とにかく日記

とにかく何でもいいから書く日記。3人の子へは仕送り、更新頻度は下がり、書き続けられるのか?(コメント等は承認制です)

半日の休暇

2010-09-28 23:27:18 | ワーキングマザー
去った週末、子供の運動会を犠牲にして研究会に行ってきた話は既に書いた。

頭は期待した以上のすごい情報を研究会で得てきて大興奮、熱暴走状態。
心は「子供の運動会に行けなかった、子供の運動会より仕事を選んでしまう母親になってしまった、悲しい」という涙・涙・涙の状態。
(ま、ホントに泣いてはいないけど、この乖離は困ったものだ。)
週末つぶして身体は疲れきってるというのに、仕事があって休むこともできないまま迎えた週明け。
一方、子供たちは運動会の代休で二日連続休みである。
(土曜日も運動会練習で登校していた。)
ララとリリは友達と遊ぶ約束をしており、ルルはサトシと一緒。

月曜日はそれで終わった。子供たちはそれぞれに楽しんだらしい。
私は仕事の山が片付かず疲れきった状態。
火曜日の午後、私は半日の休暇を届け出て、仕事を休んで末っ子ルルと一緒に過ごすことにした。
ララとリリは友達の所だから、相手をしてくれるのはルルだけ、ということになるが、相手をしてもらえるうちが花、だろう。ルルは大喜び。

一緒に過ごす、といってもさまざまな用事を済ませるのにルルが着いて来るだけのようなものである。
車のキーが壊れたので直しに行き、洗車してもらってる間にマクドナルドでルルとDSで遊んだ。
そのうち私は寝てしまった(苦笑)が、ルルは私の横でずっとDSをやっていた。
夕食を久しぶりに作り(といっても焼肉、超簡単)家族そろって食べた。

半日の休暇。熱暴走してる頭はまだクールダウンしないけど(しなくても構わない)悲しみでいっぱいだった心は、半日とはいえ、末っ子と一緒だったことで癒された。

子が親を必要とする期間も、あと数年のことだろう。
子離れの準備を、こちらもしておかなければ。
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初めて不在の運動会

2010-09-27 21:00:26 | ワーキングマザー
1年前から決めていた仕事と、子供たち3人が通う小学校の運動会が重なってしまった。

運動会は、子供たちにとって大切な大切な行事である。
これまで私は、運動会のために秋の仕事をずいぶん欠席してきた。
弁当も頑張って作ってきたし。
しかし・・・今年は、どうしようもない。

子供たちに話した。
え~!!という反応だったが、ララ(小5)とリリ(小3)は受け入れた様子。
(っていうか、もう諦められてるのかもしれない・・・。)
ショックで黙ってしまったのが、末っ子のルル。
ごめんね。小学校初めての運動会なのに、お母さん見に行けなくて。
代わりに誰かに写真、撮りに来てもらおうか?と言ったら
「サトシ(仮名、私の弟)がいい!!」という。

弟はフリーのカメラマンである。
その上、ウチの子たちに慕われている。
確かに写真係として、彼ほど適任はいない。
ただしサトシの居住地は埼玉。ここは沖縄。
交通費だって馬鹿にならないのだが。
依頼するからには、こっちが出すべきか。

ということで、費用は全部出すから来てくれ、と言ったらサトシは快諾してくれた。よし。これで写真撮影係を確保した。
次は弁当。
「ほっともっと」でお重があるらしい、という話を聞いて、店に行った。
おにぎり、唐揚げ、その他、のお重を注文し、運動会当日に取りに行くことに。
果物は母(2年前に当地に移住済)に依頼し、これで少しは気が楽に。

出張先から電話するたびに、泣きそうになっていたのは私だけ。
子供たちは案外、平気なのだ。
こうして親離れが進んでいく。

運動会当日、ルルがサンダルを履いて登校してしまったらしい。
一緒に歩いていた弟が気づき、家まで靴を取りに戻ったとか。

写真は山のように撮ってくれていた。
ありがとう、サトシ。
写真じゃなくて、実物を見たかったけれど、こればかりはどうにもならない。
こうして子供たちは成長し、親離れも、子離れも進んでいくのだろう。

でも、来年の運動会は絶対、見に行くぞ!!!
来年はララの小学校最後の運動会なんだし。
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どうしてこんな気もちになるの?

2010-09-19 07:06:14 | 
図書館で見つけて、借りて来た本。

「どうしてこんな気もちになるの?」 エダ・ルシャン著 野田恭子訳
ディスカバー・トゥエンティワン社 発行 (2003年)

1970年代にアメリカで書かれた本の翻訳、らしい。
当時のアメリカの過激さ(笑)の一端がうかがえる箇所も数箇所あるが、
基本的には、子供に自分の感情について考えさせるための本、である。

図書館で立ち読みした。
て、これは70年代風の子供向け認知行動療法的な本だ、ということに気づいた。

また、子供だけではなくわたし自身のためにも、なる本。
なんといっても、タイトルがいいじゃないか。
「どうしてこんな気もちになるの?」
この問いは、親ですっかり大人であるわたし自身、常に自分に問いかけている。

借りてきて読み、早速、子供たちの寝かしつけの読み聞かせに使ってみた。
(テキトーにアレンジしながら読んだ。一字一句、本の通りには読まない。)
読んだ部分の一部を、紹介する。

「第一章 いろいろな気もち

 ひょっとすると、あなたはきのう、おねえさんとゲームをしたかもしれない。
 おねえさんは年上で、あなたよりたくさんゲームをやったことがあるから、
 あなたは負けてしまった。
 あなたはきっと、おねえさんに腹がたってしかたがなかったにちがいない。
 それとも、夕べおそく、あやしい物音をきいた気がして、ふと目をさましたかもしれない。
 こわくて動くことも、人をよぶこともできず、あなたはベッドで息をころしてた。
 朝がくると、台所にかけこみ(←原著はこうだが、私は『お母さんのフトンにもぐりこみ』
 と言った、ウチの子達の行動はそうだから)、
 おかあさんにぎゅっとだきついて、びっくりさせた。
 おかあさんのことが大好きだから、そうしたかった。

 世界中の人はみな、ときによって、おこったり、おびえたり、愛したり、
 そのほか、いろいろなことを感じている。それが『気もち』だ。
 気もちは、とてもたいせつなものだ。
 だれでもみんな、ときどき自分の気もちにうろたえたり、とまどったりするけれど、
 気もちのことをもっと知ることができれば、それだけ強く、しあわせになる。」

最初の部分では、姉たち二人が弟に「ルルのことだ、ルルのことだ」とひやかし、
ひやかされたルルは、照れくさそうにしていた。
夜におびえる部分では3人とも、真剣に聞いていた。
そういう経験がある、ことを自覚しているのだ。

子供の心も、大人の心も、理解しやすくさせてくれる本、だと思う。
絶版で中古本しか手に入らないらしいのが残念。
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無駄足はイヤだから

2010-09-12 08:38:08 | 子供語録
次女、リリ(9歳)の話。

週末の朝には早起きしてDSiLLを私の枕元に借りにくるのがリリの習慣。
我が家に現在、通常稼動しているDSはこの一台のみ。
私の睡眠導入剤代わりなので、朝には枕元にあるのだ。
「おかあさんのだからね」と子供たちには強く言い渡してある。
使用者としての優先権は私にある、と主張しているのだ。
しかし、朝寝坊できる週末、私は子供たちよりはるか後にしか起きる気がない。
だから週末の朝には、借りに来た子に(先着順で)貸すことにしている。

しかし、今朝は既に弟ルル(7歳)が借りに来たあと。
リリに「もうルルに貸したよ、ルルは1階にいるでしょう」と言ったら
「じゃあ、無駄足はイヤだから、ここで寝ていっていい?
 お母さんのフトン、気持ちいいんだもん」
と私の布団にもぐりこんできた。
たまのことだから、と許す。

DSをとりに部屋に来たけれど、DSがない。
だから、無駄足にしないために、添い寝?

リリの理屈がおもしろい。
リリは数分、私の横に寝ておしゃべりして、それから起きて階下に降りて行った。

小学校3年生になっても、まだ、母親に甘えたい気持ちがあるらしい。
ほんの、しばらくくっついていれば、満足して離れる。
自立過程での、子供の心なのだろう。

こういうことも、あとしばらくしたら、なくなるんだろうなぁ。
嬉しいような寂しいような、でもやっぱり嬉しい、かな。
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