワーキングマザー
本業(職場で行っている仕事、職務)以外の仕事を抱え込んでしまい、苦労している。

仕事ってなんなんだろう。
・・・なんて考えている暇があったらさっさと片付けた方がいいのだろうが。

金のための仕事。(これは私の場合、本業だな。)
金にならないけれど、自分の良心に照らすと、やらずにいられない仕事。
義理のための仕事、人間関係を保つために引き受けてしまった仕事。

好きでやっている仕事も(金のため、金にならないに関わらず)ある。
でも好きで(自分の意思で)始めたつもりでも、続けるうちに、好きでやってるとは言えなくなってくることがあるんだよなぁ。

「仕事を好き」という気持ちは、恋愛感情と似ているかも。
恋というのは一時の感情だから、そんなに長い間、続くことはない。
しかし、恋愛感情は長続きしなくても、人間関係(恋人関係とか、結婚とか)はやり方によっては長続きさせることができる、と私は思っている。
共通の場を持ち続け、共通の目的(子供を育てる、など)を持ち、更に加えて感情的な共感を持つことができれば、恋愛感情は残骸だけになっても、温もりのある連帯感によって人間関係を続けることができる。
そうやって特定の相手と長い間続いた「連帯感」は「愛」と呼ぶことができるようなものになっているかもしれない。
その上、何かの機会に、同じ相手に「惚れ直す」ことができれば、最高だ。

仕事とのつきあい方も、同じように考えられるかな・・・。
とにかく仕事を続け、仕事をするにあたっては明確な目的を持ち、仕事に対する情熱を何かの機会に改めて燃やすことができれば、ずっと仕事を好きでいられるような気がする。(うーん、ちょっと難しいか?特に「情熱」云々が。)
どうせ仕事するなら、好きな仕事を、楽しく続けたいもんね。

働き盛りといわれる年齢で、仕事がない人生は、淋しい(と思う)。
しかし大多数の人(私を含めて)は、仕事が大変すぎる、もっとラクにできないだろうか、と思っているのではなかろうか。
いくら好きな仕事でも、やりすぎるのはキツイし、キツイと好きじゃなくなる。

大きな問題なのは、好きでもないのに、やらなくちゃいけない仕事、だろう。
どうしてもやらなくちゃいけない、のなら、まぁ、サッサと片付けるしかないのか。

昼休みもそろそろ終わる。
・・・仕事(本業)に戻ろうっと。
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キリキリする~

2005-09-26 09:48:34 | 育児
最近、末っ子(仮名ルル、男、2歳1ヶ月)のお気に入りは「キリキリ」である。
食後などにゆっくりしていると「おかあさん、キリキリする~」とやってくる。

「はい、はい」と私が提供するものは、ハサミと毛糸だま。
ハサミで「切り切り」するのが面白くてたまらないらしい。
毛糸を伸ばしてあげるとハサミでチョキン、チョキンと切っていく。
細かく切られた毛糸の山ができても、飽きずに切り続けている。
ハサミを開き、毛糸を間にいれ、ハサミを閉じる。
毛糸をうまく刃の間にはさむことができず、ルルがいらだつこともあるが、
テキトーに手伝ったり励ましたりするとまた気を取り直すようだ。
(手助けすべきではない、という考え方もあるらしいが、まぁテキトーに。)

これくらいの年頃の子供が行う無限反復作業(とでもいいたくなるような
同じ作業の繰り返し)、とても面白いと思う。
大人にとっては「子供のいたずら」で片付けてしまいそうな、単純作業。
これを「子供にとっては大切な、自然からの宿題(成長のための課題)である」と
位置づけた、マリア・モンテッソーリの発想もすごい。(注)
おかげで私は「ま~た同じことやってる、いつまでやってるんだろ」と思わずに
子供の反復作業につきあい、興味深く観察することができる。

まだ、今のところは一回の「チョキン」で切れる幅のものしか与えていない。
最初は家にあるリボンやテープを切らせていたのだが、いくらでも切り続けるため、
とってあった古いリボンは切りつくし、今は毛糸だまを切っている。
ハサミは子供用の文房具売り場で買った、先の丸い、切りやすいものである。

ルルが切っていると、姉たちもそれぞれのハサミを持って「やらせて~」と寄って
くるので、毛糸を分けてあげる。
ララ(長女6歳)はすぐ飽きたが、リリ(次女、4歳)は「髪切り屋さんですよ」
と言いながら毛糸をずっと切っている。
おかげで、大量の毛糸くずをゴミとして出すことになった。

注)モンテッソーリ幼児教育法の本はたくさんある。
とりあえず一冊を、ということであれば「ママ、ひとりでするのを手伝ってね!
(相良敦子著、講談社)がお勧め、かな。
Webではこんなサイトも。
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学研の科学

2005-09-24 11:15:56 | 育児
長女(仮名ララ、6歳)のために「1年の科学」を定期購読している。

親バカの入った、ささやかな英才教育である。
何しろ、ララが小学生になるのは来年なのだから。
いわゆる早期能力開発プログラムなどの通信教育の類には一切、手を出さないと
決めているのだが、これだけはちょっと違う・・・ということで。

亭主(理学博士号を持っている)は子供の頃、定期購読していたそうだ。
私自身はとっていなかったが、2歳上の兄が親に与えられていたのは憶えている。
その「おふる」を、私は読んでいた。
古い号でも面白かったのは記憶している。「かたつむりの飼い方」とか。
学研の科学は小学校の学年別になっているが、内容的にはあまり関係ないのだ。
付録は兄のものなので触らせてもらえなかったが、とても羨ましく思っていた。

さて、ララは5歳でひらがな、カタカナがほぼ完璧に読めるようになった。
(これは保育園がそう教育したのである、親が教え込んだのではない。)
科学的な質問(どうして○○は××なの?とか)も増えてきた。
で、学研の科学をもう読めるだろう、と4月から定期購読を始めた。
4月号の付録が顕微鏡だった、というのも始めるきっかけになっている。
(かなりチャチではあるが、子供でも操作できる実体顕微鏡であった。)

予想通り「1年の」と銘打ってあっても、1学年下のララには、まったく
抵抗なく受けとめられている。
毎月、届くのを楽しみにしており、特に付録には興味しんしんである。
子供の心を捉えるような工夫が多いのだろう。
最初は一緒に読んでいたが、今ではもう、一人で勝手に読んでいる。
沖縄の気候風土とズレている付録もあるが(ミニトマトの種が届いた頃、
こちらではとっくに種まきの時期が終わっており収穫期に入っていたため
植えても花は付いたが実はならなかった、など)まぁ、よしとしよう。

ささやかな英才教育、と上では書いたが・・・
親としては、本人の嗜好を把握した上で長所を伸ばすのに役立ちそうなものを
提供しているつもりである。
(両親の年少時の体験が関係している、というのは否定しないが。)
好きなものと楽しくつきあい、教養(というのは大げさかも)をつんでくれれば、
・・・と願っている。
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おやじギャグ?

2005-09-20 09:22:40 | 子供語録
長女(6歳、仮名ララ)が最近「おやじギャグ」にはまっている。
「おやじギャグ」と本人は言っているが、私からみると「おやじギャグ」というよりは、
ただのギャグ、シャレ、ダジャレなどに入る言葉遊びである。
(サムい、という点ではおやじギャグなみだが。)
保育園でも流行っているらしい。

本人は一生懸命、考えている。
おもしろいかどうかは・・・まぁ、ご覧下さい。
いくつかララの自信作(?)を紹介しておきます。

「マントヒヒが笑った、ヒヒヒ」
「牛さんが笑った、ウッシッシシシシ」
「薬屋さんが笑った、クスリ」
「鶴さんがすべった、ツルッ」
「小鳥さんが転んだ、コトリ」
「ゆかいな 床」
「屋根の上でラブラブ?ぃや~ね~」

・・・笑えましたか?
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沖縄の人はのんびり?

2005-09-16 10:20:45 | その他いろいろ
同僚、Aさん(地元沖縄出身)との会話。

私「沖縄の人って、たいてい、のんびりしてますよね」
A「せかせかしてる人、あくせく働く人は、絶滅したんじゃない?」
私「??」
A「沖縄の暑い昼日中に必死で働くような人は早死にする。
  だから、そういう人の遺伝子は残らない。
  自然淘汰されて残った沖縄の人は、のんびりしてる人だけ、というわけ。」

・・・本当にそうなのか!?(笑)
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子供には何歳からゲーム機を?

2005-09-05 00:59:32 | ゲーム好き母の育児方針
子供にいつからゲームをさせよう?
ゲーム機を与えるのは、何歳になってからにしよう?
重症のゲーム中毒体験者でもある親として、真剣に悩んでいる。
ゲーム、面白いもんなぁ。

注)ここでいう「ゲーム」とは、いわゆるテレビゲーム機、携帯ゲーム機のことである。
  オンラインゲーム、ネットゲームは後に書く理由で論外。

近所に住む老夫婦のお孫さん(小学1年生)が、庭石に腰掛けてGBA
(ゲームボーイアドバンス)で一人、遊んでいるのを見かけることがある。
何も外でやらなくても、と思うのだが・・・そこまでしてGBAで遊びたい、
という気持ちは(私も経験者だけに)わからなくもない。

先日40歳になった私だが(おっ?このブログで自分の歳について言及したのは初めてだ)
ファミコンのドラゴンクエストIIから始まったゲーム歴は20年、である。
趣味として、読書や音楽(演奏&鑑賞)と同じレベルで「ゲーム」と言うのは
この世代の女としてはちょっと恥ずかしくもあり、でもゲームは今や本や音楽、
映画と並べても恥ずかしくない、一つの文化である、とも思う。

学生の頃は白目が充血するまでファミコンゲームで遊び続けたこともある。
(・・・一日20時間くらいやってたかな?もちろん学校さぼって。)
就職してからも、ゲームによる睡眠不足の頭で出勤、ということがしばしばあり。
仕事が忙しくなってからも、子供を出産してからも、仕事や育児に支障を来たさ
ない範囲で、と自分で制限しながらも、ずっと何らかのゲームを続けてきている。
仕事に育児に忙しいはずの今でさえ、PS2で「ティアリングサーガ」をやっていて
出張の移動時間にはDSで「大合奏!バンドブラザーズ」をやっているのである。
(ただしネットゲーム、オンラインゲームには手を出さないことにしている。
 時間を律するのがとてもとても難しそうだから。)

とにかく、ゲームは私の大切な趣味の一つである。
ストレス解消の手段であり、豊かな人生の一つの要素である。
ゲームの楽しさ、おもしろさ、はどこかで子供に伝え、共有したい。

しかし。
親として、子供に与えるのは、何歳からがいいのだろう。
参考までに自分の過去のゲームとの付き合い方を振り返ってみる。
ゲームと「適度」につきあえるようになったのは・・・うわ、30歳過ぎてからだ。

ちなみに亭主はずっとゲームと適度につきあっているような印象がある。
(そういえばゲームも亭主と共通の趣味の一つであった。)
人による、のかもしれないが・・・。
しかしそういう亭主は、子供にゲームをさせることに反対である。

一番上の子は、現在、6歳。
私は始めさせてもいいかなぁ、と思うのだが、子供が自分で本を読んだり
絵を描いたりする時間をゲームに費やすのかと思うと、まだ早い、と思う。
大型店舗のゲームコーナーにはたまに家族で行き、それなりに楽しんでくるのだが、
(一番下の2歳の子はひたすら「コインを入れる」のを楽しむ、など。)
家庭用ゲームは、まったく意味と位置づけが違う。

現代の子供は、娯楽が多すぎる。
本を読んだりテレビを見たりする娯楽が既に生活の中にあるのだから、
急いでゲームを始めさせる理由は何もない、ような気がする。
「こんな面白いもの、子供に渡すのはもったいない」というのも一方の本音。
当面、我が家では「ゲームは大人の楽しみ」としておいて「遊びたければ早く大人に
なりなさい」ということにしておくかなぁ。

・・・ということで、我が家では当面、見送り、だな。
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出張から戻ると

2005-09-02 03:32:31 | ワーキングマザー
3泊した出張から戻った翌朝。

亭主が朝食の配膳を長女(6歳)に頼んだ。
長女がちゃんと配膳を済ませたので、私としてはいつもと同じつもりで、お手伝いありがとうの歌を歌った。

長女は、黙って私の所まで歩いてきて、抱きついてきた。
うつむいているのは、涙を見せまいとしてのことらしい。

母がいない間も、頑張っていたのだろう。
歌って励ますだけの母でも、いないよりはいた方がいいのだろう。
抱きしめて、頭を撫でる。

・・・朝ご飯3回分もいなくて、ごめんね。
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