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母が住んでいた都営アパートの部屋を明け渡す準備を12月から行ってきました。
整理を始めてから1ヶ月半、先週の休みにようやく最後の荷物を私の家に
持ち帰ってきました。
殆どの荷物は処分することになりますが、それ以外の小物は兄と私で
分け合いました。
嫁入り道具の一つであった衣装ダンス、あまりにも大きく処分せざるを得ません、
その他にも食器棚や座卓、編み機やミシンその他もろもろ。
母は勿論の事、既に亡くなった父、私たち兄弟にとっても思い出深いものばかりです。
そういう家具などが処分されるのは悲しく、そして一つの時代が
終わったのかなという想いにもなります。
特に、生前着ていた母の服を処分することがこれほど辛いとは。
小学校の入学式に着ていた母の服、仕事をバリバリしていた時の服、
娘の入園式に着ていた服、意外にもいつの服か思い出せるものだなと感じます。
そして多発性骨髄腫を患ってから家で着ていた普段着、寝間着など、
そのどれもに思い出が詰まっています。
それらと一緒に父が着ていたスーツ、燕尾服、浴衣等もありました。
男物のスーツはサイズさえ合えば私が着ることも可能でしたが、残念なことに
私には小さく、シミや虫食い跡がありとても再生できるものではありませんでした。
母の衣類も、私の妻にとっては大きく、義理の姉にとってはぴったりすぎる
ということで全て処分することになりました、ちょっと悲しい思いです。
思い出の品を兄と分け合いながら私が持ち帰ったものは、若い時の母の写真が
貼ってあるアルバム数冊とミシン、父が大切にしていたカメラ、趣味で集めた
古銭や切手、日曜大工で使っていた工具等です。
私にはそれで充分で、他のものは兄が持って帰ることになりました。
気がつけばあまり金目の品はありませんが、それ以上に思い出という
価値のあるものばかりです。
そして、“あー、もう、ここに来ることは無いんだな”と考えるとちょっと
残念ですが思い出は、私たち兄弟家族の誰の心にも一杯残っていると思っています。
そんなことを想いながら、明け渡しの準備を終えてきました。
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